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●『ベルナール・フォコンの見た夢 ノスタルジーを超えて』
身大の人形の源流はエジプトやギリシア時代の彫刻にあると言ってよいが、ルネサンス期にそれが蘇り、それに続くバロック時代のイタリアでは、解剖学への関心から人体の内部を正確に蝋で作ることが行なわれる。



●『ベルナール・フォコンの見た夢 ノスタルジーを超えて』_d0053294_22282172.jpgフィレンツェにはそういう模型ばかりを集めた小さな博物館があり、そこでは20代の若い女性をモデルとして、その裸体の表面から内臓まで全部蝋で再現した解剖人形がガラス・ケースの中に横たわっている。フィレンツェに行った時、真っ先にそれを見に行ったが、恐い物見たさと、何事も徹底してやり抜く西洋を実感する思いもあった。そうした伝統のうえに、19世紀末に女性の衣服を販売する店が等身大の人形を求め、その需要に彫刻家が応えてマネキン人形を作り始めたのはごく自然なことだ。筆者はマネキン人形を何歳から自覚したであろう。マネキンという言葉を教えてもらったのは母からで、3、4歳の頃だろう。それはさておき、よく歩く大阪の天神橋筋商店街に、戦前か戦後直後と思われるほど古いマネキン人形を数体置いた洋服屋がある。そのあまりにもレトロな古い顔と色合いを現役の展示物として見るのはそれなりに楽しい。そういうマネキンがまだ通用することと、そうした古い感覚の店で買う客が今もあることが、いかにも大阪らしい、そこにはほっとさせるものがある。昨日書いたように、ファッションのモードは次々と、ワン・シーズンごとに変化する。資本主義社会では、他の店より多く売上げることが最大の目標であるから、買手の懐具合や、多少の流行後れはどうでもいいという気持ちに反して、季節ごとに新しいデザインの商品を送り出そうとする。そして、そうした最新モードの衣服を着せられるマネキン人形は、それに見合った表情、化粧、体形が求められる。衣服が新しくなったのに、マネキンが同じでは、客は自分が流行遅れになったと感じるだろう。であるから、マネキンもワン・シーズンごとに新しいものが売り場に用意される。だが、マネキンはそこそこ高価であるはずで、店としてそう毎回買い替えることは出来ない。そのため、大きな売店ではリースという形が求められるだろう。となれば、今までに作られたマネキンの総数は膨大なものとなり、それら全種を保管することは、小さな伏見人形とは違って、空間確保の点でまず不可能だ。
 マネキンで思い出すのはキリコの絵だ。だが、キリコの描くマネキンは、洋服を仕立てて仮縫いなどを着せるボディとほとんど同じで、頭部はあるものの、そこに表情はない。キリコはあえてそうしたマネキンを画題として用いたのだろう。リアルな顔があれば、鑑賞者はそこに意識を集中してしまうからだ。次に筆者が思い出すマネキンと言えば、東郷青児の絵だ。昭和30年代、東郷のそうした美人画が大変流行した。絵に関心もない人でも東郷が描くマネキンのような女性像を記憶に留めたであろう。東郷は確かにマネキンを意識してそのような絵を量産したと思うが、そこには女性の理想像を求める思いがあったのだろう。たいていは夜を感じさせる暗い色合いで、全体に青が支配する中、灰色がかったパステル・カラーでマネキンのような滑らかな肌が描かれる。シュルレアリスムの影響をそのように一種倒錯した美人画に描いた東郷は、モードやマネキンとの関係で再評価されるべきと言えるが、どういうわけかそうした作品にはほとんど接する機会がない。また一時期あまりに流行したために、芸術としてさほど評価しないという評論家の見方もあると思える。脱線ついでに書くと、京都の河原町三条の朝日会館には、かつて東郷の大きな壁画があった。それを実際に壁に描いたひとりが筆者の中学の美術の先生であった。