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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●思い出の肖像写真
せたねと昨日家内に言われた。この2週間ですっかり20代の体重に戻ったと思う。体重計がないのでわからないが、ウェストが70センチ台になったし、頬もこけた。おそらく最低5キロは痩せたであろう。



「恋患い」なんちゃって、還暦直前のいい齢のおっさんが言っても洒落にもならないが、ま、痩せると何だか内面がギラギラすると言おうか、禅僧が痩せていたのは、きっと精神面でよかったからであろう。だが、青年が痩せているのとは違って、60になろうかというおっさんが痩せていると、貧乏臭いとよく言われる。もともと正真正銘の貧乏がさらにそう見えるのはまずいが、もう60になればどう見えてもけっこう、自分は自分と思えばいい。昨夜TVで今回の巨大地震で被害を受けた漁師がブログをやって日本中から反響があるというミニ特集をしていて、その漁師の年齢が53と表示された。それを見て63の間違いではないかと思い、家内を呼んで画面を示すと、同じ意見であった。漁師は日光によく当たって皺が増えやすいのかもしれない。昨日書いたことによれば、それこそが男であって、本当のまともな姿だろう。また世間の53歳の平均的な老け具合がどの程度かは知らないが、男は頭のてっぺんが、早い者なら30代で禿げるから、外見だけでは年齢が判断しにくい場合が往往にしてある。とはいえ、実際に対面して多少話をするとやはり同世代かどうかくらいはたいていわかるだろう。案外そうとも言えないのは、筆者が自治会でよく何歳かと訊ねられることで、これも人によってさまざま、10も年上に見られたり、また下に見られたりする。また、誰しも実年齢より若く見られたいようで、女性が特にそうであることはもちろんだ。だが、やはり年齢は隠せない。顔が売りの芸能人は毎日手入れに余念がないし、ポスターなどの写真はデジタル処理で若く加工するから、本人まで自分は若いのだと自己暗示にかけ、そのことがなおさら実際より若く見える。つまり、気分から若く思わねば外見も若く見えるはずがない。とはいえ、そう思っていながら、鏡に自分の表情を見てげんなりするというのが現実で、実年齢は自分が一番よく知っている。これは何度か書いたが、年齢に伴う美というものが男にはあるが、女にはないとかつて友人のNが言って、筆者は内心笑った。確かのその面は大きいかもしれないが、男でも女でも馬齢を重ねただけという人は多いし、老いても内面から輝くような落ち着きを持った女性はいくらでもいる。
 筆者の自治会にもそういう70代半ばのおばさんがいる。若い頃はアメリカ暮らしをし、今はひとり住まいをしている。この女性は20年ほど前、家内に老人福祉委員を頼みに来たが、仕事を持っている身ではそれは出来ず、断ったことがある。その女性にすれば、自治会の中でこれぞと思う女性に後を譲る責任を感じていて、わたしがやりたいと積極的に言ってくる人には任せたくないといった意味のことを言っていた。こうした人のつながりは、禅僧で言えば弟子の中から見定めて、誰かひとりを後釜に据えるのと同じで、うまい具合にしたもので、必ずと言っていいほど、最適な人が選ばれるものだ。この女性は家内をそういう人物として認めていたこともあって、筆者はあまり話す機会はなかったが、家内の旦那ということで常に笑顔で接してくれていた。それが、2年前に筆者が自治会長になってからはまた距離が縮まり、最近30分ほど立ち話をする機会があった。その女性の笑顔を見ながら話すのはとても楽しく、女性は何歳になってもそういう笑顔を絶やさない限り、内面から光輝いて見える。自分で言うのも何だが、筆者は若い頃からとにかく年配の女性には人気があって、きっと外見が優しそうに見えるからなのだろう。また、筆者は話好きで、どんな人とでもうまが会うと既知の間柄のように話が弾むことも理由かもしれない。それを見て家内が今さらに営業向きと言うが、全くそれとは正反対の人生を送って来て、金を儲ける才能はゼロどころかマイナスだ。ま、そんなことを言いながらもうすぐ還暦で、残りの人生も同じようなことを言いながら、どうにか過ごして行くのだろう。人生は金がなければないで腹をくくればどうにでもなるもので、その先行きが見えないことを楽しむくらいの覚悟があればいい。先行きが見えていてもそれが充実感につながっているとは断言出来ず、むしろそうした幸福は味気ないものではないか。若い頃は先行きが見えないことが不安だが、それは青春の特権で、その不安が楽しい。年齢を重ねても同じような状態にしておけば、いつまでも青春状態で、外見も若く見えるという理屈だ。それを油断して、また経済的にも肉体的にも贅肉がつき過ぎると、齢相応かそれ以上に見えてしまう。ま、それが正常という見方も出来るのであって、老いを恐がってはいけない。
