営業開始の3日前、7月17日だったと思う。ムーギョ・モンガに行く途中、松尾駅前を通る時、男性から駐輪場オープン予告のチラシをもらった。自転車180台、原付50CC以下が20台利用可能で、前者は1日150円、後者が250円だ。

満車の場合1日で32000円の売り上げ、1年で1168万で、工事費や設備費の回収は10年ほどかかるかもしれない。チラシの右下隅に小さく管理者と整備主体が記されている。前者は京都に本社がある株式会社で、後者は京都市建設局土木管理部自転車政策課となっている。この駐輪場の建設に向けては、筆者が所属する自治連合会が陳情を繰り返して実現したが、つい先日配布されたある市会議員の宣伝誌には、この駐輪場の実現に際してその議員が所属する政党が動いたことが書かれていた。それがどこまで正しいのかどうか知らないが、そういうことを書く自体、この駐輪場が地元住民の願いであったことを表わしてもいる。駐輪場の土地が誰のものであるか、あるいはあったのか。管理者の株式会社が購入して建設と経営をするようになったとすれば、入札があったはずだが、そういう立ち入ったことはわからない。そこが微妙にこの駐輪場を謎めいたものにしていて、筆者は手放しでは喜べない。そこには、以前あったカリンの木や自然がなくなってしまったという思いも反映している。この駐輪場は自治連合会の南端に位置し、筆者が会長を務める北端の自治会にとっては縁遠い。そのため、駐輪場設置の運動は駐輪場近隣の数か所の自治会が中心となり、わが自治会にはほとんど推移を知らされることはなかった。そのこともあって、工事業者や経営団体に関しての情報が伝わらなかったのだろう。完成直後から好評で、すぐに満杯になり、また近くの橋のたもとなどに停められていた自転車が激減したそうだ。とはいえ、完全になくなるはずはなく、今後も取り締まりは続く。またこの付近は家がまだ新たに建つ土地があるので、現在の規模ではやがて足りなくなるだろう。確保出来る土地の面積から収容可能な台数が限定されるから、地域で何台分が必要かは調査しなかったはずだ。そして、その見込み違いが、停めるに停められない者に今までどおりに路上駐輪をさせている面が幾分かはあるに違いない。また1日150円は他の駐輪場を参考に相場として決められたと思うが、月に4000円ほどになり、これは毎月中古自転車1台が買える分で、筆者はもったいないように感じる。それはわが家が駅のすぐそばで、また自転車をほとんど使わず、歩くことで運動になると考えていることにもよる。
この駐輪場の成功によって、自治連合会会長から、阪急嵐山駅前の現在の駐輪を同じように料金を取ってしっかりと管理する方向を目指しているようであることを耳にした。ところが松尾とは違って、駐輪者の大半は渡月橋向こうの嵯峨地区の住民で、整備するとなれば、土地を所有する阪急と、整備主体としては西京と右京が連携する必要もあるだろう。これが松尾駅の場合とは異なって、多少ややこしいのではないか。2か月ほど前に聞いたが、阪急が駐輪を禁止しているこの竹藪沿いの空き地には以前大きな街灯があって、夜に自転車を確認して移動させるのに便利であったそうだ。だが、駅前広場が整備されたこともあって、またその林を照らすことは駐輪を積極的に認めていることになると阪急が思ったのか、街灯は撤去され、夜は真っ暗になったそうだ。そうなると、その付近に住んで犬の散歩に夕方歩き回る人にとっては、大いに不便かつ物騒で、これがどうにかならないものかという意見が出ている。その問題は、松尾駅駐輪場のように整備すれば自ずと解消するが、そうなれば現在のように人が駐輪の間を縫って桜の林を行き来する散歩は許されなくなる。現在は荒れてはいても自然な竹藪や林の風情があって、それはそれでいいものだ。ところが駐輪場になるとコンクリートが敷き詰められ、囲いを作り、その内部に入ることは駐輪者のみ許されることになる。阪急にすればどうせ空いている土地であり、またそこには建物を設けることは無理でもあるので、駐輪を黙認した格好になっているが、地元住民の強い要請があれば、松尾駅駐輪場と同じようなものを作ることに進むだろう。そして、そのためにはまず自治会や連合会が動くことになる。あるいは話を持ちかけられる。そうなった時、自治会や自治連合会の内部で意見がまとまるだろうか。まとまるにはまとまっても、駐輪場が出来た後の予想のつかない事態を見越して、後で気まずいことが極力生じないようにしなければならない。いいと思ってやったことが、長い目で見るとその反対であったということはしばしばある。駐輪場が出来ることはおそらくほとんどの人が賛成だろうが、筆者は自然を残してほしいと思う。使われなくなった自転車が混じっているとはいえ、現在の駐輪は数百台もある。それと同じ台数を駐輪場を作って収容し切れるだろうか。となれば、駐輪場は出来たが、以前同様勝手な駐輪も周辺にそのまま残るという状態になって、結果的に地元にはさっぱり面白くない状況が生ずるにだろう。そのため、現在何台停められているかを調べ、それを充分収容出来る面積が確保出来るのか、その調査がまず先決だ。そして、そういう調査をいったい誰が責任を持ってやるかとなれば、これは後々に大きく影響する問題であるだけに、役所以外の人間は誰も引き受けたがらない。自分が中心になって駐輪場が出来たという自慢だけでは駄目で、本当にそれが理想的な選択で、しかも誰にとっても納得行く規模であったと思われることが大事だ。それに、一旦出来てしまった駐輪場を元の自然な林に戻すことはまず誰もやりたがらないから、駐輪代は上昇し続ける。そしてそうなった時、路上駐輪がまた増加しまいか。新たな仕組みを作るということには慎重でありたいが、先のことは先の者に任せばよいという、勝手な思いが今の日本では大勢を占めているように思える。