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●春の花、三題
割り桜は堤上を歩くのがよく、斜面を駆け下りることはしなかったが、京阪が作っている紹介パンフレットなどには、堤の下から見上げた写真を掲載している。



●春の花、三題_d0053294_15193140.jpg
堤から左右側に枝が地面に向かって下がっているので、それを土手の下から見上げるのもまた乙なものだろうが、紹介される写真は日当たりのよい左岸、つまり八幡側に下りて撮ったものだ。堤の突端に向かう途中、その斜面でスミレが芝生に埋まりながら固まって咲いているのを見かけた。ムーギョ・モンガに行く途中の散歩道では見かけない種類で、葉の形や背丈が全く異なる。スミレには多くの種類があることは知っているが、このタイプを見るのは初めてだ。珍しいので接近して写真を撮った。大きな桜の木に華々しく咲く桜に気を取られていると見過ごしかねない微細な花で、ひっそりと咲くところがよい。このスミレは紫が青味がかっていて、そのことがさびしさをなおさら伝えるが、黄色の花でもそういう場合がある。昨日は市民しんぶんを配りながら、大きな廃屋の前に群がって咲く山吹を見かけた。廃屋がひっそりしているせいでもあるが、その山吹は陽気なようでいて、とてもさびしく見えた。それで一句ひねって昨夜この画面右下の「つぶろぐ」に掲げた。俳句がどこまで作者の深い思いを表現し得るか、またそれを他人が注釈なしでどれだけ感じ取れるかどうかとなると、筆者は懐疑的だが、特に後者についてはそう思う。「廃屋を覆て眩しき山吹や」がなぜ思い浮かんだかと言えば、まず廃屋と山吹の対照が鮮やかで絵画的であったからだが、作った後に考えると、別の大きな意味合いがあることに気づいた。廃屋は過去の筆者の思い出で、山吹はそれを覆う現在の思いだ。その現在の思いは一見したところ、とても明るく、華々しいが、過去を覆って、それをあまり見えないようにしている、また完全には覆い尽くせない点において、いかに自分が過去に引きずられているかを再確認させるし、山吹の花そのものもいずれ枯れて廃屋に同化することを予想させて、花が満開でもさびしさは拭いようがない。「つぶろぐ」に前回投稿した「好きだよとスミレタンポポ隣り合い」とこの一句との間に、筆者のこの20日間のあることに対する心の揺れ、変化がはっきりと刻まれている。その意味は誰にもわからないが、「廃屋を覆て眩しき山吹や」を作ったことは、次に自分がどういう心境に達するのかという、自己を客観視する楽しみのあることを示しつつ、眼前の景色など、すべてがさびしく見えてしまうことの、大きな戸惑いを伴った危機を感じさせる。だが、先日書いたように、筆者は何かを作ることによってそういう心の状態をいずれ克服するだろう。だが、誰にもわからない現在のそうした心の中を、俳句やこうしたブログでほのめかすのではなく、自分が今まで採ったことのないもっと別な形で表現出来ないものか。それを思案することもまた苦しさから逃れる方法であり、その新たな方法が手に出来れば、それは大きな廃屋をすっぽりと覆う山吹の花のようなものになって、人を楽しませることにもなる。
●春の花、三題_d0053294_15203590.jpg 「今年の桜、その1」に、今月13日に駅前の喫茶店の出入り口前に桐の鉢植えが開花していることを書いた。気になったので、翌14日に写真を撮った。鉢は動かせないので、角度をさんざん悩みながら、よけなものがなるべく写らないように2枚撮った。その後何度か見かけ、今日もまだ咲いていた。落下する花がある一方、蕾が次々に開花するので、比較的長く楽しめる。筆者はこの花が好きで、このブログでは何度かそのことについて触れた。今日は別のことを書く。いわきのTさんに送るために、鳥博士さんに若冲の「動植綵絵」の絵はがきを買ってもらったことを「嵐山駅前の変化、その89(円形階段、脇道)」に今月12日に書いた。その時、Tさんに今年の年賀状として「芦雁図」を送り、それが今回の地震の予兆めいていることを書いた。だが、21日、「動植綵絵」の絵はがきで残っている分を確認すると、全部で15枚あって、それが混じっていることに気づいた。思い違いをしていたのだ。そして記憶が蘇ったが、いくら冬場とはいえ、年賀状としては不吉な感じの「芦雁図」はよくないと考えて選ばなかったのだ。