凍る鴨川は見たことがないが、今年の正月、鴨川沿いはとても寒かった。四条辺りはさほどではなくても、3、4キロ上流の出町柳や高野辺りはもっとだ。
9日に十日戎の宵山に出かけた際、数年前から顔馴染みの出店の女性から耳にしたところによると、高野では今でも雪が積もっているという。それで、冬の間は少しは暖かい四条に引っ越して来ると言っていた。この女性とのやり取りはまた後日書くつもりでいるが、出店とはいえ、屋台ではなく、民家のガレージを利用したガラクタ市といったものを開いている。それはさておき、初詣は4日に八坂神社に行った。氏神はわが家から徒歩15分の松尾大社だが、家内は電車に乗って遠方に行きたいと言うので八坂にした。八坂はよく知るので、本当は大阪の住吉辺りに行きたかったようだ。筆者は石清水八幡宮に行きたかったが、寒いので出かけるのが億劫で、近いところがいい。それに古門前町のある古書店にある本を買うつもりでいたから、八坂はつごうよかった。ところが参拝後にその古書店に行くと、正月休みらしく、閉まっていた。それで三条河原町に出て新京極通りに入り、南下して初めてのお好み屋に入った。NHKで「てっぱん」というお好み焼き店をテーマにしてドラマがやっているわけでもないが、何となくお好み焼きが食べたくなったからだ。お好み焼きに関しては家内はかなりうるさい。いつも決まって入る店があって、そこではまたいつも決まったメニューを頼む。もう7、8年、あるいは10年か、とにかく長い間そこで食べている。以前は店の片隅に置いてある落書き帳に、備えつけのボールペンでよくデッサンしたものだが、最近は落書き帳に注意を払わなくなった。ついでながら、そのお好み屋から近いところにある和風喫茶店にもよく行き、そこに置いてある落書き帳と言うには豪華で分厚い日記帳に、2、3年前、1ページを使って文章を書いた。その店はかなり静かで筆者は気に入っているが、家内は陰気でいやだと言う。確かに内装は新しいのにレトロな雰囲気が濃厚で、客も少ない。いつ行っても筆者らが貸し切り状態だ。そのためか、その分厚い日記帳にほとんど書く人がいないようで、筆者の書いたページ以降20人程度ではないだろうか。先のお好み屋では学生ノートを使っているので、ページがなくなるのが早く、数冊置いてある。それに本当に落書きをする連中が多く、旅の思い出に印象的なことを綴るのではなく、1ページに大きな字で1文字のなぐり書きといった馬鹿なことをしたりする。寺の壁の落書きのように思っているのだろう。そういう落書きが目立って増えたので筆者はデッサンを描かなくなった。ちなみにそのお好み屋は欧米人を初め、外国人の客がとても多い。毎回必ずいるほどで、外国人用の観光案内本に載っているのだろう。焼いて皿に乗せて出してくれるが、勝手がわからない外国人にはその方がいい。4日に初めて入った店は昔から何度も入ろうと思いながら、その気になれなかった。どことなく暗いからだが、正月というのに1000円のものが800円と割引セールをやっていた。それで入った。ここも焼いて持参してくれるが、鉄板上で保温された状態で最後まで食べることが出来る。家内に言わせると、味はやはりいつものところがいいそうだ。筆者もそう思う。その最大の理由は焼き方にありそうだ。鉄板で焼くのは同じでも、いつも行く店は上から鉄の大きな蓋を被せて蒸し焼きする。それがふっくら感を増す。
お好み焼きの話をするつもりでは全くなかったのに、書いてしまったのでそのまま続ける。話を少し戻すと、八坂神社で参拝した後、おみくじを引いた。筆者は引かずに家内に引かせた。1回200円で、金属製の六角形の筒を振って、小さな穴からはみ出す細い竹に書かれている数字を巫女さんに告げて、その番号のおみくじをもらう。家内が振っている時、筆者も振りたくなって、筒を受け取ろうとした時、地面に落とした。その瞬間、穴から1本覗いた。これは一種の事故なので、それを無視してもいいかもしれないが、正月早々やり直しは気に食わない。それで出ていた目の「八」を巫女に告げた。くじは末吉であった。しんぼうして待てばいいことがあるとのことだ。だいたいそんなもので、それでいいのだ。納得してすぐに神社を後にして、祇園会館の前を通って東大路通りを古門前町まで歩いた。その後、新京極の本屋で本を1冊買い、お好みでも食べようかという気持ちになったのだが、お好みを食べた後、干支の土鈴を四条通り沿いの田中弥に買いに行った。毎年ここで買って、ある人に送るのが習わしになっている。田中弥は八坂神社からは遠ざかる方角、つまり烏丸通り方面にある。お好みを食べた後、実は迷ったことがあった。