浪江町は福島原発30キロ圏外だが、住民2万1000人全員が退去したという。これは大変な人数で、また大変な大移動だ。どこにどう収容されて、今後どう生活するのか。原発の危機が収束しても、同町を去る人が少なくないかもしれない。
福島原発は市長が廃炉を求める意見を述べていたが、東京電力としては代替地が見つけられるのかどうか。原発が安全なものなら、いっそ都内に設ければいいという意見は昔からあるが、そうしないところを見ると、今回の事件はその可能性が織り込まれていたことがわかる。もしものことがあっても被害が最も少なくて済むように物事が考えられるのは当然と言えるが、そのもしもが今回は起こってしまった。原発の後始末が済んだ後、住民は元どおりに自分の家に帰ることが出来るのかどうか、それは放射能汚染の程度によるが、農作物や魚介類に問題が生じないのかどうか、これから先、難題が山積している。今TVを見ながらこれを書いているが、被災した中年男性が笑って酒でも飲みたいと言いながら涙ぐんでいた。昨日書いたように、寒さには酒がいいし、それはまたうさ晴らしにもなるから、援助物資の中に酒を含んでもいいように思う。贅沢品は不要だという考えもあるが、酒を毎日飲む人にとっては、贅沢品という感覚はない。子どもに飴をプレゼントするのであれば、酒好きな人のために、酒造メーカーが酒を救援物資として送ることがいいのではないか。一方、気になる原子炉への放水は、消防署員が、建築現場でコンクリートを打つ時に使う4、50メートルの長いノズルを持ったトラックを使って、しかもほとんど無人で海水を注ぎ続けることが出来るようになった。毎分3トンというから、ヘリコプターよりはるかに効率がよく、これでかなりプールに水が溜りそうだ。消防は最も危険な職業のひとつで、今回は火を消すのではなく、発熱し続けるものを冷ます目的で水を放射することになったが、放射能という見えない危険があって、火事現場以上の恐怖があるだろう。結局東京電力の偉いさんたちは何もすることが出来ず、専門家に全面的に委ねることになった。年々火事の件数が減少している昨今、まさかこういう形で消防が重要な役割を果たすとは誰も想像しなかったのではあるまいか。また、この長いノズルを積んだトラックはチェルノブイリの原発をコンクリートで封じ込める時に用いられたとのことで、100メートル離れて遠隔操作出来るので、いわばロボットだ。今回の事故に関しては、誰しもロボットを使うことを思ったように想像するが、今後は原発の事故専用の特殊なロボットがもっと開発されればいい。ともかく、早く放射能の飛散が収まって、原発に対する懸念がなくなってくれることを祈る。
さて、今日は朝から夕方までエキサイト・ブログにアクセス出来ず、電力が止ったためにトラブルがあったのかと心配したが、さきほど復旧し、データは失われずに済んだ。ここ数か月、筆者は投稿内容をいっさい保存しておらず、データが失われた場合に復元出来ない。それで、文章や画像などをまた保存したいと思ったが、記録する媒体がない。MOディスクを買えば済むようだが、今使っているMOと、USB接続でたまに使うものとでは相性が悪く、後者でフォーマットして書き込みをし、それを前者で見ると必ずディスクが壊れてデータの読み書きが出来なくなる。そのようにして、数枚あったものを1、2枚だけ残してみな使えなくしてしまった。これでは新たに買っても同様のこととなるし、もうMOを使うのはやめようかとも考え始めている。どうでもいいことを書いてしまったが、自分の書いた文章や撮った写真が保存出来ないこのは何とも不安だ。東京に地震があってエキサイト社が被害を受けると、このブログのデータはみな消えてしまいかねないから、他人任せにせず、自衛するしかない。なぜこんなことを書くかと言えば、今朝家内がTVで見たそうだが、今回の地震で被害を受けた船大工が、てっきり家は全部浸水して内部にあったものが駄目になっていると思いながら帰宅すると、3階にあったパソコンが無事で、その中にだけ保存していた重要なデータがそのままであったらしい。そして、この幸運によってまた以前のように仕事が出来るそうだ。だが、これはデータを保存しているパソコンが壊れるか盗まれるかすると、もうおしまいであって、別の媒体に保存しておくのがいいのではないだろうか。