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●沢辺さんの帽子
射線の許容量が子どもでも年間20ミリ・シーベルトであることに異を唱えて、福島の人々と一緒に抗議行動に出た山本太郎は、チェルノブイリでも5ミリであったことを言っていた。



一昨日、早速20を1にすると国側は公言したが、そうなると山本らの主張が認められ、山本は事務所を辞めなくてもよかったようなものだが、その20を1にしますというのも具体的な策があると思えず、福島の人たちは懐疑的だ。とにかく放射能は目に見えず、計測にしても素人では駄目だとか、いったい何を信じていいのかさえわからない。また20がよくて21ならいいのか、こうした数字は人によって影響が大きく異なるはずで、あまり数字に神経質にならない方がいい。だが、もしろんそれは20と言わず、1という厳しい制限を設けたうえでの話だ。地震後すぐに書いたと思うが、こうした放射能の影響が本格的に人の体に現われ始めても、原発が撒いた放射能の影響かどうかわからないという理由によって、おそらくほとんどの人は泣き寝入りさせられる。そういう無責任がまかり通って来たことは誰しもよく知っており、同じことがまた繰り返されるだけのことだ。であるから、自衛のために移住しようと思う人が断たない。昨夜は福島の梅の実から基準以上の放射線量が見つかったとニュースにあって、こうなると福島がチェルノブイリ化していると誰しも思いたくなって来るが、福島の住民が全部他県に移住することは不可能で、国はそれをよく知っているから、とにかくさほど心配はないのだと火を消すのに懸命といった感じだ。これはいわきの江名に住んでいる人のブログに、奥さんと子どもを東京近辺に移住させて別居状態であることを書いたものがあった。大人はまだしも、将来のある子どもが10年や20年と言わない、数年の間に放射能の影響で発病すれば元も子もないという考えによる。だが、そうして移住出来る人はいい。昨日TVで見たが、福島の食材が使えないため、小学校の給食は、おにぎり2個に果物1片といった見るも哀れな栄養不足の状態になっている。そのうえ、教室の窓は締め切り、外で運動することも出来ない。それでは放射能の影響より前にストレスから体に変調を来たす。いわきのTさんと電話で話した際、雨の日は外出しないと言っていた。放射能が雨に混じって降るからで、原発から50キロ以上も離れていても、いわきの人々は放射能の心配をしている。野菜や魚など、いわきで採れたものは食べられないとも語っていて、放射能のひしひしとした恐怖が伝わって来る。新聞に東北地方の放射線量が毎日載ることなど、地震以前ならば誰も相手にしなかった強烈なギャグであった。それが今ではみんな注目する欄になっている。降り注ぐ放射能を吸収する帽子があればいいが、科学者はそれを考えるべきだろう。
 話は変わる。昨日筆者は外出時に帽子を被るようになっていると書いた。昔の一時期、帽子よく被り、それをNやほかの友人はからかったが、写生時に被るのは日焼け防止にはよかった。面倒なので被らなかった時期が続き、その影響と家内は言うのだが、数年前から左の頬に染みが2、3目立って来た。今さら被っても遅いが、被らないよりかはいいだろう。また染みだけが帽子を被る理由ではない。筆者は頭髪がよく寝癖でとんでもない方向に向き、それを直すのが面倒で帽子を被って出かける。すると、帽子の圧力で帽子を取った時に毛髪は変な方向にはねていない。福島の人たちと行動をともにした山本太郎も帽子を被ってよく似合っていたが、あの帽子の形は筆者の好みではない。この好みの帽子を探すのが大変で、筆者好みの形があるが、それがなかなか売っていない。1万個にひとつもないかもしれない。となると誂えるしかない。そういう機会があった。毎年大和大路の十日戎にお参りしているが、その参堂の出店の1軒に、香具師とは違って自宅で雑貨を売っている人があった。最初にその店で買ったのは3年前だったと思う。そこには婦人が3人ほどいて、そのうちのひとり、たぶん筆者と同じほどの年齢の婦人と特によく話すようになった。