 さて、今回の巨大地震で家を流された人たちが、こぞって探していたのが家族を撮った写真だが、それは思い出の品物としては一番便利なものであることを改めて認識させられた。筆者はデジカメを使うようになってから、写真を紙に焼いたことがなく、アルバムを買うことがなくなった。それまでは毎年最低1冊のアルバムを作っていたのに、53、4歳でそれが止まった。写真を撮らなくなったのは、老けた自分を見るのがいやという理由もある。だが、老けたと最初に実感したのは30代であったから、今は老けたどころの騒ぎではない。それでもここ10年は、半ば遺影のつもりもあって、写真館できちんとした肖像写真を撮ってもらいたいと考えながら、ついにその機会がないまま今に至っている。母が筆者還暦を祝ってやろうと去年あたりから言っているが、還暦祝いなどまっぴらで、こっちはその気はさらさらないが、長年思って来た写真館での撮影だけはしておこうかと思っている。もっと若い頃にやっておけばいいものの、これはあまり気に入った写真館がなかったことにもよる。またどうせ撮ってもらうのであれば、これぞ筆者という代表的な1枚にしたいし、そうなると内面の貫禄も必要で、40代では無理という気もあった。ところが今度は60になると、もう遅過ぎるという思いがして、これはいつならばよかったのかということになる。また、遺影とは縁起でもないが、自分が死んだ時、葬式を出してもらえるのかどうか、そんな余裕はないはずで、そうなると遺影も必要がなく、写真館でわざわざ撮る必要もない。友人Nに昔筆者が写真館で肖像を撮ってもらいたいと言うと、そんな無駄はするなと言われたことがある。それは確かにいい写真かもしれないが、どうせ商売人の他人が撮るので、心がこもらないという理由であった。そんな写真より、自分の子どもにスナップ写真でも撮ってもらった方がましと言っていたが、2年前にNが亡くなって、Nの家に行くと、真新しい仏壇の前のテーブルの上に、頬づえをついたNの笑顔のサービス・サイズのスナップ写真が1枚飾ってあった。娘が撮ったもので、Nは筆者に言ったとおり、遺影らしきものをそうした写真で代用したのだ。確かにその写真は写真館では絶対に得られないもので、人間嫌いのNがごくわずかな親しい人物にしか見せない表情をしていた。そんなNは筆者の姿をよく撮影してくれて、そうしたものはMOに何枚か保存してある。Nは筆者の姿や顔が撮影するに価する何かを持っていると思っていたようで、それはいつも筆者を弟のように扱う一方で、筆者の内部には立ち入れないものがあって、一種尊敬する何かを感じ取っていたからであろう。
●思い出の肖像写真_d0053294_11393872.jpg さて、もう半年以上前になると思うが、筆者が小学校に入学した日に母に写真館に連れて行ってもらって撮った写真の顔部分を、明暗を強調してこのブログに載せたことがある。1958年4月7日で、筆者6歳のものだ。その写真を見ながら、人相がどう変化するのか興味を抱き、同じ角度で写真を撮って比較すればどうかという思いを抱いた。人間の骨相には変化がないと思いがちだが、それはそうではない。歯並びが悪くなって顔の対称性は少しずつ崩れるし、その骨の上に被さる皮は重力の影響で下がって来る。氷やケーキのクリームが溶けるようなそうした人の顔の緩慢な崩壊は、醜以外の何物でもないが、そう言っては身も蓋もないので、内面からの輝きなどというものを持ち出す。それが実際どの程度存在し得るのか、これは本当にかすかなものだ。感知出来る人はわずかで、しかも世代が接近している必要がある。70代半ばのおばさんの内面の輝きを若者に云々しても始まらず、せいぜい20歳ほど若い人に理解されるのが限界だろう。また、そうした内面の輝きが肖像写真でどの程度引き出されるのか、筆者にはその関心と怖れがあるため、写真館で撮影することに踏み切れないとも言える。だが、親しいカメラマンに撮ってもらうことが必ずしもいいとは限らない。初対面の人にお金を支払って撮ってもらう方が、緊張感が出ていいとも思える。一番いいのは、自分で撮ることだが、一眼レフのいいカメラを持っておらず、またそのための場所もない。写真館のよさはライティングが完全なことで、写真は光の当て方次第なのだ。だが、先日思い立って自分で撮ってみた。この2、3週間、3階にもウィンドウズ98のパソコンを置いてこれを書いているが、そのモニターのてっぺんの細い縁に、綱わたりのようにカメラをそっと置くと、セルフタイマーでどうにか自分の顔を撮影することが出来る。そうして撮った写真を小学校入学時の写真と対になるように、トリミングしたうえで白黒かつ明暗を強調加工してみた。それ以外の加工はしていないが、53年を隔てたふたつの顔を比較すると、なるほど骨相はさほど変化したようには見えないが、瞼がひどく垂れて、これが年配の婦人からいつも優しいと言われるゆえんかと思う。同じ日の同じ場所での撮影でもう1枚撮って加工したのは、窓の外を見つめている。サングラスは10年ほど前にソウルで母に買ってもらったものだ。ほかにも6つほど持っているが、これが一番軽くていい。筆者は視力が商売道具であるので、冬場以外はいつも外に出る時にはかけている。つまり、このサングラスの顔は少し気取っているが、普段の筆者の顔だ。また、30代は写生に出かける時に帽子を着用し、その癖を思い出して近年は必ず外出時には帽子を被る。サングラスには窓の中の嵐山が映っているが、白黒に加工したのでわかりにくい。ま、ブログに自分の肖像写真を載せる必要はないが、こうした加工写真であればあまり人相はわからず、少しくらいはいいか思う。で、思うことはやはり写真館できちんとしたものを1枚撮ってもらうことで、少しでも骨相や皮膚のたるみがまだましな時に実行せねばならない。あるいは今はデジタルで加工が簡単なので、数歳くらいは若く処理してもらおうか。
●思い出の肖像写真_d0053294_15065133.jpg

by uuuzen | 2011-05-28 11:41 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その106(... >> << ●沢辺さんの帽子

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