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●『ルーシー・リー展』
えが変わるかと半ば期待しながら、ようやく最終日の最終時間の間際にこのルーシー・リー展を見に行った。直前に見たのは、昨日書いた開高健の生誕80年展だ。



●『ルーシー・リー展』_d0053294_1182620.jpg同展の後、その会場となったなんばパークスから徒歩5分ほどのある古本屋に気になっていた絵画を見せてもらいに行くことを計画していたが、とてもその時間がないことに気づき、慌てて地下鉄御堂筋線に乗って、東洋陶磁美術館のある淀屋橋に戻った。このルーシー・リー展はあまりの人気のために、会期途中から午後7時まで開館が延長されたが、午後3時頃、館の前に行くと、今までに見たことのない人の列で、係員が待ち時間40分と言った。それだけ待って入っても、館内は満員であろう。それに、係員は午後6時になるとかなり空くと言うので、先に大阪歴史博物館と、開高健展を見ることにした。開高展が何時までやっているかわからなかったからでもある。また午後3時はまだ早いので、御堂筋を南下して大阪歴史博物館に行き、そこで展覧会を見た後、今度はなんばパークスに行くことにした。なんばパークスは高島屋の南にあって、オープンした当時2、3度行ったことがある。そこで展覧会が開催されたことは今までになかったのではるまいか。あったとしても筆者は初めてだ。それはともかく、開高展をたった20分で見たことは、予想に反して御堂筋を歩くのに時間がかかったことを示す。だが、それなりにその成果はあって、そのことについてはまた機会を見て書く。さて、重要文化財になっている中之島の中央公会堂の正面に位置する東洋陶磁美術館は、その名のとおり、東洋の陶磁器を専門に展示する施設で、そこには陶磁器は東洋が生んだものという自負がある。そのためもあって、この美術館で西洋の陶磁器が展示されたことは今までになかったと記憶する。セーヴルやマイセンなど、ヨーロッパで有名な焼き物があって、それらの作品の紹介は百貨店での展覧会でしばしば開催されるが、東洋陶磁美術館では、断固としてそうした作品に目を向けないという意識が暗にあったように感じられる。だが、朝鮮や中国の有名な陶磁器をひととおり紹介した後では、他のものに目を向ける必要はあろう。また、常設展示ではなく、1か月かそこらの企画展であれば、東洋のものにこだわらず、現在熱い眼差しで見つめられている作品を展示し、朝鮮や中国の古い陶磁器以外に関心を抱く若い世代に足を運んでもらうのはよい。そうでなくても集客に知恵を絞ることが求められる現在、頑固に古いものだけに固執することは反感も招くだろう。そこでというわけでもないだろうが、ルーシー・リーの紹介となった。だがこれは東京から巡回して来たもので、東洋陶磁美術館独自の企画展ではないだろう。その意味で、やはり朝鮮中国の陶磁器を専門に見せる美術館という名目は保たれることになって、ルーシー・リーを皮切りに、今後続々と海外の作家の作品展を開催するということにはならないだろう。そうした展覧会は信楽や丹波にある陶磁器専門の美術館がやればいいし、実際そうなっている。だが、信楽や丹波といった遠方ではなく、大阪の心臓部に位置する東洋陶磁美術館が、もっと柔軟に欧米の現存の作家の紹介をしてもいいのではないか。そうならないのは、先に書いたように、陶磁器は東洋が本場という意識が強いからだ。そして、それは紛れもない事実だ。
●『ルーシー・リー展』_d0053294_121716.jpg

