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●『PENGUIN IN BONDAGE』その2
りが最近浅い。昨夜も眠りに入って2時間後の深夜3時に目覚めた。こんなことは今回の巨大地震以前にはなかった。



●『PENGUIN IN BONDAGE』その2_d0053294_1516077.jpgその夢に昔よく知っていた女性が出て来た。その女性が倒れて口から泡を吹いている。その横で筆者もすぐに倒れ込み、どうやらもうすぐ死ぬのかなと思っているところで目覚めた。最近は以前にも増していい夢を見ない。目覚めて真っ暗な部屋で天井を向いてぼんやりしていると、かたわらの家内も悪夢にうなされているようだ。体をゆすってやると、それが反応してさらに悪夢を見たようだが、すぐに目覚めて、恐い夢を見たと言う 。同床異夢ではなく、家内とはよく似た夢を見る。時には思いが見透かされているのかとドキリとすることもあるが、夫婦であればそういうことがあっても不思議でない。夢昔よく知っていた女性は、この20年、ほとんど全く意識していなかった。それなのになぜ夢に出て来たのだろう。意識していないと思ってはいても、記憶してはいるから、夢に出て来てもおかしくない。家内と10分ほど夢の話をした後、またお互い眠りに入ったが、その直前筆者はその夢を今日のこの投稿の枕にしようと考えた。その中でも女というキーワードだ。そして、朝になってこのブログの「ザッパ関連ニュース」の去年の画面にロレーン・チェンバレンという女性のインタヴュー記事を探した。ちょうど1年ほど前に大西さんから伝えてもらっていることがわかった。当時のブログにその記事の内容について触れたが、ザッパが性的な関係を持った女性がネット時代になって名乗りを上げ、妻ゲイルとしても内心穏やかでないだろう。男女の秘め事であるから、当人同士が墓に入るまで隠して行くことが日本では美徳とされるが、アメリカではそうではないのか、あるいはザッパと関係した女性がみな売名行為に熱心なのか、そこはわからない。だが、ロレーン・チェンバレンはまだ好感が持てる。ザッパとの出会いや、またザッパが逮捕されて監獄に入ることになったある事件に関する張本人であるから、ザッパには生涯忘れられなかった女性に違いなく、またザッパは結婚してからも彼女と関係を続け、そのために彼女は独身を通したほどだ。また、ザッパは関係を続けるために1年のうち半分はツアーに出たということもあったのではないか。つまり、ツアー先のホテルで落ち合うためだ。そう考えるとザッパも女性に関してはごく普通の男で、しかも精力絶倫であったから、仕事もふんだんにした。『LUMPY GRAVY(肉汁のかたまり)』という、意味がよくわからないアルバム・タイトルも、ザッパがつけたその女性のニック・ネームだ。これはエロ・ビデオでよく使われる「○○○汁」のことで、彼女のあそこはいつもよく濡れていることに感激してつけたのだろう。そう言えば、そのインタヴュー記事では、ザッパの最初の奥さんは、ザッパが仕事に出た後、ベッドの上でさまざまな野菜でオナニーをしていて、その姿をたまたま忘れ物を思い出して取りに帰ったザッパが見つけ、その後離婚してしまう。ザッパは自分が妻を満足させていないのかと、いささかショックであったのだろう。ま、セックスの相性は大事であるので、ザッパがロレーンと出会って、手放したくないと思ったのは、男なら理解出来る話だ。で、そういう女性をアルバム・タイトルにつけ、それを長年誰もわからなかったことも、いかにもザッパらしく、ふたりの秘め事としておきたかったのではあるまいか。
 さて、ダウンロードで発売された音源、そのタイトル『PENGUIN IN BONDAGE―The Little Known History of The Mothers of Invention』は、後半が副題ではなく、これは2曲を意味する。また「PENGUIN IN BONDAGE」はアルバム『ROXY & ELSEWHERE』の最初に収録される曲で、しかも「The Little Known ……」の最後はブルースの演奏がフェイドアウトするが、これは『ROXY……』でも同じだ。つまり今回の発売は、『ROXY……』の最初と最後を収めたものでもある。そう考えると、この録音がさなれた74年5月10日の全演奏が、次回のステージ丸ごと収録のCDとして発売されるのではないだろうか。