人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●神戸ファッション美術館
かりの美術館と称して、神戸に関係する画家や彫刻家の作品を展示する美術館が出来たことは知っていた。それがファッション美術館の内部にあることがわかったのは去年のことだ。



●神戸ファッション美術館_d0053294_16295017.jpgまた、ファッション美術館については、企画展のチラシを以前からよく見かけていたが、その洒落たいかにも神戸にふさわしい名前から、筆者のような流行のファッションから時代後れの人間には無縁と決め込んで、行くつもりはなかった。それが去年12月にはぜひとも行きたいと思うことがあった。それは明日にでも書くとして、26日に高槻のしろあと歴史館を訪れた後に、同じく初めであった、この美術館を訪れたことについて、ざっと書いておきたい。そうそう、高槻でカトリックの教会に感心したが、神戸は京阪神では最もキリスト教が似合い、筆者の神戸の知り合いにも信者がいる。カトリックの教会は高槻のものより立派なのが山手通りの北にあるし、また他の場所にもある。そういう土地柄の神戸は、大阪の「食いだおれ」、京都の「着だおれ」に対して、「履きだおれ」と言って、靴のメーカーが多く、姫路に近い長田辺りにそれが集中している。ファッションという言葉は、主に衣服を誰しも思うので、着だおれの京都がふさわしいようだが、京都の「着」は和装であり、ファッションという外来語には馴染まない。それに、靴はファッションの基礎であって、いくら上等なスーツやドレスを着ていようが、靴が古ぼけていては台なしだ。であるから、神戸の履きだおれは、ファッションの言葉を主張するにふさわしい。しかも、神戸とファッションを結びつけて「神戸ファッション美術館」と名乗ることは、京阪神にあって、流行の先端は自分たちの県がリードするという自負が強く込められている。それはいささか鼻持ちならないところがあって、それを思うので筆者はこの施設には関心がなかったし、またこの美術館が筆者のような年代に来てもらうことはほとんど想定もしていないと思えることが、「神戸ファッション」という言葉に込められている雰囲気がある。よく京阪神をたとえて、京都で学び、大阪で仕事をし、住むのは神戸と言われ、実際そのように生活している人はきわめて多い。この場合の「住む」はもちろん環境がよいことで、大阪や京都に比べてファッショナブルな場所でありながら、人と自然がよいことを意味している。簡単に言えば、芦屋のような、絵に描いたような金持ちの生活だ。大阪市内にはそういう場所はきわめて限られるし、京都は淀川を遡った奥深い盆地にあって、歴史の黴のようなものがまとわりついて息苦しい。神戸はその点、海辺が大阪以上に開けていて、しかもそこに高級感が付与されている。これは東西に細長い都市で、海を開発するしか術がなかった苦肉の策だ。大阪市や府は、大阪の湾岸も今後神戸のそれのような雰囲気に持って行きたいようだが、大阪湾地域は昔ながらの柄の悪さを完全に払拭することは不可能であろうし、神戸に後れている状態は100年やそこらではないだろう。神戸はそれをよく知り、そのれもあって、海辺にこのような神戸を象徴する大きな美術館を建てた。神戸市産業振興財団が運営管理し、1997年に出来たが、もうそんなになるかという思いがする。
●神戸ファッション美術館_d0053294_16325131.jpg

 神戸ファッション美術館のある六甲アイランドという人工の島は、もっと西にあるポートアイランドとともに、六甲山を削って、その土砂で埋め立てたもので、昭和時代の市長がそれを積極的に推進した。ポートアイランドが出来た時には、ポートピアという祭りが開催され、それに出かけたが、1981年のことだ。この島にはジーベック・ホールという施設があって、ここには何度かコンサートに出かけたことがあるが、今もあるのだろうか。三宮からポートライナーというモノレールで島に向かうのと同じように、六甲アイランドには六甲ライナーというモノレールを使うしかない。六甲アイランドはポートアイランドより10年ほど後れて着工され、住宅地としての利用が主な目的であった。これまた今もあるのかどうか知らないが、20年ほど前、六甲アイランドの南端の桟橋から大きな船に乗って九州に行ったことがある。電車の片道料金で大分を往復することが出来るうえ、また夜出発して朝に着くので便利であった。六甲アイランドにその後行くことになったのは、小磯良平の記念美術館が目的で、何度か行ったが、美術館前に広がる高層マンションの林に無機質を思って、とてもこういうところには住みたくないと以前書いたことがある。その時心配したのは、食材の買い物をどうするのか、庶民的な八百屋などがあるのかといった思いであった。阪神尼崎駅前にもそれと似た大きなマンションが数棟にょきりと建っているが、すぐ近くには庶民的な商店街があるし、また高層のそうしたマンション内部にフロア全体をスーパーとしてもいる。おそらく六甲アイランドの高層マンションのワン・フロアもスーパーになっていて、思ったほど買い物には不便を感じないのだろう。人間の生活はどこでも同じで、その住居の形が変化するだけと思えばよい。