 ルーシー・リー展を見るのはこれが二度目だ。前回は10数年前にあったと思う。亡くなって間もなくの頃か、亡くなる寸前頃だったのではないか。個人展ではなかったかもしれないが、かなりまとまった数の作品を見た記憶がある。その頃からルーシーの人気は高かったが、この10年はさらにそれが顕著になった。先日TVで20代の女性陶芸家を紹介する番組があって、彼女はルーシーを崇拝していて、まさにそれ風の作品を焼く試みをしていた。ルーシーは今では若い女性陶芸家の神のような存在になっている。今回の展覧会も客の9割はそうした若い女性で、ルーシーの生き方に同調し、そのようにして作品を生むことが出来ないかと考えている人が多いのではないか。女性のパワーが強くなって、それが社会的にどんどん認められやすくなって来ているこの2、30年、ルーシーはそのひとつの鑑になっている感がある。男性より女性の方が美に関心が強く、展覧会にはより足を運ぶし、また作家も多いのが現在の実状だが、男から見れば、女性作家の作品はどこか理解を閉ざされたところを感じさせる場合が往々にしてある。ルーシーの作品を敬愛する日本の若い女性陶芸家が作るルーシーのもの真似作品は、同じようにルーシーのことを知り、また陶磁器に関心のある女性が買うなりするが、そういう一連のつながりの中に男性は入り込む隙間がないように感じる。そのため、悪く言えば勝手にしてくれといった感じだ。だが、昨今の日本では男性の女装がもてはやされ、女性が女性作家を崇拝するという構造に対して理解を示さない男性は、女性から徹底して嫌われるか疎外されるのが落ちで、女装でもして女性からもてはやされる術を身につけねばならない。であるから、男性の女装を悪い意味でのゲテモノの最たるものと感じる筆者は、女性からも、また女装趣味の男性からも嫌われるはずだが、それでも一向にけっこうという気分がある。ここまで書くと、筆者がルーシーの作品をどう感じたかを示しているようなものだ。10数年前に見た時、筆者は正直なところ、さっぱりいいとは思わなかった。そこには東洋の陶磁器の味は皆無で、全く別の眼差しを適用する必要があると感じたし、またそうであってもその時間は筆者にはないと思えた。だが、その後ルーシーが頻繁に紹介され、人気が高まっていることを知り、また今回のように展覧会があることを知ると、前に見た印象の修正が生じるかもしれないという思いがあって、とにかくまたじっくり見てみようという気になった。だが、結果を先に書くと、10数年前に見た時とほとんど同じで、心にはさほど響かなかった。これは筆者の感受性の乏しさを証明するかもしれないが、あまり好みではない有名な存在があって当然であるし、それはそれで筆者の好みをよく表わし、いいことではないかと思っている。
 日本の無名同然の若い女性陶芸家がルーシーの作品に魅せられるというのは、ルーシーが結婚せず、生涯陶芸に打ち込んで最終的に世界的名声を得たという、その孤高的な生き方が格好よく、またそのことが作品に滲み出ているからだろう。だが、ルーシーが生涯かけて手に入れたものを真似しても、それはほとんど意味がない。重要なことはルーシーが何を規範に独自なものを生み出したかだ。ルーシーが規範としたのは、当然のことながら先輩格に当たる作家の作品だが、それを突き詰めると、朝鮮や中国のものになるはずだ。今回初めて知ったが、ルーシーは李朝の白磁の壷を生涯大切にしていた。それは東京展では展示されたが、大阪には持って来られなかった。図録は買わなかったが、そこにはその白磁の図版が掲載され、高さは47センチ程度ではなかったかと思う。よく似たものは東洋陶磁美術館にあるし、日本では珍しくないが、そういう壷をルーシーが所有し、ひとつの規範として見つめていたことは興味深い。その壷はイギリスでは代表的大御所であったバーナード・リーチから譲られたものであったと思うが、戦前オーストリアからイギリスに亡命したルーシーは、リーチに面会し、彼に認めてもらうことによって陶芸家として生計を立てることが出来るという現実を知った。リーチはルーシーの作品をべた誉めしなかったが、両者はそれなりに交友し、ルーシーはリーチにはない味をやがて表現出来るようになった。それは多色の釉薬であっても焼成は1回であり、また通常は失敗作とみなされる釉薬の斑点状の破裂を逆手に取って、全体にそれをくまなく生じさせる溶岩釉という技法を見出すなど、釉薬の実験にはたゆまぬ努力を重ねた。