拡声器を持った東郷が路上から指示し、足場に乗った若い画家がそれにしたがって描いたとのことで、その壁画は建物が建て替えられた時になくなったものの、ポスター・サイズの縮小画が現在はビルの玄関脇の壁に飾られている。そこには、マネキンのような女性数人が夜らしく暗い空間に浮遊している。時代が変わり、東郷のそうした絵も時代後れとなったと言わねばならないが、一流の芸術はいつの時代においても新しいと目される何かを秘めている。ファッションもまたそうであるが、シーズンを経ればそれは否応なく、古いものとしての烙印を押される。ファッションはその意味で消耗品だが、これは身につけている間に擦り切れたり汚れたりする消耗性が大きく関係しており、人は自分の皮膚が定期的に新しくなるのと同じように、新しい時代の衣服をまとい続ける。次にマネキンを思い出すのは、フェリーニの映画『カサノヴァ』だ。そこでは女性遍歴を重ね続けたカサノヴァが、マネキン人形のように凍りついた女性の機械と踊る場面があって、筆者はそのシーンがとても好きだ。女を追い求め続けるように本能づけられている男の哀愁と言おうか、フェリーニが解釈したこのカサノヴァ像は、風刺と同情が入り交じって、男にとっては身に染みる思いがする。カサノヴァは出会う女性ごとにその場は全力で愛し、またものにしたが、その多情さは、女性から見ればほとんど機械のように思えるものだろうが、映画では逆に女性を機械で動くマネキン人形として表現していたのは、カサノヴァにとって、女性は単なるセックスの記号と化していたと見るからだ。実際のカサノヴァは女性の等身大の人形については書いておらず、これはフェリーニの女性観の投影で、そこにマネキンの存在が大きく影響しているのは興味深い。
 次にマネキンで思い出すものとして、ロンドンのマダム・タッソーの蝋人形館がある。ロンドンに行った時、そこに行くつもりであることをサイモンさんに伝えると、イギリス人にしかわからない人物が多いので、あまり勧められないとの意見で、それにしたがって見に行かなかった。それはさておき、マダム・タッソーの蝋人形は、人間を剥製にする思想の産物で、伝統的な写実的彫刻をマネキン人形の素材で作ったものだ。ビートルズのアルバム『サージェント・ペパー』のジャケットは、自分たちを初め、何体の蝋人形を同館から借りて来たうえで、蝋人形に見せかけた写真パネルもたくさん用意して、集合の記念写真としてデザインしたものであった。そうした集合写真を学校の遠足写真などから日常馴染んでいた筆者は、それに何の違和感も抱かなかったが、蝋人形がビートルズであることはわかっても、どこか似ていない部分も濃厚にあって、本物のビートルズの写真と見比べながら、マネキン人形に不気味さを感じたものだ。これは写実の度合いが実際の人間に迫り切っていないことが理由であろうが、仮にビートルズ本人から型取りして、本物の人間と寸部違わぬ人形を作り得たとしても、同じ思いは拭い去ることが出来ないのではないだろうか。マネキン人形が持つそうした性質に敏感に反応したのが、たとえば東郷青児であったと思うが、マネキン人形は、衣服を着せてショー・ウィンドウに展示するという本来の目的だけではなく、理想的な体の女性像を作るという男の欲望がその裏には強く張りついてもいる気がする。そう言えば、日本は人形が盛んな国だが、幕末には等身大の女性美人の人形が作られた。性器や陰毛まで再現したもので、衣服を着せたうえで見世物に使われたりした。それは歴史的には西洋のマネキンとは無関係で、等身大の美女の人形を作りたいという男の思いが、洋の東西を問わずにあったことを示す。ここには、人間が自分たちの模型を作らずにはおれない本能を持つことが示されているが、それと肖像写真は近い関係にある。
