星が見える点で田舎はいい。京都市内でも半世紀前は満天の星が見えた。大阪とはそこが大違いで、10歳ほど年長の従姉が黒板のような夜空に載る北斗七星を指で示してもらったことを思い出す。人口が極端に少ない日本の田舎ではまだそんなことが可能だろう。
都会では星を見るためにプラネタリウムを利用する。擬似体験は昔からあったのだ。その延長にパソコンが登場した。さて、今日はこのブログを始めて丸6年、毎日1回連続投稿して2191日目だ。明日から7年目の始まりだが、本当はこのブログを2005年の5月21日から始めようと思って準備しながら、1日遅れた。また当初は非公開で毎日投稿したが、訪問者の数はどういうわけか3日早い5月19日からカウントされ始めた。おそらくその日にこのブログのIDを取得し、試験的に書いたのだろう。それはともかく、6年は区切りがあまりよくないが、記念して今日と明日だけ画面の背景を真夜中の思わせる真っ黒に変える。また、先日17日の満月を撮った3枚の写真を順に掲げるが、これは投稿内容とも呼応させる意味からで、それとは別の大きな意味もあるが、それは書かない。今日取り上げるのは、先日から予告していたようにサン・テグジュペリの『夜間飛行』だ。東日本大震災があったことで、筆者の生活は微妙に変化をよぎなくされたが、その一連の出来事の関連でこの小説を読まねばならなかったことを思い出し、そしてその感想をこうして書く日が、まさにこの日しかあり得ないことの現実の見事な符合に驚き、またそれを面白がっている。そんなわけで今日はいつもの投稿より少し長くなると思う。先日読み終えたと書いたが、昨夜同じ文庫本の後半に収められる『南方郵便機』を読破した。後者が処女作で、前者が第2作だ。前者『夜間飛行』の序文はアンドレ・ジイドが書いている。ほとんどそれで小説の概略と最重要点がわかるが、筆者は筆者なりに気になることがあって読んだ。そのことについても先日書いた。また翻訳者の堀口大學は巻末の解説で、『南方郵便機』の方が『夜間飛行』より厚みがあるといったことを書き、なぜジイドが『夜間飛行』の方を絶賛したのかわからないとしている。これは好みの問題が大きい。『南方郵便機』は恋愛小説で、次作の『夜間飛行』はその部分が大きく減退し、むしろ女が立ち入ることの出来ない男の聖域としての仕事場を描く。ここにサン・テグジュペリが恋愛の精神的負傷から立ち直って、仕事に生きる決別心を堅くしたことが読み取れるが、甘さがない分、『夜間飛行』の方が硬質的な美しさが勝る。『南方郵便機』では恋愛に苦悩し、そして絶望した主人公は本来の飛行機の操縦士に戻るが、恋愛相手の女性は病死、それを見届けた主人公も最後は飛行機が銃撃に遭って砂漠で事故死する。こういう筋立てはいかにも映画っぽくて、小説として人気があるのはいつの時代でも同じだが、恋愛に絡んだ死を描くと、どうしても青っぽいと言おうか、感動させる思いがどこか見え透き、その分作品の価値が減ずるように思う。だが、よほどサン・テグジュペリは自分の死に取り憑かれていたのか、『星の王子さま』もそうであるし、また『夜間飛行』も同じで、おまけに自身も飛行機に乗ったまま撃墜されて死ぬ。作品が自分の死を予告していたようなもので、この点は三島由紀夫と少し似る。だが、サン・テグジュペリは自殺したのではない。それでも自殺行為に等しいような危険な飛行機の操縦士に執着したこと自体が自殺行為と同じではなかったか。作品と生涯が見事に一致しており、それは芸術家の見本のようなものだ。それは誰もが望んで得られるものではないだけに、サン・テグジュペリの人気が不滅のものであることは合点が行く。
