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●『夢みる家具 森谷延雄の世界』
内のはがきが毎回届くINAXギャラリーの展覧会だが、見に行くのは年に一度ほどか。大阪によく出るのでついでに見ればいいようなものだが、本町にはほとんど用事がない。



●『夢みる家具 森谷延雄の世界』_d0053294_1253347.jpg先日の日曜日はひとりで大阪に出かけたこともあって、気晴らしと運動を兼ねて御堂筋を梅田から難波まで歩き、帰りは御堂筋から1本東の通りを北上し、なにわ橋をわたって天神橋筋商店街を抜けた。日が沈んだ日曜日のオフィス街は人影が皆無で、そこをひとりで歩くのは夢を見ているような気分であった。それを助長したのが、筆者の歩く東側の歩道ではなく、西側の歩道を50メートルほど先を歩いていた、真っ白なAラインのコートを着た若い女性の存在だ。日曜出勤したのだろうか。筆者は早足なので、その気になれば追い着くことが出来る気がしたが、女性との距離はいっこうに縮まなかった。いずれ辻を左に折れて御堂筋に出るだろうと思っていると、どこまでも筆者と同じく北上する。暗闇の中で白いコートがひらひらと蝶のように見えた。顔はわからないが、20代前半の細身の美人だろうか。そんなことを想像しながら500メートルほどそのまま行くと、ついに姿が見えなくなった。淀屋橋の方に折れたのだ。それで何となくほっとして、筆者は反対に東に向かって進んだ。その女性は背後から筆者が着いて来ることを知っていたかもしれず、そう思われていることを想像すると、早く姿が見えなくなってほしかった。こうして書いていると、その女性を斜め前方に見ながらビルの谷間を歩いたことが、ほとんどキリコとポール・デルヴォーの絵を混ぜたような夢の世界として思い出すことが出来る。ついでに書いておく。なにわ橋をわたっている時、後方から買い物かごに葱やその他を詰め込んだ中年女性が筆者を追い越した。なにわ橋付近は全く人影がなかったので、その女性の出現には意表を突かれた。どこで買い物して来たのだろうと思った矢先、その女性は橋の中央にある中之島に降りること出来る階段を足早に駆け下りて行った。それがまた不思議であった。そのため、女性の姿が消えた後、しばらく橋の欄干から下を眺めたほどだ。下には民家は当然ない。それどころか、人がいるような場所もない。それなのに、なぜ買い物をした女性が暗がりにそこへ行くのか。中之島の東端にはかつてはホームレスのテントが目立ったが、今はない。公園の管理事務所でもあるのかもしれない。あるいは、主婦が不倫中で、買い物を口実に、橋の下で男と会っているのか。不思議であるし、また一瞬のことであったので、それもまた夢のような記憶として蘇る。御堂筋を歩いて何か発見があるかもしれないと考えてカメラを持参したこと、また予想に反して別段興味を惹くものは何もなかったと、一昨日は書いた。実際は上記のような出来事があった。
 出かける当日にINAXギャラリーのホームページを調べた。それで開催中の展覧会を思い出した。前回の企画展は見たかったのだが、忘れてしまった。ま、今開催中のものも面白そうなので、難波の古本屋に本を取りに行く前に見ようと決めた。この展覧会の案内はがきが届いた時、使用されていた写真が白黒でもあったので、えらくレトロ趣味の家具作家との印象を持った。また、てっきり現在の作家と思ったが、会場で知ったところによると、30代前半の若さで1920年代に亡くなっている。初めて目にする名前だ。こういう家具作家がいることを知るにはとてもいい機会であった。今までほとんど紹介されなかったとすれば、夭折したことにも原因があるだろう。だが、会場のパネルによれば膨大な仕事を残したとある。ギャラリーは面積が小さいので、展示物の数量には限界があるが、森谷が調べて描いた精密な西洋家具のデッサンや設計図のほかに、残されている写真をもとに復元した色鮮やかな家具など、森谷のほぼ全貌を伝えていたように思う。復元家具は、幸いなことに色刷りの写真や森谷が選んだ色見本や色指定が雑誌に残されていたために、ほぼ同じものが出来上がったようだ。復元を担当したのは森谷の息子さんか孫だったと思う。森谷の意志が親族に伝わっているのは頼もしい。筆者の直後に20代の女性3人がやって来て鑑賞をし始め、熱心に見つめていた。家具デザイナーかもしれない。若い女性をうっとりさせるものを森谷は持っていた。今回の展示の目玉はお伽話に出て来るようなカラフルな家具だ。これは森谷自身が童話を設定し、そこにふさわしい家具を考えた結果で、舞台しかも子どもが楽しむ人形劇のそれにふさわしい色や形をしている。そうしたデザインが大正時代に可能であったことに今の若い世代は驚くのだろう。もちろん筆者もその部類だが、冷静に考えると、まさに大正そのもので、時代の色合いを刻印している。今から100年ほど前の日本は、モダニズムが本格化し、従来の伝統に囚われない斬新なデザインがあらゆる分野に及んだ。森谷の家具のデザインもその中にすっぽりと収まる。だが、1920年代は、現在の百貨店に代表される大量消費文化の始まりで、100年前と現在はほとんど何も変わっていない。不況から戦争、そして敗戦から高度成長と時代はジグザグと変わって来たが、現代文明の基本は大正時代にすでにあった。したがって、森谷の童話的な家具は現在の若者が見て違和感がない。とはいえ、それなりのレトロさは濃厚で、そのことは白黒写真に見える家具からもわかる。そのレトロさ加減は、大正時代特有のモダンさで、それなりに流派と呼んでよいものを形成した。
