役に立つのかどうかと、巨大地震の1か月ほど前、ツイッターについてTVで議論していた。そこで著名な評論家が若者を相手に、「そんなくだらないもの」といった、多少小ばかにした態度でツイッターについていろいろと質問していた。
それから地震があり、そこでツイッターが思わぬ威力を発揮し、どういう価値があるか疑問視されていたものが、一挙になくてはならないものとして認識されるようになった感がある。また、その直後だったか、筆者の知り合いが筆者のことをツイッターで発信した。そのツイッターの仕組みが筆者にはよくわからず、その発した「さえずり」がその後どのようにフォローされたのかそうでないかは知らない。ツイッターは鮮度が命であろうし、反響がなければそれこそ個人のつぶやきで終わってしまうし、またそれが大多数ではないだろうか。ホームページの簡略なブログが登場し、今度は俳句のように短い意見を発するツイッターが登場したのは、多忙な現代人を象徴している。ケータイ片手にいつでもどこでも思いついたことをさえずろうということで、人間が鳥になったようであるのは、それはそれで現代人をよく表わしている。もちろんTWITTERが鳥のさえずりの意味であることは誰でも知っているが、今日初めてその会社のロゴを見ると、青い小鳥がマークになっている。利用者はみんな青い鳥ということか。夢があっていいが、それは全くの夢でしかないような気にもさせられる。それで、ツイッターは筆者には全く無縁であろうと思い、興味もなかったが、昨日グループ展に行った時、筆者の背後でツイッターの話題が盛り上がっていて、ある人はフォロワーがかなりいるらしく、それに目を通すのが多忙などと語っていた。それとは別に、一昨日書いたように、いわき市のとある学校の先生が長年続けていたブログが昨日完全に消去されたが、その人のブログをこの2、3週間ほどたまに見ながら気づいたことは、筆者と同じEXCITEブログであるのに、ツイッターが設定されてあったことだ。それが少々気になった。つまり、ツイッターが少しずつ筆者に接近して来た感じで、今朝は急に思い立って、それをこのブログに設定することにした。だが、筆者のWINDOWS95や今これを書いている3階の98では、反応があまりにも遅くてどうもうまく行かない。四苦八苦しながら2階のXPのパソコンを使ってやってみることにした。どうにか設定が出来て、この画面の右下にTWITTERのリンク・バナーが設定された。写真は最初真っ白な卵型であったが、好きな画像を載せることが出来たので、先日投稿した、筆者が小学校の入学式に写真館で撮ってもらった満6歳の写真を使うことにした。この写真はビートルズのアルバム『ミート・ザ・ビートルズ』のように顔半分が影になるように加工したもので、大昔の写真を使う方が身元が割れなくていいと考えたことによる。だが、ツイッターの設定画面を見ると、友人知人が知るように名前は本名で登録し、顔写真もちゃんと載せ、現在のものを使う方がいいらしい。ブログは本名を出さないのが普通であるから、ツイッターもそうだと思っていると、どうもそうでもないようなのだ。このあたりの変化、違いが筆者にはよくわからない。
ともかくどうにか設定したにはしたが、投稿した文章の最後から改行した1行の終わり、トラックバックやコメント・リンクの次にツイッター用の窓が出来ていたように思うが、筆者もそのように設定したはずなのに表示されない。これはツイッターを設定してからまだ新規の投稿をしていないからなのかどうか、これがまだわからないでいる。また、ツイッターのサイトで登録する際、このブログと同じIDのUUUZENにしようかとも思ったが、別の会社であるから別のものがいいのではないかと考え、そこで昨日投稿した「ちわゆね」を名前に、IDはそのローマ字のchiwayuneにした。このことで、「ちわゆね」は誰も使えなくなったと思うので、それをしたいがためにツイッターの設定をしたところも多少はある。ツイッターのリンク・バナーは、ブログの設定画面からの指定によって、左端欄の上下位置を移動させることが可能だが、一応エキサイト提供の「つぶろぐ」の下にしてしておく。「つぶろぐ」はツイッターの登場前からあったように思うが、要は同じようなもので、ある人がつぶやいた事柄に誰かが反応してまたつぶやくというものだ。だが、筆者は誰のつぶろぐに対してもつぶやいたことがなく、また誰からもつぶやいてもらったことがないまま、適当に俳句や俳句もどきをたまに投稿している。本当はこれを他人の掛け合いで連歌にしたい思いもあるが、同じ趣味の人をたくさん募る必要があるし、またそうして集まる人は自分の「つぶろぐ」あるいはツイッターで同じことをやりたいであろうから、結局はうまい具合には行かないだろう。それはいいとして、「つぶろぐ」をそれなりに使っている筆者であるから、ツイッターも始めると書くべき内容に困るかなという思いはある。このブログがエッセイ、「つぶろぐ」が俳句ならば、ツイッターは俳句にもならないもっと生の、本当の思いつきだ。それをパソコンから投稿するのはちょっと面倒かなという気がしないでもない。やはりケータイ向きで、思いついた時が勝負、パソコンの前に改まって座った状態ではさえずりもぎこちなくなるのではないか。それで、全くの役立たずになる気配もあるが、当分設置して、自分には向かないと思えば消去しよう。それで、今そのバナーのchiwayuneをクリックしてTWITTERの画面を表示させようとすると、WINDOWS98のパソコンでは反応がきわめて遅い。これは意欲を削ぐのに充分だ。やはり役立たずのままに終わるのかなと思いながら、ログインすると、何度やってもエラーが出る。パスワードは間違っていないはずなのにおかしい。それでXPのパソコンでまたログインすると同じ反応なので、パスワードを変えた。そのことで初めてさえずりが出来る窓枠が表示され、試しにそこへ何か書いてみようと思い、ちょうど2時間ほど前のことを思い出した。それは小鳥のさえずりに感心したことで、ツイッターの第1回のさえずりとしては、まずはちょうどいいのではないか。投稿したその100字少しの文章をこのブログでうまく表示されているかどうかを見ると、95のパソコンではさっぱり表示されない。それどころか、98でも画面全体の表示がえらく重くなって、この文章の投稿ですらうまく機能しないようだ。となると、早速ツイッターを削除しなければならないか。やはり今のネット・ライフには最低でもXP以上の機能が必要なようだ。小鳥にさえも無視される筆者の古い役立たずのパソコンということか。人間が小鳥のようにさえずることも、古い人間にとってはあまり簡単ではないようだ。