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●神戸らんぷミュージアム
エネへの意識が今回の地震で徹底する期待がある。とはいえ、真夏の暑さに都会では電車も百貨店も家の中もクーラーをつけないと、人々の不満は高まるだろう。



●神戸らんぷミュージアム_d0053294_23534256.jpg半世紀前はそうでもなかったのに、地球の温暖化もあってか、もはやクーラーなしでは過ごせない夏になっている。筆者は原発の事故があったからといって、省エネを心がけるつもりはない。おそらくこれ以上はほとんど削られないほどに始末しているからだ。税金の申告もあって、毎年3月は使用した電気代を月別に調べたりするが、この10年、値上がりした電気代分に応じて高くなった程度で、使用量は変化しておらず、しかも平均的な家庭をかなり低いはずだ。電気の灯りくらいはふんだんに使えばいいという意見も耳にするが、なるべくこまめに灯りを消し、しかも冷暖房は極力使わない。一昨日、母の家に行って妹とも話したが、妹の家は1階をすべて床暖房していて、そのほか多くの大型の電気製品を使っているので、電気代はわが家の数倍だろう。そういう生活に慣れると、わが家のような省エネ的生活がしみったれていて、また非文化的にも映るかもしれない。原発の事故があって、夏には電気代が値上がりするかもしれないというニュースを先ほど耳にした。そうなって困るのは、やはり貧しい家庭だ。金持ちは多少値上がりした程度では何とも感じない。つまり、今回の地震の影響は貧しい人にほど、じわじわと及ぶ。昨日書くのを忘れたが、スガキヤのラーメンを食べるために入った店舗集合の大型施設では、エスカレーターの脇のベンチなど、各所に老人がたむろしていた。みな70、80代で、家にいても退屈であるので、何も買わず、何も食べなくても、冷暖房の利いた、そしてにぎやかなこうした場所に集まる。暇つぶしの場所として、当人たちにとっては最適なのだ。筆者はそういう老人にはならないと思うが、そういう老人の思いは理解出来る。そして、そうした大型施設でもやがて省エネの推奨によって冷暖房が切り詰められると、老人たちはそこを離れるかと言えば、我慢しながら相変わらず居座るだろう。これからますます高齢化を迎える日本は、そういう老人の集まる場所がもっと必要になるが、経済の衰退によってそういう施設が減少して行くと、老人たちはどこへ漂流して集まるだろう。そうした老人の境遇は、住む家の有無の差はあるとしても、今回の震災で各地に避難した老人とどこか似た雰囲気がある。それは単に老人たちが集まって過ごしているという光景からの思いからだが、さて仮説住宅に移り住んで、ひとまず元のプライバシーが護られる生活になった時、老人たちはバラバラの孤独感を味わうかもしれず、いつでも集まることの出来る気楽でにぎやかな施設は用意すべきではないだろうか。それが具体的にどういうものか想像しにくいが、灯りだけは減じてはならないことを思う。
 今日で地震から2週間だ。今調べると地震のちょうど1か月前に神戸に行った。市立博物館で展覧会を見る前、らんぷミュージアムに行った。ここは3、4年前に出来たのではないだろうか。受付け嬢からもらったリーフレットによると、「旧北野らんぷ博物館・赤木コレクション」を受け継いで、関西電力株式会社が運営していることがわかる。場所は市立博物館の斜め向いで、大きなビルの2、3階だ。関電の経営だけに閉鎖されることはまずないと思うが、京阪神に電力を供給する久美浜の原発が壊れると、省エネの声が出て、真っ先にこの施設は贅沢だと糾弾され、閉ざされるのではないか。このミュージアムのあるビルは、京都風に言えば京町仲町の角に建つ。これはルミナリエの玄関口に位置しており、それを意識してこのビルの内部に設けたのかと思わせられる。豪華なホテルのようなビルで、1階は吹き抜けとなっていて、大きな階段を上ってすぐにミュージアムとなる。また常設展示であるから、通常の展覧会のように大勢の人が一時に押し寄せることはなく、毎日ごく少数の入場者に過ぎないだろう。女性の係員が数名詰めていて、その人件費を含めて、大人ひとり400円の入場料ではとても経費には足りないはずで、関電の税金対策用の施設かと思わないでもない。であるからなおさら省エネ、あるいは経済の衰退によって打ち切りになる施設に思える。4つ折りのリーフレットを開いた内部中央には、「古代から中世、そして現代。あらゆる時代を照らしたあかつが集う――幾千の時を越えた、あかりの芸術」と大書され、その周囲を10点の写真が囲む。A、ロビー。B、人とあかりの出会い。C、最初のあかり。D、あかりをともす知恵。E、ろうそくのあかり。G、あかりに大革命。H、資料展示室。I、あかりのミュージアムウォーク。そして2階にあるカフェとショップの写真があるが、カフェには入らなかった。ショップにはメキシコ製だろうか、蛙などの動物などをかたどったカラフルなローソクが比較的安価で売られていて、よほど買おうかと思いながら、使うのはもったいないし、また使う機会はないと思えたのでやめた。AからIまでフロアの内部を一周する形で巡るが、じっくりと1点ずつ鑑賞すると1時間ではとても足らない。資料展示室は二度目に足を運んだ時か、灯りに特別関心のある人向きだ。ミュージアムウォークは、旧居留地をイメージしたとのことで、床や天井など虹色に照らし、通路の両側に合計10ほどの大型のウィンドウが並ぶ。その内部に舞台のセットのように人形を使った童話イメージの展示があって、これは子ども向きだ。Aは企画展用の部屋で、必ずしもあかりに関係のあるものが展示されるとは限らないようだ。また、作品は兵庫在住の子どもの絵や同好会の作品などで、美術館級の展示ではない。Bはソファに座って5分ほどの映像を見るコーナーだ。映像は確か画面が3、4つ横に並んでパノラマになっていた。DからGに至る展示物は、骨董屋をどれだけ回って集めたかと思わせるほど充実している。Cはみんぱくの展示を思わせ、縄文時代の人々が火をどのように起こしたかを実物の木材や道具で示す。知っているようで案外知らないことがわかって興味深いが、この展示を知って同じ方法で火を起こす人はまずいないだろう。便利な世の中になって、火といとも簡単に起こせる。それゆえに、電気や油がなくなると、たちまち困る。原始を忘れないために、火起こしの技術はこうした形で伝えて行く必要はある。