 そうしたものはたとえば映画のポスターによく見られる漢字や仮名における、髭のついたような装飾性だ。その装飾性とはまた違うが、同じ意味合い、つまり文字を装飾するという意味合いから、今回のはがきの「夢みる家具」という文字は、森谷の家具の特徴に合わせたデザインとなっている。このような文字の装飾は、現在は比較的珍しい。それはパソコンで豊富なフォントが手軽に使えるようになったからで、数十年前までは題目の飾り文字はレタリングと呼んで手書きでデザインした。その手技の文化は大量消費時代の幕開けの1920年代にはまだ濃厚にあった。森谷の家具はその例だが、森谷はそうした現実離れした家具ばかり作ったのではない。関東大震災の直後から、森谷は新たなデザインの家具の製作をより主張するようになり、工場で量産する機能的なものを設計製作した。この機能主義はモダニズムの特質でもあるが、森谷は安価で粗悪に流れがちなことに対向して、安価ではあっても作家の個性が滲み出て、しかも機能が優れているものを目指した。今回そうした家具も展示されたが、色鮮やかな舞台装置的な家具とは同一人物の手になるとは思えない。だが、森谷は現実をよく知っていて、日本の家屋にどういう家具がふさわしいか、またその一方で作家としてどこまで家具で芸術的な美を表現出来るかというふたつの方法のどちらも踏まえていた。これは現代の作家的な立場からすれば中途半端と取られかねないが、当時の日本の一般家庭の住空間からすれば仕方のないことであったろう。またその立場は現在の家具作家でもだいたいは同じではあるまいか。話は変わるが、筆者の散歩道の途中に、2か月ほど前に木工屋がオープンした。若い男性が経営していて、自分で木材を切ったり削ったりして、小さなものでは子ども玩具、大きなものでは大人の机や椅子を作って販売している。その場所は、どんな店もなかなかはやらないジンクスがあるので、この木工店もいつまで持つのか心配なところがあるが、木という素材に誇りを抱いている雰囲気がありありと伝わって、顧客がたくさんついてほしいと思う。で、そうした作家ないし職人は、手で作るのであるから、注文主の意向にしたがって何でも誂えてくれるだろう。森谷にもそういう部分はあった。一方では工場で量産する家具を設計しながら、もう一方では個人から特別の注文を受ける。童話的な家具は後者の延長上に自主的に作られたものだ。それは家具が芸術の一手段であり、家具を美意識優先の作品として主張するという思いによる。
 建築家が椅子のデザインを手がけることには伝統があるし、家具の作家が存在することは不思議ではない。今はタイに住む友人Fは昔家具の会社に勤務したことがあり、その会社の若い社長は面白い形の家具を設計し、その図面どおりに仕上がって来ることが面白いと話してくれたことがある。その時筆者は家具にも作家が存在すると知った。森谷はさしずめその先駆者ということだ。会場の3人の若い女性は夢見るような面持ちで復元された家具を見ていたが、家具作りを学んだのであれば、それと似たような家具を注文する、あるいは自分で作ることは出来るだろう。そして、現在の日本は一部には超金持ちがいるので、そうした家具を注文して作らせることなど、いとも簡単なことだ。そして、そんな時に森谷の家具が発想の源泉になり得る。カッシーナの家具では飽き足らないほどの個性と美意識を持った金持ちは、自分の思いどおりの部屋に思いどおりの家具を揃えることに進むはずで、そういうごく少数の人の需要に応じる家具作家がいると想像する。森谷の童話的家具は、そんな住環境を夢見た結果のもので、家具だけではなしに、床や壁、天井の色まで家具と調和させて色指定した。それに似た空間は今では大金持ちでなくてもある程度は実現出来る。筆者もそういう空間に憧れるが、モノが多すぎて、住空間は倉庫同然になっている。また、インテリアの統一思想が完全に欠如していて、和箪笥があるかと思えば、床はクロス張りだ。そういう人間に森谷の家具を云々する資格はない。せめて本棚や机だけでもこだわりを示したいと思いながらも、本棚に収まり切らない本が床にいくつも積まれてにょきにょきと生えているし、そこには埃が1センチ近く積もってもいる。