 京都で筆者が暮らし始めた頃、すぐ近くに吉忠マネキンの工場があった。たまにトラックにたくさんの裸体のマネキン人形を積み下ろししているところを見かけたものだ。その工場はその後次第にひっそりとし、ついには近年大型スーパーに取って代わってしまった。不況のために倒産かと思えば、そうではなく、多角経営をしながら規模をむしろ拡大し、世界に進出している。また、同じ右京区の四条通り沿いに七彩工芸というマネキン会社が今もあって、京都はマネキンの発祥の地であるようだ。最初は島津製作所の一部門に人体模型の製作があり、その延長上にマネキン製作が行なわれた。やがてそれが独立して吉忠や七彩になるが、フランスからマネキン作家を招いて新作を作らせたりしながら発展した。だが、現在のユニクロを見てもわかるように、売り場によけいなマネキンを占めさせずに商品を出来るだけ多く並べるという思想のもと、マネキンの需要は急速に減少した。もはやマネキンは時代後れと言えるが、その一方で人体から型取りしたリアルなものから、ほとんど漫画のようなものまで多様化し、マネキンが芸術の一手段という方向も生まれて来ているように思える。そうなればレトロなマネキンにも光が当たることがあって、筆者が天神橋筋商店街の古い洋服店で古いマネキンを見て心に留めることをもう少し発展させ、それを芸術行動に積極的に結びつける者もいるのではないか。また、マネキンは消耗品でありながら、大きなものであるだけに、同じ主が店を続ける限り、そのまま置かれ続けることが多いであろうし、そういうものをどうにか入手して大切に保管、あるいは何か創造行為に利用するという人もあるだろう。前置きが長くなったが、そういう人物のひとりが、今日取り上げる写真家のベルナール・フォコンだ。神戸ファッション美術館に行く気になったのは、このフォコンの写真展があったからだ。昨日掲げたチラシの画像の右下隅にその告知が載っている。フォコンの作品はファッション・フォトグラファーの作品とは全く別物であるので、双方が同時期に同じ美術館で作品展示されることはいささか奇異だが、フォコンの写真は収集した少年のマネキンを野原などに配置して撮影したもので、マネキン人形という項目でファッション・フォトグラファーの作品とは接している。
●『ベルナール・フォコンの見た夢 ノスタルジーを超えて』_d0053294_2229117.jpg

 フォコンの写真は80年代から雑誌などで知っていた。その実物に接する機会が関西では今までになかった。年末にふと昨日掲げたチラシを見ていて、その隅にフォコンの作品展が同時開催されていることを知った。フォコンは筆者より1歳年長で、南仏に住む。集めたマネキンは大半が少年のもので、1920年代の蝋製だ。着ている服も紋章などをプリントした派手なTシャツではなく、昭和30年代かそれ以前の古いものを感じさせる。写真はカラーで、決まって正方形をしている。これはハッセルブラッドのような6×6サイズのフィルムを使っているためで、その厳格な様式性を守るところにフォコンの美意識がよく表われている。マネキンたちは野外で対話し、あるドラマを繰り広げる。そしてそこに雷が光ったり、炎が上がっていたりする光景をフォコンは撮影しているが、南仏特有の明るい陽射しの中でのマネキンの行為は、静謐でしかも胸騒ぎを催すもので、一度見ただけでその戦慄すべき世界に囚われる。似たものを片山健が初期の画業で描いたが、実物のマネキンを用意して周到な計画のもとに撮影したフォコンの作品は絵空事ではない部分が大きく、より悪夢めいた面持ちがある。フォコンは70年代後半にこうした写真を撮り始め、それを9年だったか、続けた後、ぷつりとそうした様式で撮ることをやめてしまう。1年のうち10日だけ仕事をするといったフォコンの言葉が会場にあった。それは霊感が訪れ、それをつかんで創造行為に携わることが出来るのが、その程度の日数との意味だろう。これは全くそのとおりではないか。フォコンは少年のマネキンを野外に配置して撮影するという芸術的閃きを10年ほどで使い切ったのだ。それは潔いことであり、また霊感が去った悲しみも伝える。フォコンがそうした写真を撮らなくなった理由は、自分が老いるのに、マネキンがいつまでも同じ状態であることに耐えられなくなったことだ。