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●節分過ぎの雑感、その1
のない夜空にくっきりと満月が浮かんでいた。昨夜、桂駅のプラットホームに立って何気なく正面の空を見上げた時に眼にまともに入った。



一昨日の夜はスーパーに向いながら、「明日は満月だな」と思いながら月を見つめたが、一晩寝るとそんなことはすっかり忘れてしまった。天気のつごうもあって毎月満月が見られるとは限らない。昨夜は満月から見てほしいとささやかれたようにして気がつき、満月を見た瞬間にはっとした。いつも満月を見るとはっとする。それは予期しない時に美人を見かけるのと似ている。ま、あまり美人美人と男が言うので、自分が美人とは思わない女性はなおさら悩むことになるから、男はあまり美人の話題をしない方がいい。それに、美人は男によってさまざまで、絶対的美人など存在しないことをすべての女性は思えばいい。それはともかく、昨夜はカメラを持って出かけなかったので、満月を仰ぎながら、心にその映像を留めた。その方がかえって明確な映像が記憶されるようにも思う。写真を撮るとそれで満足してしまいがちで、またその写真はだいたいにおいて現実に見た時の思いとは異なる部分を多く有する。それはあたりまえのことで、写真は写真、現実の体験は体験で、双方は別物だ。また、昨夜はカメラがなくて残念と思ったのはほんの最初だけで、撮影しても、目で見るのとは違ってぶれたり、変な光が入ったりして、せっかくの鮮明な満月のイメージが崩れるではないかとすぐに思い直した。それはかなりの部分はカメラが安物であることが原因だが、いいカメラであっても筆者の腕前では望むような、つまり目で見て感じたような写真は撮影出来ないだろう。それはさておき、ここ2、3週間は仕事に没頭しているため、長文を書く気になれない。そういう時のために以前書き溜めておいた「おにおにっ記」は役立つ。だが、それも残すところ数日で、それが終わればまた阪急嵐山駅前の変化に移る。ところがそれは、写真は以前に撮ったものを使うとしても、添える文章は投稿日に書かねばならず、そのための時間や内容があるのかどうか多少心配でもある。それと同じほど大変なのは、冒頭の一字として今まで使ったことのないものを見つけることだ。思いつく文字はたいてい使ったことがあって、だぶりのない文字を探すのに毎回数分以上要する。そんなどうでもよいこだわりはさっさと捨てて、以前使ったものとだぶってもいいではないかと思いつつ、せっかく続けているのであるから、もう少し持続させたい気持ちも大きい。そして、今日は連続投稿2100日目で、これはかなり中途半端な数字であるから、もっと区切りのいいところまで冒頭の一字がだぶらない状態を続けたい。
 長文の投稿がしばらく滞っているとはいえ、書くべき内容はある。もう数日すればそれをまたしばらく続けるつもりでいるが、仕事との兼ね合いがどうなるか。自治会の仕事は2、3月はちょうど年度末で、大きな行事はない。とはいえ、4月から始まる来年度も続けて会長をやらねばならず、また来月中に各役員を選出する必要もあって、率先して動かねばならない日がいくつかある。また、税金の申告もある。ほとんど無収入の筆者でも、申告というのはお笑いで、担当者によっては申告は不要と言ってくれたりもするが、たまには税金を払うほど収入もあるので、その言葉を鵜呑みには出来ない。申告のための書類書き込みのために毎年丸2日ほどを要し、暇そうに見えても2、3月は意外と短い。今日は展覧会の感想でも書こうと思いながら、どうでもよい雑感を綴っている。たまにそういう日があってもいいか。先日従妹の主人が亡くなって、その葬儀で筆者より5歳年長の従兄としばし話をした。実際はもっとたくさんの親類と話したが、それらを書き始めるときりがないから、印象に残ったことを書くと、5歳年長の従兄が言うには、せいぜい生きて後20年で、それも運がよければの話ということであった。全くそのとおりで、体が元気で、思うことを存分に出来るのはせいぜい10年かもしれない。10年前のことをつい先日のことのように記憶するから、これからの10年はまたたく間に過ぎるだろう。であるから、好きなことをせいぜいするようにと言われたが、筆者はそのようにして生きて来たから、あまり思い残すことはない。欲を言えばきりがない。もう少しましな仕事を残しておきたいと常に思ってはいるが、そうした満足はいつまで経っても得られないに違いない。先に伸ばす気持ちになっては駄目で、今この瞬間にやっていることがそのまま本番と思わねばならない。なかなかそういう思いにはなれないものだが、もう覚悟を決めて、いつも真剣勝負の本番であるべきことを自覚すべき年齢だ。
 裏庭の向こうの小川沿いの細道の瓦礫発掘は8割程度が完了したが、この作業に没頭すると、2、3時間はすぐに過ぎ去る。雑草や竹の根が45リットルのゴミ袋に換算して6、7杯分も出た。これ以外に瓦礫が同じほどあって、それらを全部除去すると、地面が全体に50センチほど低くなった。そこに以前棕櫚の木を植え替えたことを書いたが、1週間ほど前、目立って枯れ始めた。やはり根づかなかったのだ。そうなればさっさと抜き、ノコギリで細かくしてゴミとして捨てるしかない。まだあちこち大きな穴を掘ったままで、根も全部取り除いていないが、3月中にはきれいにして何か植えるつもりでいる。理想は梅の木だ。大きなものが5、6本は植えられるほどの空間はある。だが、以前に書いたように、その小川沿いの小道は筆者の所有かどうか不明で、勝手に木を植えると役所から除去命令が来るかもしれない。その可能性はほとんどゼロに近いはずだが、それでも他人に後ろ指をさされたくないから、一度区役所あたりに訊ねてみるべきだろう。また、梅の木は大きくなって実が出来るまでには10年以上かかるから、毎年少しずつ大きくなって行くのであれば、誰も気づかず、とがめることはないだろう。そんな長期の計画を立てながら、梅の実が充分育つ頃まで筆者が生きているのかどうか、そんなことも考えないでもない。「そういつまでもあると思うな、この人生」で、何かを新たに育てることより、むしろ少しずつ整理して身辺をきれいにし始めるべきだろう。そう思うからこそ、急に瓦礫を掘り出して処分することを思い立ったと言ってよいか。瓦礫の上にまた瓦礫が捨てられるのは、そこに人が通らず、また筆者が長年文句を言わなかったからだが、裏庭の延長のその小道をまずきれいにしておけば、毎年梅雨前の小川の清掃時に、清掃員が小川の中のゴミや石、藻などを放り上げないはずで、何事もきれいにしておくべきなのだ。これは身なりや態度についても言える。そんなあたりまえのことが、この年齢になってようやくわかり始めた。その延長ではないが、駅前広場やその横の駐輪場内に捨てられている空き缶やペット・ボトルを、見かけた時には拾って正しい場所に処分するようになった。そのように目につくところを少しでもきれいにすると気分がよい。そんな気分でいるところに、1メートル目前を目白の群れが飛び回ったりする。春が接近して来ている。筆者は8月生まれだが、2月が一番好きな月かもしれない。日が毎日長くなって行き、寒さが少しずつ和らいで行く。
by uuuzen | 2011-02-19 23:59 | ●新・嵐山だより
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