だが、これはどんな陶芸家でもある程度はやることだ。またルーシーの釉薬は思ったほど多彩ではなく、好みの色合いはごく限られる。そのわずかな色合いの組み合わせによって全体に多彩さを感じさせる。そういうルーシーは長年売れず、有名になるのは60を超えてからであったが、それは言い替えればリーチの作風とは違い、イギリスのそれまでの陶芸の好みから外れていたことを示すだろう。リーチはイギリスのスリップウェアの伝統に東洋の陶磁器の味わいを加えたが、ウィーンで陶芸を始めたルーシーにとっては、リーチや日本の民芸の陶磁器は馴染みのうすいものであったろう。ルーシーはユダヤ人で、本名はいかにもそれ風だが、イギリスに住むようになってから、その名前を捨てた。彼女の作品の色合いや形にはウィーンの味わいが強いが、そこにイギリスのピューリタニズムの味わいが加わったようにも思える。それは李朝の白磁を手元に置いていたことも影響しているだろうが、清潔という言葉がいかにもふいさわしいそのわずかな色合いの中に多彩が感じられ、またそのことが化粧をした尼僧を連想させる。一方、李朝の白磁は、全くの無名の貧しい職人で、しかも力強い豪放な人柄を伝える。化粧をした尼が悪いと言うのではないが、それは通常の尼より近寄り難いものを感じさせる。そして筆者は男だが、そうした美しい尼よりも、飾り気のない男の職人と談笑したい。おそらく日本の陶芸好きの若い女性はその反対で、美しい尼のようになって、それを体現する作品を生みたいと思っているのだろう。個人的な趣味を言えば、筆者はそういう女性に関心がない。ここにはかなりの男尊女卑の思いがあると思われがちだが、女性の作品を概して評価しない筆者にはそういう思いが大きいと思われても仕方のないところがある。これは先に書いたように、女性作家が女性に愛されるという構造には男性が入り込める隙間がないことによる。
 ルーシーが李朝の白磁を見つめながら、結局色を用いた作品を作り続けたことは、化粧の言葉を連想させても仕方がない。もちろんルーシーには真っ白な作品もあるが、器の形、たとえば平たくて大きい鉢の開口部が、女性の大きな帽子のつばのように曲がっているところに、モダンなファッション性や化粧らしさがある。それは素っ気ないようでいて、飾る思いが強い。またこの飾る思いは男性にもある普遍的なものであるから、決して否定されるべき条件ではないが、李朝の白磁壷においては飾る意識は極限まで少なくされ、作者や当時の時代の意識がむき出しになっている。では、国も時代も違うイギリスではそれにしたがって新たな陶磁器が出現して当然であり、そのひとつの代表がルーシーということになるが、李朝の無名の作家という存在に対する、ルーシーという名を主張する作家の作品は、比較することが土台無理という側面はあるとしても、作品自体の存在感、圧倒感からすれば、李朝のものがより安心して見られるうえ、また絶対的で極限の美をかもしていると思える。そうしたよけいなものを一切削ぎ落としたところに屹立する作品を目の前にして、たいていの作家は手先の器用させ勝負するか、華やかな色合いや形で対向するしか道はないだろう。そしてルーシーは化粧を知る女性であり、色合いや形など、まるで衣装のように作品を考え続けたように思える。化粧は悪く言えば虚飾であり、それは李朝の白磁とは正反対なものだ。ルーシーは李朝の壷を目の前にしながら、どういう作品を目指すことを考えたか。それは今回の展覧会の200点ほどの作品を見てわかるように、釉薬の美であり、また独自の完成された形態であったが、李朝の器を見た目からすれば、それは本質以外の何か不随的なものを多分にまとったものに見える。それを女性の化粧と先に書いたが、陶磁器は元来釉薬を化粧と呼んで、女性的なものとみなすことが出来るし、またそこをルーシーは早々と認識して釉薬の研究に勤しんだのであろう。