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●干支の人形
根つきをしたり独楽回しをする光景はもう正月には見られなくなった。それどころか、振袖姿も昨日は見かけなかった。昭和時代がレトロの言葉と結びつけられて歴史時代に入ったように郷愁の眼差しで語られるのであるから、それも当然かもしれない。



昭和が古いものとしてまとめられ、そこで生み出された古いものは、あえて日常的に楽しむごく一部の粋な人のものになっている。あるいは普通の人でも、その古さを面白がる心の余裕を、多少は照れているのだがといった気分とを自他ともに示しながらでなければ、もう抱くことが出来ない時代に入って、日本の正月らしさは急速に変化して来た。それがかろうじて留まっているのは年賀状くらいなものだろう。年賀状の官製はがきは、ここ数年えらく種類が多くなって、多様化の時代を認識させるが、基本的なデザインは戦後すぐの頃と何ら変わらないのがよい。それは簡単に言えば朱色1色で印面が刷られていることだ。その色合いは毎年微妙に異なるが、赤がめでたい色と認識されていることには変わりがない。それは神社の朱色につながっていて、これだけは日本から神社がなくならない限り、踏襲されるだろう。ただし、年賀状が今後も存続するかどうかは多少疑問にも思える。少しずつ面倒なことや無駄、虚礼を削り取って行く方向に日本が向かっていることは確かで、そういう流れの中でどこまで年賀状が欠かせないものと思われ続けるかは予想がつかない。昔は暑中見舞いのはがきもよく送ったのに、それを律義に出し続けている人はどれほどいるだろう。受け取る年賀状の10分の1程度の枚数というのが相場ではないだろうか。それはさておき、小学生の頃から切手を集め始めた筆者は、年賀状を中学生の頃からよく出し、また官製はがきの年賀状の朱色印刷にはいつも注目した。当時は切手でもようやくカラー印刷が盛んになり始めたが、凹版印刷の切手が今とは違ってまだ多く、それは1色刷りであるから、年賀状の官製はがきの朱色1色とは雰囲気が似合っていた。現在の切手がもはや1色で刷られることがなくなったにもかかわらず、年賀状だけが最後の牙城として朱色1色で刷られるのは、神社の色と同じめでたい雰囲気を大切にするという思いもさることながら、この切手やはがきにおける1色刷りの伝統を絶やさないという思いが強いからではないか。そしてこの1色刷りは、とてもシンプルでデザイン的にも美しいと感じる思いは、カラー印刷があたりまえとなって来ればかえって増しているのではないだろうか。シンプルな美が日本の美の本質であり、豊富な色を使うにしても、まず日の丸の国旗の白と朱を基本とする。
●干支の人形_d0053294_12595929.jpg

