法事があって今日は伏見の寺に出かけた。田舎町の商店街といった趣の狭い通りの両側に、造花の桜が等間隔に枝垂れていた。造花でも色褪せるようで、盛りを過ぎた本物の桜のように、少し灰色がかって見えた。
とっくに桜は全部散ってしまっているので、この造花の桜は異様でありながら、それなりにきれいに見え、またさびしさが漂っていた。出かける際にカメラを持って出る用意をしていたのに、迎えに来た車に乗って走り始めた途端に気づき、引き返すことはしなかった。何か撮りたいものがあれば、ケータイ電話で写してもらえばいいと思ったからだ。そう考えるとケータイは便利だ。筆者も持てばいいかもしれない。それより最近あればいいなと思うのはノート・パソコンで、どこか旅行に行った時でもこのブログの投稿出来る態勢を整えたい。そうしたノート・パソコンの知識がないので、当分それを利用することはないが、そうこうしている間にすぐに何年も経つから、本当は思い立った時にしておくべきだろう。さて、寺での法要が終わった後、寺の前の通りで造花の桜を見つけ、それを従姉の娘にケータイで撮ってもらった。車で食事に向かうというので、みんな大急ぎであったので、まともにケータイをかまえる時間もなく、被写体への角度も何も、画面をほとんど確認せずに1枚だけ撮った。数時間後に送信してもらったところ、どうにか写っていた。今年はあちこちで造化の桜を見つけ、このブログに写真とともに報告したが、今日はその最後だ。法事は伯母の1周忌で、この1年は本当に早かった。90数歳で亡くなったが、5,6年は病院暮らしで、また意識がなかったから、元気で人の顔が判別出来たのは80代の終わり頃までであった。伯母は母とは性格が大いに異なり、とても繊細で涙もろかった。筆者をごく小さな頃からかわいがってくれて、大人になってからは会えばいつもすぐに涙を流した。女性が最も持つべき性質は何かと思う。夫唱婦随が理想で、とにかく夫の言うことを聞くというのが平均的な見方と言えるが、それよりも前に人間としての優しさだろう。これは男も同じだ。伯母は全くの無学であったが、優しさは人一倍あった。人の記憶に最も残るのはそれだ。筆者はこれまでそういう優しさに何度も出会って来たが、それに対して充分に応えたことがあったろうか。そう思い始めると、恥ずかしさで顔が赤くなる。そして気づいて恩返しをしようと思う頃には相手はもうこの世にいないか、あるいは音信が途絶えて連絡のつきようがない。であるので、何事もぐずぐずせずに思い立ったら即行動を心がけるのがよい。そうは言いながら、時間や金銭のつごうがどうにもつかない。
会食した後、母を家まで送って行って、筆者が自宅に戻ったのは午後3時半頃であった。母を送って行く途中、急に腹痛が生じ、母の家でトイレに二度座った。造花の桜を撮った時、空には灰色の雲が急速に湧いていたが、一雨降るなと思った予想は当たり、会食中は強い雨が降った。それが急に上がり、また初夏の日差しが照ったが、今度は筆者の腹に灰色の雲が湧いた。下痢をすることは久しぶりだ。せっかくの懐石料理はみんな下してしまった。これは筆者の体調がすぐれないからで、帰宅後眠たくなって1、2時間横になっていつの間にか眠りに入った。起きて3階に上がると、嵐山の中腹に紫色が見える。桐の花だとは思うが、別の樹木に藤が絡まっているかもしれない。そのことで数日前に読み返した昔の手紙を思い出すが、それについては話が脱線し過ぎるのでやめておこう。筆者は毎日マイ・ペースで仕事をしているので、さほど疲れてはいないはずだが、それでも体は正直だ。そう言えばここ2週間ほどは睡眠4、5時間ほどだ。眠ることが出来ないのではない。いろいろと整理ごとをしていると深夜の3時頃になる。そして7時には起きてまた同じ作業を続ける。そうした整理作業がかなり片づきはしたが、そのことで別の気がかりがいくつも生じ、今度はそれを探す番になって、また時間が多大に取られる。何をどこに収めているのかだいたい記憶しているはずなのに、いくら考えても出て来ないものがあり、それに気を取られると半狂乱の一歩手前になる。それほど大事なものならばきっとどこか特別のところにしまったはずなのに、それが思い当たらない。そういった中に本の見開きコピー1、2枚がある。それは昔ある人から確かもらったもので、その時その人は、筆者がそれを当然読んだことがあると思って示したのだが、あいにくまだ読んでいなかった。それはサン・テグジュペリの「夜間飛行」だ。
その後筆者はその本を確か買ったと思うが、それを探すのが面倒で、ネットで先日購入した。2、3日後には届くだろう。それはいいのだが、その人がわざわざ筆者に示したコピーした部分がどこかがわからない。そのコピーが出て来ればいいのだが、どこに保存したか忘れてしまった。それを先日から探しているが、思い当たったことは、別の資料と一緒に10年ほど前に一挙に処分したのではないかということだ。その処分の際、筆者は面倒なので、大量の紙を全部調べなかった。その中には捨ててはならないものもいくつかあったのに、とにかく資料が多過ぎて場所を確保したく、古紙回収に出してしまった。また、示された時に受け取ったかどうかも今となっては記憶がおぼろになっているが、手に取って見たのは確実だ。なぜそんなことを思い出したかだが、当時その人とサン・テグジュペリについて話しながら、筆者は気づかなかったが、その人は筆者に謎かけのような形でサン・テグジュペリの「星の王子さま」から二度引用して手紙に書いていたことを最近知った。手紙を整理していて、読み返したのだ。その人が「夜間飛行」を筆者にコピーして示した部分には、何か伝えたいメッセージが込められていたはずだ。ところが今頃筆者がその本を読んでも、その人が注目して筆者に示した個所はわからない。その人に訊ねることが出来なくもないが、そんな野暮なことはしたくないし、また昔のことなので、その人も覚えていないだろう。となるとどうでもいい些細なことで、今さら筆者が必死にそのコピーを探すこともないのだが、気になり始めるとそれが決着するまで気が収まらない。ともかく、筆者に出来ることは、またすべきことは「夜間飛行」の一読だ。
ぼんやりと思ったことが数日で明確な形となり、強い意思に変わることが筆者にはよくある。そういう時が最も楽しい。後はそれを実現化させるために動くだけで、それは時間を費やすと必ずどうにか形になる。そうした形となったものを見ることはそれはそれで楽しいが、その最初の萌芽としての思いこそが筆者には重要で、そういうきっかけがなければ何事も熱心に取り組めない。そしてこの2週間ほどの間にいくつも筆者はそうした萌芽を胸に宿した。これは近年にはなかったことだ。それらいくつもの萌芽を全部消化するには数年以上かかるだろう。その間に当初思った形とは違うものになる可能性はあるが、明確な形が脳裏に浮かぶことは、ほとんどそのままの形となって実現化するし、またさせる強い意思が筆者にはある。その萌芽が生まれる契機は、自分と他者を楽しませる思いだ。その他者は特定の誰かである場合が多いが、誰が接してもそれなりに見所はあるものにすることを心がけるのは当然だ。また、実際のところ、筆者にはそういう特定の誰かはいない。正確に言えば、いたとしても相手は何も知らないし、今後も知ることはないだろう。それでもかまわない。これは相手の問題ではなく、筆者個人の問題であるからだ。