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●今年の桜、その1
身のパックの間に造花の桜の小枝が飾ってあるのをさきほど見た。ムーギョ・モンガではそんな粋なことはしない。その斜め向かいのもっと大きなスーパーで、品物はよく、また全体に価格は高い。



そこで食パンが安いので最近はよく通っている。それはさておき、嵐山の桜は満開を少し過ぎ、地面に花びらが目立つ。そこで一句ひねろうかと思うが、何か感じないことにはいいのが思い浮かぶはずがない。嵐山やその近辺では桜は多く、かえってこれぞというものになかなか出会えないことも理由かもしれない。今年は円山公演の枝垂れ桜は見なかったが、一昨日のTVでその夜桜の光景が少し映った。どうも数年前のもののようで、枝ぶりが立派であった。去年はがっかりさせられるほど枝が少なくなっていたから、今年はもっとそうなっているはずだ。その姿を見るのが辛いとも思って、そのすぐそばまで行きながら、芋棒の店の前を通って知恩院に方角に歩を進めた。その日の話はまた別の機会に譲るとして、今日はまず今年最初に見た本物の桜について書く。嵐山郵便局の近くに小さなスーパーがあり、その横道を入ったところの大きな家の玄関前で満開になっていた。3月31日のことだ。ほかの場所の桜はまだ3分咲きであったと思う。桜は品種が多いので、その満開の桜の名前を正しく知らないが、たぶん染井吉野か。これが一番多いのではないだろうか。思いどおりのいい角度で撮影するには庭に立ち入る必要があったが、通りに面して監視カメラが据えつけてあることに気づいた。それでギリギリ道の端に立って写した。それでも内心ひやひやだ。昨夜書いたように、他人の所有物は勝手に撮影すると叱られるとまず考えなくてはならない。「人の家の庭に咲いている桜を勝手に写すとは何事か」と怒られても、こっちは返答のしようがなく、謝るしかない。グーグル・アースに批判が出たのも同じような理由だ。自分の家が勝手に撮影され、ネット上で人目に晒される。それは防犯上、あまり好ましいことではない。予想もつかないところで犯罪に利用されることがなきにしもあらずだ。それはともかく、その家の人の許可なく下の写真を掲げる。左上の黒はシャッターを収める鉄枠で、玄関前に駐車用のスペースの前に立って撮影した。
●今年の桜、その1_d0053294_134401.jpg

 その大きな家の桜は平凡であったが、他に満開の木がなく、天気もよかったので、晴れ晴れとした気分にさせてくれた。去年買った隣家の裏庭に桜を植えることが出来なくもないが、その木だけでいっぱいになってしまう。それもいいが、知識がなく、筆者に世話出来るとは思えない。また現在植わっているいくつかの背丈のある木を全部引き抜く手間を考えると躊躇する。それにわが家の付近に桜は珍しくないから、自宅にもと考えるのは無駄か。どうせ植えるならもっと珍しいものがいい。今思い出したが、昨日駅前の喫茶店の出入り口に桐の鉢植えを見た。満開になっていた。目の高さに花が咲いているので、精密に写生するにはもって来いの機会だ。桐の鉢植えを見たのは初めてで、もう咲いていることにも驚いた。普通は5月のゴールデン・ウィークあたりだが、昨日はその頃の陽気と言ってよい好天気であったので一気に開花したのだろう。枝には学名らしき横文字を記した札が2枚ほど下がっていた。桐の園芸品種かと思わないでもないが、紛れもなく普通の桐で、花が散ってから葉が出て来るはずだ。この桐の、ひょろりと直立した細い数本の枝にうす紫色の筒状の花が輪状になって垂れ咲く様子は、見方によってはグロテスクでもあって、花は通常きれいだと表現することに対して異論を唱えたくもなる。すでに数個の花が地面に落ちていて、それを拾って帰ろうと思ったが、何しろ店のガラス扉の前にあり、店内の人は筆者がそこに立っている姿を見ているに違いなく、また店の所有物をいくら花が落ちたからといってそれを自分のものとするのは図々しいだろう。花を拾おうと思ったのは、一瞬その花から種子が採れるかと想像したことによる。もちろんそんなはずはなく、桐の種子は別の時期に出来るし、それを収穫せねばならない。なぜ種子のことを思ったかと言えば、同じように鉢植えで育てたいと、やはり一瞬思ったからだ。だが、その直後、裏庭に桐の木を植えるとどうかと想像した。これは桜より面倒なことになりかもしれない。3階以上に背丈が伸び、また普段は大きな葉が密集して部屋の日当たりが悪くなる。山に植えるべきものを小さな庭に植えてどうする。
●今年の桜、その1_d0053294_1351478.jpg

 さて、先の桜の写真を撮った後、200メートルほど離れた小川沿いの道でスミレを見つけた。そのすぐそばにタンポポも咲いていた。このふたつの花はよほど相性がいいのか、また紫と黄色の対比が面白いこともあって、両者を写真に収めた。その時陽射しが日陰と日向を作っていたが、スミレには日陰が、タンポポには日向が似合うと思った。スミレは花や茎の形がなよっとした曲線であるし、タンポポはギザギザの葉が輪状につき、また花は太陽のように丸いので、言うなればスミレは女性、タンポポは男か。それで「好きだよと スミレタンポポ 隣り合い」という句を作った。筆者は男であるからタンポポには興味はない。スミレは可憐で好きだが、これを何年か前から裏庭で咲かせたいと思うようになった。そして、種子を蒔いたことも2回あるあるが、咲かない。そう言えばスミレを庭いっぱいに咲かせている様子を見たことがない。これは育てるのが難しいからだろう。その代わりにヴィオラ・スミレやパンジーが花壇に用いられる。こっちの方は真冬で咲くほど強靭で、そのために見飽きもしている。いかにも園芸種といったそうした花ではなく、目立たないところに咲く野生のスミレがよい。以前に書いたことがあるが、この野生のスミレにはみな固有の名前がある。筆者にはどれがどれかはわからない。それほどにスミレのことを深くも知らない。にもかかわらずスミレがいいと思うのは、わずか数日で枯れてしまうことと、決まってよくぞこんな過酷な場所でと思うところに咲くからだ。アスファルトやコンクリートの隙間であることが多いが、わざとそんな過酷なところを選んでいるとしか思えない。であるから、きっと養分が豊富な家の庭には咲かないのだ。そして、その制御出来ないようなところがいい。可憐であるのに野生味があって、言うことを聞かない。そういう女なら男は誰でも惚れるのではないだろうか。桐といい、スミレといい、筆者は庭に植えるべきでないものばかり思っているようだ。結局のところ、庭に憧れがあるように思いながら、実際はそうではなく、外をぶらついてあちこちで意外な開花を見るのが楽しいだけなのだ。
●今年の桜、その1_d0053294_1355650.jpg

by uuuzen | 2011-04-14 23:59 | ●新・嵐山だより
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