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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●オンドルと旅館
西線には乗ったことがないが、湖西の湖沿いの高架道路は息子の車で何度か走ったことがある。また知人が何人か湖西に住むが、湖西は筆者には未知でしかもあまり関心を呼ばない土地だ。



大津京という駅があることは、京都駅のプラットホームで知った。今調べると3年前に西大津から改名されたようだ。道理で見慣れない駅名と思った。大津京という都はいつあったのだろう。信楽に都がかつてあり、また長岡にもあって、奈良・京都を中心としてあちこちに遷都して、それだけ京都やそれに近い場所は災害が少なかったのではあるまいか。本当はそういう土地に原発を造るのが一番だが、もしものことがあれば取り返しがつかない。それで地震が多いとわかっていながら、いわき市にと考えたのだろう。地震や津波は恐いが、原発はもっと恐い。そこに長年人が住めなくなるどころか、作物も育てられない。いくら便利で効率的な原発であるからといって、こんな恐いものに頼っていることは、針のむしろに座って暮らす以上の精神的苦痛であると思うが、放射能は見えないだけに針の恐怖より恐くて不気味だ。そして、その見えないことは、原発推進側には安全あると宣伝出来て便利だ。放射能と書いたが、地震以降マスコミでは放射線と表現している。この違いが何であるか知らないが、放射線と聞くとレントゲン撮影程度の放射能という感じがして、影響が小さいように感じる。実際今回の原発事故で漏れた放射能の量を、CTスキャンと比べてわずかですといった表現を学者がしている。原爆で放射能についてはよく知っているはずの日本が、原発の放射能漏れに関しては鈍感で、あまり切迫感が伝わらない気がする。海に放射能が混じった水が流れ出ても、大海に稀釈して問題ないと学者は強調するが、食物連鎖の影響を考えるとあながちそうも断言出来ないのではないか。大気や海水は国境を越えて広がっているので、それを放射能で汚染すると、他国ははた迷惑な話だ。中国の工場の煙突の煙が風に乗って日本に飛来するという問題よりはるかに深刻だ。また地震や原発の話になったが、この落着かない気分は当分続くだろう。いや、当分どころか、何かが大きく変わった、あるいは変わって行く気もする。それは日本の没落という予感でもあるし、その没落の中でかえって日本らしさを取り戻して、貧しいかもしれないが、恐怖のない平安な国になれるような気もする。電気使い放題の生活を改め、また東京と同人口、同格の都市ないし地域を関西に作って、どちらか片方に大地震があっても国家が致命傷を受けずに済むようにすればいいと思う。そのために関西と東京を新々幹線のリニア・モーターカーを走らせるのでなければ意味がないのではないか。1時間で大阪と東京が結ばれたとして、大阪が地方であるならば、そんな高速の電車は意味がない。石原都知事が言うように、東京が駄目になれば日本はおしまいなので、東京を徐々に縮小し、その縮小した部分を大阪に持って来るべきだ。だが、そんな発想を都知事がするはずもない。東京の繁栄だけが大事と考えるのが都知事の役割で、他の日本全体がどうなってもいいというのが本音だ。
●オンドルと旅館_d0053294_20384599.jpg

 昨日の続きをしておく。三井寺の南口に当たるのだろうか、長等神社の際にある山の入口に建つ小屋で歴史博物館の場所を訊ねると、疏水べりを進むと高校が見えて来るから、そのフェンス沿いの道を上がったところと言ってくれた。歩き始めるとすぐに別れ道があって、どっちに行っていいのかわからなかったが、疏水という言葉を聞いていたので、それをきょろきょろと探すと、右手の道の右側に金網があって谷が見えた。しばらく行って振り返って谷底を見ると、山肌を穿った疏水の立派な石造りの門があった。桜の開花にはまだ早いので、土手の樹木の群れは味気ないが、琵琶湖から引かれた水がその門から入り、トンネルを伝わって蹴上の方面につながっていることを想像すると、明治の人々の大きな夢が伝わり、これは一度は見ておくべきものという気がした。歴史博物館の常設展示には、その門の工事写真があって、現在とほとんど変らない状態であることに、大地震が起こっても琵琶湖に津波が生じず、その被害に遭わないとが想像出来た。疏水べりの道を抜けると車道に出た。といっても車の通りは少ない。その道を左折して坂を上ると、突き当たりが三井寺だ。その門前の道路を息子の車で走ったことはあるが、山門から歩いて入った記憶はない。三井寺には2、3度行ったことがあるが、別のところから境内に入ったような気がする。それはさておき、歴史博物館に行こうと考えたのは、三井寺境内の山手に桜があって、記憶にある角度から写真を撮りたかったからでもある。だが、疏水べりからもわかるように、三井寺の桜もまだ殺風景なはずだと考えて、山門を遠くに見るだけでその前の通りを右折して歴史博物館に向かった。三井寺の拝観料がいくらか知らないが、満開の桜の季節でもなければ訪れる人は少ないのではないだろうか。大津駅を下車して湖に向かって歩き始めたのは筆者らのみで、また商店街を歩く観光客らしき人は皆無で、三井寺の前でも人影がなかった。そうそう、話が前後するが、大津京の駅は、歴史博物館を下って西にあることが同館内の地図でわかった。そのため帰りはその駅を利用してもよかったが、京阪でと決めていたので、浜大津まで歩いてそこから帰った。それに、初めての大津京駅を探すのに、かなり道に迷うはずだ。だが、おそらく大津京と京都駅間のJRの電車賃が190円であるのに対し、浜大津から三条まで出るのに410円で、倍以上する。いくら路線に違いがあるとはいえ、これは開きがあり過ぎる。
●オンドルと旅館_d0053294_20381280.jpg

