刻一刻と水が蒸発し、放射能が広がる危険性があるというのに、昨日の放水はのんびりしていたように見える。
ヘリコプターの後、1時間もすれば放水車が駆けつけるというから、TVの前にずっと座り込んでいたが、夜になってもそれが始まらず、原発から30キロ離れた上空に留まって望遠レンズで撮影し続けていたヘリコプターも空振りに終わった。カメラに映る日没までに放水がなかったのは、さまざまな理由はあるにしても、どこかおそまつな印象が拭えない。警察の放水は水が届かずに引き返したという知らせが夜の8時過ぎになってあったが、その様子を示すアニメがNHKニュースで流れた時は、老人の小便みたいに描かれて失笑した。放射能が危険で接近出来なかったというのが理由だが、時間が経てばもっと近寄れなくなるから、事故から手を引いたと思われかねない。論評者も国民の不安を掻き立てないように、そう騒ぎ立てるほどのことでもないといった調子だが、これはそういう意見の人を選んで呼んでいるからで、全く反対のことを思っている学者もいるだろう。悲観的よりも楽観的の方がいいという意見もあるが、取り返しのつかないことになっても楽観で押し通せるかどうか。「まだ大丈夫」は「もう危ない」ことであり、もう危ないと言っている間がまだ大丈夫なのだ。アメリカは福島原発から半径80キロ以内の在日アメリカ人には退去を勧告している。その80キロ圏内には水戸辺りまでが含まれるであろうし、そういう危険を予想しているアメリカの考えを日本はどう楽観論で国民に納得させることが出来るのだろう。今日も放水があるようだが、雨を降らせるロケットを中国から学んで、それを原発上空で何度も破裂させる方が効率的ではないか。深さ15メートルの3分の1ほどの水があればいいというが、それは700トンほどに相当する。ヘリ1台の水がまともに全部入ってもその100分の1であるのに、TVに出ている学者は効果があったと評価している。どこか欺瞞らしいこの報道の様子と、各国が日本から退避を通告していることのちょうど中ほどに事実がありそうな気もするが、気の早い人はさっさと福島から移動し、昨夜はもう京都の市営住宅に住むことを契約した人が映っていた。そのようにひとりで元気に移動出来る人はいい。だが、老齢でしかも交通手段のない人は、留まることで致命的な被爆ということにもなりかねない。今日は昨日より放水は多く、これからも続けられるようで、早いこと原発から煙が出る光景を見なくて済むようにしてほしい。今回の事故で福島は世界中にその名前が知れわたったが、福の島は英語で言えばハッピー・アイランド、言うなればハッピーランドで、それが原発事故とは皮肉が利き過ぎる。得てしたそういうものであり、平成という年号も、「平」の文字があって平穏無事のようであるのに、全くその反対で、激動もいいところだ。とはいえ、本来めでたい年号や地名に、マイナス・イメージの変な文字は使用しない。

地震から1週間も経つと民放はコマーシャルをどんどん入れ、地震関係の番組も急激に減った。NHKだけが終日やっているという状態で、それもやがてほかのニュースや番組が入る。そのようにして現地の傷も次第に薄れて行くことになるが、阪神大震災でのノウハウが最大限に活用されることを期待する。地震国家の日本なので、明日はわが身と思っていていい加減だ。さて、昨日掲げた写真はウィスキーの樽内部の様子で、右の樽が4年目、左が12年目でちょうど半分に減っている。このように年月が経つにつれて中身が少なくなり、また長く保管したという倉庫保管料からも、年月の経たものが高価になることはわかる。ただし、樽の中のものをそのまま瓶詰めするのではない。樽によって、また仕込みの時期によっても原酒の味が違うので、それらをブレンドしてひとつの商品として同じ味に整えなければならない。それは門外漢には手品に思えるが、そのような手間を経てウィスキーが作られる事実からは、最も味わい深い酒であることを今さらに納得させられる。