募金箱を持った舞妓さんが3人、百貨店の入口に立っていた。震災地への配慮だ。同じような募金の光景は街を歩くとよく目に留まる。被害のあまりの大きさと、原発事故が今なお不安を煽る事態が生じて、人々はそわそわして落着かない。
さきほどのTVでは、箱根の観光客がとても少なくなっていると伝えていた。直接の影響がない地域でも、観光客は浮かれる気分になりにくいようだ。この自粛ムードは、原発問題がいっこうに落着かないでは仕方がない。桜の季節が近づく今頃になると、外国からもたくさんの観光客が日本に訪れるのに、関西でも影響が出始めていて、今年は日本に来る外国人観光客は激減するだろう。地震と原発事故による影響の大きさがどこまで広がるか予想がつかない。そうでなくてもここ数年は景気の停滞によって人々の気分が縮んでいたのに、これからはさらにそうなりかねず、美術展覧会も影響を受けずに済むことはあり得ない。元来美術は経済が豊かなところに大きく開花するが、縮小経済にあっては作家はそれに応じた表現をするし、そういう傾向はすでにここ数年にあったと見てよい。美術作家はそうした社会のあり方に敏感になるもので、後で振り返ってみた時、ある作家が今回の地震やその後の経済停滞を予期したような作品を生んでいたとみなされ、作品に光が当たると思える。今回の地震は日本経済が下向きになっていたところ生じたもので、泣きっ面に蜂ではないが、なおさら苦しい状態に陥ったことになる。だが、どうせならば、「もう駄目だろうな」と思っていたところに追い討ちをかける出来事があった方がいいのではないか。「もう駄目」は「まだ大丈夫」という思いの裏返しで、好景気の時に今回のような大地震が来なくてよかったとも思い直せる気がする。それはそうと、毎日原発の新たな状態の報告があって、このブログに書くネタをどうしていいか戸惑いがある。書こうとして溜めているネタはたくさんあっても、書く気になれないものが多く、それで毎回地震とその被害に関連して思い浮かぶことを適当に採り上げているが、今日は大山崎山荘美術館で見た展覧会について書いておく。
チラシ裏面にあるように、ふたりの現代美術作家を紹介する企画展で、どちらの作家も筆者は以前に作品を見たことがある。それがいつどこかは、にわかに思い出すことが出来ないが、確実に見た記憶があることは、筆者のような門外漢にも知られる有名な作家であることを示している。そして、数あるそういう作家の中から二名に絞って取り上げるのは、この美術館の展示空間と、民芸の精神になるべく馴染むという条件に適合するからだ。チラシ裏面の冒頭には、「何でもない日常から出発して、意表をつく世界を生み出す2人の作家……」とあって、これが同美術館がふたりを選んだ理由となっている。そこにはこの美術館の特異性を自負する学芸員の思いも滲み出ている。それは展覧会の「山荘美学」という言葉にいみじくも表われていて、この美術館が作家の本質を最も見事に引き出し得る存在であり、美術作品はそうした展示空間と相乗効果を持った時により印象深く人々の脳裏に刻まれるという、日本では案外見落とされる視点を提示しようという主張が感じられる。展示空間としてはだだっ広く、買い物客がついでに立ち寄ることが出来るという百貨店内の美術館では、週代わりであらゆる作家のあらゆる作品が展示されるが、そういう一種の無節操ぶりは、展示作品を記憶に留めにくい。だが、そういう鑑賞状態が今の日本の状況を端的に示しているとも言える。作品はそれのみで独立したものであるから、いつどこで展示されてもいいようなものだが、作者はある思いを持って作品を作るし、その思いをなるべくそのまま伝えられる展示空間が本当は望ましい。この意見は、一般家庭ではなく、当初から美術館に展示されることを念頭に作る現代美術作家が多いことからすれば容認し難いが、大山崎山荘美術館の学芸員は、それを承知で、なおかつこの美術館に似合う作品を選び、それが「何でもない日常から出発して、意表をつく世界」という言葉になった。この言葉は民芸にそのまま当てはまるとは言えず、後半の「意表をつく」は、簡単に言えば「面白い」で、そこには見世物的な要素がほしいという思惑がある。現代美術は大なり小なりそういう部分があって、そこをうまく表現する作家に人気が集まり、また美術館はそういう作家を歓迎して観客動員を図るところがある。今回選ばれたふたりもある程度同じことが見える気がするが、その「面白さ」はこの美術館の空間とあいまってという条件が最優先され、作家よりも美術館に力がよりあるように見受けられる。そこが何でも展示する百貨店内の美術館とは違うところで、また来場者はそこにわざわざ来た甲斐を見出し、さらには作品を深く印象に刻むことになる。これはひとえに学芸員の知恵の絞りの成果であって、今そういう時代にすでに突入していることに、経済的な先行きの不安に関係なく、いやむしろそういう時代であるからこその、逞しさを感じる。こういう工夫をどの美術館ももっと深く考えるべきで、一部の巨匠の作品を外国から持って来て巡回展示するだけでは、作品との一期一会の機会もその質も減る一方ではないだろうか。
