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●「WITH OR WITHOUT YOU」
ニルソンの「WOTHOUT YOU(ウィザウト・ユー)」を採り上げようかとも思ったが、これはまたの機会。今日はU2。U2のボノがこのラヴ・ソングを1987年に書いて歌った時、ニルソンの先の曲がどこか念頭にあったのではないだろうか。



●「WITH OR WITHOUT YOU」_d0053294_2231758.jpgもっとも、ニルソンは同曲をカヴァーしただけで、U2のこの「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」のようにオリジナルではないが、似た曲名であるためにそうした連想をされても仕方がない。しかし、曲は全然違う。U2を最初に意識したのは83年、FM放送で「SUNDAY BLOODY SUNDAY(サンデイ・ブラッディ・サンデイ)」を聴いた時だ。つまり、U2がデビューしてすぐのことだ。行進曲のようにたたみ重ねるリズムにヴァイオリンがところどころに悲しげに響き、寒気の中に身が引き締まるようなその音楽に一瞬にして興味を抱いた。そして、アイルランド出身のロック・バンドであることを知った時、そうでしかあり得ない音だと感じたものだ。早速若宮テイ子さんにU2に興味を持ったことを伝えると、すぐにU2のシングル盤「TWO HEARTS BEAT AS ONE」が届いた。確か33回転で3曲入りだ。今探し回ったがどこに行ったかわからない。このシングル盤のB面にはアルバム未収録のタイトル曲のクラブ・ミックス・ヴァージョンも入っていた。クラブ・ミックスというのは、多重録音してある元のマスター・テープを使用しながら、あるトラックの部分を繰り返したり、重ねたり、また別の音を組み合わせるなどの新たな編集をした曲で、70年代半ばのディスコ・ブームから引き継いだ曲作りと言ってよい。「ふたつの心臓がひとつのように打つ」とは何ともベタな口説き文句に思えたが、この曲は「サンデイ・ブラッディ・サンデイ」のようには感心しなかった。「サンデイ・ブラッディ・サンデイ」はジョン・レノンの72年の曲と同じタイトルで、歌詞内容もアイルランドとイングランドの政治紛争をテーマにしている点で共通している。こうした曲を書いて歌うU2がジョン・レノンが敷いた道をそのまま歩いていることがわかったが、ジョンにはクラブ・ミックス曲はない。それは時代が異なるからだけではない気がする。U2がデビュー当時からクラブ・ミックス・ヴァージョンのシングル盤を発売していたという事実は、政治色強いプロテスト・ソングを歌うこととどこかで矛盾すると言えばあまりに酷かもしれないが、それでも単純なポップスを主体でやるのか、それとももっと別の政治に連なるような「行動」を目指すグループなのかという、どこかつかみどころのなさを感じたのは確かだ。それは筆者の内部で今も完全には決着がついていない。
 U2はデビューして23年になり、つい最近のライヴ・エイドの活動を見ても、相変わらず世界をリードするロック・グループの頂点にいる存在であることがわかる。リード・ヴォーカルのボノの言動は各国の要人を動かすほどのものであり、その点を見れば「サンデイ・ブラッディ・サンデイ」からずっと変わらない政治への関心がうかがえる。また、ポップス性に関しては97年にずばり『POP』というアルバムを発表し、その冒頭曲は「ディスコティック」というタイトルになっていることから、これもまたデビューから一貫し続けている自分たちの音楽性の姿勢の表明と言ってよい。ポップスで政治世界を変えることがU2の願いとも受け取られるが、これは今後どういうところに着地するのか、ずっと目が離せないことのように思う。ロック・グループはアウト・ロウと言ってよい存在だが、中世や近世とは違って今やアウト・ロウが莫大な収入を得ることが可能になり、それにしたがって発言の重要性が増し、その力は民主主義国家では無視出来ないほどにもなっている。これはビートルズが初めて確立した道であり、その後継者としてU2はさらに行動力を増していると言ってよい。だが、アウト・ロウがどこまで政治家たちに時に反旗をかざしながら、その内部に自分たちの意見をねじ込むことが出来るかと言えば、いろいろと問題もあるだろう。結局のところは政治家に利用されるだけということにもなりかねない危険がいつもあるからだ。そうした時にひょいと身をポップス一辺倒といったところに移し、後は素知らぬ顔を決め込む道をU2は常に確保している、あるいは晒されているし、そこを冷静な人々は常に注目している。それでもU2がやっているような、世界を股にかけての大規模なツアーは今のような複雑な世界では必要なことだ。