『夜間飛行』でも操縦士は死ぬし、また夫であるそのファビアンとわずか1か月しか暮らさなかった妻の哀れさが描かれ、サン・テグジュペリが女性の愛をそのようにはかないものとして思っていたことは、彼の小説を読み解く鍵ではないだろうか。女性と仲睦まじく暮らすという夢が求めてもかなえられなかったのか、あるいはどちらかと言えば女性好きではなく、飛行機に乗っている方がよかったのか、『夜間飛行』を読む限りでは後者であったと思える。また女性より飛行機がいいと思ったとして、それを女性嫌いと簡単に片付けることは出来ない。最愛の女性と何らかの理由で別れ、もはや生きる望みは仕事しかなくなったのかもしれない。筆者はそう考えたい。男であるから、性欲を抑えられず、時には売春婦と寝ることもあったろうし、そのことは実際『南方郵便機』に書かれているが、一緒に寝ながら、女は主人公の男がなぜあまりにも孤独な顔をしているのかわからない。性的な満足を求めて女を抱くことは出来ても、孤独は癒されることがないのだ。これまた通俗的な映画や小説にはよく出て来る場面であるので、本当にサン・テグジュペリがそうであったと判断するのは危険だが、そういう俗な場面の一方に気高い理想的な恋愛が描写される、あるいはほのめかされるところ、やはりにサン・テグジュペリのある特定の女性に対する一途な愛と、それが成就しなかった、あるいはしたが無残にも短期で終わったことを想像させる。傷つきやすい性質だったのだろう。これが女ならみんな同じ、誰でもよいというような男であれば自殺に等しい危険な仕事に進んで携わらないし、また小説を書いたり読んだりすることもない。したがって、わざわざにサン・テグジュペリの著作を読もうという人はだいたい傷つきやすく、純粋なものが何であるかを知っている、あるいは知りたいと思っている人であるはずだ。そういう人に支えられて読み継がれ、サン・テグジュペリは同時代の敵国のドイツでも人気があったという。国境を越えて、心ある人に理解されたのだ。それは男、人間、あるいは人類にとって何が真実であるかを知り、それを作品に表現したからだ。何が真実かは『夜間飛行』にはほのめかされている。サン・テグジュペリは小説家の前に詩人で、この資質はどんな芸術家にも求められるものだが、その詩情があるかないかで、作品は下品にも高尚にもなる。そうした言葉の的確な吟味と適用は、翻訳によってどれほど損なわれるか、それは翻訳者の腕の見せどころだが、日本語で読んでもひしひしと迫るくだりがサン・テグジュペリの作品には多い。今回筆者は20年前にある人からもらったこの小説のコピーがいったいどの場面であるかを想像しながら、気になった下りを書き留めた。結論を言えば、おそらくこれだろうなという箇所はあった。だが、この小説は筆者にとって何と予言的であったことだろう。その箇所を筆者は無視して、別の方向に顔を向けねばならない。
第10章は操縦士とその妻の場面だ。これはなかなかよい。似た雰囲気は『南方郵便機』にもあるが、『夜間飛行』では新婚といえど夫婦が描かれ、夫が仕事に向かうたびに妻は夜が彼を奪うと感じて心さびしい。このふたりの心の綾、特に妻のそれがよく描かれている。少し引用する。「電話に呼び起こされた操縦士の細君は、夫の寝顔をしみじみ見やりながら、思うのだった。……彼女は夫のがっちりした腕を眺めた。この腕が、やがて一時間もすると欧州行の飛行機を支えるはずだった。この腕が、一大都会の運命ほどの偉大なものの責に任ずるはずであった。こう思うと彼女の心が乱れた。……彼女はこの若い男の微笑も、その恋人としての心づくしも知っているが、暴風雨と闘う時のその気高い憤怒は知らないのだ。彼女は彼に、音楽だの、愛情だの、花だのというやさしい絆を負わせるのだが、出発の一度一度に、それははかなく断たれてしまう。しかも彼には一向気にもならない様子なのだ。」 ここには女と一緒にいるよりも飛行機に乗る、あるいは厳しい仕事に携わっている方がより気高いと思うサン・テグジュペリの思いが反映しているようだ。この妻の懸念どおりに小説では事が運び、夫は事故死するが、その時の描写が何と美しいことか。この小説では一番の圧巻だ。暴風雨に巻き込まれた郵便飛行機は燃料切れで墜落するのだが、その直前に上空のわずかな隙間に星が出ているのを見つけ、暴風圏内から脱する。そして最後の無線が通じたところ、燃料は30分も持たず、どこに着陸も出来ずに行方不明となる。操縦士は暴風雨から脱した時の喜びを胸に死んだはずで、その結果的には敗北であっても、美しい瞬間を克ち得た点で、操縦士の人生は男としては実に立派であった。