被災地の情報がネットでどれほど詳細にわかるだろうと思って、今日はいろいろ調べてみたが、いわき市江名に住んでいる古くからの知り合いの安否がわからない。

電話が通じず、きっと電気も水もガスもストップしているのだろう。行ったことはないが、グーグル・アースで調べると、海辺より少し高台で奥まったところに家があるようなので、津波の被害はなかったと思うが、何年も前の地震では壁にひび割れが出来たと言っていたから、今回はもっと被害を受けたかもしれない。いわき市のホームページによれば、江名の住民は全員避難しているとあったが、誰がどこにいるのかわからない。そういう個人の状態がわかるようになるのはまだまだ先のことだろう。今日はTVで、子どもが塾に行っている間に助かり、一方、親は津波に飲み込まれたかもしれず、子どもの顔が半泣きであったのが哀れであった。どれほど心細いかも思う。今回の地震で孤児が多く生じるかもしれない。先日のTVではそうした孤児の実状をレポートしていた。18歳になると施設を出ねばならず、その時国から25万円ほどもらえるだけで、その後は周囲の偏見もある中、仕事を含めて一切を自分ひとりで切り盛りして生きて行くことを強いられる。地震の影響が後々まで尾を引いて、人々の生活を狂わせて行く。それでもお互い探し合っていた親子や夫婦が顔を合わせることが出来て、命だけは助かったと安堵する様子を見ていると、生きていればまた夢を抱くことが出来る現実を思い知る。それにしても地震学者は学者の中でも最も学者と呼ぶにふさわしくない人種と思える。科学者は霊感を科学的でないと否定し、嘲笑するが、科学的で頭がいいと自惚れている学者が、1000年に1回ともいう今回の地震を予想出来なかったのは、穀潰しもいいところだ。誰もそんな非難をしないので筆者が書いておく。昨夜はそうした地震学者のひとりが、明日また起きるかもしれないし、1000年後かもしれないと堂々と言い放っていた。それは聞いて呆れる無責任と言うべきものだ。同じことなら、学者でなくても小学生でも言える。明日か1000年先かわからないで、地震の何を研究するのか。一般人はいつ大地震が来るのか、それが知りたいのに、「自然災害ですからいつかわかりません」では、地震が学問の対象となる分野ではないことを自ら言っているも同然だ。卑弥呼時代の霊感占の方がまだ当たったのではないか。いや、きっとそうだ。人間には予兆能力が備わっているはずだ。それを馬鹿にする科学者こそ、実はそうした本能が衰退した大馬鹿者だろう。何でも科学的にと言うが、人間の科学など、自然のごくごく一部のことを扱うに過ぎない。また、地震学者がTVに出て冷静に話しているのを聞くと、こういう連中に高額の給料を支払っている学校も同じ罪があると思えて来る。1000年に一度の大地震を、地震学者の誰も予感出来なかったとすれば、そのこと自体、地震に学問は一切不要ということを完全に証明している。もう日本には無責任きわまる地震学者など、不要ということをみんなが主張すべきだ。地震を学問するとは、地震によって人の命が奪われないことに少しでも役立てることが大義であるはずだ。それがそうでないのであれば、何の意味もないことを研究しているのであって、自分たちを恥ずかしく思わないのだろうか。人のためにならない学問など、学問と言えるか。歌手や料理人の方が何倍も値打ちがある。

さて、今月の3日、税金を申告に行く途中、バスの中で飛行船が浮かんでいるのを見た。
「年末の連鎖思考、後編」に載せた写真と同じものだ。毎日京都のどこかで浮かんでいるようだ。バス停を2、3過ぎたところで下車したが、飛行船が浮かんでいる方向にバスが向かったのと、また飛行船がバスの走る方向に向かって飛んで来たこともあって、最初に見た米粒大が、筆者がバスを下りて税務署前辺りに来た時には、ほとんど頭上に近いところにやって来た。写真を撮ろうとカメラを取り出したところ、大風が地上でも上空でも吹き、筆者が手間取るのと同じく、飛行船は風で流され、また胴体が一部凹んだ。シャッターを押した直後に俳句をひねった。それが「飛行船春の嵐にユラユラリ」だが、最後の「ユラユラリ」の「ラリ」は薬物で酩酊状態になっている俗語にも引っかけている。風で一時上空で止ったかに見えた飛行船はすぐに船首を来た方向に変え、筆者から遠ざかり始めた。風の抵抗を受けず、それにうまく乗ったようであった。そして、胴体を凹まずことはなく、またゆうゆうゆうぜんと西の空に去った。この飛行船を日本とみなせば、今回の大地震は胴体を凹ました春の嵐であってほしいものだ。ぶくぶく太っている点で、日本を飛行船にたとえるのはあながち間違っているとは思えないし、それが時に動きをユラリラリとぎくしゃくさせるのも、いかにも日本らしいではないか。そうは言っても、全体としてはともかく浮かんでいる。実はこの3日に撮った飛行船の写真は地震の2、3日前からいつこのブログに載せようかと思っていた。それが今日になったが、地震があったことでかえって今頃がふさわしい気がしている。同じ3日に撮った写真に、
「節分過ぎの雑感、その2」に載せた小川沿いの梅の古木のその後のものがある。そして、今日はとても陽気がよくて、コートを脱いで電車に乗って出かけたが、その帰りの夕暮れにまた撮った。10日ぶりのことだ。正確に言えば2日ほど前が満開であった。大地震があった頃に満開とは、自然は災害に関係なく移ろい、枯れて見えていたものがまた開花するという復活の意志を見せてくれているように思える。悲しいことがあれば、自然もまた悲しく見えることを筆者はよく知っている。だが、悲しみはいずれ過ぎ去ることも知っている。行く手を阻むものがあっても、ゆうゆうゆうぜんと進んで行かねばならない。