停電があるとはまさか思ってもみなかった東京ではあるまいか。計画しての停電ということだが、利用者はいつ停電になるかわからず、計画が立てられない。
そのため、この言葉はお上が作ったつごうのいいものと言ってよい。とはいえ、本当に急にあった昔の停電に比べれば、数時間前の場合はあるとはいっても予告があるだけまだましだ。2年ほど前に嵐山で夜に急に停電があって、そのことは「おにおにっ記」のネタにした。その停電は30分ほどで終わったが、この30年なかったことでもあり、夜が真っ暗であることを初めて知って面白かった。江戸時代の京都は毎夜そうであったのだ。日が暮れると寝るのがよく、日が上れば起きて働けばよい。それは人間の体内時計とやらにも沿っているはずで、健康にいいことも言うまでもない。日本は人口の割りに電力を多く消費し、それは世界でも段トツの1位であると何かで読んだことがある。その電力消費が経済力の源になり、国民の豊かな生活となっているという意見があるが、それで得たものが、たとえば世界一多い自殺であるならば、経済力と幸福感との関係を再考せねばならない。今回の地震で福島原発が廃炉となることがほぼ確実のようでも、別の場所に新たに造る、また東京に大電力を送るとなれば、今までどおりの消費文化が復活するはずだ。そのことが、地震から見事に立ち直った日本と世界から賞賛もされ、また日本も自慢に思うだろう。そして筆者の懸念は、いつか東京に大地震が起こって、今回の地震以上に打撃を受けることだ。そのため、今回の地震を教訓として今までの電力使い放題の文化から脱却すべきではないか。計画停電のために打撃を受ける企業や組織は多いが、余分な照明はもうやめにして、夜の暗さを味わうという風流をあたりまえのものとしてみんなが認識するのがよい。恋人たちにもそれの方がいいように思うが、今は部屋を明るくしてお互いの肉体の隅々までじっくり鑑賞し合いながらのセックスが普通になった。それはそうと、さきほどムーギョ・モンガに買い物に行く途中、清水寺から青いライトが空に向かって放たれているのを見た。ここ数年、春と秋の観光シーズンはそのライトを灯すのが恒例になっていて、他の寺社でもライト・アップと称して夜の観光客を引き入れるのに余念がない。筆者はこの寺社のライト・アップが嫌いで、少しも美しいとは思わない。金儲け主義丸見えで、寺社の本来の存在意義からは遠い過剰演出に思える。江戸時代の京都の有名寺社はそのようなライト・アップはせずに、灯篭の灯り程度以外は真っ暗であったはずで、それがいくら繁華街がネオンだらけとはいえ、寺社まで真似する必要はない。そんな余分な電力を使うなら、その分を地震の被災者に寄付すべきだが、京都でライト・アップしている寺社はそんなことはしないだろう。神も仏もない。金だけが目当てというわけだ。

さて地震の5日前のことになるが、家内と一緒に奈良に行った。往きは京都地下鉄四条烏丸から竹田まで出て、そのホームで近鉄に乗り換えた。後で知ったが、この方法は京都駅に一旦出て乗り換えずに済むので便利だが、50円ほど料金が高くなる。それはいいとして、帰りは大阪の鶴橋に出て環状線で天満に行き、天神橋筋商店街で昨日掲げた3枚目の写真のスーパー玉出で買い物をし、その後は近くの回転寿司屋で遅い夕食を摂った。そんなことを細かく書くと切りがないか。で、奈良では国立博物館でお水取り展を見たが、新館内部が少し改築され、また展示ケースが新しくなっていた。その展示ケースについて不思議なことを思ったので係員に質問すると、わからないとの返事。以前の重厚なケースもいいが、全部新しい最新式になると、畳と女房は新しい方がいいとのたとえと同じで、それはそれでいいものだ。だが、以前の古いケースは法隆寺の百済観音を入れた状態で、若い頃の杉本健吉が油彩画に描いたことがあって、絵になる趣があった。何を書くかほとんど決めないでこうして買いていると、次から次へと思い出されることがあって、文章のまとまりがつかなくなる。ま、続けよう。「お水取り展」に関しては書かないだろう。見るべきものがあまりなかったというのではない。だが、去年秋だったか、東大寺に新しい館が建って、そこに収められる宝物展が京都高島屋であって、その時に出品されたものが今回も出ていたし、また上映されていた20分ほどの映像も、使い回しの形で新館の一画に設けられた映像室で見ることが出来た。それはいいとして、お水取りの圧巻である3月12日深夜のお松明は、いつもなら必ずTVで報じられるのに、今年は地震のニュースのためになかった。こんなことは初めてに違いない。人々の幸福を願ってのお水取りで、東大寺創建当時から毎年欠かさず実施されているにもかかわらず、自然災害の前にあっては無力だ。いや、それをよくわかっているからこそ、そういう儀式で毎年祈ろうとする。福島原発の炉が建屋内に据え置かれる際のかつての映像をTVで二度見たが、神主が炉の前でお祓いをしているのが印象的であった。こうした儀式は起工式にはつきものだが、神主の祈りは無力で、津波の前にはあっけなかった。

国立博物館に向かう前、猿沢の池でいつもの亀を見ると、数が激減していた。増え過ぎたので処分したのだろうか。博物館を出た後、興福寺の工事風景をまた撮影した。それが上の写真だ。そして南円堂の前に行って、去年秋
「興福寺境内通り抜け」で触れながら写真を掲載出来なかった昭和の灯篭博士がデザインした石灯篭と南円堂を1枚に収めた。角度に苦労し、3枚撮った。南円堂近くの無料休憩所はまだ健在であることを知ったが、この調子では今後も当分の間は利用出来るだろう。以前にも書いたが、奈良の商店街は食事出来る場所がきわめて少なく、この無料休憩所は持参した弁当などを食べるのに便利な数少ない場所だ。今「興福寺境内通り抜け」の投稿を改めて見ながら、その4枚目の写真に写る看板に、大きな赤い矢印とともに「南円堂売店」の文字があることに気づいたが、去年秋はその前を通らず、大きな石段を下りて猿沢の池のほとりに出た。話が前後するが、奈良に着いて東向商店街を歩いて気づいたことに、大阪並みに食堂やレストランが増えていることに驚いた。以前からある店はそのままに、新たに若い人向きの店が軒を連ねるようになった。また、東向商店街を抜けて三条通りの角にある餅屋は、その主が餅の早つきで有名で、その姿がローカルのTVコマーシャルにも登場するようになって、一段と店の前には人だかりが出来るようになった。不況であっても、工夫することで何か突破口があることをこの店は示している。観光客の増加によって、奈良の商店街も数か月単位で変わる時代になった。それは平城遷都1300年のためだ。奈良は観光誘致に有利な状態になりつつあって、興福寺の伽藍整備もそのひとつだ。観光都市として奈良は京都とは別の魅力を持っているし、それをもっと世界の人に認めてもらえればよいが、さてどうなるか。さきほどのニュースでは、京都の茶の飲料輸出がお得意様の諸外国からキャンセルされているという。福島原発事故の影響が関西にこのような形になって表われるとは誰も予想しなかったのではあるまいか。関西は停電もなく、表向きは地震が東北にあったことを実感出来ない。だが、じわじわと企業に影響が出始め、それが人々の生活にも波及するだろう。それでも計画停電は実施されず、原発の放射能の飛散の心配もひとまずはない。そして、桜のシーズンを迎えて寺社は例年どおり、ライト・アップに余念がないだろう。だが、京都に数多く来た外国人は期待出来ない。原発事故の跡始末の先行きが不透明である限り、それはますます深刻化する。