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●壊れた原発、さらにその後
していることがあるのかどうか、放射線物質の濃度は心配ないと言いながら、一方で住民の避難勧告が強化して来ているので、TVのニュースを見ているだけではよくわからない。



2日前だったか、NHKの夜9時のニュースのキャスターが、放射線物質の摂取に関してその総量が問題ではないかと学者に質問していた。筆者も同じ疑問を思っていたので、ようやくこういう質問が出て来たなと思ったが、中途半端な答えしか得られず、肩透かしを食らった格好で終わった。1日の食事のカロリー計算が簡単に出来て、またとても熱心に云々される時代になっているから、その1日の食事に含まれる放射線の総量を地域ごとに報告すべきであるのに、誰もそれをやろうとしないのはなぜか。水に放射線が含まれることは土にもであり、あらゆる食べ物にも含まれる。ならば、放射線の量が大丈夫であるかどうかは、食事として考えるべきで、各素材ごとに言うのはほとんど意味がない。水をペットボトルに頼っても、他の食材はどうなのか。どう考えても心配がないはずはなく、10年20年先に体内に蓄積されて、それがわずかにしろ何らかの病気に関係するに違いない。ただし、一般人はその恐怖を抱いてこれから生活しても、因果関係を説明出来ず、そのために政府や東京電力は訴訟問題に悩まされずに済む。ともかく、水や野菜など、個々の食べ物の放射線濃度は大量に摂取しない限り心配ないと言うのは、間違いではないにしろ、正直な告知とは言えず、摂取される放射線の量を少なく見積もるように報道されているように感じる人は少なくないだろう。ここ2、3日で東京近郊の上水場の放射線濃度は減少していて、ひとまず胸を撫で下ろすことが出来るのは喜ばしいが、その一方で作業員が被爆し、原発内部が深刻でしかもほとんど誰も立ち入っていない状態であることがわかって、心配が増したとも言える。筆者が「壊れた原発」と題して書いたのは、地震から4日目の15日であったが、地震直後の原発内部の作業員の動きがほとんど報じられなかったのは、これまた何か隠していることがあったのではないかと疑りたくなる。何事も最初の的確な行動が大切であるし、まして地震直後の原発となると、その問題の重要性はとてつもなく大きい。それが、地震直後から2、3日は電気が通じなかったこともあってか、原発作業員は慌てふためいて、重要な決定に手間取ったのではないだろうか。そのことによって原子炉の建屋で水素爆発が生じ、また下請け作業員の被爆問題も連鎖的に生じて来たように思える。それは筆者の無責任な想像に過ぎないが、そういう想像をさせるほどに地震直後から数日間の原発内部の作業員の動きはほとんど報じられなかった。それどころか、当初250人ほどいた作業員を30か60か、とにかく大幅に減らしたと報じられ、それは原発に問題がなくなったためかと思いきや、実際はその反対で、被爆の危険が増したために退避させたというのが実状だ。その後警察や消防の放水が始まったが、その意志決定がもっと早くなされなかったのはなぜだろう。決死の覚悟というものが東京電力には欠けていたのではないか。ともかく、原発問題が収束した時、始末報告書に作業員たちの最初の対処が詳しく書かれるであろうし、仮にその作業の意志決定が手間取ったとすればその理由も公にされることを望む。それは責任問題の最も重要な部分を成す。その責任を関係者がうろたえて放棄したのであれば、厳しく断罪され、また福島県人に陳謝しなければならない。
 これもNHKのニュースで感じたことだが、京大のある原発学者の意見が1週間ほど前に数十秒紹介された。それは福島原発が大地震の被害を受けた時、制御出来なくなるのではないかという心配を昔からしていて、それが現実のものになったという意見であった。「それ、言わんこっちゃなかったでしょ」的なものと取られかねない意見でもあるので、この学者の意見をフォローするコメントなりはその後全くなされていないが、この学者の意見は、学者の間で原発推進派とそうでない派、また推進派の中でも慎重派とそうでない派がいることを知らせてくれてとても興味深かった。つまり、学者もごく普通の人も同じで、さまざまな意見があるのだ。そのさまざまな意見の中から、実現化するのは、何らかの利害が複雑に絡み合っているはずで、最も慎重で正直な意見が真っ先に駆逐されるであろうことは誰しも想像する。今回の地震に関してNHKは公平な報道をしていると思いたいが、どちらかと言えば体制寄りは明白で、批判めいた論調はない。もっと言えば、原発学者や地震学者はみなNHKの提灯持ち的なところを感じさせる。これは正しくないかもしれないが、地震や原発に関してNHKに呼ばれる学者は東大系が中心で、そうした人々が福島原発の建設を推進したように感じられる。さらに穿った見方をすれば、福島原発は東大の威信をかけて造ったもので、京大派の意見とは微妙に相容れなかったのではないか。東大と京大の原発や地震の学者の思想にどのような差があるのかは知らない。だが、三陸沖という小学生でも学校で地震多発地帯と学ぶ地域に原発を建設し、しかもその津波の高さや脅威を過小評価したのは、もしも心配を唱える意見よりも、推進派の思惑が通ったためで、その推進派が東京電力や政府の飼い犬的立場にあるのは容易に想像出来る。そして、今回のような事故が起こって慌てている状態だが、地震を過小評価して設計した人々への糾弾はきちんと行なわれるべきではないか。それとともに、撒き散らした放射能をどう始末して地元の人々が元通りの仕事に就けるかどうか、そこも後始末をすべきだ。学者たちはもしものこと、つまり今回のような事故があった時、どういう問題が生ずるか、そしてそれをどう決着づけるかのシミュレーションをある程度はしていたはずであり、そういう青写真を全く描いていなかったとすれば、あまりにも原発の安全性を信じ過ぎる、つまり自分の科学的とやらの頭脳に自惚れ過ぎだ。だが、どうせ見えない放射能であり、その影響が顕著に出るとしても10年20年先、頭のよくない一般人が文句を言っても、原発が原因だとは証明出来ないとたかをくくっているのだろう。つまり、放射線問題は最も無責任になりやすいもので、運営者は責任を負うことにはならない。原発は日本にはよく似合っているということか。地震は天災でまだ諦めもつくが、原発事故は人災の部分が大きい。筆者はそこを指摘したいが、おそらくこの原発事故は誰も責任を問われず、また関係者がそれを進んで負うことをしないに決まっている。そして、増税や寄付など、国民全体が負担する美談にすり変えられる。その動きは地震数日後から決定づけられたように見える。
by uuuzen | 2011-03-26 23:59 | ●新・嵐山だより
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