話すといっても年1回、1月10日かその前日のえべっさんの日だ。2年前は売り物が切れたのか、手作りの帽子が数個混じっていた。あまった布地で手作りしたもので、筆者好みの柄はなかったが、その時自分の好みの形で作ってもらえるかどうか訊ねた。快く引き受けてもらって、翌年、つまり今年のえべっさんに出かけると、奥からちゃんと筆者が伝えたとおりの形のものが持ち出されて来た。頭のサイズを計測していなかったのに、ほぼぴたり。だが、つばが少しだけたわんでいて、芯をもっと厚くする修正と、また使用の布地に注文を出した。そして、あまり急がないので出来た時点で電話してほしいと番号を伝えた。3年前にも名前を伝え、またこのブログのことも話したが、ブログはたまに読んでもらっているようであることがわかった。今年の1月、電話番号を紙に書いて差し出しながら、お名前を訊いて「沢辺さん」と知ったが、うっかりして電話番号を訊ねるのを忘れた。岩倉に普段住んでいるが、真冬の寒い時期だけその参道に面した古い家に引っ越すと語っていた。それから4か月経ったので、先日の25日、バスで出かけた際にその家まで行ってみた。すると、いくら探してもない。どうもおかしいと思っていると、どうやら家を壊して駐車場になったようだ。とても古い家であったので、そうなってもおかしくない。
 落胆して帰って来たが、どのようにして沢辺さんと連絡がつくかと考えている。このブログを毎日読んでいただいているのでない限り、こうして書いてもまず目に止まらない。同じ形の帽子を季節ごとに、素材や色を変えて最低でも5、6個は作ってほしかったのに、このままでは来年のえべっさんに行ってももう会えない。電話番号を訊かなかったばかりにこうして焦っているが、ひょっとすれば筆者の注文どおりの生地で帽子が出来れば電話があるかもしれない。だが、それを待つ前に今年の夏用のものがほしい。色と素材と形が自分の思いどおりの帽子というのは、まず絶対に出会えない。帽子の仕立ては比較的難しくないであろうから、別のところで作ってもらうことも出来るだろうが、価格は沢辺さん以上になるだろう。それに、筆者が口頭で簡単に説明しただけで、翌年はそのとおりのものが出来上がって来たから、技術は間違いないし、意思の疎通の点でも安心出来る。それに、同じ京都市内に住むのがいい。話は変わって、昨日ユーチューブでU2の演奏の動画を見ていると、リード・ヴォーカル担当のボノがベレー帽にロング・コートを着ていてとても格好よかった。ベレー帽は画家がよく被るが、筆者は被ったことがない。似合わないと思っているからだが、この似合う似合わないは、自分が勝手に思うだけで、他人はどう思うかはわからない。だが、自信を持っていると、そのうちそれが板についてさして似合わなかったものが似合うようになることも多い。この自信を持つことは、ファッションの重要な要素で、その自信を裏付けるものとして、たいていの人は高級ブランドに寄りかかる。筆者にはその趣味はほとんどない。むしろあまり誰も用いていないものを着用したい。そのために先の誂えの帽子といったことになるが、そのほかに考えていることは、自分で染めた生地でシャツを誂えることだ。綿の生地に染めることくらいはお手のものであり、そうして染めた完全な1点ものの布地で、襟のついたシャツを仕立て、その上にジャケットを羽織る。そう思いながらもう30年経ってしまったが、さて何の柄を染めようかとなると、これがいいものが思い浮かばないからでもある。その点帽子は無地であり、また筆者の注文した形の試作品を今年1月に被ると、横にいた別の婦人がよく似合うと言ってくれたので、ますます自惚れて、これを自分のトレードマークにしようと思ったほどだ。であるので、沢辺さん、これを読まれたら、すぐにお電話ください。もしその紙をなくしたのであれば、コメントをこの下に非公開で書き込んでください。
●沢辺さんの帽子_d0053294_14541231.jpg

by uuuzen | 2011-05-29 15:31 | ●新・嵐山だより
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