そのために地震の被害も比較的少なかったと言いたいわけではない。何か心をよぎる不安めいたものがあったのは確かで、迷いながらも「芦雁図」を送っていなかったことに対して安堵した。このことはもちろんTさんには何も言っていないし、今後も知ることはないが、筆者としては「芦雁図」を送らず、ともかく地震で無事であったTさんに、残っている15枚からまた1枚選んで送ろうという気になった。その1枚は「大鶏雌雄図」だ。この描かれる雌雄の鶏はTさん御夫婦だ。無事であったことの祝いとしてはまさにぴたりだ。だが、それだけでこれを選ぶのではない。さきほどの俳句ではないが、もうひとつの意味を込めてのことだ。その意味はTさんにはわからないかもしれない。また、Tさんに送る絵はがき用の50円切手は、昔から花を描いたものと決めていて、しかも同じものを使ったことがない。Tさん専用に切手を選り分け、送る時期や絵はがきの写真にふさわしいものを選んでいる。そして「大鶏雌雄図」に貼る予定のものは、桐を描いたものだ。これは1990年に発売されたふるさと切手で岩手県の発行、花シリーズとして全県の花が1枚の大きなシートに連刷されたものの1枚だ。そこにどういうことを書いて送るかはまだ決めていないが、筆者はTさんにはこのように、毎回それなりに考えて送るようにしている。それは相手に伝わらなくてよい。そのようなきめ細かい態度でただ接したいとの思いだ。Tさんは筆者の手紙やはがきをある箱に順に保存しているそうで、そこに収まることを想像すると、それなりにきちんとしたものを書いておきたいと思う。
●春の花、三題_d0053294_1521443.jpg
 さて、今朝裏庭に出ると、牡丹の白い花が開花していた。昨日半分咲いたのが今日の陽気で一気に咲いた。午後からは雨のようで、さきほどTVでは徳島に竜巻が起きると警報が出た。強い雨に打たれると、寿命が短いかもしれない。牡丹は島根の県花で、前述の全国の県花を揃えたふるさと切手にも牡丹が描かれている。わが家の牡丹は、5年前のバス・ツアーで買い求めたもので、「『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』」にそのことを書いた。買って帰って早速苗木を直植えし、以降毎年花を咲かせる。すぐ隣りにピンク色の牡丹を植え、こちらは白に負けたのか、年々勢いが弱く、今年は開花するかどうかわからない。白い花は概してさびしいが、清廉な感じがよい。それに牡丹の場合は近づきがたい威厳がある。花の王様と呼ばれる牡丹は、本当は白ではなく、どっしりとした海老茶などの濃い色がいいのだろう。去年の自治連合会で知り合い、何度か筆者が家を訪ねている自治会長は、旅好きでまた花好きで、玄関前の庭にさまざまな鉢植えがある。その中に牡丹が1鉢あった。新潟で買ったもので、桃色の花が咲くとのことだ。鉢植えにすると、鉢を移動して日当たりのよいところに移動することが出来て、しっかり成長するかもしれない。そう思ってわが家の牡丹も鉢植えにしようかと思ったが、今からそうすると根を傷つけて元も子もなくなるかもしれない。それに直植えの方が牡丹は喜んでいるのではないだろうか。買われてどこに植えられるか、花は知らない。植えられた環境で精いっぱい成長し、花を咲かせるだけだ。これは人間も同じだろう。人間は動物であり、たとえば離婚して新たな環境で再出発することが出来るので、直植えされた花と比べることは出来ないが、それでもどこで住もうが自分から逃れることは出来ず、満足を求めて生きて行く。植物も動物もその点では同じだ。花はよく女性にたとえられる。そんなことを思って筆者は家内を初め、今までに知り合った女性を思い浮かべながら、今日取り上げたスミレや桐、牡丹が誰に似合うのかと思ってみた。同じ花でも色によって雰囲気が異なることもあって、これが簡単な問題ではない。Tさんに対してはイメージがあるが、ここでは書かないでおこう。今朝写した白牡丹の写真を加工しなかがら一句浮かんだ。「語り合う部屋の向こうの白牡丹」
●春の花、三題_d0053294_15333188.jpg

by uuuzen | 2011-04-27 15:28 | ●新・嵐山だより
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