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●嵐山駅前の変化、その106(駅舎から広場、脇道)
頭狗肉なのか狗頭羊肉なのかよくわからないが、苦肉の策とでも言った方がいいようなこのカテゴリーの投稿内容、毎日何を書くのか、こうして書き始めてから考えることがほとんどで、今日もそうなりそうだ。



今日は昨日に続いて去年9月6日に撮った写真を3枚掲げる。さて、これは数日前に考えたことだが、今また思い出したので話題にしよう。一昨日北朝鮮の金正日が中国を訪問し、今までになかった多い日数を滞在したとTVが報じていた。東日本大震災と原発のニュースのため、北朝鮮問題はほとんど報じられなくなったが、そろそろ地震以前の状態に戻りそうな気配がある。北朝鮮問題でずっと問題になっているのが、北朝鮮の核開発疑惑で、原発を造ると称しながら核爆弾を製造するのではないかという心配が日本には徹底してなされ続けている。そのことでいつも不思議に思うことは、日本もプルトニウムを抽出し、有名な高速増殖炉もんじゅでそれを使うと、核爆弾に適用できる高純度のプルトニウムが生じるので、その気になりさえすれば数年要さずに核爆弾を製造することは不可能ではないだろう。日本が世界一と言ってよいほどの地震国であるのに原発をどんどん建てたのは、エネルギーに乏しいことのほかに、北朝鮮の核爆弾という心配を国民に植えつけ、いつでも核爆弾の製造が出来る態勢を持っていたいためではないかとさえ思える。そして、今回の地震によって反原発の思いが国民の間に上昇しつつあり、そうなるとまた始まるのが、きっと北朝鮮問題だ。いつ同国から日本が核を落とされるかわからないという恐怖を広める。今回の金正日の中国訪問は太陽エネルギー施設の見学も含まれていたが、北朝鮮も原発は危ないと考えているのだろう。日本は北朝鮮から核を落とされるかもしれないという恐怖を煽って原発を乱立させ、そのことによって今回の地震で大きな被害を受けたのは皮肉が利き過ぎている。その意味において神さまの罰が当たったと思う人もあるかもしれない。一方、昨日のネット・ニュースで山本太郎というタレントが反原発運動をしたために、決まっていたドラマから下ろされたというのがあった。山本太郎は、筆者は最初の頃は軽い男の代表に思っていたが、番組をいくつか見ると、体当たりの行動に好感が持てた。しかも熱心で偏見がないことに感心し、今は彼が出るのを注目するようになっている。男から見ても本当にいい男の代表という味が年々濃くなっていたが、今回の原発問題では体を張って行動していることを昨夜知り、目頭が熱くなった。そういう熱血漢がいとも簡単に番組から降ろされるのは、いかにメディアを牛耳っているのが東京電力やその絡みの組織であることが想像出来る。結局日本はまた原発を場所を変えて作るはずで、逆に言えば今回の地震で欠点を学んだので、今度からは絶対に失敗しない安全な原発を建てると宣伝するに決まっている。そして、それを言い広める専門家がどんどんNHKを初めTVに出て、いつの間にか元の数かそれ以上の原発が出来る。そしてまた北朝鮮問題を盛んに報じる。
●嵐山駅前の変化、その106(駅舎から広場、脇道)_d0053294_10352969.jpg

 福島の郡山出身の西田敏行が地震からしばらく経った時、福島に慰問に行って、「きれいな福島を汚したのは誰だ!」と拡声器で地元の人々に向けて発言した。この言葉は精一杯の原発に対する抗議で、これ以上言えば西田は『探偵!ナイトスクープ』を降ろされたであろう。筆者は西田のこの言葉をその後ずっと反芻している。特に前半の「きれいな福島」だ。家内はTVで東北の人々を見ながら、みな純粋で優しいと何度も話すが、そう言えば筆者が昔知り合った岩手の久慈市出身のNさんもまさにそういう人柄であった。全くの赤の他人だが、たまたま幼かった息子つながりで知り合って、その後数年は付き合いが続いたが、ある日奥さんがNさんと中学、高校のふたりの子どもを残して、大学生と逃げてしまった。信じられない話だが、奥さんは性的に飢えていたのだろう。自分より20歳も下の若い男と逃げても、その後どう生活が続き、また男にいつまで体を求められるかは目に見えている。そのまま家庭に収まっていればいいものを、そこまで奥さんを駆り立てたのは、ほかにももちろん理由はあろうが、はたから見れば夫に愛想が尽きたことと若い元気な男がよかったとしか思えない。そう考えると女は恐い。同じような話をまた思い出した。それは筆者が京都に出て来た当時に通っていた銭湯だ。番台に30代半ばの女がいつも座っていて愛想がよかった。その旦那が銭湯の主人で、室内でもいつもサングラスをかけていた。1年ほど経った頃か、急に番台に主人が座るようになり、しかもいかにも意気消沈した顔つきで、サングラスも外した。その後噂に聞いたが、銭湯に毎日やって来る男が色目を番台の女に向け、ふたりで逃げたらしい。きっと男は毎晩湯船から上がってあそこを女に誇示していたのだろうが、女にすれば、より気持ちよくしてくれる、また頼り甲斐のある男の方がいいとなれば、さっさと乗り変える。これらの例からかわることは、夫は妻を性的にいつも満足させた状態にしておかねばならない。そのためには努力が必要だ。体の隅々まで知り尽くして神秘が消えてしまった女房を、義務や義理を悟られずに愛撫せねばならない。それを怠ると、昨日書いたように、終日パジャマを着て家でごろごろとなることさえも、嫌悪の思いを抱かれる。この問題は、いくら性行為では受身とはいえ、妻にも努力が必要だろう。だが、その努力を夫が毎夜の恐怖と思う場合もなきにしもあらずで、夫婦は加齢に伴ってお互い性欲を感じないようになるのが自然だ。これが、相手が変われば俄然また色気づくのが人間の面白くもスケベエで不思議なところだ。女に性欲が強過ぎると、夫を捨てて別の男に走るが、男は家庭を壊すのが面倒で、隠れてうまくやるというのがほとんどだろう。女の方が男より性行為においては大胆で、それは一種のドラマティックなことを好むロマン気質に由来するが、それを男がよくわかって、その夢想、妄想を満たしてやる必要がある。それには男に想像力が必要で、女性を喜ばせるには大きな努力が必要だ。
●嵐山駅前の変化、その106(駅舎から広場、脇道)_d0053294_10354647.jpg