 歴史博物館で見た展覧会については機会があれば書くことにして、同館から出た後のことを書く。同館は小高い丘に建っていて、ホールからはガラス越しに見晴らしがよい。その点はMIHO MUSEUMと少し似ているが、こっちはガラスの向こうにテラスがあって、そこに出ることが許されるのかどうか、天気のいい日にはそこで寝そべりたい気がする。そのテラスから右手下に見えると思うが、同館の玄関前に移設されたオンドルがある。もちろんこれは渡来人が造ったもので、それが道路を敷設する時に発掘された。穴太地区から出たもので、そこに渡来系の人々が大勢住んでいたのは間違いない。だが、朝鮮半島では必需であったオンドルが日本では広まらなかった。それだけ暖かかったからだ。今回の地震では東北が寒いと言っていることに、関西人はあまりそのことが実感出来ない。南北に細長い日本では、東北は朝鮮半島と同じように寒い季節が長いのだろう。だが、渡来人はどこまで北上した住んだのか。いわきの小名浜という地名はアイヌに由来すると聞いたことがあるが、他にもそういう地名は目立つ。アイヌをどんどん北上させた勢力は渡来人とどれだけ関係があったのかなかったのか、歴史に疎い筆者にはよくわからないが、東北にオンドルが普及していればよかったのではないかと思う。オンドルのよさは部屋全体が床暖房となることで、部屋内部での活動はストーヴがある状態よりはるかに自由だ。それはともかく、オンドルを歴史博物館の敷地内に移設したのは、大津の古い歴史を示そうという思いによる。そういう観点からすれば、歴史となって誇るべきものは何でも展示するということになる。オンドルのすぐ隣に、赤茶けた銅像があった。銘板を読むと、西武グループを作り上げた堤康次郎とある。大津には膳所に西武百貨店があった。今もあるのかどうか知らないが、80年代後半にはよく展覧会を見るために訪れた。大津にすれば近江生まれのこの明治の大物を、歴史遺産として顕彰しようということで銅像を建てたのだろうが、それはオンドルと並んではるか昔の遺物に見え、また孤独に突っ立っているようでもあった。ネットで調べると、堤康次郎の人物評がいろいろとわかるが、人格者とはとうてい言えなかったようで、戦国時代の武将のような破格なところがある。そういう人物を生み出しにくい日本になったが、そのことは世界の先進国でも同じではないだろうか。巨額を得た超有名人は、何をするにも注目され、今回のような大災害があると大きな寄付を期待されもするし、またそれを裏切らない行動をする。堤はそんなことはしなかったが、莫大な資産を得て、それなりに人を動かしたことは、人のためにもなったと見るべきだろう。
●オンドルと旅館_d0053294_2039689.jpg 坂を下り、京阪電車で帰ろうと駅に向かって歩き始めたが、地図がないので勘に頼る。それに電車が眼前の路面を走るので、ほとんど間違ってもわずかな距離だ。浜大津方面に去る電車を見送った後、踏み切りを越えると古い住宅地だ。そういう場所を歩くのを筆者は好む。前方右手に「旅館」という大きな赤い文字を、切妻部にはみ出さんばかりに貼りつけた家があった。通常なら「○○旅館」と宣伝するはずだが、名前を誇るほどの格がないと自認しているのか、ともかくここに旅館がありますよと知ってもらいたい一心が伝わる看板だ。また道に面して切妻があるので、その広い面積を最大限に活用した思いが伝わる。三井寺の近辺なので、そういう旅館は必要でもあろう。1泊いくらするのか、また今でも営業しているのかどうか、何とも興味の湧く看板だが、たまたま通りがかった人が入ることは希であろうし、また旅館組合に加盟しているような雰囲気もなく、看板にお金をかけた割りにははやっていない、あるいははやらなかったのではないか。大きな地震があると、「旅館」の文字が壁から外れて地面に落下し、道行く人を圧死させるのではないかと思って、筆者は内心びくつきながら写真を撮った。だが、この看板には、繁昌してほしいという思いが赤裸々に表現されていて、きっと温かい心の経営者であろう。筆者は泊まる勇気はあるが、家内は絶対に拒否するに決まっている。旅に出て泊まる施設は、可能な限り立派な方がいいと言う。そうでないと旅全体の思い出がおじゃんになるからという理由だ。だが、ものは思いようで、最悪の旅館ならばそれはそれで笑えるほど面白く、旅の記念になるではないか。ただし、そういう場所にはひとりで泊まるべし。韓国にもそういう旅館は多そうだが、オンドルがあるため、寒さで震えることはない。人間はやはり温かさが必要なのだ。東北の被災地から早く寒さが去ってほしい。
●オンドルと旅館_d0053294_20392676.jpg

by uuuzen | 2011-04-03 23:59 | ●新・嵐山だより
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