そのため、1990年、大切にしていたマネキンから83体を七彩に打診して買ってもらうことにした。七彩はそれを東京で一度展示したことがあるが、今回は全体揃って、しかもフォコンの写真とともにの展示で、これは必見ものだ。ファッション美術館のチケットもぎりのカウンターを過ぎてすぐの、いわば通路部分に83体のマネキンが勢揃いしている。それはきわめて衝撃的な体験で、しばし呆然とたたずんでしまう。83体は『サージェント・ペパー』のアルバム・ジャケットを思わせるような配置で、筆者と同世代のフォコンが同アルバムに影響を受けたことは確実視される。また、同アルバム・ジャケットのパロディを作ったザッパの同時期のアルバムからも感化されたであろう。だが、そうであってもそれらはちょっとしたヒントであって、フォコンの写真には自分が幼かった頃の記憶が濃厚に染みつき、無邪気にそうした写真を撮る行為に勤しんだと思える。ではなぜ人間を使わずにマネキンを使ったのか。そこには人体をリアルに再現する彫刻からマネキン人形に至るまでの造形の歴史に目を配ったことと、少年愛という倒錯した思いもあったかもしれない。会場ではマネキンを使わずに、実際の少年を使って同じように撮影した近年の作が1点だけ展示されていた。それはマネキンを使った作に比べて平凡な気がした。マネキンは死んだ自然、つまり静物画的な画題だ。それを光溢れる野原の中、すなわち生きた自然の中に置くことは、死と生の火花の散らし合いを見せることになる。それゆえ、フォコンはしばしば炎とともに撮影した。
 勢揃いしたマネキンはみな鑑賞者の方を向いていたが、全員が同じものを見ておらず、目の焦点はばらばらであった。そして、筆者は自分が動いて、数体の少年の目と焦点をそれぞれ一致させてみた。少しでも動くとそれはずれてしまうが、確かにマネキンと対話出来るわずかな細い視線がある。その視線の合致は、瞬間的にマネキン少年と意志が通じたような錯覚をもたらす。だが、ほんの少し視線をずらすと、少年は同じ笑顔でありながら、一挙に遠い国の住人と化する。鑑賞者が筆者以外にいなかったためでもあるが、その時の思いは新鮮でありながら、とても孤独で、また恐さを伴った。確かにフォコンがそうしたマネキンを常にかたわらに置くことにはとても耐え難いことであったろう。買った七彩は、普段は山科の倉庫に置いているというが、暗闇の中で同じ表情でいることを思うと、さらに恐怖が迫って来る気がする。もうすぐ製造されて100年を迎えるマネキンなので、資料的価値も大きいということでフォコンから購入したのだろうが、フォコンの写真とあいまって、その価値は異様さを伴って今後も人を魅惑するだろう。筆者は伏見人形を100体ほどかたわらに置いてこれを書いている。家内はいつもその人形の視線が部屋中に充満していて、考え始めると気味が悪いと言う。誰かが所有していたものが大半を占めるので、以前に持っていた人の思いも染みついているだろう。部屋の中に、人形とはいえ、多くの視線があることはあまりいい気がしないという思いはよく理解出来る。だが、伏見人形は吉祥を題材とするものが中心で、また大きくても高さ30センチ程度だ。同じ人形とはいえ、マネキン人形とは全く違う。マネキン人形は本来は裸であり、その艶めかしさを秘めている点で、伏見人形のように愛玩すべきものではない。また、そうであるからこそ、マネキンに倒錯した思いを抱きがちにもなる。落語家の立川談志が10年もっと前か、TVで裸の女性マネキン人形に抱きつきながら股間を撫でていた。それを笑いながら批判する出演者に、男なら誰でもこうしたいものだと反撃していたが、マネキンはあまり表に出ない、秘めておくべき存在であるかもしれない。
by uuuzen | 2011-01-07 22:29 | ●展覧会SOON評SO ON
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