格好よさと言い換えればいいか、とにかくサン・テグジュペリはそのような人生を望み、それを得た。人はいつか必ず死ぬから、その死を自分の思いどおりに出来ることは本望だ。美意識の強い芸術家ほどそうだ。20年や30年よけいに生き長らえて醜態を晒すより、さっさとやるべき仕事をして死ぬ。それは自分の生涯の仕事を見わたす能力に長け、またそれを着実にこなして行く才能が欠かせない。サン・テグジュペリは『夜間飛行』を31歳で、『南方郵便機』をその2年前に書いたが、解説によると7歳の頃から書いていたというから、三島に似て早熟であった。44歳で死んだことが納得出来る気がする。
『夜間飛行』の主人子は操縦士ではなく、航空郵便を統括するリヴィエールという支配人の50歳の男だ。この人物は船舶や車による郵便事業に飛行機が参入し、夜も飛ばねば勝ち目はないと考えてその仕組みを作り上げた。社内に敵もあって、もし飛行機の墜落事故があると、夜間飛行は中止になるかもしれない。そのため、リヴィエールは操縦士や整備士を徹底して管理し、ほんの少しのミスがあっても容赦しない。安易に同情して折れると、必ず大事故がその後に生じる。そのため、リヴィエールははたからは無慈悲と見える態度を終始崩さない。その思いの比喩がこんな言葉で語られる。「……芝生の世話をする園丁の努力も、正にこれと同じわけだ。彼の掌の重み一つで、地が絶えず繁らせようと用意している大処女森を、地下におしもどしているわけだから。」 ここにはサン・テグジュペリのあらゆる職業における平等な眼差しがある。解説にあるように、自分がもし炭坑夫であれば、それを題材に小説を書いたという。どのような職業でもそれなりに聖なる面を持つ。さて、小説の終盤、リヴィエールに飛行機が予定時間に到着しない事故が知らされる。その時リヴィエールはこう思う。「「人間の生命に価値はないかも知れない。僕らは常に、何か人間の生命に立ち優る価値のあるものがあるかのように行為しているが、然らばそれは何であろうか?」 リヴィエールは今、あの機上の搭乗員の上を思うと、胸が痛んだ。……リヴィエールはわれとわが身に問いたださずにはいられなかった。……自分は何の名において、彼らをその個人的な幸福から奪いとって来たのか? 第一の法則は、実にその種の幸福を保護すべきではないのか? それなのに、自分はそれを破壊しているのだ。ところで、ひるがえって思うに、それらの幸福の聖殿は、蜃気楼のように、必ず消えてしまうものなのだ。老と死とは、彼リヴィエールよりなおむごたらしく、それを破壊する。この事を思うと、個人的な幸福よりは永続性のある救わる可きものが人生にあるのかも知れない。ともすると、人間のその部分を救わんがために、リヴィエールは働いているのかも知れない? もしそうでなかったら、行動というものの説明がつかなくなる。」 ここで1行開けて同じようなことが、古代インカの石造の聖殿を例に挙げて述べられる。その最初と最後を引用する。「「愛する、ただひたすら愛するということは、何という行詰まりだろう!」リヴィエールには、愛するという義務よりもなお大きな義務があるように、漠然と感じられるのだった。同じく優しい気持ではあるが、それは他の優しさとはぜんぜん異なる種類のものだった。或る言葉が彼の思い出に浮かんだ、「要は彼らを永久なものにする……君が追いかけているものは、やがては君自身の中に亡びてしまう。」 彼の目に、ペリューの古代インカ族が、太陽神を祀った寺院が浮かんだ。……古昔の民の指導者は、或いは、人間の苦痛に対しては悩みを感じなかったが、人間が死滅することに対して憫みを感じたのかも知れない。それも個人としての死ではなしに、砂の海に埋もれてしまう種族の死に対して。それで彼は、民を導いて、沙漠の砂も埋めることのない場所に、せめては石の柱を建てさせたのではあるまいか。」 この引用部分がこの小説の最も印象深い箇所で、筆者はかつてある人がゼロックスのコピーでこの部分を示したかったと思うことにする。そして、これは実に今の筆者の思いにぴったりの言葉だ。そして、この下りがあることで、この小説は処女作よりも格段に素晴らしいものになっている。言うなれば芸術至上主義宣言で、サン・テグジュペリが自らの才能と、そして作品を不滅のものにする自信のほどがうかがえる。そして、実際そのとおりになった。サン・テグジュペリ個人の恋愛は消えたとしても、それに変わる永遠不滅のものを手に入れた。
