2009年10月03日●第 132 話
マニマンの散歩道に木製の古い灯篭が立っていました。つい先日、それを所有する家が改築された際、灯篭も白木で作り替えられました。灯篭の内部には御守り札が入っていて、それはマニマンの家から見える最も高い山の頂上にある神社が発行しているものです。マニマンの知る限り、以前の灯篭の内部に灯りが入ったことはなく、新しいものもきっとそうでしょう。その灯篭は、正面左の側面には太陽を示す円形、右の側面には三日月の形に穴が空けられています。正面の窓以外に、それらの穴からも内部の灯りが見える仕組みですが、格好だけの灯篭ですから、太陽と月の間の空間はいつも真っ暗です。マニマンはそれを思うとさびしくなります。日と月の間に闇しかないとすれば、日と月がその闇を明るくすべきです。マニマンは円形の窓からその向こうの三日月の窓を覗いてみました。やはり灯篭の内部は真っ暗ですが、三日月窓の向こうに景色が見え、女性がひとりこちらに歩いて来ました。その女性はマニマンが日と月とその間の闇を通して見つめていることを知りません。でも、マニマンは心を明るくしようと思うのでした。※
今日の掲載の
「日と月の間」は気に入っている題名で、これは「日月明雑感」に由来する。そしてこの「日月明雑感」を新ブログの題名にするか、あるいは新カテゴリーの題名にするかを考えたことがある。あるいは今も考えている。それはさておき、今日で「おにおにっ記 フィナーレ」はまた区切りを迎える。今日までの分が書き終えていたものだ。いずれ「フィナーレ」のパート4としてまた再開するが、そのためのネタは写真を用意してあるのみで、また少しずつ見つけては増やしている。その回数は10から20までの間になるはずで、溜め込んでいるネタから選ぶことになる。そして、それらを掲載し終われば、本当に「おにおにっ記」の全体が終わる。総まとめの思いはその時に書く。何度も予告しているように、次は嵐山駅前の変化シリーズを始め、2か月程度は続けるつもりでいる。その前に区切りとして、今月いっぱいは別の長文ネタで埋める。とはいえ、目下あまりに多忙で、滞るかもしれない。筆者のそういう思いを反映してか、ここ数日は訪問者は激減している。このことは、熱く向かう何かに対して人はそれに反応することを示すように思う。ブログに熱くなると言っても、筆者のブログはほとんど無反応のものであるから、熱くなるのもほどほどにすべきか。数日前から鼻炎となって、クシャミと鼻汁がよく出る。花粉の影響だろう。まだ2月なのに4月並みの陽気があって、気分はもう春だが、また寒さはぶり返すに違いない。心を明るくして、また徒歩徒歩と一歩ずつの毎日だ。