震災のことを思い出す季節になった。明日の早朝は阪神淡路大震災があった日から16年経つ。その日のことはまざまざと思い出すことが出来る。さきほどは、何気なくネット・サーフィンをしていると、同震災を2万枚以上の写真で記録した人の
ホームページを見つけ、早速「お気に入り」に加えておいた。
だが、震災で壊れた建物などの写真を見るのは、いい気分ではない。トアロードもかなり被害を受け、大丸百貨店も取り壊しになって、後年新しく建ったが、そういうことを記憶する人がどんどん少なくなる。16年は子どもが大人になるのに充分で、震災を知らない若者も今は多い。本当に震災があったのかわからないほどに数年で街は元どおりになったが、トアロードの南端の海辺に位置するメリケン波止場では、一部の岸壁を震災当時のまま保存して、その激しさを後年に伝えようとしている。神戸は20代からよく知る街で、建設土木の設計の仕事に携わっていた時は、神戸の河川改修などの設計で、市役所には打ち合わせのためにほとんど毎週訪れた。震災でその市役所は2階部分がぺしゃんこになった。地震の年月と日時が違えば、筆者はその中で死んでいた可能性がある。市役所は後日全部取り壊されたが、新築されてからは一度もまともに玄関前を歩いていない。そういうこともあって、筆者の頭の中には、今はない昔の神戸と今の神戸がごっちゃになって、今後も整理がつかないような状態にあるが、震災がなくても新しい建物や施設が出来るのは自然なことであり、そういう街の刷新はいいことだ。そういう部分があって、レトロな部分の目立つ。さて、今日から「おにおにっ記 フィナーレ」をまた始めるが、特別編を初日から用意した。それも神戸に因んだ内容だ。震災の日に合わせたつもりはないが、自然とそうなったのは、やはり筆者なりに震災の日を記憶しているからだろう。この「おにおにっ記」は1か月に満たないと先日書いたが、書き留めていた内容を改めて確認すると、1か月分ほどある。正確に言えば33日分で、これにはそれなりのこだわりがあるが、わかる人にはわかるだろう。いちおうは以前と同じように週1回は別のカテゴリーに長文を書く予定でいるが、どうなるかわからない。また、今日から始める33回分で「おにおにっ記 フィナーレ」が終わるのではない。本来はそのつもりであったが、途中で変更になり、それが現在まだ決着していない。そして、さらに追加で書く分は、内容だけは気づいた時に用意しているものの、一行も書いておらず、また何回で収めるかも決めていない。
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2009年09月01日●第 100 話
●頭(こうべ)歩っ記 1
マニマンは美術館や図書館によく行き、たいていはほかの場所に立ち寄らずに帰ります。せっかく電車で2時間近くもかけて行く街なら、歩いたことのない場所を訪れるべきですが、そういう場所があまりありません。数か月前、TVを見ていて、京阪神の人気のある昼御飯の店ベスト10のうち、トップ店が、1年に2回ほど行く博物館から徒歩15分のところにあることを知りました。マニマンは次にママーニとその街へ展覧会を見に行った時にそこで食事することに決めました。そして最近その日がやって来ました。マニマンは店のだいたいの場所は調べておいたのですが、正確な地名を調べておかなかったために、迷路のような知らない道を歩き続けました。その途中、大きな通りの向こうにゴッタの列があるのを見かけて、幸先がいいような気がしました。ところが、どうしても店を探し当てることが出来ません。こうべを垂れたマニマンは、立腹と空腹のママーニを連れて駅方面に戻り、地下食堂街で食べました。帰宅後、店の場所を調べ直すと、すぐ近くを歩いたことを知りました。今度こそは大丈夫と思います。