 年賀状のデザインを考える時、筆者はいつもこの1色刷りを思う。そして近年は切り絵を作ってそれをデザインにしているから、はっきりとした明暗対比で刷る。そして、白ははがきの紙白であるから、インクは朱色のみでいいことになる。そして毎年朱色で刷りたいと考えるが、プリンターのインクでは朱色はマゼンタとイエローを混ぜて発色させるから、インク・カートリッジは青色はなくてもかまわないが、マゼンタとイエローは必要だ。ところが、ネットで買う期限切れの安価なインク・カートリッジはいつもイエローが硬化してマゼンタしか使えない状態で、そのために筆者の年賀状は朱色ではなく、そのマゼンタだけを使った色になる。これを今年こそ朱色にしようと考え、補充用のインクを大量に買った。今までに使ったカートリッジは全部残してあって、そのうちの最も新しいものに3色のインクをたっぷり注ぎ込んで準備したところ、プリンターはエラー表示を出す。どうやらインクを入れ過ぎたようで、ボタボタと零れ出る。充分零れ切った後で使えるようになると思うが、年末の印刷には間に合わず、仕方なくイエローが固まってマゼンタだけが印刷出来るカートリッジにマゼンタのインクを補充し、それで印刷した。つまり、去年と同じようにマゼンタ1色になった。これは朱色とはえらく違って洋風の派手さがあるから、本当は気に入らないが、大きく見ると赤であることには変わりがなく、どうにかめでたい雰囲気からは外れていないと思うことにしている。だが、本当は朱色で印刷されているはがきの表と同じ色調が望みで、イエローのインクを何本も買ったので、来年こそは朱色にしたい。もしそれがそうなっていなければ、また何かトラブルがあったためということになる。どうでもいいような裏話を書いているが、これは筆者の美意識に関わる重要な問題であり、断固として筆者は写真を印刷したり、またパソコンのプリンターでカラー印刷をした年賀状をデザインしない。これは昭和レトロの古い人間の感覚と笑われてもだ。
●干支の人形_d0053294_1303914.jpg 白と朱色だけがあれば何でも事足りたのではない。昔から人々は眼前にすべての色を見ていたし、作るものにも同じような多色を用いることが出来ればどれだけいいかと願い続けた。そして眼前のものと同じ色合いに対する思いは、今ではパソコンのプリンターで簡単に実現される。そのように日常に総天然色が氾濫したのはここ数十年のことで、写真は白黒と思っていた時代はかなり長かった。それへの郷愁を簡単に忘れ去ることは出来ないだろうし、また昨日掲げた渡月橋の写真のように、眼前の景色が色を失った墨絵のような場合はあって、いつどこでも色が氾濫しているというわけではない。だが、めでたいものとなれば、目立つ色が歓迎され、それは先に書いたように白と朱の対比が基本だ。そしてそこに色合いを添えるために黄色や緑、そして青を少し使ったりする。チューブ入りの絵具ではそれらはみな同じ分量が入って売られているが、全部が均等に減って行くことはない。たとえば筆者のプリンターでは、正常に3色が出る状態のカートリッジであっても、必ずイエローが真っ先になくなる。それで補充用に他の色の3倍ほどの量を買った。これは、筆者の印刷するものがイエローがかっているものが多いことを示し、誰でもそうだとは言えないだろうが、黄色がかっているのは人間の肌もそうで、黄色が真っ先になくなるのはもっともという気がする。それだけ黄色が自然界のものには一番多く含まれていると思うが、うまい具合に自然は黄色の絵具となる材料を最も豊富に持っている。これは顔料でも染料でも同じだ。それもあって、朱色の次に黄色がよく用いられる。また黄色は緑色を作る場合にも必要で、朱、黄、緑といった順に人々には馴染みであったと言ってよい。もちろん緑は黄色と青を混ぜて作るので、青が緑より多いが、藍で作る青は、朱や黄色の顔料、染料とは扱いがかなり違って、基本は布の浸し染めであるから、チューブ入りの絵具のような感覚で扱えることが出来ず、また藍色よりはるかに鮮明で派手な色がごくわずかにあって、それを絵具として利用出来たので、藍色は朱や黄とは同列ではなく、やや離れたところにそれのみで立っている色という思いが強かった。そしてそのことが、青を日本の絵画において朱や黄とは違ってあまり用いないという意識につながった。めでたい色合いで言えば青は否定的なものであり、それも理由として重なった。江戸末期、化学的に派手な青が簡単に合成出来るようになると、日本では青を基調とした版画などが生まれるが、それは今のパソコン・プリンターの出現と同じほど画期的なことであり、また足枷となっていたものがなくなったという物珍しい思いが強いあまりのことであった。
●干支の人形_d0053294_1311045.jpg さて、日本は中国から暦を取り入れ、干支は今でも用いられており、年賀状ではそれを特に意識する。年末に展覧会をいくつか梯子した時、高槻のしろあと歴史館に始めて行った。そこで伏見人形を初め、いくつかの土地の今年の干支人形の小さな展示があって、パネルの説明には、正月の展示として郷土玩具がとても人気があると書いてあった。それは昭和レトロ人気なのか、あるいは今後もそのまま持続する普遍的なめでたい気分を代表する造形であるためかはわらない。今の若い世代にとっては、郷土玩具は豊富にある造形のごくわずかなひとつでしかない。郷土玩具を正月らしい、つまりめでたい色合いや形のものとして愛好する人は、60や70代以上の世代が中心であろう。しかも、昔と違って郷土玩具の製作に携わることだけで生計を立てるのは、ほとんど不可能に近い。出来たとしても商品はとても高価になる。そのため、現在製造される郷土玩具は昔のものとは何かが違ってしまっている。そして古ぼけた昔の郷土玩具により味わいがあるという気持ちになって、郷土玩具がますますレトロなものであるという思いが増加する。しろあと歴史館という、歴史を紹介する展示館であるので、古い郷土玩具を展示するのは理屈によく合っていて、人々は今はもうない、あるいはあってもほとんど普通には人目に触れることのない玩具を安心して懐かしむが、厳密に言えば細々とながらもまだ作り続けられているものであり、こうした展示は商品の陳列ケースとみなされかねない。簡単に言えば、公的機関がなぜ、特定の商品を展示するのかという思いだ。そのため、今はない古作が本当は望ましいが、そうしたものであっても、それらが新作につながっているという理由によって、やはり商品の宣伝ということからは完全に逃れることは出来ない。だが、画家の絵画がよくて、郷土玩具がおかしいという意見は通らない。画家も食うためには金を得なければならず、現存画家の作を公的な美術館が展示することは、その画家の名声アップ、すなわち商売繁昌につながって、その片棒をかつぐことになる。それでもそういうふうに物事を考える人はまずおらず、芸術は金とは無縁のきれいなものという幻想を抱く。郷土玩具は、それなりに名の知られた作家が作るが、たいていは作品の背後に隠れて、それを買う人は無名性のものと思いがちだ。その無名性が、芸術家の作るようなものではないという見下げた思いと、それによる大切にされないことと合わさって、わざわざ立派な施設で見るまでもないものという思いにつながっている。その一方では、郷土玩具の展示はきわめて珍しく、その意味で歓迎されもする。そして、その歓迎は正月らしいといった、1年に一度程度はという物珍しさであって、正月を祝い、年賀状に干支をデザインする風習がある限りはそれなりに残って行くだろう。あるいは、キューピーやゲゲゲの鬼太郎、ウルトラマンといった有名キャラクターとの合体が今後は出て来るかもしれない。もうそうなっているかもしれないが。
●干支の人形_d0053294_1313822.jpg

by uuuzen | 2011-01-02 23:59 | ●新・嵐山だより
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