むか御飯にするのはもったいないので、しばらくむかご人形の形で保管しようと思っているが、しなびて来るだろう。裏庭の小川沿いの狭い道に埋まっている瓦礫を整理していることは以前に書いた。
さすが雪が降った大晦日以降、その気にならない。今日は朝から小雪がちらつき、さらにその気は失せる。さきほどわが家から徒歩5分ほどの渡月橋のすぐたもとで、地元の消防団の出初め式があった。カメラを持って行こうかと一瞬迷い、やめにした。去年より寒い中、立ち尽くし、来賓の挨拶の後、桂川の水を汲んで放水訓練が行なわれた。そのしぶきが風に乗ってこちらにやって来た。放物線を描く放射水に重なって虹が浮かんだ。やはりカメラを持って来ればよかった。迷った時は、もしものことを考え、積極的になるべきだ。それがわかっているのにそうしなかったのは、撮影するのは気がひけるからであったが、何人かが携帯電話で撮影していたし、またカメラを持っている人もいたから、持って来ても目立たなかった。それはいいとして、今日は夕方から新年会があるので、それまでの間にヤフー・フォトに保存している写真を引っ張り出して書く。さて、12月下旬、瓦礫の整理と同時に裏庭の雑草を掃き集めていると、むかごをいくつか見つけた。秋に何度か収穫してむかご御飯にして食べたが、地面に雑草や枯葉が多く、こぼれ落ちて隠れてしまったものがあったのだ。小石と色が似ているのでなおさら見つけにくい。このむかごは3年ほど前に裏庭に植えた山芋の蔓に出来るものだ。毎年少しずつ量が増えている。地面に埋まる芋はどれほど大きくなり、また歪な形に育っているのだろう。掘り起こしてみるのもいいが、かわいそうなのでそのままにしておく。それに、瓦礫が埋まっているから、かなりひしゃげた形に育っているはずで、掘り起こすのは大変だ。見つけたむかごのひとつはかなり大きく、去年秋に出来たものの中では最大だ。それが見つけられなかったのは不思議だが、ひとつだけそのように大きくなったのはもっと不思議だ。全部で6個見つかり、掌のうえで人形の形を作ってみた。手足の関節や首が動くデッサン用の木製人形を思わせる。糸でつないでぶら下がるものに加工してもいいが、最初に書いたように、すぐにしなびて来るだろう。それに糸で穴を開けるのは何となくかわいそうだ。それなら食べてしまう方がいい。だが、たった6個ではむか御飯にならない。それで考えるのは、地面に埋めれば山芋として育つかどうかだ。そうなるのであればそうして、もっと多くのむかごが収穫出来るようにしたい。それに「おにおにっ記」に書いたように、キイロスズメガが飛んで来るかもしれない。ついでに書いておくと、裏庭には通販で買ったカラスウリの雌雄の株が植わっていて、毎年秋になると蔓を合歓木に高く這わせるが、ここ2年ほどは花が咲かなくなった。日当たりが悪いのだ。そのためにも椿の枝を多少伐採した。それで日当たりが改善するかどうか。カラスウリを植えたのは「おにおにっ記」のネタのためであった。思いに反して実は出来ず、書くべき内容は中途半端になった。まるで自分の人生のようだ。何事も計画どおりに事が運ぶとは限らないことを暗示してもいる。むかご人形は全く「おにおにっ記」用のネタだ。それをこういう形で書くことは、「おにおにっ記」が終わっても同じようなことをブログに綴ることを示していて、新たなブログあるいは新たなカテゴリーを設けても、中身がたいして変わらないと言えそうだ。
むかごを庭で見つけて拾ったことと無理に関連づけると、落ち穂拾い的ネタということになる。それを次に書いておこう。高槻のしろあと歴史館を見た後、神戸ファッション美術館に出かけたことは先週数日続けて書いた。阪急阪神共通の1日乗車券を利用しての行動で、当日は別の目的もこなした。それは阪神の岩屋の駅で下りて兵庫県立美術館に向かうまでの間、阪神高速の高架下で営業している割れ菓子の露店のおじさんに会うことだ。このおじさんについては何度かブログで触れた。筆者は家内に言わせると社交的らしく、比較的すぐに見知らぬ人とよく話をするようになる。自分では社交的ではなく、どちらかと言えば人間嫌いな部類と思っている。人の好悪が激しいのだろう。それはほとんど直感による。そして好悪の好に属する人は、概してごく素朴な性質である場合だ。お金持ちやどこかの役職にある人は、そうした人と「知り合って仲よくなっても得るところがない」と、おそらく冷淡に接すると思える。筆者はそういうことをほとんど思わない。そのためかどうか、天神さんや弘法さんの縁日に以前よく通った時、すぐに何軒も顔見知りが出来て、今もそれなりに付き合いが続いている。そうした人々のすべてと仲よくなるというのではないが、筆者はそういう一種のはぐれ者のような人とは同調しやすい。それはさておき、兵庫県立美術館では日本初公開のゴッホなど、西洋絵画を展示するヴィンタートゥール・コレクション展が開催されていた。神戸ファッション美術館に行った26日はその最終日であったが、見てもいいかと思いながら、結局機会がなく、代わりに神戸ファッション美術館を見た後、岩屋まで足を延ばしてそのおじさんに会いに行った。そこで営業しているのは日曜日であることを知っていたからだ。去年はその日を含めて2回会った。その少なさは、日曜日に出かけても営業していない日があるためだ。おじさんに言わせると、同美術館で人気のある企画展が開催されていなければ、客が少ないので店を出さないらしい。また週の半分は、他にポートアイランドなど神戸市内の各地に出店するが、残りの日は阪急西灘の線路沿いの自宅ガレージで営業している。それを聞いていたので、9か月ほど前にその自宅を探して行ったこともある。場所はわかったものの、営業していなかった。