また、そうした新しく出来た未来風の街は、入念な計画によってどこに学校や病院を配置するか、きわめて機能的に造られているはずで、昭和時代の面影を残す街より住みよいかもしれない。特に若者はそういう街の景観を楽しむだろう。また、老人ホームもそうした新しい街にこそ出来やすく、老人にとってもそういう街は今後は馴染みになるかもしれない。その一方で筆者が思うのは、たとえば最初に出来た千里のニュータウンで、それが老人の街と化し、また容易に建て代えられないこともあって、不便を感じながら老朽化に任せている部分があることだ。六甲アイランドも数十年後に同じように老朽化して予想のつかない問題が生じている可能性はある。それを思わせたのが、阪神淡路大震災で、ポートアイランドとともに地盤の一部に問題が生じた。だが、さほど大きなことにはならなかったのは、人工島の安全をかえって本土より証明もしたと言える。それは地盤もそうだが、耐震設計をしっかりとした高層マンションでもあったからだろう。その点で言えば、昭和レトロの家並みは地震にはひとたまりもなく、そういう脆弱さが若者からすればますます時代後れの老人の住む家ということになる。こういう世代間の思いの差はどうしようもないものがあって、筆者は時代の育ちもあって、六甲アイランドの高層マンションは、快適さはわかっても、住みたいとは思わない。そこに住むには車を持つのはあたりまえ、そうでなければ六甲ライナーに乗る必要があるというのでは、」ぶらりと散歩もする気になれない。だが、ほしい本やCDはネットで買える時代になり、自宅にいながら何でも事足りるのであれば、快適で洒落たところに住むのも、毎日ホテル住まいの気分でいいではないかとも思わないでもない。
 六甲ライナーに乗るには、JRと阪神が乗り継ぎの駅がある。阪急阪神1日乗車券が1200円であることは以前書いたが、これで阪神の魚崎に出る。この地名はいかにも海を思わせる。雨に濡れずにそのまま高架でつながった長い通路を行くと、六甲ライナーの駅につながり、そこからふたつ先が小磯記念美術館のある駅で、そのひとつ向こうがアイランドセンター駅でそこにファッション美術館がある。魚崎から240円で、割高感が強いが、まださほど年月を経ていないので、これは工事費の回収の点からは仕方がない。このアイランドセンター駅で降りたのは初めてのことで、小磯記念美術館から見た高層マンションの林立する景観とはかなり違って驚いた。それはマンションだけではなく、形の変わった建物があって、アミューズメント性を見たからだ。つまり、高層マンションのみの味気なさとは違って、三宮などに出ずとも、その島の内部の施設だけですべて事足りると思わせたことだ。先に日常の買い物のスーパーについて書いたが、それ以外に人は娯楽が必要で、そうしたものも当然この島内部で満たされるように配置されている。六甲ライナーは空中を走る。駅に着いた時、左手にUFOのような円盤型の巨大な建物が見え、それが即座にファッション美術館であることを知った。いくら方向音痴の筆者でも、そこに到着することは出来たし、また人を導くための表示が充分にあった。そして同館に着くまでの間、その巨大な建物に至る通路、そしてその建物内部には、庶民的な街にあるさまざまな店があって、建物の外観が異なるだけで、人の求めるものは同じであることを確認した。そうした未来的でファッショナブルな建物であるから、その内部の店はイタリアンやフレンチのレストランばかりかと思うとそうではないということだ。ラーメン屋もあればうどん屋もあって、建物とのギャップの差が面白いと言おうか、いかにも関西らしいと言おうか、あるいはそれが日本の姿であるかもしれない。和洋中と何でもあるのが日本で、その雑多的多様性がこうした未来的と言ってよい人工島にそのままあるのが面白い。となれば、ファッション美術館のあり方も当然それに倣うのではないか。
 円盤型の建物の中に入ってまず到着したのは3階であった。そこは図書館になっていて、無料で入れるのかどうかわからず、窓から外を見ただけであったが、展覧会を見た帰りにまた立ち寄って、無料で見られることがわかって中に入った。表から見えのはまずCDの棚で、それがいくつかのブースで聴くことが出来るようであった。これらのCでゃファッションに関係のあるものかと言えば、そういう観点で主に集められているのかもしれない。それはアメリカ音楽でしかもジャズやロックになるだろう。民俗音楽も少しあったように思う。それらのCDは貸し出しをしておらず、そこで聴くようになっている。Fのコーナーを見るとザッパがなく、その名前がいかに浸透していないかがわかる。またざっと見たところ、ごく普通の誰でも知るようなロック盤がほとんどであった。それですぐに図書室に向かった。ファッションに関係する図書が3万点弱あるそうで、その数にまずおののく。筆者の友禅の仕事はファッションに大いに関係するので、筆者なりに今までにそういう関係の展覧会を欠かさないように見、また図録も買って来たつもりだが、3万点となると、背表紙を見るだけでもかなり時間がかかる。数十人が入っていて、その中には専門家やまた暇潰しの人が混じっているだろう。