揺れを感じなかったのは建物がまだ新しく、地震に対しても強固に出来ていたからか、あるいは同行した鳥博士さんと話に熱心になっていたからか。
今日は信楽のMIHO MUSEUMの芦雪展の招待日で、それを見に行き、帰途につくためにエントランスから出ようとした時、カウンターに東北で地震があったことが告知されていた。そして京都駅まで向かう送迎バスの中ではTVがつけられ、そこで初めて地震の規模などがおぼろげにわかり始めた。鳥博士さんと食事をした後、夜9時前に阪急電車に乗った途端、去年他の地域の自治会長を担当した人と出会った。隣同士に座って地震の話を訊くと、「えらいことでっせ。京都はその点地震が少なくていいですなあ」などと返事があって、続いて地震の規模をいろいろと話してくれた。その人は昼間家にいて、地震のニュースがあってから郵便局に勤めに出たので、様子をよく知っていたのだ。帰宅後に家内に訊くと、勤務している大学でも大波のような地震があり、酔ったような気分になって気分が悪くなったそうだ。周囲にいた先生たちも大騒ぎとなり、夕方東京へ向かう必要のあった人たちはそれがかなわないことを知って慌てていたという。帰宅後3時間、TVをつけ放しにしているが、どのチャンネルでも地震のニュースばかりだ。千葉に住む家内の弟の家に電話するとつながらない。東京では帰宅出来ない人が各地で夜を明かすことになっている。また、阪神淡路大震災の時と同じように、時間が経つにつれて被害が報告され、また報告がなくても火事などが拡大している。信楽から京都駅についた時はどこかの港のコンビナートの石油タンクが爆発していると言っていたが、さきほどのTVの画面では気仙沼の市外が真っ赤に燃えている様子が映っていた。稀に見る広域地震で、500年や1000年に一度の規模ではないかとうことだ。今度どこまで死者が増えるか予想がつかない。いつも地震があって津波注意予報が発令され、その高さが10センチやそこらばかりなので、津波の被害はあまりピンと来ないが、スマトラ大地震の映像ではその恐ろしさをよく知っており、それと同じ光景が東北の港町では生じた。余震が数日は続くという。連鎖的に他の断層が動いて、近畿でも近いうちに大きな地震がないとも限らない。とはいえ、いつやって来るかさっぱりわからないのが地震で、注意して避難を避けられるものでもない。そう言えば今思い出した。今朝は朝8時に目覚めたが、その時、いつもは全く意識しない枕元近くの箪笥の最上部をぼんやり見つめた。そして思ったことは、『眠っている間に地震が来れば、あの人形のケースや本箱が顔面を直撃して血だらけか即死かな』であった。つまり、地震を予感したのだ。そして次に、『けれどあの人形ケースや本箱を移動する場所はないから、移動するなら自分たちの寝床全体を隣の家に移すかな。そのためには数百万縁の改装費がかかるから無理か……』と思ったが、もちろんそれらのことはそれっきりすっかり忘れた。それを今こうして書いていて思い出したのは、筆者にも多少は地震を予感する動物的本能があるということか。人形ケースや本箱を移動しても、箪笥は動かしようがなく、それが倒れてくれば下敷きとなって動けないだろう。地震が来るなら、せいぜいこうして起きている間であってほしいものだ。