煩雑になって来ていることを昨年の秋から思っていた「新・嵐山だより」のカテゴリー、昨夜思い切って投稿内容をふたつに分け、駅前の工事に関係する変化については、「駅前の変化」という新しいカテゴリーに移した。
これで投稿内容は半々になって、かなり見やすくなった。だが、今までの駅前の変化シリーズの投稿は、「新・嵐山だより」のカテゴリーを前提とし、同カテゴリーの他の話題と内容がつながっている場合があるので、分けるならば、文章も多少改めなければ、読んでいて混乱を来す。だが、書き直すのは手間がかかるし、それは気もひける。なので、その必要がないように、今日は新カテゴリーの設置をここで書いておく。このカテゴリーは前回は訪問者数66666の時に書いた。その時、70000になるのは2か月後かと書いたが、70000を記録したのは1月6日で、まさにぴたり2か月後だ。だが、正確な70000は、何度も書くように、このブログを非公開で書いていた2005年5月22日から同年の大晦日までの224日分の筆者が見た224回分を足した70224でなければならない。その数字を超えるのは明日かあさってだ。それはさておき、カテゴリーはなるべく増やさないことに決めている。だが、いずれもうひとつ増やすかもしれない。あるいは別のIDを取得して、別のブログを作るかもしれない。そうなればこのブログは毎日投稿出来ないだろう。また、別のブログを作るとしても、このブログが一段落してからだ。あるいはふたつのブログを持つとややこしいので、このブログに新カテゴリーを設けるかもしれない。そんなことを半年ほど前から考えている。同じブログが長い間続くのは長寿番組のようにそれなりに愛着があっていいが、マンネリの恐れもある。そのために新しい名称のブログをと考えるのでもないが、名前が変われば内容も変わって来るのではないかと、ぼんやりと思う。また、筆者の年齢でマンネリから脱却出来るかどうかは疑問であるから、新ブログは何か新しい衣装を着てみたいという程度の思いだ。
それにしてもここ2、3週間は、話題を鎖のようにつないであれこれ書いて来て、久しぶりに調子に乗ったように面白かった。本ならば売れ行きで反響がわかるが、ブログでは普通は書き込みの多さや訪問者数で、それがここ2、3週間、かえって減ったところがあるので、筆者の面白がりようは、全くのひとり相撲であるようだ。そういう無駄骨にいつまで耐えられるかだが、元気で気力がある間は書いておくに越したことはないと思っている。書くことは考えることであるから、毎日考える癖をつけておくのはボケ防止になるのではないかとも思う。正月に母に会うと、とても元気でよくしゃべり、全くボケの片鱗もなかった。それがとてもうれしい。親がそうであるのに、息子がへたばってはおれない。一昨日工作舎の編集者からメールが届き、去年6月に送ってもらった新刊本の著者が年末に52歳で亡くなったとあった。人間は半年で大きく変化する。そう思えばこのブログが1日も投稿を欠かさず、今年5月で丸6年を迎えることは、ちょっとした根気と運を思わねばならない。元気な間が花だ。さて、明日は朝から地元消防団の出初め式があり、その後は自治会の新年会がある。いよいよ正月気分から抜け出さねばならず、また筆者の仕事が本格化して、長文を書くのが困難になりそうだ。それで、そろそろ「おにおにっ記」のフィナーレの続きを始めようと思う。これは1か月は続かない。それが終わった後は駅前の変化シリーズを再開するが、実は「おにおにっ記」のフィナーレは、書くべき内容は逐一溜め込んではいても、まだ全部書き終えていない。その理由はいつか書くことにする。そして、その頃には新ブログを始めるか、新カテゴリーを設けることを考えている。