本の貸し出しは出来ず、中で閲覧するのみで、筆者は棚には接近せず、そのまま外に出た。CDの棚の手前、通路際の窓辺にキューピーの頭型ないしやや細長の宝珠型のガラス製のランプがいくつか置かれていて、作家の名前も記してあった。図書室で最も目を引いたのはそれで、価格の表示を何度も探したが目につかなかった。きっと売り物のはずであるであるのになぜだろう。思ったより安ければほしいと思ったが、形がやや細長いのが今ひとつで、もっと丸い宝珠型を作者に特別に頼んで作ってもらうことは出来ないだろうか。そんなことを思いながら、作者名をメモする筆記用具を持たず、また頭の中のメモは早々に消えてしまった。それはいいとして、その図書室の前にあるエレベーターに乗って1階に降りたところにファッション美術館がある。また、入って右手がそれで、左手は別のカウンターがあって神戸ゆかりの美術館となっている。これは1997年に出来たというが、それまではファッション美術館の企画展に使っていたのではないだろうか。天井が狭い小磯記念美術館に比べて、天井は非常に高く、とても立派な空間だ。こういう場所に絵画が展示されるのはとても気分がいいだろう。作品も断然よく見える。
●神戸ファッション美術館_d0053294_10501628.jpg
 館内に入る前、表に出るための大きな扉があることに気づき、外に出た。頭上を六甲ライナーが走り、眼前に円盤型の建物だ。それを4枚つながりのパノラマ写真に撮った。上に掲げるのがそれで、両端に写るのはモノレールの高架だ。館内のチラシで知ったが、近くには鳥のショーを見せる施設があって、その様子はTVで見たことがある。入場料が1500円だったか、それ以上であったか、割高感があるのは、動物を扱うからであろう。フクロウなどが飛んでいる姿を間近で見られるようで、いつか見たいと思うが、いつになるやらだ。野鳥を見せる施設は大阪湾岸にもあったと思うが、そうした施設は美術館とはいささか趣が違い、またいつでも見られるという意識が働いて後回しになり続ける。さて、ファッション美術館は企画展が目的で、常設展(ベーシック展示)は想像したとおりであった。それはみんぱくで言う西洋のファッション版で、洋服の本質をさまざまな主題から見て作品を配置している。フランスの有名ファッション・デザイナーの作品がマネキンに着せられて展示されることは常識の部類に入るが、ごくわずかに東洋の衣服や染織品も展示してファッションという横文字の言葉に囚われない広がりを見せているのは、洋の東西の交流史からしても欠かすことの出来ない処置で、またその東洋のファッションをわずかながらでも見せることで、京都の着だおれや、あるいは京都国立近代美術館が時に開催するファッション関係の企画展とのつながりを表わしている。色彩や素材、あるいはアートとの関係をテーマに衣裳を多角的に展示し、ファッションに特別興味のない人でもそれなりに楽しめるようになっている。以前書いたように、エル・アナツイの近年の作は瓶のアルミの蓋を銅線でつないで大きな布状にしたものだが、それと全く同じ発想で作られたドレスがあった。60年代のフランスの作であったと思うが、人間の考えることはどこでもあまり変わらない。広々とした展示室は壁で仕切られず、その点もみんぱくと同じ雰囲気が漂っていたが、筆者が最も長い時間を費やしたのは、最後の復元コーナーで、ナポレオンの戴冠式の衣裳をフランスの工房に依頼して復元したものと、その製作工程の説明があった。これはダヴィッドの有名な絵画をもとに作り上げたもので、フランスにナポレオンのその衣裳が残っていないのは意外だが、案外そのようなものかもしれない。この復元は徹底してなされ、想像以上に手間がかかっている。たとえばマントの周囲の白い毛皮だ。これは規則正しく黒の毛が斑点状に見える。実は日本でも棲息しているテンの一種の毛皮で、それを1000匹単位で必要としたという。動物保護の観点から現代によくぞそのような復元が可能であったと思うが、この美術館の最後のコーナーを飾る作品として、日仏とも大いに気炎をあげてこの復元作業に携わったのではないだろうか。どの程度の製作費用であったのか、豪華な刺繍や生地、文様を見ていると、権力者が最も時代の粋の染織技術を用いた衣裳をまとうことがよくわかる。それはスーツがあたりまえになった現代にはないものだが、たとえばローマ・カトリックの法王は、そうした特別豪華な儀服をまとっているから、西洋はまだ伝統が絶えていないと見るべきだろう。そうした僧服までこの美術館は展示するものではなく、たとえばキモノにしても数点で、友禅物は地味なものが1点だけであった。また朝鮮やモンゴルの衣裳はなく、東洋はなおざりにされている。神戸にすればそれは京都がやるべしという思いか。日本のファッション専門の美術館であるのに、西洋のファッションを中心に見せるところに、現代日本の縮図がある。それは六甲アイランドという、人工的な未来型都市にはよく似合っている。
by uuuzen | 2011-01-05 16:30 | ●展覧会SOON評SO ON
●高槻の城北通り >> << ●『女神たちの肖像 ファッショ...

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?