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●今年の桜、その8-背割り桜
の突端がどうなっているのか、その興味もあった。大山崎山荘美術館が遠くに写り込む一昨日掲載した写真は、背割りの終点から100メートルほどのところであったと思う。



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もっと突端に向かうと、右岸すなわち突端に向かって右手に、昨日掲載した淀川工事事務所が管理する三川合流点観測所局舎が建っていた。これは目立たない小さなもので、帰りがけに撮った。無粋な写真だが、右半分に晴天下の桜が写り込んでいるので、没にするには惜しい。デジカメは撮り直しが出来るのでたくさ撮って、後で気に入ったものを選べばよいが、筆者はフィルム・カメラ時代の人間であるので、デジカメでもほとんど取り直しはしない。またカメラ背面の液晶に映してみることもない。取り直しをしないので、このブログで掲げている写真は、たくさん撮ったものから選んではおらず、撮ったものはほとんど載せている。それはいいとして、三川合流点である堤突端は、予想とは大いに違った。まず尖っていなかった。ペン先のように鋭く尖っていると想像したが、考えてみればそれはない。だが、ここまで丸いかと思うほどぐるりと大きく半円を描き、しかも堤の他の場所とは違って、ここだけ石段となっていて下の地面まで無難に降りることが出来るし、また座って下流側を眺めることが出来る。野球場のスタンドを思い出せばよい。石段は30段はあったろうか。その石段下、堤の突端の中央にひとりの大道芸人がいて、石段のあちこちに座っている客に向かって、マイクと使用し、音楽をかけながら演じていた。他の人に釣られてそこに座って見始めたところ、5分ほどで終わった。なかなか芸達者な若者で、見物客を適当に助手として手伝わせながら、笑わせるのがうまい。さすが関西ということか。、演じた後、傍らに置いてあった山高帽を取り、自分はこの芸で生活しており、交通費も自前であると言って、投げ銭を要求した。これに2、30人いた人のほとんどは応じたと思う。1000円札を入れている人も見たが、筆者らは最後の芸を見たのみで、これで1000円はないはずで、家内にふたり分としてわずかに入れさせに行かせた。別にそうしなくてもよかったが、無料では何となくばつが悪い。また、地震の被害について何か少しでも話すかと思ったが、それはなかった。被災者に寄付するよりまず自分の生活だろう。名前はリスボン上田と語っていて、ネットで調べるとそれなりに知られる人だ。桜が満開で天気のよい日の背割り堤には見物客がたくさん訪れることを知っていて、また大道芸をするには最適とも言える半円状の大きな階段を持つ突端をひとり占めして使うのは、なかなか勘が鋭い。個人で仕事をするにはそうした嗅覚は欠かせない。
●今年の桜、その8-背割り桜_d0053294_23261440.jpg
 突端からの折り返しはまた右手、今度は男山を見つめながらとなった。堤からの天王山側の景色は少々陰気だが、こっちの方は芝生に人が寝転ぶなど、広々として陽だ。男山は天王山より規模が小さく、丘といった感じだが、背割り堤のように先が途切れて独特の味わいがある。往路は未知の世界が待っている気分がしてよいが、復路は往路で見たことを巻き戻すだけのことで、自然と早足になる。そういうことがあるので、復路はなるべく往路とは違うところを歩きたい。天気のいい日にこの堤の斜面や裾の芝生で寝転んで恋人といちゃつくのはとても楽しいことだろうが、それに水を差すような看板があった。「まむし注意」だ。抱き合っているところにまむしが出て噛まれたということになれば、淀川工事事務所が訴えられそうなので、それでこんな看板を設置したのだろうか。こんな看板は初めてで、また蛇のイラストが面白いので撮影しておいた。堤の入口まで戻った時、旗を持った若い女性のバス・ガイドが2、30人を引率してやって来た。もう日が傾き過ぎて、また5時になってどこかの門を閉めるなどとアナウンスしていたから、その人たちが突端まで行くのは不可能だ。ほんの少しでも背割り桜を感じることが出来ればよいということなのだ。観光バスで遠方から見に来るこど有名になっているが、そう言えば5、6年前、いやもっと前か、岐阜の淡墨桜をバス・ツアーで見に行った記憶があるが、こうして書きながらさっぱり印象にない。駆け足の団体行動ではそれは無理もない。自分の足でひとりで、あるいは親しい者と行くに限る。道路網が発達し、鉄道もより高速で便利になったので、旅の情緒はうすっぺらいものになりがちとなった。自分の足で歩くしかなかった時代、それは大変であったが、その分、楽しみも思い出も大きかったに違いない。人間は我慢が嫌いで、何事も便利な方へ進む。だが、その我慢と便利は人によって異なり、パソコンがいくら便利であるからといって、それに頼らない人はある。筆者がケータイ電話を持たないことも同じだ。便利とは、選択肢が増えると捉えるといいのだろう。
●今年の桜、その8-背割り桜_d0053294_2327768.jpg 背割り堤はまた見ることがあるだろうか。毎年有名などこかの桜を見たいもので、バス・ツアーで行くのでないならば、早めに準備をしておかねばならない。それには気力、体力、金力、そしていくらかまとまった時間が必要で、安近短で我慢するしかない身分としては、やはり贅沢なことか。さて八幡駅に戻ったところ、家内はさっさと改札に向かうが、筆者は石清水八幡宮方面が気になり、鳥居前まで行くことにした。振り返った時に筆者の姿が見えない家内は慌てたようだ。そうなることを知っていながら、勝手に行動するところが筆者にはある。鳥居前には有名は走井餅屋が店をかまえていた。さほど高くない甘味だが、家には甘いものがたくさんあるし、またいつでも買えるかと思って買わず。それは少し悪い気もしたので、その店の幟旗を手前に少し写り込ませて、遠くに鳥居を撮った。またその左手には赤い文字で「旅館」と書いた大きな看板がある。実はこの看板が目についたので、駅前から足を伸ばしたのだ。その「旅館」の2文字は、先日「オンドルと旅館」と題して書いた、3月26日に三井寺の近くで見かけた古い旅館の壁面貼りつけ文字を思い出させた。その旅館はもう営業していなかったと思うが、この八幡駅近くの旅館はどうだろう。写真を撮った後、看板の左、道路を挟んでその旅館を見ると、やはり営業しているような雰囲気ではなかった。だが、それではあのような赤い文字の大きな看板を置いていることの説明がつかない。石清水八幡宮ではなく、そんな看板に注目するところが、筆者はよほど変わっているのかもしれない。写真を1枚だけ撮って駅に戻ると家内がいない。きょろきょろしていると、今度は家内が走井餅屋の近くにいて、遠目でも立腹しているのがわかった。それでまた戻って合流し、走井餅屋の隣りのスーパーに入った。いかにも田舎町という雰囲気だが、品揃えのいい店で、そこで30分ほど過ごし、夕食の材料を買って帰った。どこかへ出かけるとその地のスーパーに入るのが習わしとなっている。
●今年の桜、その8-背割り桜_d0053294_23273472.jpg

by uuuzen | 2011-04-26 23:28 | ●新・嵐山だより
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