なぜなら、それはお祭り騒ぎとして格好の催しであり、大勢の人を集めた会場でつかの間の一体感が観衆の中に生まれる。それは一時のはかない夢に過ぎないとも言えるが、そうした健康的な忘我の時間があることによって人々はカタルシスを覚え、また正常な日常生活に戻れる。そうした娯楽を持たない人々はどこで自分を発散させることが出来るだろうか。その意味でも世界的に有名なミュージシャンが発言力と行動力を持ち、一方で絶えず人々の関心を引くような音楽を作ってばら撒き続けるのは、紛争の鎮火に少しは役立っていると言える。ということは、あまり政治的な発言をしなくても、人々に夢を与える存在であれば充分ということになるが、一旦敷かれた道は容易にはなくならない。「今」のジョン・レノンのような才能はやはり必要なのだ。
 ジョン・レノンはオノ・ヨーコと一緒によく平和運動の発言や行動をしたが、一方でラヴ・ソングの名曲をたくさん書いた。アルバム『イマジン』の中に「オー・マイ・ラヴ」という曲があるが、この曲のメロディを韓国ドラマ『愛の群像』のヒロインがぼんやりと口づさむシーンがある。30年近く経って韓国のTVドラマにごく普通に使用されるラヴ・ソングをジョンが書いたということは注目してよい。それは政治について歌った闘争的な曲よりひとまずは長持ちするように思える。いや、ジョンの場合は「ギヴ・ピース・ア・チャンス」が今でも事あるごとに盛んに歌われるから、反戦歌もラヴ・ソングもどちらも息が長い。それは曲が覚えやすくていいからだ。この点U2はどうかと思ってみる。筆者はU2のアルバムは最新のものを除いて全部所有している。CDシングルも可能な限り集めているつもりだ。それでもここ10年数年はもうU2をあまり聴かなくなった。かと言って昔のU2のLPを引っ張り出して聴くこともあまりない。ところが、息子がカー・ステレオに積んでいるCDの中にU2のベスト・アルバムがあり、たまにそれを聴くと、また自分のLPを引っ張り出して部屋で聴きたくなる。U2がLPで発売したものは筆者もLPでしか所有しないので、何度もリピートで楽しみたい時には困るが、同じ内容のCDを買ってまで聴こうとは思わない。それは自分にとってもう思い出の音楽になってしまっているからかもしれない。U2を最初に聴いた頃は、改めて考えれば息子が生まれたばかりで、子守歌のように息子としてはU2を聴いていた。この20年が本当にまたたく間の出来事で、到底20年とは信じられず、せいぜい5年程度に感じられるが、歳を取るほどにそんな感覚になる。10代半ばの1か月が50代では1年に相当すると言ってよい。息子の音楽感の中にはおそらくU2が大きく占めていて、後30年すれば筆者がここで書くような同じ感慨を持つだろう。
 U2のアルバムを引っ張り出して聴こうとする時、何に手が伸びるかと言えば、ここ数日では『ヨシュア・トゥリー』だ。夏であるからかもしれない。これが真冬なら先の「サンデイ・ブラッディ・サンデイ」が冒頭に収録される『ウォー』ということになる。『ヨシュア・トゥリー』のジャケット写真はアメリカの砂漠で撮影されたもので、厳しい自然を印象づける点では『ウォー』のジャケット内部の雪が積もる厳寒の野と同じだ。ただ、そこに写るメンバー4人は大きく雰囲気が異なっている。これは4年の開きという以上に、その間にU2が世界的に有名になった自信があるからだが、『ヨシュア・トゥリー』での4人の表情はヤクザかチンピラ風が増し、アウト・ロウとしての自覚がいよいよ本物になったことがわかる。金も名声も得て妙に柔和になるというのではなく、その逆にヤクザ風情が増すというのは音楽がまだ尖っている証拠にもなるが、尖っている限りは人気を保てると本能的に彼らがよく知っているからに違いない。政治色とポップスという二河白道そのものを進む彼らが一瞬でもプチ・ブル的な表情を見せれば、ファンの多くはただちに造反するだろうし、とにかく厳しい中に身を置いて活動することの宣言として、『ヨシュア・トゥリー』は取りあえずはジャケット写真も音楽もよく調和が取れた成功作と言ってよい。その中の半分くらいはとても重要な曲で、彼らの中期の代表作としてよいが、正直な話、収録曲はどれもよく似ている。これはなぜかと言えば、アイルランド民謡によくあるのと同じ音階で書かれていて、キーまで同じ場合があるからだ。たとえば本曲はC♯(嬰ハ長調)だが、サビの部分も同じになっている。さきほど別の時代に収録されたシングルCDで確認したが、『ヨシュア・トゥリー』の冒頭に収録される「ホウェア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム」も同じC♯をキーとする曲だ。