ただし、そうしないのは、データがコピーされて他人の手にわたってしまう怖れがあるからだろう。このブログのように、いつでも誰でも見られるものであれば、他人は誰も内容を保存しないので、結局事故が起きた時の復元を予想して自分がやっておかねばならない。この自衛は、被災者が迅速かつ割り切って移住をよぎなくされることを受け入れることと同じと言うつもりはないが、原発の危険性は今までの世界各地での事故によってわかっており、100パーセント安心と思うことはあまりに楽観的過ぎる。だが、長年住んでいる土地に原発がやって来たから、その住み慣れた場所を去ることは出来にくい相談であるし、もしもの事故が生じた時には国と電力会社が最大限の保証をすべきだ。とはいえ、廃炉となれば、今度はどこに大東京の電力を賄う原発を造るというのか。その点都知事はどう考えているのだろう。現在の都知事の立派な態度からして、他県に迷惑をかけることは自尊心が許さず、東京湾に建設するというのが道理であると思うが、ぜひそうしてほしいものだ。そして、もしもの時があれば、広い東北に東京人が避難すればいいではないか。
保存の価値があることを何も書かず、放言もいいところだが、山崎にあるサントリーのウィスキー工場について書いておこう。昨日掲げた最後の写真は見学が始まる建物の外観で、工場敷地内の一般道路左手にある受付けで申し込みが済んだ後、通りをわたってのところにある。つまり昨日掲げた石仏の地蔵さんの祠の後方にある。1階は最初に映像つきでサントリーのウィスキーの歴史を紹介する展示コーナーが4部屋ほどある。誰しも思うように、開高健編集の「洋酒天国」の資料展示があり、また昭和30年代のサントリー・バーを撮影した映像もある。昔のサントリーの代表的ウィスキーである角瓶と、だるま(オールド)が特別大きく紹介され、その中身がかなり減っていたのが印象的であった。栓をしていても蒸発するし、また瓶詰めされたものは、樽で眠るのとは違って味の深みを増さず、むしろ瓶のガラス味が強まるので、ウィスキーはなるべく早く飲むのがよい。この資料展示コーナーでは、案外サントリーは自社で古い製品を完璧に保存せず、一般人から寄贈してもらったものがかなり混じっているのではないかと思えた。ノベルティのグッズなどは大量の種類を作って来たはずで、それら全部を会社が収集管理するためには、それなりの人数や経費がかかることであり、一般の物好きな人の方が珍しいものを持っているのではないか。サントリーの歴史を紹介するコーナーを抜けると広い部屋に出るが、この建物全体には係員の引率はなく、各自勝手に好きなところを見てよい。奥の広い部屋の入ってすぐの左手の壁面には、全部で7000本だったか、樽の中から抽出したウィスキーのサンプルが入った瓶が並ぶ。無色に近いものから琥珀色、そしてほぼ真っ黒のものまである。外光が射し込む奥の片隅には、丸いカウンターがあって、その中にいる若い女性にウィスキーが注文出来る。1杯200円程度のものから、数千円のものまであるが、種類は数百ほどか。街のバーで飲む半額以下の料金だ。昼間から、そしてきれいな芝生の上で飲むのも乙なものだが、筆者は飲まなかった。ウィスキーの知識がそこまでないからだ。シングル1杯で数千円は高いようだが、実際はそれほどのものはざらにあり、そうしたものをここで試飲出来るのはめったにない機会だ。それに美人のサントリー嬢に用意してもらえるのであるから、うまさはなおさらだ。この1階のあちこちで30分ほど時間をつぶした。時間が近づいた時に2階に上がったが、さらに資料展示があり、また比較的大きなお土産コーナーもあって、見学終了後、そこに戻って買い物が出来るようになっている。当然、1階の有料試飲コーナーでゆっくりと飲んでもよく、土日以外なら、終日時間をつぶすことが出来る。今日はこの最初の建物の1階部分の写真を掲げておこう。下の写真は右手奥がサントリー嬢がいるカウンターだ。また中央には実際に使用した蒸留釜を縦ふたつに割って、その内部にも樽から抽出したサンプル瓶がところ狭しと並んでいる。これは手で触れられる距離にあるが、触れてはいけないことになっている。大地震があると、全部棚から落ちて割れそうだ。