それは四条大橋のたもとで演奏していた路上ミュージシャンが売っているCDを買いに行くかどうかだ。今日の本題はそれだ。いつもながら前置きが長いが、前置きに意味があるように書く。八坂神社に向かう時、四条大橋の歩道の中央辺りにユリカモメが数十羽舞っていた。餌をやる人がたまにいるからだ。ユリカモメは放り投げられた餌を空中でうまく食らいつく。ホバリングが多少出来るようで、空中の同じ場所で羽ばたいている。また中には人に慣れたのがいて、欄干に留まって人に触られてもほとんどかまわないといった様子だ。餌といっても、鳥用のちゃんとしたものではない。近くのお菓子スーパーで買って来たような袋入りのスナック菓子だ。ユリカモメがそんなものを食べても平気なのかと思うが、ま、毒ではない。ユリカモメは毎年同じ場所で同じように舞っていて、場所を記憶しているのだろう。そう言えば、そのすぐ近くでは、紺地に白で「南無妙法蓮華経」と染め抜いたのぼり旗を立てた僧がいつも立っている。ユリカモメはそれも目印にしているかもしれない。家内に言わせると、その僧のそばでいつも店を出している野菜売りのおばさんがいる。大原女の名残かと思うが、朝から晩遅くまで売っていて、絶対に値引きしないらしい。スーパーで買うよりかなり高いそうだが、品はいいので顧客があるのだろう。筆者はユリカモメの乱舞を少し立ち止まって眺めたが、家内は通勤で毎日見ているので珍しくなく、さっさと筆者を残して先を行く。
川端通りを東にわたると歌舞伎座だ。信号待ちをしていると、そのすぐそばで路上ミュージシャンが演奏の準備をしていた。即座にSOL DE LOS ANDES(アンデスの太陽)だとわかった。上の写真がその時のものだ。このバンドについては5年前にこのカテゴリーで
「近鉄奈良駅前の路上ミュージシャン」として紹介した。その次に演奏を見たのは3年前の4月か。花見で大阪の桜宮を訪れた時、天満橋のたもとでのことだ。そのこともブログに書いた。今回は3度目だ。最初4人であったのが3人になり、今回はふたりだ。帰宅して彼らのホームページを見ると、4日の演奏については記していなかった。路上の演奏は基本的にはスケジュールには記さないようだ。そのため、ゲリラのようにいつどこで演奏するのかわからない。家内は去年何度か見たと言っていた。京都にやって来るのは当然だろう。より存在を知ってもらうためには、人が多く集まるところで演奏すべきだ。どうやら演奏前の準備中で、ひとりがしゃがんでサンポーニャを小さく吹いて音合わせをしていた。誰も注目しない中、筆者は開いたトランクの蓋にCDが2種、数枚ずつ立てかけられているのを見て、近寄ってそれを手に取った。サンポーニャを演奏しない方が、「それ、最新盤」と言った。「いくら?」「2500円」「高いね」「じゃ、2000円にするよ」よほど買おうと思ったが、信号が青になって家内がわたり始めている。「いつまで演奏していますか」「だいたい5時まで」「それでは帰りに寄ります」「オーケー」。笑顔をもらって別れた後、八坂神社で末吉のくじを引き、古書店に行き、新京極で本を買ってお好みを食べた。四条新京極に来た時、左に行けば路上ミュージシャンのいるところ、右に行けば田中弥だ。まだ5時にはなっていなかったので左に折れて歩き始めたが、人で混雑し、それを縫って四条河原町の交差点にたどり着き、そこからまた四条大橋を越えねばならないことを思うと、寒さもあって、ついその気が失せた。それで田中弥に向かった。5年少々の間、奈良、大阪、京都と、彼らに3回会い、2回演奏を聴いた。彼らの路上演奏はカラオケの音源に合わせる。そのため、おそらくCDの音は生演奏と変わらないだろう。カラオケはシンセサイザー入りの比較的派手なもので、ボリビアかペルーか知らないが、南米高地の素朴な民族音楽という雰囲気とは多少違う。彼らが現地の人であることは確かだが、日本に長年住む間に日本好みのアレンジを知ったであろう。それはそれで決して悪くはない。だが、アンデスがらみの有名な曲は限られる。すでに4、5枚のCDを出しているのは、オリジナル曲も書いているからだ。京都の繁華な場所で演奏する路上ミュージシャンは多い。そういう中で彼らが特別目立つということはない。ギャラのある仕事が少しずつ増えているようだが、誰もが知る有名バンドにはなかなかなれない。ましてアンデスの音楽となればなおさらだ。彼らに3回会ったことは、みんなが出かける場所と日に同じように出かけることが好きな筆者を示している。次に会うのは神戸がいいが、演奏にふさわしい場所が思い浮かばない。阪神岩屋駅を下りて兵庫県立美術館に向かう阪神高速の高架下ならたいてい空いている。人の集まりは悪いが、雀は近寄って来るか。