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●西国街道を大阪に入る
の中の状態は直接覗き込めるか、あるいは状態を示す計器によって知るのか、原子炉の場合、どのようにして燃料棒の状態や水位を把握するのだろう。



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放射能を発散する怖れがあるものだけに、近寄ることさえ御免こうむりたい気がするは、福島原発では電力会社や消防署の何人がどのような防護服を着て作業をしているのか、またその生の声が伝わらないのがもどかしい。映像は望遠カメラで撮影したものばかりで、そうでなくても傍観的なTVがなおさらそうなって、苛立たしい。刻一刻と変化が伝えられるが、取り返しのつかない状態にまで至った時、作業者はどのように脱出し、またその後原発の処理をどう手がけるのか、津波で被害に遭った人々の生活改善の一方で、放射能の拡散によって直接地震の被害はなかった地域にまで大きな影響が及ばないとも限らず、恐怖心が日々高まる。昨日の深夜、NHKのニュースで、福島第一原発の津波後の上空からの映像が映ったが、最も海辺に近いところに位置していた諸施設がみな消えていた。つまり、緊急時の利用のために設けていたものが全滅で、そのために原子炉がおかしなことになって来たようだ。津波の高さを侮っていたためだが、建って半世紀の原発が、1000年に一度の地震に遭遇して被害を受けるとは、まんが悪いとしか言いようがない。あるいは、1000年後には、1000年前の現在を振り返って、当時はよくぞあんな危険きわまる原発で電気を得ていたと思うようになるだろうか。そうあってほしいものだが、1000年後はまた別のやっかいな問題を抱えているに違いない。1000年経っても絶対になくならないのは、人をいい気分にさせる酒だろう。昨日掲げた写真は、天王山の麓、大山崎にあるサントリーのウィスキー工場の蒸留用の釜で、炉と呼んでもいいだろう。
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 この工場に13日に行って来た。低迷か酩酊か、いずれにしろどうなるかわからない福島原発のニュースを聞くにつけ、こっちも多少酔わねばやっていられない気分で、ごそごそと台所を探すと、いつ入手したのか忘れた箱入りのレミー・マルタンのブランデーが1本出て来たので、それを飲み始めている。TVでは終日地震関連の番組をするのは相変わらずだが、民放ではコマーシャルが入るようになり、またタレントがコメントを述べるワイドショーの体裁で、いよいよ従来の調子が戻って来た。昨夜そうした番組が言っていたが、アニメを放送していると、抗議電話があるとのことだ。被災者の中には精神的に参っている子どももいて、そうした子どもが楽しめるようなアニメ番組も必要なはずで、そこを理解してほしいといった調子であった。このあたりのことは微妙な問題で、被災者とそうでない人の間には思いのギャップがあって、良心的な行為と思ってのことでも、被災者には迷惑なことがあったりする。その代表が自動車で現地へ駆けつけることで、せっかくの救護隊が移動する道を阻むことになる。電話の不通に関しても、地震の被害を受けなかった地域で活発に電話すると、わずかに機能している現地の基地も役立たないそうだ。そのため、電力の消費を各自自粛するのと同様に、なるべく電話もかけない方がよいと言う。ともかく、地震のことは注視し続けるにしても、今日からはほかの話題も書き始めることにする。で、このサントリーの工場には昔から行きたいと思っていたが、手続きなどわからず、行きそびれていた。サントリーのビール工場は長岡京にあって、そこには数年前に息子の車で行って見学した。筆者はビールもいいが、ウィスキー党なので、この工場を見学することは長い間の願望でもあった。それが全く唐突に実現した。急に思い立って当日の朝に予約のための電話をすると、いつもとは違って、10時半と11時半のコースを臨時に増やし、どちらも40名分がすっかり空いていると言う。行楽シーズンが始まりかけて、30分おきに見学出来る態勢を日によっては開始したのだろう。地震があったとはいえ、関西はその影響が全くないようであることがこういうことからもわかる。その臨時の追加見学は、普段設定されている時刻とは違って、電話やインターネットでの予約は出来ず、工場の受付けまで直接訪れて、人員に空きがある場合のみ可能との返事で、おそらく見られるだろうと踏んで、11時半のコースを見るために急いで支度をして出かけた。わが家から電車で25分ほど、それから徒歩で15分ほどだ。天気がよく、コートを脱いで出かけたが、初めて歩く道でもあって、それが旅の気分をかき立てた。
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 阪急の大山崎の駅を下りて西国街道を高槻方面に歩くのだが、この駅の近くにはアサヒビールの大山崎山荘美術館があって、年に2回は利用する。その美術館へ通ずる横道に入らず、西国街道をそのまま直進してJRの山崎駅前まで出て、その横手を線路沿いに歩いて工場に至る。関戸神社の近くに京都と大阪の境の表示があって、島本町に入ったことがわかり、家内はそのまま行くとやがて高槻に着くことを言った。何年か前、家内の兄はそうして高槻から嵐山まで徒歩で来たそうだ。20キロはないので、ちょっとしたハイキングと思えばよい。江戸時代から変らない道筋であるので、歴史に興味のある人は歩いたことがあるだろう。西国街道を大阪に入ってすぐ、道の右手に芭蕉の句碑があった。「ありがたき姿おがまむ杜若」で、杜若の咲く季節にはまだまだ早いが、その頃に匹敵する陽気なので、この句はより鮮やかに記憶に刻まれる。この句は、杜若がありがたい姿を拝むのか、芭蕉が杜若をそのように思って拝むのか、またなぜ杜若がありがたいのか、意味がわからない。そこで調べると、この句碑のある辺りに芭蕉が尊敬する俳諧の始祖である山崎宗鑑が住んでいたとのことだ。つまり、芭蕉はそのことを知ってこの地に立ち寄り、その家跡に杜若が咲いていたのだ。西国街道は京都と大阪を結ぶ重要な道であったので、芭蕉が歩いたのは当然だが、そういう道が今もそのままあって、そこを歩くことは芭蕉の句碑に慣れた者でも印象深い機会だろう。句碑を過ぎると、田舎町っぽい家並みの道となり、その突き当たりにサントリーの工場が見えた。面白いことに右手の焼肉屋の看板に「サントリー・ビール」の文字が見え、地元の人がこの工場を誇っている様子がうかがえる。ネットで印刷したサントリーのホームページの地図によれば、ウィスキー工場はJR山崎駅からすぐのようだが、句碑から正面に工場が見えるまでの数百メートルの街道は省略されている。工場が大きく見えるようなところにまで来ると、右手に踏み切りがあって、慌ててわたった。JRの踏み切りは閉まると長いからだ。わたっている間に予想どおり信号が鳴って踏み切りが閉まり始めた。わたってすぐが工場の玄関で、その左手に、サントリーのひとつのシンボルである小鳥を鋳造して載せた通行禁止の囲いと、その向こうに野晒しの使用済みとなったウィスキーの蒸留釜があった。それは一種の看板につもりだ。壊れた福島原発の原子炉がいつかそれと同じように人々の目に触れるところに設置されることがあるだろうか。
●西国街道を大阪に入る_d0053294_11582516.jpg

by uuuzen | 2011-03-16 11:58 | ●新・嵐山だより
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