岩屋の駅に着いたのは4時半頃で、もう帰ったかなと思ったが、前からやって来る親子連れが、菓子入りの白いビニール袋を提げている。それでまだ営業していることを知り、小走りに陸橋をわたった。国道2号線のうえに高架橋が架かっている歩道橋だ。わたり切らない時から、眼下左に露店があるかないかがわかる。想像どおり営業中だ。筆者の顔を見ると、いつも片手を挙げて「いよっ!」と言う。久しぶりに会い。寒い中、20分ほど談笑した。その間、200メートルほど先の美術館から続々と人がやって来て立ち止まり、商品を見る。だが誰も買わない。近頃は菓子の安売りのスーパーがどこにでもあるし、製造業者から出る割れ菓子や半端ものを喜んで買う人は少ないのだろう。まして神戸ともなればなおさらだ。大阪の下町ならすぐに売り切れになるだろう。いつも1000円程度買うが、正月が迫っていることもあって2000円分買った。1000円以上なら1割のおまけをつけてくれる。2000円も買うと両手に袋でいっぱいになる。神戸の有名な洋菓子屋の割れクッキーなどで、味は抜群だ。量で言えば市価の10分の1程度だ。たとえば木の葉型のクッキーは、きれいに包装され、10数枚缶に入れば2000円ほどになる。それと同じ量でも、割れたものならば200円ほどで、自宅用には最適だ。太るのが心配なほどにせっせと毎日食べているが、まだ食べ尽くせない。洋菓子のほかにおかきも大量に入って来るようになったらしいが、これは湿っている可能性があるし、また安売りのスーパーとさほど値段が変わらないと、これは家内の意見だ。「あれっ、今日は奥さんは?」「ひとりで来ました。寒いし、たくさん行くところがありましたから」と話が続く中、かたわらの囲った空き地に雀が50羽ほど集まって来て地面をついばんでいる。それを指摘すると、おじさんは試食用のケーキをほぐして与えているためと言いながら、袋から一握りを雀に向かって投げた。その瞬間雀が一斉に群がり、筆者のすぐ足元までやって来た。人に馴れているのだ。「民家がないところなのに、こんなたくさんの雀、いったいどこに住んでいるんでしょうかね。」「いやあ、あの上の方ですよ」そう言いながらおじさんは頭上の阪神高速の高架を指さした。
寒いので、筆者は風呂を話題にした。「あの美術館の向こうにスーパー銭湯がありますよね。いつかそこに入りたいんですけど、あそこはどうですか」「2、3度行ったことがあるけど、湯の質がね、もうひとつと言うか。わたしは水道筋商店街を東に抜けたところにある灘温泉に毎日行ってますよ。あそこは湯がいいですからね。灘警察の向い側ですよ」筆者が初めて水道筋商店街をその辺りまで歩いたのは昔若宮テイ子さんと一緒だった。彼女がニューヨーク住まいを切り上げて帰国したばかりの頃だ。もう20年ほど前になる。「先日までニューヨークを歩いていたのに、今こうして地元の商店街を歩くのは変な身持ち」と話していたが、そう言えばふたりで入った喫茶店は灘温泉のすぐ隣と言ってよい、風格のある古い洋菓子屋の2階であったが、今も営業しているのだろうか。若宮さんの家はそこから歩いて10数分のところだったと思う。そんなことを思い出しながら、おじさんの家のすぐ隣と言ってよいところにバーがあることを思い出し、若宮さんと灘温泉より北だったと思うが、神戸の夜景の見えるバーに行ったことも思い出した。灘のその辺りは住宅地に洒落たバーがあって、そういうところは大阪や京都とは全く違う。さて、最終日の鑑賞時間が終わって、美術館から出て来る人がまばらになりかけたようで、話を切り上げて筆者も帰ることにした。雀の群れがいる囲いにカメラを向けながらおじさんを写そうとすると、「雀を撮るの?」と言われ、「ええ」と返事をしながら1枚撮った。もちろん雀は遠くて見えるはずがなく、おじさんを撮るのが目的であった。暗くて写っていないかと思って帰宅して調べると、顔がはっきりと写っていた。だが、その写真は最初からブログに載せるつもりはなかった。それでブログ用にもう1枚撮った。それは国道2号線に架かる歩道橋から遠目に兵庫県立美術館を見たものだ。左手下におじさんと露店が写っている。その向こうには、球体の石であるゴッタがいくつも並んでいるが、ここのゴッタについては「おにおにっ記」に、犬の叱呼が引っかけられた写真を掲げて書いた。この写真は帰り際に振り向いて撮ったが、気に入っている。まさにこの角度でおじさんの姿を見つけて階段を駆け下りるのが、筆者にはとても好きな瞬間だ。遠くに見える美術館の壁に見える肖像画はゴッホのものだ。「来年は当分店を休むよ。いい展覧会をやらないみたいだしね」 帰宅して調べると森村泰昌の個人展がかなり長期開催される。筆者は見ないかもしれない。だが、おじさんの電話番号と名前を聞いたので、予め連絡すれば菓子は買えるだろう。