さて、もうひとつ引用しよう。冷徹なリヴィエールがファビアンやその妻に同情を見せずに、内心それを感じる場面だ。「リヴィエールは、やさしくて苦労性なファビアンの妻を知っている。貧しい子供に貸し与えられた玩具のように、この愛はほんのしばらくだけしか彼女には貸し与えられなかったのだ。」 この「貧しい子供云々」の比喩は見事だ。それはサン・テグジュペリのそうした子どもを、そして男とすぐに別れなければならなかったことを悲しむ女を、見つめる限りない優しさを感じさせて、ここは短いながら読んで涙が出る。その次はこう続く。「リヴィエールは、なお最後の数分間、操縦棹にわれとわが運命を握っているファビアンの手を考える。愛撫したあの手。神の手のように、女の胸の上に置かれ、そこに胸さわぎを起こさせたあの手。或る顔の上に置かれて、その顔の表情を変えたことのあるあの手。奇蹟だったあの手。……」これも何と真に迫った愛情深い表現であることか。そして悲しみがこれ以上に凝縮した表現があるだろうか。こういう下りは実際にそういう体験をしたことのない者には理解が及びにくいだろう。また、今日掲げる最初の写真に筆者が自分の手を少し入れて撮ったのは、この部分が影響しているかもしれない。リヴィエールと同じ人格の人物は『南方郵便機』にチョイ役で登場するが、ここでは操縦士を陰で限りなく愛する上司として描かれ、サン・テグジュペリがそうした規律ある組織での行動や役割に憧れていたことをほのめかす。そこには女は入りようがない。むしろ、女のべたつきをすっかり解いてでなければ任務をまっとう出来ない。ここにサン・テグジュペリの男尊女卑の思いを見るのはよくない。以前に書いたが、女は子どもを産むことが出来るが、男はそれに対して仕事で何かを残すしかない。そこには女には立ち入ることの出来ない厳しい職場というものがあるだろう。今は男女機会均等法とやらで、そういうこともあまりなくなったが、戦争当時はそうではなかった。また、『南方郵便機』でわかるように、サン・テグジュペリは都会・文明派で、田舎の古くから何も変わらない生活に自分が入る余地はないと考えていたようだ。少し引用する。「「彼女の家は、一艘の舟のようなものだったのだ、それは、次々の世代を、一つの岸から他の岸へ運ぶ役目をしているのだ。どこへ行こうと、旅行それ自身には大した意味はないはずだが、ただ切符も、船室も、黄色い革の鞄も、すべて準備してあることが人にどれほど安心を与えるか知れないのだ。」と」 ここに書かれる彼女は主人公の友人の妻でありながら、主人公の恋人で、田舎の旧家の出だ。その彼女と主人公は恋の逃避行をするが、すぐにふたりは別れてしまう。あまりにもふたりの育ちが違ったのだ。またこういう下りもある。「安心しきっている夏の、見なれた景色の、僕らを罪人のように捕らえている人たちの、ここはその裏側だった。僕らは表側のあの強いられた世界を忌み嫌った。晩の食事の時間が来て呼ばれると、僕らは海底の真珠に触れて来たインド洋の潜水夫のように、重い秘密を心に抱いて家の方にもどった。太陽が傾いて、ナプキンが桃色に見える時刻に、僕らは彼らの口から出る、「日が長くなる……。」なぞいう虚ろな言葉を聴いて悲しい思いをした。僕らには、昔ながらのあの定り文句、季節の移り変りと、次々に来る休暇と、冠婚葬祭とからなる人生が、表面だけのこの意味のない賑やかさが、やがて僕らまでも捉えはしないかと怖れた。逃げ出すこと、重要なのは実にこの一事であった。」 そしてサン・テグジュペリは星を目印にする飛行機乗りになって世界を駆け抜けた。だが、その人生が田舎の旧家で毎晩星を見ながら80歳まで生きることに比べて速く過ぎ去ったかと言えば、さてどうなのだろう。