それは今後の楽しみとして、『ROXY……』は1973年12月と74年5月のライヴ録音からいいとこ取りをし、さらにスタジオで音を重ねたものだが、今回の発売はオーヴァーダブがない。そのため、「PENGUIN IN BONDAGE」はもっと生の形をしていて、それは冒頭の音を『ROXY……』とは違って2回演奏することからも言える。中間のギター・ソロはやはり『ROXY……』ヴァージョンの方がいいが、そのソロは当時録音したすべてのテイクから最もいいと思えるものを挿入している可能性がある。「PENGUIN IN BONDAGE」を最初に置いたところに、ザッパのエロ好みがよく出ているとも言えるが、この題名「拘束のペンギン」は女性が縛られているSMセックスを意味し、またペンギンであるのは、白人女性が黒のストッキングや黒のゴム製の下着をつけているからで、今では日本の女性でも同じ格好をさせられて男の言いなりにSMに興ずることが増えた。ザッパがその拘束された女性がペンギンのようだと言っているのは、全くお笑いの感覚で、その開けっぴろげでしかも的確な比喩はザッパお手のものとして特筆しておかねばならない。SMがそのように笑いの対象になると、やっている本人たちは興醒めするかもしれない。SMは隠微なところがいいのであって、虐げられて恥ずかしがる感覚がないことには性的に感じて興奮しないというところにまで、時として女性は男に調教される。それが爆笑の対象となると、女は冷めてしまうではないか。ザッパ作品に散見出来るエロ感覚がそのように明るいのは、アメリカ西海岸に住んで音楽活動をしたためと理由づけも出来るが、やはりエロをも音楽のネタに使おうという仕事本位の根性があってのことだ。そういうザッパであるからまた女に持てもしたのであろう。
 昨日書いたように、「拘束ペンギン」に続けて長い語りの曲「マザーズ・オブ・インヴェンショのちょっと知られた歴史」がある。ザッパは語りをライヴでよく語ったが、『ROXY……』でそれが最大となったのは、それなりに目的があったはずだ。『ROXY……』はその長めの語りを曲間にはさむことで、曲の説明と、そしてザッパの好みや、また古い出来事の紹介をしている。「ちょっと知られた歴史」は『ROXY……』の語りと合わせて聞くべきもので、そのことによってアルバムの語りがまた新たな意味で理解出来る部分がある。つまり、今回の発売は『ROXY……』とは補完し合っているのだが、ザッパにすれば語りで自分たちのデビュー以来10年の経験を総括し、またファンにはあまり知られていなかった事実を伝え、そのことによって自分の音楽に対する理解をさらに深めてもらおうという思いがあった。「ちょっと知られた歴史」の内容は明日述べるとして、そこで数人の人物を順に登場させるのは、マザーズの成功の歴史を簡単に回顧し、彼らに賛辞を捧げる意味合いからで、そこにはザッパが恩人に対する感謝が見られる。この態度があったからこそ、ザッパは有名になって行ったと思える。またこの数人を挙げる中、自分がある出来事によって監獄に入ったことをわずかな言葉で言うが、その言葉の裏には、先の旧名ピート・ローラ、現在の名ロレーン・チェンバレンの存在がある。その彼女について語りでは言及しないのは、彼女を仕事上の導き手としてではなく、性生活の一時的なパートナー、つまり私生活に関する人物であった意味合いからだ。そして、そういう秘め事の存在が、ザッパ没後に意見を発していることを墓下のザッパはどう思っていることだろう。それはどうでもいいこととして、男が有名になると、昔関係を持った女性も鼻が高いことは確かなようで、男たるもの、女に持てるためには結局仕事に精を出し、名を上げる必要がある。ついでに書いておけば、ピートを使ってザッパは自分のスタジオでエロ・テープを作り、それが車のディーラーに扮した刑事に見つかったことでムショ行きとなった。そのエロ・テープはザッパの指示でピートがよがり声を演じたもので、それをザッパは一晩かかって短く編集したが、実際は演技ばかりではなく、プッシーに触れることもあったことだろう。それは20代前半の男と10代末の女としては当然のことで、今の同世代の若い男はもっとストレートに彼女を使ってエロ動画をネットに投稿している。それが退屈とすれば、ザッパのように想像力を喚起させないからだろう。音だけの方が卑猥な場合があり、刑事にとってはそれが演技とは全く思えなかった。

●2003年4月8日(火)夕方 その1