 U2の曲は元々どれも単純で似た音階で出来ていて、『ヨシュア・トゥリー』が全体にあるトーンでまとまって聞こえるのはその理由がとても大きい。だが、メロディは単純で動きも少ないのにボノの歌い方が急に1オクターヴ上がることが多く、それに伴ってジ・エッジの演奏するギターがさらに1オクターヴや2オクターヴ上の音を重ねる。ボノは歌うだけだから、楽器演奏は基本的には3人となって、それだけでも単純にならざるを得ないが、静かにささやいて歌うかと思えば次の瞬間には大きく叫ぶ歌い方にギターがさらに高音を重ねるから、全体としては音域が広いがスカスカした一種の空虚感のようなものが生まれる。その空隙に別の楽器、たとえば弦楽器の音を用いる場合があるが、全体としては単純志向の音作りだ。この本来はもっと多様な音で満たされるべきところを、あえて4人の歌と演奏だけでごく基本の音だけを押さえるという方向は、U2の曲の音階がたとえばC♯である時、その7音目を抜いて、全部で6つの音だけで作曲することとうまく重なっている。日本の音階はよくヨナ抜きと言われるが、こうした音が抜け落ちた音階は民族音楽にはごく普通のことで、本曲もヨナのナの音が抜けている。この7音目が、あるかないか(つまりウィズ・オア・ウィズアウト・ユー)によるどこか満たされない感覚は、曲を強く印象づけるにはうってつけで、一旦記憶するとなかなか忘れ難い。単純なものの勝利だ。実際この曲はメロディの動きも大きくはなく、断片の寄せ集めのつぶやきと言ってよく、カラオケで歌ってもサマにはならないだろう。こうした曲作りはU2が意識的にそうしているには違いないが、アイルランドの音楽には昔からあることをそのまま応用しているから、わざとらしさが全くない。そこが彼らの強みだ。日本でも同じような曲は書けるだろうが、それが日本の古来から続く音の感覚の中から自然に生まれ出て来たと思えるものでない限りはあまり意味のあるものにはならないだろう。
 話が少し戻る。政治色の濃い曲を作ることとラヴ・ソングを歌うことが対立するかどうかは、ジョン・レノンの場合には私生活を見た場合、見事に調和していたと言ってよい。U2の場合、彼らの愛する女性たちの姿がオノ・ヨーコのようには表面的には全く現われないから、ラヴ・ソングを書く時の動機はどのようにしてあるのかとつい想像してしまう。ラヴ・ソングを書くのはエネルギーが必要だろう。それなりの恋心を経験しなければ人々を納得させる歌詞は書けない気がする。そこでこの「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」を考えてみる。この曲の歌詞はとてもよく出来ている。女に完敗している男の渇望する恋心を書いていて、初期のビートルズにあったような青年っぽさとは違い、もっとむき出しの大人の恋情を伝える。「きみの目の中には石が見える。きみのそばには渦巻いた刺が見える。きみを待つ。策略によじれた宿命。針のベッドのうえで彼女は待たせる。そしてぼくは待つ……きみなしで」といった最初のヴァースはまだしも、サビ部分の「そしてきみは正体を現わす(And you give yourself away)」と何度もたたみかけるように歌う箇所は、『ヨシュア・トゥリー』全部の中でも最も印象深い下りと言ってよいが、あまりいい表現では使われない言い回しであるから、意味を少々汲み取りにくい。だが、これはその次のヴァースによって意味が説明される仕組みになっていて、結局は女に振り回されっ放しの男の気持ちであることがわかる。わずかな歌詞ながら、ここにはまるで一遍の映画のようなドラマがある。歌詞がごくわずかでスカスカしているのは前述したように演奏もそうであり、メロディもそうなっていることと釣り合っていて、それはまたこの歌詞における男の満たされることのない恋心そのもののたとえにもなっていて、ここに完全な名曲であるための要素が揃っていることが改めてわかる。こうした歌詞を書くボノがどのような恋をしているのか、いささか興味が湧くところだが、超有名人になってもどのような女性も手に入るわけでは絶対にないから、男というものは満たされぬ思いを生涯どこかで抱き続けながら生きて行く存在だ。そうした男心の真理をよく歌っているこの曲は政治を歌う曲より案外もっと長生きするものであるだろう。それはU2としては心外なことか。そうではない。ラヴ・ソングでも世の中を変えることは出来る。いや、ラヴ・ソングしかそれは出来ないと言ってよい。まず個人の心を動かすものでない限り、どうして政治や世界が動くだろう。U2はそのことをよく知っている。政治をテーマにする曲とラヴ・ソングは全く矛盾しないのだ。
by uuuzen | 2005-07-23 22:31 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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