筆者にとってそれが夢見る空間では決してないはずだが、どの本やCDにもそれなりに思い出が詰まっているので、総体的には夢見る、それは悪夢かもしれないが、空間となっているのは確かだ。また、家具は一度買うと長年そのままあるもので、邪魔だと思いつつも、捨てることがなかなか出来ない。そのため、住空間はますます異様なものになって行く。それを一掃するには、何もない部屋に最初から考えて家具や照明などを決めて行くことだ。それには時間も金もかかるが、その楽しさはよく想像出来る。それを昨年買った隣家で実行したいと考えている。そしてその手始めとばかりに庭やその向こうの小川沿いの細い道の整備を始めているが、肝心の部屋の内部の整備はさっぱりイメージが湧かない。また湧いても先立つ金がない。そして、自分は洋間に住みたいのか、和室ばかりにしたいのか、それも決められないでいる。夢見るのはいいが、夢も多すぎると何も結実しない。
 森谷の話に戻る。森谷はイギリスに行ってヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に連日通って熱心にイギリスの家具をスケッチした。細部の装飾の採寸の書き込みやまた絵具でていねいに彩色を施した素描は、いかに努力型であったかを伝える。今では簡単に図録が手に入るが、当時は自分の手で描くしかなく、またそれが森谷の創作精神を育むにはよかった。そうした素描1枚にも美意識は宿るもので、それが実際の家具作りに反映する。自分の目と手を使って描くという行為に勝るものはないのだ。ヴィクトリア・アンド・アルバートは筆者も行ったことがあるが、あの静かな空間で鉛筆を走らせていた森谷を想像すると、貪欲に西洋の伝統を咀嚼してやろうという、当時の日本のどんな芸術家の熱い思いを抱く姿ともだぶる。森谷の顔写真が展示されていた。それは童話的家具から想像される繊細さとは多少印象が違う。だが、強烈な意志と自信を持った顔で、とても30代前半とは思えない。夭逝したが、完成した個性であったと言える。童話的家具は、金泥で模様が描かれたり、また部分的にぼかしが施されたりしていたが、その装飾性は、先の映画のポスターなどに見られる髭のついた漢字や仮名と同じ時代の産物で、現在ではいささか古く見える。それはブランドものを見慣れたためで、ひとつだけのオリジナルものをありがたがる思いが少なくなったからだろう。オリジナルよりも、「これはカッシーナですよ」などと人に自慢出来て、また人もすぐにそれがわかるものが歓迎される。それは成り金趣味で、あまりにも芸のない姿勢だが、日本は総じてそうなっている。さて、森谷の感覚が時代に沿ったものであることを思ったのは、その美意識が、たとえば広川松五郎の染色作品にきわめて近い装飾性を持っていることによる。広川は森谷より数歳年下だが、同じ東京で活躍した。そして、それは京都では生まれ得なかった才能にも思えるが、この点はもっと調べる必要がありそうか。広川の作品は筆者は昔から注目しているが、不思議と染色の王国の京都では紹介がない。そこには京都と東京の深い溝がある気がする。モダニズムは東京や大阪、神戸では馴染んでも、京都では微妙にねじれた。そのねじれは和の要素を捨て切れないことによるが、森谷や広川はひとまずきっぱりとそれを断ち切ることが出来たのではないだろうか。そして、その態度は現在にそのままつながって、およそ100年前の彼らの仕事が今はとても斬新でしかもシックに見える。また、その装飾性はいかにも温かい。それを恥ずかしい思いなくしては用いることの出来なくなった現在のデザイナーの白け具合は、いつになればそこから脱して、大正時代の先駆的仕事を凌駕する形で実現するだろう。とっくに和の要素を捨て去った、あるいは元からそんなものを知らない現在の若手デザイナーは、森谷よりもっと奇抜で面白い家具が作れそうなのに、そうなっていないとすれば、どこにその原因があるだろう。大正時代のモダニズムが今に突きつけている問題は小さくない。それどころか、当時のデザインは見事に昇華して、明確なスタイルをあらゆる分野で築いた。森谷や広川の仕事は当時の画家の仕事に隠れて知る人は少ないが、今後はさまざまな先駆者が発掘紹介されるだろう。大正時代の造形に関して本格的な再検証の時代に入っていることを、今回の展覧会を伝えている。INAXギャラリーの企画展は毎回正方形の図録が販売されていて、それら全部を集めると壮観だろう。筆者は全部ほしいと思いながら、20冊もない。入場無料なので、図録代の1500円は安いが、ついいつも買うのためらう。今回も買わなかったので、森谷についての詳しいことが書けない。森谷に関する紹介本は同図録程度だけのようだが、今後は美術館で紹介されるのではないだろうか。
by uuuzen | 2011-01-29 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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