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●『18・29~妻が突然18歳?~』
劇か喜劇かどちらが韓国のTVドラマに多いのか、それを調べると国民性と時代の好みの変遷がわかるだろうが、悲劇とも喜劇とも言えないものがあるし、また悲劇的なものでも必ず喜劇的なキャラクターを起用して笑いの部分を忘れない。



この喜劇的な部分の挿入はハリウッド映画には常套的にあったものだ。韓国ドラマは今までの映画や日本のTVドラマなど、先行するドラマを学びながら、時代の好みに応じていて、しかも今後どう変化して行くかわからない興味もある。今日採り上げるドラマは、2005年製作で全16話、タイトルからわかるように若い女性向きの内容だ。しかも現実にはあり得ない出来事を主軸にしたものであるから、時間がたっぷりあれば見てもいいかという内容だ。そうでない人は最初の回で見るのをやめるだろう。先日まで京都テレビで毎週やっていたのを欠かさずに見たが、家内はどこが面白いのかと傍で言いながらたまに筆者に筋書きを訊ねるだけであった。また、筆者も熱心に見たのではない。それでも最後まで見たのは、何ともほんわかとした明るさと、書くべきことが何かありはしまいかという思いであった。このドラマの特質を最終回を見る以前から思い続けていたが、結論として、ひとつにはナンセンスの面白さという考えに到達した。ナンセンスな漫画を思えばよい。実際このドラマは漫画をもとにしたものと思えるほどで、そうでないしろ、漫画にすれば実にぴったりのじゃずだ。漫画は漫画だけに通用する手法があって、またナンセンス漫画は筆者が大いに好むところだが、俳優が演技するドラマでナンセンスものとなれば、それなりの工夫がいる。ところが、このドラマはそうした考えを徹底したものではない。つまり、ナンセンスの面白さを意図したものではなく、他に明確な主張、夫婦は円満であるべし、子どもが出来れば丸く収まるという、きわめて古典的な考えがある。そのため、その主張の観点から見ると、それなりに納得はさせられる内容ではあるが、その主張はほとんど最初の回からわかるもので、最後までどんでん返しがあるかもしれないといったはらはら感はない。ほとんどいつどのように終わってもかまわない惰性的で、またごつごう主義的なストーリー展開で、どの仕組みや配役も使い古された月並みなものだ。筆者のような世代にとっては退屈のひとことに尽きると言ってよいが、若い女性はそうではないだろう。韓国ドラマも見る世代を意識して、幅が狭くなって来ていると言える。とはいえ、このドラマが若い女性以外の人々にもそれなりに見せるのは、主役の夫婦ボンマンとヘチャンの演技の秀逸さによる。それを見届けるのが最大の関心として筆者は見続けたが、これは家内も同じ意見で、これが無名に近い俳優が主役になっていれば、全くどうしようもない最悪のドラマになったであろう。現在のボンマンを演ずるリュ・スヨンは『ラストダンスは私と一緒に』でチソンの相手をした悪役で、妻のヘチャンは『真実』で悪役を演じたパク・ソニョンで、そこではチェ・ジウの演技を食って見事であった。この両者が一転して好人物をこのドラマでは演じていて、そこに韓国の俳優の実力を見る。
 監督がナンセンスさをどの程度意識したかだが、それは脚本を読んだ段階からわかっていたはずだ。脚本家はナンセンスさを、それを求めず、もっと真摯な何かを期待する人の意識に応じて変化させる苦心をした結果、頑迷な考えで一家を支配している高齢の祖父や、またその孫、つまりこのドラマの主役の男性ボンマンを見捨ててアメリカに去り、また姿を現わした母、あるいはボンマンの聾唖の弟といった、他のシリアスな韓国ドラマにはよく登場するような人物を設定して、物語に現実味を持たせることを意図したが、そのことが全体としていかにも儒教国家の韓国を表現していることになったのは、さすが言うか、また一方ではナンセンスものに徹し切れないもどかしさをあらわにしている。韓国にも本物のナンセンスなドラマがあるのかどうか、あるとすれば映画かと思う。TVの連続ドラマは、スポンサーもあって大勢の人を対象にする必要上、凝ったナンセンスものを提供することは難しいだろう。それは国家の経済の成熟具合とも関係したことに思うが、それだけでもない。また、国家によってどういうものをナンセンスと捉えるかの差もある。どの国家でもお笑い芸人はいるから、ナンセンスものは国境を越えるはずだが、ナンセンスを基調としながら、そこに何か別のものを附加する必要を思いがちであるのが韓国ドラマではないか。そのひとつの代表がこのドラマに思える。そのナンセンスさの条件となったものは、妻ヘチャンが交通事故に遭って、29歳から18歳の意識に戻ってしまったという設定だ。『冬のソナタ』でも馴染みとなった記憶喪失は、韓国ドラマでは例が実に多く、そのあまりに安易な手法は、シリアスなものを好みがちな日本からすれば眉をひそめるものとなっているが、その点から言えば、韓国の方が日本よりもナンセンスものが愛好されると見てよい。この場合のナンセンスは、ドラマは結局は作り事であって、現実にあり得ないような出来事を含めてそれらを凝縮し、ひとつのトーンの整った世界を描くものという思いと強くつながったものだ。その考えに立てば、記憶喪失というあまりに非現実的なことも、実際はそうではなく、またそうであったとしても、そういう非現実的なことを用いることで、かえってドラマを現実の最たるものにするという考えが説得力を帯びる。