まずどんな色合いでも表現出来る技術を身につけ、そこから好みの色を見つけるという方法であったのだろう。そこには陶芸で食べて行くには、自在な表現技術を持たねばならないという切迫した思いがあったに違いない。リーチのお墨つきをもらえなければ食べてはいけないという意見は、ルーシーのストイックな作品からすれば意外に生臭い印象を与えるが、作品が売れてこそ名も上がり、またなお先に進むことが出来るのが現実で、ルーシーが有名になったのは、とにかくまず食べることに不自由はしないという思いがあったはずだ。それは尼僧の生活とは違って不純さを感じさせはするが、物づくり生活は必ずどう作品を売って食べて行くかという問題を抜きにすることは出来ず、その点は李朝の無名の陶芸職人も同じであったと言える。だが、ルーシーのような有名を目指して経済的安定も求めるというのと、どうあがいても無名の職人でしかない者とでは、作品に本質的な差が出るのではないか。どちらも覚悟した生き方と卓抜な技術が求められるが、無名で甘んじるところに、作品に安らぎや解放感がより具わるように思う。
 この美術館は2階が展示室になっていて、階段を上がるとすぐ右手に小さな部屋があって、いつもはそこで企画展が開催されるが、今回はルーシーのインタヴュー映像が字幕つきで放映されていた。あまりの大勢の人で、筆者はその隙間から2分ほど見ただけだが、轆轤を操りながら作品を作る様子は想像どおりであった。筆者が見た製作風景は、毒茸を思わせる花瓶だ。同じ形のものをルーシーは量産し、代表作のひとつになっている。毒茸と書いたが、まさにそうした平たいラッパ状の口部を持ち、胴は細長い筒だ。これは一度で轆轤整形出来ず、胴部分と開口部分を別々に作ってつなぐ。この器の形は中国青磁の砧型の壷をヒントにしたものに思えるが、それよりもウィーンの森に生えている毒茸に近い。つまり、ルーシーの作品は朝鮮や中国のものを見つめながら西洋でしかあり得ないものを表現している。そうした作品を愛好する日本の若い女性は、もはや日本において朝鮮や中国の古い陶磁器は文字どおり古いものであって親近感がなく、西洋化した日本はもはや完全な西洋国家であることを実感しているのだろう。これはルーシーを通じていつか朝鮮や中国の陶磁器の味を知るかもしれないことを想像させはするが、その期待はほとんど出来ないのではないか。ルーシーが見つめた李朝の白磁を見つめて、ルーシーとは全く違う創造に向かうというのではなく、ルーシーを通して李朝を知り、結局ルーシーの拙い模倣に終わるしかないだろう。ルーシーの人気が高いのは歓迎すべきことだが、もっと原点を見つめる必要があるのではないか。だが、ルーシーは李朝の陶磁の及ばぬ境地に至ったものという絶賛を唱える方が歓迎される。西洋の毒茸を思わせるルーシーの壷は、極地にある李朝ものをもっと現代の空間や思想に馴染ませるために何らかの装飾がほしいという思いの産物だが、そこに女性の本質としての化粧の意識が重なった。筆者は女性の化粧はノー・メイクよりはるかに好きで、むしろ真っ赤な爪先や唇を美しいと思うが、ルーシーの作品はそうした観点からすれば、かなり控えめな色合いだ。それで先に尼僧と書いた。1回の焼成で多色を表現するが、これはかつて期限が限られ、複数の焼成が出来なかったことによる。何が幸いするかわからない面白さが陶芸にあって、ルーシーは従来のタブーを次々と破った。とはいえ、掻き落としの技法や器の形など、東洋の陶磁から大きな影響を被っている。ルーシーの作品の禁欲さは李朝の白磁壷に通じている。そのため長い歴史で捉えると、ルーシーの作品は李朝の陶磁器に類するものという評価が数百年後には定まっているかもしれない。
by uuuzen | 2011-02-26 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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