想定外の地震と津波が襲ったため、福島原発が壊れてしまったとされる。「想定外」は「思いも寄らない」で、これは前衛芸術では特に重視されるものと言ってよい。
誰も思いつかないような奇抜なアイデアが作品となって提示されると、鑑賞者はその奇抜さに感心し、一期一会の思い出となって人生を豊かに彩るだろう。だが、この想定外を生み出すことは簡単ではない。であるから今回の大地震を、改めて人知の及ばない自然の脅威と言う。一方、人間のやることは、あらゆることが試され、必ず似たものはどこかにすでにあると言ってよい。それでもなお芸術の場合は、鑑賞者が思いも寄らない面白味を感じるものであるし、時代に応じて想定外なことを考え出す作家はいる。この想定外なことが思いつきによるとしても、物事はすべて思いつきであるから、思いつきを軽く見ることもない。ある思いつきは、それが瞬時に生まれたものであっても、それ以前にそれを生むまでの長い年月がかかっていると言ってよく、単なる思いつきで作ったように見える現代芸術作品も、元をただせばその作家のそれまでの全生涯があってこそのものだ。一昨日書いた森村泰昌は、周囲の現代芸術を見つめながら、「こんなものでもいいのか」といった、単純なアイデアの思いつきに驚きながら、自分がそこに参画出来ないじれったさを思っていた。つまり、現代美術界に打って出るアイデアが長年見つけられなかった。それが物や人になり切るというアイデアを発見し、後はそれを徹底させながら、そのアイデアのもとで多面的な表現を繰り広げた。だが、森村の思いつきは、適当にさっさと考えたものかもしれない反面、やはりそれまでの全人生の中から最も顕著に浮上して来た着想であり、他の現代美術作家を見つめながらも、その模倣には陥らなかったと言うべきだろう。また、森村の作品がどれも同じアイデアの産物としても、人に見せる作品を完成させるには、それ相応の時間と努力が費やされている。ぱっと思いついたアイデアをぱっと作品化することなど出来ないもので、ジャズの即興演奏でも、絶えざる練習と始終考え続けていることによって時に素晴らしい旋律が生まれる。自分に徹しながら、そこから誰も思いも寄らないものを汲み上げることは、あらゆる芸術家が考えており、特に現代美術はそれが最も生の形で表出しているものだ。今日取り上げる展覧会もそれに属する。国立国際美術館で来月5日まで開催中のもので、会期は3か月に及ぶ。チケットは鳥博士さんから送ってもらった。最初1枚と思っていたのが、入場する時に2枚重なっていることを指摘され、後日4月1日に家内と一緒に行き、筆者は図書室で読書して過ごした。そのことは先日、
「今年の桜、その2」に書いた。筆者がひとりで見に行ったのは3月29日であったと思う。
アジアのコンセプチュアル・アートと言ってもひとつのまとまった傾向があるものではない。今回は日本、中国、韓国、タイ、ヴェトナム10人(グループ)を紹介するもので、3か月もの間、あまり有名ではない美術家を取り上げるのは、国の美術に費やす予算が限られていることを示すとともに、巨匠の展覧会ばかりでは飽きも来るという考えもあるのかもしれない。東日本大地震以降、日本に作品を貸さない国があるなど、今後は今までどおりに外国から高い保険をかけて作品を借りて来るということが出来にくくなるだろう。そういう時、たとえば今回のような現代美術、しかもアジアならば比較的低予算で開催可能であろうから、地震前に始まったこの展覧会は何となく示唆的だ。割合じっくりと見て、一番面白かったのは、島袋道浩の作品だ。1969年に神戸市に生まれ、現在ベルリン在住だ。1995年の阪神大震災の時に26歳であった計算で、作品に同震災時の小さなカラー写真があった。作者の家と思うが、須磨辺りの線路沿いに地震で半分壊れた建物が写っていて、その家にはおそらく作者による大きな手書きの看板が掲げられ、その建物のすぐ隣にはブルドーザーが別の家を取り壊していた。看板の文字の内容ははっきりとは忘れたが、何とか宣言で、新しい時代が始まるといったポジティヴな内容のものであったと思う。そして、その写真のかたわらに、今回の東日本大震災を知っての早速のメッセージを寄せていた。この展覧会が始まって3日後に同震災があったから、すぐにそれに反応したのだろう。ということは、線路際の建物を写す写真は東日本大震災があって、急遽展示したものかもしれない。島袋の作品は意表を突くものが目立つ。今回、壁面に接して段ボール箱が無造作にひとつ置かれていて、その内部から島袋の関西弁の声がするという作品があった。これを家内は気づかなかったそうだが、段ボール箱に声と言えばホームレスを連想させる。どういうことを語っているのか長らく立ち止まらなかったが、目線の低い庶民的な作品であることはわかる。もっと面白かったのは、大きな本物の陸亀を広くて何もない空間に放し飼いしていた「亀せんせい」だ。囲いから逃げ出さないように、段差を設けてあるが、亀は盛んに壁面に頭をこすり続けたり、また段差をよじのぼろうとする。