 最初筆者はガレやラリックの作品を中心に見せる美術館的色合いの濃い場所かと思ったが、それに反してそういう美術的価値のあるランプ類はほぼ皆無で、器の装飾的美、つまり附加価値的な美を追求した灯りよりかは、もっと身近な、通常の生活に使用されたものが中心になっている。原始的な灯りに始まって、動植物の油を灯りとして用いる江戸時代に続き、またそうした行灯の光がどれほど暗かったかを示す特別の部屋もあった。誰にも理解出来るように、油やローソクは高価で、貧乏人はあまり灯りを用いることが出来ず、部屋はとても暗かった。文明開化の時代になって登場したランプは、石油とはいえ、相変わらず油を燃やすものであったが、紙を使った行灯とは違って、ガラス製で明るさは倍増した。とはいえ、それを灯した部屋は、電気の灯りとは比べものとはならないほどに暗い。新美南吉の「おじいさんのランプ」は、おじいさんが所有するランプを孫が見て、おじいさんが若かった頃に村に電気が通じ、ランプが不要になったことをおじいさんから聞かされるという物語だが、そこではおじいさんは電気に破れた悔しさに、販売用に所有していたランプを池のほとりの木にぶら下げて灯し、石を投げてランプをひとつずつ壊して行くことが描写される。その場面は、暗い夜にランプがぼーっと鈴成りに灯り、またその灯りが池に映ってなお幻想的だが、時代が変わって自分の出番がなくなったと悟ったおじいさんの無念が、ランプの灯りが少しずつ消されて行くさびしさに呼応して忘れ難い。だが、この童話のいいところは、おじいさんはその悲しみから立ち直ることだ。時代が変わって古いものが駆逐されるのは仕方がない。そうであるならば、自分はまた時代に沿った、人々の役に立つ仕事をすればいいではないか。そう思っておじいさんは心を入れ変える。そして、割らずに残していたランプを孫が見て、そんなおじいさんの人生を知るのだが、こうして思いが後世に伝わって行くことを南吉は言いたかったのだろう。だが、そこには失われて行くものに対する愛惜の思いがより勝ってはいる。関電からすれば、このミュージアムで最も誇りたいのはGだろう。あかりの大革命とは、電気の登場だ。エジソンの電球など、また日本でどのように電球が作られ始めたかが実物や当時の印刷物で展示される。また、電球とは違って、ガラス製の傘は美的なものとしてさまざまに発展した。これは現在でも続いている。
●神戸らんぷミュージアム_d0053294_23542587.jpg 電球やその傘を展示することはこのミュージアムの理念からして当然だが、その電気がどのようにして造られているかの説明がほとんどない。あるいはなかったように思う。水力、火力、そして原子力という、日本が高度成長に伴って次第に方向を変えて来たことをもっと示してもいいのではないか。そして、なぜそのように電気を起こす方法を変えて来たのか、また近年注目されてはいるが、まだまだ微々たるものでしかない風力や太陽電池などの説明もあってよい。だが、それらの電力は家庭の灯りに用いられる分はごくわずかで、大部分は産業用であり、また大型店舗の内外部の照明や冷暖房に使われ、時代はガスを駆逐し、オール電化に向かおうとしている感がある。そのオール電化の考えの元に原発がドカンと控えていることを忘れてはならず、また大地震によって肝心の原発が動かなくなるどころか、取り返しのつかない害を与えかねないことを知るべきだろう。ではどうするか。取りあえずは電気のありがたさを噛み締め、省エネを心がけ、行灯やランプを使っていた古き時代の暗さをそれはそれで味があると見直すべきだろう。だが、行灯やランプは火事の大きな原因であり、防災の理念からはそれらの使用は趣味以外には奨められず、電気の大革命を経た後、電気を使い続けるしかない。江戸時代も今も同じだが、電気代を気にせずに使える金持ちの家はとかく明るい。そしてその明るさは心の明るさに比例するようにも思われている。このミュージアムが、灯りが氾濫した、つまり金が潤沢に回る大都会の真ん中にあり、また地震で大被害を受けた街、そしてその復興を願って始まったルミナリエの玄関口にあるのは、何とも示唆的だ。館内を出た後はまだ昼過ぎで、陽射しはとても明るく、オリエンタル・ホテルの前を通って市立博物館に至った。同ホテル玄関脇の蘇鉄は、以前見かけて、「関西文化の日」の投稿時に写真を載せたとは違って、かなり根づいているように見えた。間近で見ると、幼葉は何本か根元から出ていた。それがどんどん育つと、この蘇鉄は本当に通行人の邪魔になるだろう。そんなことがあっても面白いではないかと思いながら、蘇鉄の向こうにらんぷミュージアムのビルが入るように写真を撮った。
by uuuzen | 2011-03-25 23:55 | ●展覧会SOON評SO ON
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