細々と日常のことを書いても仕方ないと思いながら、毎日こうして書き始めると、話題がどこへ飛ぶやら自分でも予測がつかず、それが面白いかと思ってまたこうして書き始める。
今年2番目に意識して写真を撮った桜は4月1日、大阪でのことだ。日を覚えるのは筆者は苦手で、さきほど家内に訊ねてわかった。家内は昔からこまめにメモをするのが癖で、筆者が1年ほど経って訊ねても、正確な日づけを教えてくれた。ところが、数年前、家内のそうした細々としたメモを筆者はからかった。そんなメモは後で読み返すことがほとんどなく、無駄だと言ったのだ。それを聞いて気分を害した家内は、それ以降ぴたりとメモをしなくなった。それでせいせいしたようであった。筆者の言ったとおり、そんなメモをしなくても後で困ることがまずない。ところが、今度は筆者が困った。どこかへ出かけた時の日づけをメモしない筆者は、後で思い出すのにとても苦労する。その日のことで日づけに関係あることがないかと、いろいろ思い巡らして、半分ほどはようやく判明する。といってもそれは家内の手助けによる。そういう日づけに関することは家内の方がはっきりと記憶している。筆者は以前に書いたように、今日が何日で何曜日であるか関心がなく、実際今日が何日か知らない。それほど無頓着であるから、過去の出来事の日づけを思い出せるはずがない。さきほどの4月1日であることがわかったのは、やはり家内に訊ねたからだ。筆者は2日と思っていた。1日違いは細かいことなのでどうでもいいが、やはり正確に越したことはない。その日は天王寺の市立美術館で展覧会を見るつもりで家内と大阪に出た。ところが、驚いたことに、展覧会は12日からであることを天王寺公園の出入り口にいる係員から教えられた。こういう間抜けな間違いを筆者は2、3年に一度はやる。時間も交通費も使ってアホらしいことこのうえないと家内は立腹だが、当然のことだ。それをこっちは「笑って許して」と、笑いながら替え歌を歌ってごまかすしかない。
天気がいいし、また少しだけお腹も空いたので何か食べようかということになって阿倍野の地下センター街に降りた。だが、いつものごとくあまり気に入った店がない。それで、そこからすぐのJR天王寺駅ビル地下の小さなスーパーへ入って、牛乳とパンを買った。天王寺公園かそれに近いところで食べればいいと、気まぐれに考えたのだ。そして、また道を戻り、慶沢園を右手に見ながら坂を曲がり下って行くと、市立美術館前の大きな階段を降り切ったところに出た。陸橋の端で、それをわたり切ったところは天王寺動物園の玄関だ。そこへ入ってもよかったが、梅田に戻って別の展覧会を見る必要があり、その時間を考えると、キリンや象を見ている暇はない。ところが陸橋には芝生などない。仕方なくコンクリートの欄干に腰を下ろすと、真向いに中年の婦人がひとり同じように座って何か食べている。それを見て少し安心して、筆者はチョコレート・チップス入りのメロン・パンにパクついた。これがとてもおいしくて、今度天王寺に出ればまた買うつもりでいる。それはいいとして、そうして家内と並んで青空の下で食べていると、10メートルほど離れた左手に、40代半ばの背の高い男が自転車に乗ったまま、飲んでいたビールの缶を橋の真ん中に放り投げ、大きな音が鳴りわたった。行儀の悪い奴だ。ちょうどそれと同じ頃、同じ年代の男性ふたりと女性ひとりがやって来て、そのうちの大柄のリーダー格らしき男が筆者の右手2メートルに座った。いかにも遊び人風で、よく言えばフーテンの寅さんを思えばよい。話が否応なしに聞える。それによると、男ふたりは久しぶりに会って昼間から酒をかなり飲んだらしく、かなり御機嫌だ。そして、リーダー格はケータイで誰かに電話をかけたことを話し、もうすぐやって来ることを伝えた。それから2、3分して自転車に乗って50代半ばの背の低い男が、筆者らが下った坂を下りて来た。鼻炎らしく、鼻水を垂らしている。リーダー格は会うなりそのことを茶化した。やって来た男は、風采の上がらない感じで、どういう仕事をして来た、あるいはしているのか想像がつかない。それを言えばリーダー格も、またその話し相手の男も、それに大柄な女もそうだ。これら4人はみな雰囲気は似ていて、無職だろうか。類は類を呼ぶで、気心の知れた仲間であることは間違いない。桜が咲いたので、天王寺公園界隈で花見をしたのだろう。そう言えば、筆者も牛乳など買わず、ビールを飲めばよかった。だが、メロン・パンに合うか?