日光に当てる必要があるので、1個の白熱球が囲みの中央からぶら下がっていた。亀は時々その下に行く。この囲いの中に鑑賞者は靴を脱いで長靴に履き替えて入ることが出来る。そうしている人を2,3見たが、亀はそっちへにじり寄って行く。さびしいのかもしれない。また、急に便をすることがあり、そのたびに係員の女性が雑巾で拭いていた。この亀が会期中に死ねばどうなるのだろう。また別のをペット・ショップから借りて来るのだろうか。この亀はミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出させるが、島袋にすればどういうコンセプトがあってのことだろう。鑑賞者はそんなことを考えず、まるで動物園での触れ合いのように楽しんでいた。また「思いも寄らない」作品という点では今回ピカ一のもので、理屈を越えた楽しさがあった。
10の出品者のうち、半分ほどはあまり楽しめなかった。それらに言及するより、印象に残ったものを書こう。THE PLAYという関西における伝統的なパフォーマンス集団がある。宇治のどこかの茶畑の山手であったか、夏の間に丸太で高さ20メートルのピラミッドを組み上げ、そのてっぺんに雷が落ちる瞬間を待つという「行為」があった。丸太の組み上げは完全に建築現場の架設業者の仕事で、普段その仕事をしている者が携わった作品だろう。70年代半ばだったと思うが、8ミリで撮ったその記録映像が上映されていた。子どもの姿まで映っていて、メンバーたちが一種のキャンプを兼ねて行なったものに見えた。この企画は5年続けられ、映像には豪雨が来て雷がピラミッドの近くに落ちる瞬間があったが、結局一度も落ちなかった。つまり願いは実現しなかったが、無駄な遊びと見る向きがあっても、多人数で協力して何かを成し遂げる行為そのものに意味があるのだろう。今年で結成43年というから、世代は交代している。誰か有名なリーダーがいるというわけでもなく、「行為」のたびにメンバーも変わるようだ。別の「行為」作品に、南の島に森林に囲まれた円形の大きな土地があることを知り、実際に現地に行くというものがあった。観光地ではなくで、また険しい山登りもあってのことで、自然が生んだミステリアスな場所に集団で赴いてその場に立つという達成感に意味があったのだろう。そういう達成感の別の作品は、これも70年代の映像が紹介されたが、矢印の形に組み合わせた10畳ほどの発泡スチロールの筏に数名が乗って、淀川を京都から大阪まで下るというのがあった。当時発泡スチロールは新素材で高価であったそうだ。また、この「行為」を数十年ぶりに今回の展覧会の会期中に再現することが予告されていた。昔なら三十石船で下ったところで、今は京都大阪間を船で移動することはなくなったから、こういう「行為」に関心を抱き、参加したい人は案外多いのではないだろうか。ピラミッドついでに掲げておく。今日の2枚の写真は、1枚は天王寺公園、もう1枚は神戸の私立博物館に向かう道にあるものだ。2枚ともこの展覧会を見た後に撮った。
タイのアラヤー・ラートチャムルーンスックは1957年生まれで、作品はマネの「草上の昼食」など、西洋の名画の複製をタイの農村に持ち込んで村人たちに集団で見せ、その勝手なおしゃべりの感想を背後から撮影した映像だ。見なれない名画にどういう反応をするかが見物で、価値観の差が見えたり、また村人が自由に連想して自分たちの生活を吐露する様子が面白い。西洋の名画といっても、アジアの片田舎の農村では誰も知らないのだ。これは日本でも同じかもしれない。韓国のヤン・ヘギュは1971年ソウル生まれで、その作品はソウルで買い集めた日用品をまとめたものだ。それらが本来の使用意図とは違うところで組み合わさっているところに意外性がある。また、日本に近い国とはいえ、日本では見なれない形の日用品が豊富で、その点でも面白い。1969年に福建省に生まれた中国の邸志傑は、数百枚以上か、中国の近代化の象徴となった南京長江大橋を図案として描かれるさまざまな賞状を並べ、それとともに音楽と映像も組み合わせて強烈な作品を提示していた。賞状は安っぽい印刷の具合から時代をよく伝え、さほど重宝されなかったものであったことがわかる。この大橋は自殺の名所でもあるらしく、現代の中国の矛盾や軋轢を伝えようといていると受け取っていいだろう。こういう作品は当局からはにらまれかねないように思えるが、反体制というほどのものでもない。ヴェトナムのディン・Q・レーは1968年ホー・チミン生まれで、作品は写真だ。ヴェトナムでは自転車やバイクが多く、タイヤの修理店が至るところにある。そして、その看板は文字を含まず、タイヤと直立したネオンを組み合わせたものだ。これはそうと知らなければ現代アートに見える。西洋の現代美術家が、うんうん唸りながら思いも寄らない何かを求めている時、アジアの田舎では日常的に軽々とそれを具体化して風穴を開けているといったところだ。