今回の地震では酒の瓶はたいてい割れて、酒好きな人は大いにさびしい思いをしていると思うが、お腹を満たすことが先決で、酒など贅沢という意見があるだろう。寒さで凍えていて、また先の見えないわびしさを抱えているならば、かえって酒が体を温め、また慰めになるのではないか。ウィスキーは本来寒さをしのぐための飲み物と言ってよく、避難所でそういう利用のされ方があっていいのではないか。だが、まず絶対にこの意見は無茶と思われる。それで筆者は酔っ払いと開き直って無茶な意見を連日書いている。低迷酩酊亭日記と名づけるのもいいかもしれない。それはともかく、今日で地震から1週間で、まだ死者行方不明者の数が不明で、架設住宅もこれからといったところ、TVでも東北の人が語っていたように、元通りになるのは10年以上かかるかもしれない。さきほど自治会の年度末の総会を開いて来たが、東北に身内や知り合いのある人はいなかった。京都からは東京でも異国という感じがあるから、東北はさらに縁遠いのだ。筆者も茨城より北には一度も足を運んだことはなく、いつかいわき市にと思いながら、どうも東北には行く気になれなかったのは、地震を予感していたというのとは違って、情報が少なく、関心が低いからだ。そうそう、数年前までわが自治会に20年ほど住んでいたSさん一家がある。宮城県の出身で、大学を出た後京セラに就職、本社勤務になって定年までいたが、定年の10年ほど前、わが自治会内で新しく建てた家の崖が大きく崩れ、家が傾いた。家の売り主は無料で建て直しをしたが、その後ふたりの子どもが東京方面に就職したので、Sさん夫婦は故郷の仙台に戻った。仙台のどこかは知らないが、一昨日ある人から聞いたとことによると、海辺ではなく、山手に近い区なので、津波の影響は受けなかっただろうとのことであった。だが、その人が何度電話しても通じないらしい。

Sさんはひとりで近所の飲み屋によく通っていたが、転勤組ということもあって、結局は嵐山に生涯住むほどには馴染めなかったのではあるまいか。酒の話になったので、また山崎のサントリーのウィスキー工場の話をしておくと、正門を入った中央に道があって、係の女性は一般道を言っていた。一般人が自由に通れる道をはさんで工場が建つのは奇異な光景だが、どうもそれは本当らしい。その道の突き当たりに神社がある。椎尾神社で、明治までは西観音寺であったが、神仏分離によって寺部分は近くの宝積寺となった。この寺の五重の塔は大山崎山荘美術館の真横に建つ。昔この寺の住持とあることで長電話をしたことがあるが、気さくな人であった。また一度だけこの寺に行ったことがある。椎尾神社はひっそりとたたずみ、もちろんサントリーが建つはるか以前、行基時代からあったというから、サントリーとしてもその神社を壊してまで工場を建てることは出来なかったであろう。そこで半ば荒れていた神社を復興することに手を貸し、工場の敷地内であるかのように社がある。また、天王山には酒解神社があって、天王山から涌き出る水は大昔から酒造りにも最適であったのだろう。それを知って鳥井信治郎が工場の立地の候補と考えたと思える。そして今も同じようにおいしい水が涌き出て、それがウィスキー造りの命ともなっている。この水は無料で取り放題なのかどうか、そんなことを考えてみたが、仮に無料であっても、工場が税金を支払うので、府としても文句はないだろう。また取り過ぎると枯れないのかどうか、それを係員に質問するのを忘れてしまった。工場の正門右手に紫のヴィオラの花壇があって、工場の銘板が据えられていたが、そのすぐ近くには石仏を奉ってあったのが目を引いた。それも椎尾神社と同じように古いものなのだろう。そこに昔からあったのか、あるいは工場を整地する時に地中から出て来たものだろう。花が活けられていて、その風情がよかった。工場とはいえ、機械メーカーではないので、かなり静かで、また衛生的、地元によく馴染んでいるように見えた。この工場に関してはもう1、2日書く。