鼻水のおっさんがやって来たので、4人は陽気に騒ぎながら、すぐにその場を去ろうとした。その時、さきほどビールの空き缶を投げた男が、また同じことをした。カランコロンと大きな音を立てたので、筆者も含めてみなそっちを向く。投げた直後、男は自転車に乗ってさっと陸橋をわたって、労務者がたくさん住む西成方面に去ったが、缶の音を聞いてすぐ、リーダー格は筆者には聞える声で、「横着なやっちゃな」と舌打ちした。そして走り去る姿を見つめながら、「あいつ誰や?」とみんなに聞いた。すると大きな女が即答した。「○○パチンコの店員で、こないだ客と大喧嘩して警察まで出て来たんや。……」。それを小耳に挟みながら、筆者はなるほどと思った。仕事の合間、おそらくさぼってか、男は誰にも見られないところに自転車でやって来てビールを2缶飲んだのだ。そして、その男をパチンコ屋の店員と知っている女は、パチンコ好きで、他の男3人もおそらくそうした店か飲み屋で知り合ったのだろう。男女4人はパチンコ屋の男を追う形で去ったが、筆者が面白いと思ったのは、そして常識があると思ったのは、その男女4人だ。金曜日の真っ昼間に仕事をせずに飲んでいるが、少なくても空き缶を路上に放り投げることを横着と心得ている。パチンコ屋の男は、顔だけ見れば男女4人グループよりはるかに頭が切れ、また清潔な身なりをしていたが、目つきが狡猾そうであった。筆者らが坂を下り切って、どこへ腰を下ろせばいいかと思っていた時、その男と目が合ったのだ。一方、男女4人はどこか間抜けで、また憎めない感じがあった。そういう人種は大阪には多いが、京都にはほとんど見かけない。大阪人である筆者は、そういう世間のはぐれ者的な男女に、どちらかと言えば親しみを感じる。みんな去った後、筆者らもそこを後にしたが、横着な男が投げた缶を拾って、そこから5メートルのところにあったゴミかごに、飲み干した牛乳の箱と一緒に捨てた。だが、パチンコ屋の男はその後も同じようにしてビール缶を音を立てて投げ捨てているだろう。
さて、梅田に出て次に行ったのは国立国際美術館だ。その企画展を見た。そのチケットは鳥博士さんからもらったものだ。てっきり1枚だけと思って、いつか忘れたが、3月下旬に筆者はひとりで見に行った。そして半券をもぎってもらう時、係員が「2枚ありますね」と言ったことに驚いた。チケット束は糊でくっつけられている。その糊がついた状態で2枚重なっていたことを筆者は知らなかったのだ。やはりそそっかしい。筆者のうっかり度はこういうところからよくわかる。2枚あることを最初から知っていればひとりでは行かなかった。1枚あまってどうしようかと思っていたところ、天王寺の美術館を見た後、時間があれば家内ひとりが見ればいいと考え、その1枚も持参した。結局その1枚だけが4月1日は活きることとなった。筆者は館内の図書室で備えてある本を読んで時間をつぶした。この企画展に関しては後日書こう。家内は割合じっくりと見た。それで見終わって図書室へやって来た時は、閉館が近かった。地上に出て梅田に戻ろうとすると、眼前に大きな枝垂れ桜が見えた。科学博物館の庭に植えられている。反対の西方向を見ると、さびしそうな夕焼けがきれいで、その写真も撮った。そして、初めて知ったが、美術館と科学博物館を隔てるタイル貼りの敷地には、水の流れを表わした曲線があって、そこに青く光る小さなライトがたくさん埋め込まれていた。夜はもっときれいだろう。そこにはそういう時間帯に立ったことがない。科学博物館が四つ橋にあった時には2、3度行ってプラネタリウムを楽しんだことがあるが、ここに移転してからは訪れたことがない。ついでに書いておくと、「おにおにっ記」で紹介したことのある、ひしゃげたゴッタが3個つながった現代彫刻が玄関前にある黒いビルが、3月下旬にTVで一瞬映り、それが関西電力であることを知った。その彫刻は国立国際美術館の斜め向い側にあって、同じ彫刻が複数あって別の施設が所有するかもしれないと思ったが、4月1日に確認すると、彫刻の近くに関電を示す小さな看板があった。そこが関電であるとは意識しなかったが、それほどにそのビルは黒くて殺風景で、何の飾りも宣伝もない。それがかなり不気味だ。だが宣伝などしなくても、東京電力と同じく潰れることが絶対にない。関電ビルの真向いは今空き地になっている。そこに大阪市立近代美術館が遅れに遅れて、また規模をかなり縮小してようやく建つことが決まった。そうなれば今日掲げる左に科学博物館、右に美術館という光景の中央に市立美術館が見えるかもしれず、今日掲げる写真は過去のものとなる。細々としたどうでもいいことだが。