 「きれいな福島」に話を戻すと、福島がどれほどきれいなのか、それまで考えたことがなかった。会津、中通り、浜通りとあって、そのどれもが特徴があって美しいということなのだろうが、東北にほとんど縁がなく、行ったことのない、また行くきっかけのない京都にいると、それが実感しにくい。先日のTさんへの電話では、いわきの夏井川渓谷の紅葉がどれほど美しいかを訊ねると、「たいしたことはない。京都の方がどれだけきれいか」というもので、何だか肩透かしを食らった感じだ。京都人が東北へ行っても見るべきものが少なく、「きれいな福島」は羊頭狗肉で、本当に「きれいさ」を実感出来るのかなと思ってしまうが、東北の人がそのように京都に目が行くところ、改めて日本における京都の重要さを思う。また、見るべき観光名所がないことがかえっていいという思いになる必要もあるだろう。鄙びた小さな漁港があって、山がすぐ迫っている江名の町は、人口が数千もないと思うが、そういうところであるからこそ、また趣があって、「きれい」なのかもしれない。この場合の「きれい」は京都の洗練されたそれではなく、純朴無垢のそれで、純粋で優しく、また親切という意味合いがこもる。それはほとんど東北人を知らない筆者の幻想かもしれないが、先に書いたように、家内も筆者も地震以降TVで東北人をよく見るようになってから、なおさらそう思う。これはユーチューブに出ているが、小名浜のマリンタワーから車で出発して北上し、江名港を過ぎて塩屋崎を越え、富神埼の海辺まで走る哀愁を帯びたBGMつきの映像がふたつのパートに分けて投稿されている。地震前の姿で、これが地震後に投稿されたのは、かつての美しい海岸べりを懐かしむ意味合いからで、そのような映像を撮っていた人がいることに少々驚く。郷土愛、あるいはかつて恋人と一緒に何度も走った記憶の賜物であろう。もっと通常の意味できれいな名所をよく知る人は、そのフロントガラスからの10数キロを走行する景色のどこがきれいなのかといぶかるだろうが、地震後の同じ道を走った他の人の映像と比べると、別の「きれい」という意味がわかる。そのふたつに別れた映像のパート2の最後は富神埼の波際を止めた車の中から撮ったもので、それがとても印象的で見入ってしまう。曇天の下、ただただ荒波で、それ以外に何もない。そういう景色を筆者はほとんど見た記憶がない。だが、筆者の父方は代々海辺の人間で、筆者には船乗りの血が流れている。富神埼が太平洋に面していることを思うと、江名を初め、浜通りの人々の気質と言おうか、生活ぶりと言おうか、それが狭い京都盆地の人々のそれとは全く違うものであることがわかりそうな気がする。それは悪い意味ではない。むしろその逆だ。背後が山で、前に広がる海に出て行くしかなかった船乗りたちの気概が、とても男らしく、またその男たちを支えた女たちがどれほど優しかったかを思わずにはいられない。それこそが本当の、またあたりまえの人間、男女のあるべき姿であって、京都はいわば例外だ。洗練は聞こえはいいが、その分、人がみな女性化したようなところがあって、その「きれい」はあまりに作り事めいてはかないものに見える。その「きれい」な福島の海岸が津波でずたずたになり、原発で今後長らく立ち上がれないかもしれない。2010年と今年の2月中旬には、江名港を折り返すサンシャイン・マラソンが開催されたが、来年の開催はおそらく無理だろう。輝く太陽の光が地震後も同じように射すというのに、人々の心はなかなか晴れず、筆者もそうだ。
●嵐山駅前の変化、その106(駅舎から広場、脇道)_d0053294_1036728.jpg

by uuuzen | 2011-05-27 10:36 | ●駅前の変化
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