作品との一期一会の機会という言葉で真っ先に思い浮かべるのは茶席だ。その個人対個人の直接の出会いの場には、花が活けてあって、掛軸がある。この山荘を改築した美術館はそういう日本古来の精神を忘れずに保っているところがある。新館は現代美術にふさわしいコンクリート打ちっ放しの無機質な空間だが、それでも地上から光が射し込み、また地上には樹木が生い茂るので、現代風の茶室と捉えられなくもない。また木造の本館は洋館建てではあるが、重厚でしかもどこか暗い雰囲気は茶室の重みから遠くない。こういう新旧ふたつの展示室を持つこの館では、作風が異なるふたりの作家を取り上げるのは理にかなっている。新館はいわば他の美術館でも充分展示され得る現代美術であっていいが、民芸の陶磁器などが点在する本館は、その展示物に調和する作品ということで、二名はお互い異質な作家が好ましい。そして今回の企画展はそのように人選がなされ、新館ではほとんど白黒写真に見える、白と黒の二色を中心に使用して樹木を見上げて描いた絵画、本館では日常の道具や生活空間を題材とした映像作品となった。前者は日高理恵子の作品で、新館のモネの絵画が展示される空間によく似合っていた。その新館にはモネの、池を見下ろして描いた睡蓮を画題とする油彩画が常設展示されているが、それは同館の円形の壁を意識しての選択であり、また日本庭園を所有し、それを画題に睡蓮の連作を描いたモネへのオマージュともなっている。そして、モネの抽象絵画にも見える華麗に描かれた睡蓮の絵に対し、それとは正反対に空を見上げ、白黒という無機質な色合い、そしてモネの睡蓮とは違って写実に徹した日高の作品は、新館にはぴたりと言ってよい。つまり、動かせないモネの絵と拮抗するという条件を考えて日高の作品を選んだと思える。この日高の絵画は、どれも正方形の大型画面で、自宅の庭にある百日紅を描いたものという。この木はさほど大きくないが、細い枝まで見落とさずに描くと日高の作品のように大きな樹木の感じを与える。日高の同じ木によるこの連作は、モネが得意とした連作を思わせるが、白と黒という禁欲さは、マーク・ロスコに代表されるミニマル芸術の子と言ってよく、それは不況の日本ではいよいよもてはやされて来たところがある。その傾向が今回の地震を経験した後にどう変化して行くかは見物だが、まだミニマル的な作品の時代は続くのではないだろうか。筆者はあまりそうした作品を好まないが、芸術家が身近なものに目を向け、意表をつく作品を生もうとするのはよく理解出来る。またこの身近なものは、不況であるからという消極的理由と、地に足を着いた仕事をするならばまず自分の身の周りの何でもないものを積極的に注視するというふたつの側面を持つが、どの作家もこのふたつの間で揺れ動きながら作品づくりをする。
さわひらきは日高より14歳年少で、1977年生まれだ。作家の写真がチラシに紹介されていて、さわは横顔の下半分を手で隠したポーズ、しかもピントがあっていないので顔がよくわからないが、あまり男前ではないのだろう。とはいえ、日高も美人と言うほどではない。作家の顔写真はない方がいいと思うが、近年のネット社会では自分の顔を晒すことがブームとなっていて、作家も顔写真の提示を求められることが多いに違いない。それはいいとして、さわの作品はまさに意表をつく展示であった。映像作品なので、部屋を比較的暗くする必要があるが、映画を楽しむ感覚はこの美術館では初めてのことで、見慣れた部屋が違って見えた。また映像は拡大縮小が自在で、今回はそこそこ部屋いっぱいの大きなスクリーンから、喫茶室の家具の引き出し内部に収められた小型モニターまで、大小さまざま合計8作品が常時上映された。どこにそれらの映像作品があるかは、館に入った時にもらえるチラシに記されているが、筆者はそれを見ず、帰宅してからひとつふたつ見落としたものがあることに気づいた。あるいは全部見たかもしれないが、記憶に残らなかった。それは全映像作をひととおり見ると、かなりのまとまった時間が必要であったためもあるし、またどの作品も似たところあって、山場がなく、単調に映像が少しずつ変化し、どこが始まりか終わりかがわからないためだ。その点において日高のミニマル的作品に通ずるところがある。さわの作品は実際に撮影した映像に別の映像を縮小して嵌め込む手法と、その嵌め込んだ映像が動く影を伴い、また影そのものが主役である場合が目立つ。また実際に撮影した映像は、台所の片隅の道具類や、飛行場の飛行機を送迎する客、あるいは金魚鉢であったりするが、全体として、動く静物画にシュルレアリスム風味を加えたものを思えばよい。音楽が添えられているが、これも印象に残るほどではなく、ミニマル風だ。室内を小さな物が飛ぶ場面では、その飛ぶ物の影が壁などに映り、作者がそこをどう画面上処理して描いたのか興味のあるところだが、そのような影の重視は西洋の美術に発する作品の系譜に連なるところを思わせる一方、物事のはかなさの象徴でもあるようで、不況な日本を象徴している気にさせる。台所のやかんやカップなどが順に立ち上がって、生え出た足で動き回る作品があったが、足に当たる光の具合に、いかにも合成画像とわかる不自然さがあって、そこが大金を投じて作る商業映画とは違うアマチュアリズムの微笑ましさが感じられた。日高の作品もそうだが、思想的には大上段にかまえたものは皆無で、個人のささやかな呟きに思える。悪く言えば、今は作家がみな小粒になっている。だが、これは日本の特徴であるとも言えるし、時代の閉塞感がますますそうさせるとも言える。そうした個人的なつぶやき芸術が、震災と原発事故の後、どのように伏流して行くのか。美術館のやりくりにますますしわ寄せが行き、美術どころの騒ぎでなくなる予感がある一方、こうした時代であるから人々はせめて美術で何か気晴らしようなことをすべきとも思える。そして学芸員は以前にも増して知恵を絞る必要がある。さて、新館から出て来た時、エレベーターのすぐ際に大きなカリンの木があることに気づいた。そして実がひとつだけ成っていた。それを見上げながら、日高の絵画のように写真を撮った。意表をつく写真にはならなかったが、日高の絵画がこの美術館にはふさわしいと考えられたことの理由がわかるだろう。