●『PENGUIN IN BONDAGE』その2_d0053294_1517422.jpg日が暮れた。日本画家の友人が団体展案内のハガキを昨日送ってくれた。その友人曰く「日本画の絵具は絶対に変色しない」であったが、鉱物から作っている岩絵具は確かにそうかもしれないが、高価である岩絵具ばかり使用していたのでは破産するし、一方で紙は変質変色するので、日本画にも寿命はある。変化しないものなどないのだ。若冲の描いた有名な『動植綵絵』の掛軸30点は保存がよいため、絵具の剥落や変質は見られないようだが、それは寺で大切に長く保存されていたことにもよる。一般の市民が公募展に出品したような絵が200年後にどのようなことになっているかを考えると、絵具は確かに変色しないとしても、その元の絵そのものが大切に保管されている可能性は著しく少なく、結局はぼろぼろかあるいは処分されてしまっている。作者としては新しい状態で自作が後世に伝わってくれることを望むのが人情でも、結局は絵そのものの価値でしか絵は生きては行けない。岩絵具を使用していることと絵が立派なことは無関係で、むしろ絵具の変色や剥落があってもそれなりに美しく見られる絵を作るのが画家の使命に思える。若冲は自分が「野晒し図」に描いたような骸骨になった時、どのように自分の絵が人々に受け入れられているかを考えたであろう。相国寺に『動植綵絵』を寄進した時、寺は永遠に残るから自分の絵もそうだと思っていたに違いない。現在でも寺に絵を描くと後世まで名が伝わるので、そうした仕事を望む画家は少なくない。寺に納める次は大金持ちに所有してもらうに限る。人は大金を支払った物は大切にするからだ。したがって画家はできるだけ大金で自作を売るべし。それはいいとして、若冲は大典和尚に会うため相国寺に向かう時、どの道を歩いて行ったのであろう。それはきっと寺町通りだ。烏丸通りも考えられるが、寺とは縁の深かった若冲は寺の多く並ぶ寺町通りを利用したに違いない。現在の大丸百貨店の東側の高倉通りを北に少し行くと若冲の八百屋があった場所がある。そこをさらに北に行くとすぐに三条通りに出る。そこを右に折れて5分歩けば寺町通りで、そこからひたすら北上すると30分少々で相国寺境内に着く。途中で通過する御所の東側を通過あたりは今も200年前と同じ光景のはずで、御所周囲の木々で空の半分が占められて鬱蒼とし、向かい側にある新島襄の住んだ家も何だかひんやりと見える。現在の相国寺は同志社の学校に挟まれてさほど広大な敷地ではなくなっているが、大典和尚のいた当時は現在の倍以上の面積はあったことだろう。この禅寺は応仁の乱で荒廃し、豊富秀吉がその後建て直したのにまた天明の大火で燃えた。明治の廃仏毀釈の折りには資力がなくて『動植綵絵』を売りに出そうとし、それを明治天皇が買い上げることで寺の命が長らえれることになった。若冲がいなければ相国寺はどうなっていたかわからない。たかが一画家の絵とは侮れない。金があれば何でも買えると豪語する人があるかもしれないが、若冲は『動植綵絵』を売ったのではなかったし、その後も同じように力の入った著色画はほとんど描かなかったと言ってよい。晩年に比較的経済状態が悪化した時でも商売人に平伏して絵の注文を取るようなことはしなかった。とはいえ現在も昔も同じで、商売人もいろいろだ。また、金のあるところには珍しい物が自然と集まるし、そうした役割を江戸時代は寺や豪商が担った。相国寺に出入りして大典和尚とつき合うことで、若冲は中国の珍しい絵画を間近に見て模写することもできたし、やがては金閣寺の障壁画を描くことにもなる。現在のように写真印刷がまだない時代であるので、先人の絵を見るには実物に頼るしかない。それをするためには寺に出入りすることは欠かせない。大典和尚は若冲を伴って伏見港から大阪まで船で旅をしたことがあるが、大阪は天下の台所で海にも面しており、京都とは全く違った新鮮な海の幸を目の当たりにもしたであろう。当然、珍しい書籍やモノにも触れたに違いない。若冲の『動植綵絵』にはどこか図鑑の絵のような趣があり、またモチーフにしても博物学的にあらゆるものを網羅しようとい意識が強く見える。また装飾工芸的でありつつ、一方でシュルレアリスムを思わせるのも、そうした博物学的なにおいゆえだ。
by uuuzen | 2011-06-01 15:17 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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