『冬のソナタ』はその代表作だ。だが、さすがこの頻繁に使われた記憶喪失を、そういつも同じような色合いで使うことははばかられる。そこで登場したのがこのドラマだ。非現実的と誰しも内心思っている要素を前に押し出して、それを滑稽さ、ナンセンスの道具とする。つまり、笑いの道具としようというわけだ。そして、その笑いは、誰しも記憶喪失が以前の韓国ドラマでどういう使い方をされたかを知っていることを前提にしている。その意味でこのドラマは最初に韓国ドラマを見る人が見てはならず、今までの多くのものを見て来た人だけが、暇つぶしに見るべきものだ。そして、単なる暇つぶしを監督が最初から認めてしまっては敗北になるから、そこには多くの工夫が用いられた。そして、見る者はその工夫を楽しむという、かなり玄人的な内容の作品となった。通が見るドラマと言い替えてもいい。そしてそのためには演技力のある俳優が欠かせないが、それは見事に成功し、このドラマを忘れがたいものに仕上げた。その観点からすればナンセンスものでありながら、今までにはなかった渋味を獲得し、また儒教色もかなり豊かで、マネージャーも含めた俳優業の内幕や、舞台俳優と映画俳優の差といった楽屋の裏話的なことも盛り、さらには年齢が10歳ほども離れた年下の男子高校生が主役ヘチャンに寄せる恋心を挟みながら、ヘチャンが最後はボンマンの元に戻って子を宿すといったハッピー・エンドによって、予想外の展開というものはないが、逆に言えば安心して最後まで見ることが出来る。
 また、飽かずに見せるための工夫としては、毎回最後の5分程度は、ボンマンとヘチャンの高校時代の、別の俳優が演ずる再現映像を置き、それが回を追うごとに現在に近づき、最終回では現在に重なるといった、全体としての二重構造が用意されている。この二重構造により回想場面と現在進行中の場面の交差は、記憶が戻るという物語の筋と組み合わさって、ドラマの手法としては斬新だ。高校時代のボンマンとヘチャンを演ずる俳優を筆者は知らないが、若手としては有名らしい。リュ・スヨンやパク・ソニョンは20代と言うには少々苦しく、10代のファンには歓迎されにくい。つまり、両者のみを主役にしたのでは、視聴率は稼げないと見たのであろう。そのため、高校時代のボンマンとヘチャンは別の俳優が演じる必要があった。その若手ふたりは準主役といったところだが、そこそこリュ・スヨンとパク・ソニョンに顔つきが似た者を起用していた。ボンマンは俳優という設定で、ドラマの中で撮影中の場面がしばしば現われたが、そういう点もまた韓国ドラマ・ファンのための作品といった感じがある。また、『アイリス』という映画だっかたかドラマか忘れたが、その出演をボンマンが引き受けるかどうかといった筋立てにもなっていて、その『アイリス』が一昨年だったか、イ・ビョンホンが主役と日本でもロケされ、またドラマが日本で放映されたことは記憶に新しく、そのドラマと同じなのかどうか、『アイリス』という名前の作品が2005年の時点で有名であったことがわかる。また、仕事をほされたボンマンが、以前のように舞台に立ってひとりで演じる場面が2、3度あったが、そこでのリュ・スヨンは劇中劇ながら、ホームレスの悲哀を見事に演じていたのが印象的であった。パク・ソニョンは美人というほどではないが、非常に個性的な顔で、『真実』とは全く違う演技を見せて、これは俳優としてはチェ・ジウなどの美人よりよほど芸がうまいことを示している。将来は名脇役になると思える。また、このドラマが、いわば主役になれないリュ・スヨンやパク・ソニョンを主役にしている点で少々安っぽさを感じさせるが、それは言い替えれば気楽に見られることでもあって、こういう変化球的なドラマもたまにあっていい。記憶喪失という、あえて冗談を最初から承知で、ヘチャンにもそうしたセリフを言わせるところは、先に書いたように、韓国ドラマを見慣れた人向きのもので、それだけ韓国ドラマが成熟の時代に入ったことを伝えているが、それは何でもありでありながら、脚本家や監督の仕事の困難もにおわせている。いくらあるドラマが空前の大ヒットをしたからといって、その二番煎じはよくない。そうしたものは必ずお金をかけた割りに人気を得ない。そうした二番煎じものからすれば、このドラマはナンセンスの面白さを最初からわかって撮っていて、より好感が持てる。韓国のTVドラマは急速に成熟の時代に入った。それは日本が数十年まけて成したことを数年でなぞるかのようで、その速度感の果てにどういう斬新な作品が生まれるのか、あるいは日本と同じように枯渇に向かうのか、それは案外早くひとまずの結論が見届けられるのではないだろうか。ともかく、そういう長期の見通しの中に立って、このドラマはたいした評価を得ずに完全に忘れ去られるに違いないが、後で振り返るとそれなりに何事かを予期していたと納得出来る内容であるように思う。また、同じ脚本を日本でドラマ化した場合、当然ある部分は改変をよぎなくされるはずだが、その改変部分こそが、日韓の本質の差であり、筆者にはそういう点をあれこれ考えることが面白い。韓国社会の現実を濃厚に反映している点を見るだけでも価値があるかもしれない。
by uuuzen | 2011-01-31 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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