支那虎という語を中国で充てるのであれば面白いが、実際はどうだろうか。虎と言えば今年の干支で、それがもうすぐ兎に変わる。年賀状は昨夜投函したが、元旦には届かない。

切り絵を作り、それをパソコンのプリンターで印刷し、プリント・ゴッコと手書きを加えているので、丸1日では終わらない。毎年やめようと思いながら、今年も書いてしまったが、そう言えば毎年2、3人は送って来なくなるので、減少の傾向にあるから、この調子ではいずれ誰にも書かなくなるかもしれない。さて、今日は週1回の長文日だ。しかも最終週なので、思い出の曲を取り上げる番だ。何がいいかと2、3週間前から思っていたところ、まずフランク・シナトラのこの曲が思い出された。スーパーに夜に買い物に行く途中、歩く速度にちょうどこの曲「夜のストレンジャー」が似合い、メロディを口ずさむ。そして、ストレンジャーとは筆者のことだ。1966年のヒット曲で、当時中学生の筆者はビートルズの曲に混じってこの曲がラジオからよく流れるのを聴いた。歌詞の内容を知らないので、タイトルからイメージしたが、それは真っ暗な街をひとりで歩くコート姿の渋い男性の姿であった。今思い返せば、それはジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」が影響していた。そして、そんな孤独な歌詞の曲を歌うシナトラはえらく大人びて見えたが、悪く言えばおっさん臭かった。もう世間ではロック全盛であったから、戦前から活躍するシナトラのようなジャズ・シンガーの曲がなぜ今頃ヒットするのかという気持ちであった。それを言えばプレスリーもそうであったが、これはまた別の機会に述べよう。このカテゴリーで何度も書くように、ビートルズは今でも手変え品変え、同じCDが何度も発売され直し、そのたびにそれなりに若いファンが増えているが、ビートルズの曲が日本のヒット・パレードをにぎわしていた頃、シナトラのこうした曲も大ヒットしていたのであり、それらをビートルズと一緒に回顧して聴かねば当時の音楽状況や人の好みを正確には把握出来ない。さきほど計算すると、この曲はシナトラ51歳のものだ。貫禄があってあたり前だが、それからさらに30年以上生きるから、中期の代表曲と言っていいだろう。筆者はシナトラのベスト・アルバムの2枚組LPを所有していて、たまに聴くものの、ファンというほどではない。だが、この1966年のヒット曲だけは昔から好きで、よく思い出す。ヒットしていたのをリアル・タイムで聴いたからであろう。当時の他のヒット曲に混じっても際立った特徴があって、シナトラの曲の中でも異質な詩情をたたえているのではないだろうか。ただし、それは歌詞を無視してシナトラの声とオーケストラの響きだけからの想像で、先に書いたように、知らない街の霧に曇った夜を筆者は思い浮かべるが、孤独でありながら、どこかそれを楽しんでいる、また色めいた雰囲気がある。つまり、絶望ではなく、希望の色合いがある。10代半ばの筆者はそう想像していた。
このカテゴリーのために、筆者はシングル盤のレコードをたまにネット・オークションで買う。この曲もそうだ。ただし、聴くのはたいてい一、二度だ。それで満足する。不思議なもので、その一、二回で60年代にラジオから聴いた時と全く同じ細部まで即座に思い出すことが出来る。また、当時は2分30秒というシングル盤の平均的な長さがけっこう充実して長く感じたのに、今はその半分ほどの気がする。つまり、「もう終わり?」なのだが、この思いは年を重ねるほど強くなるらしく、100歳まで生きても死ぬ寸前には一生があっと言う間であったと感じるに違いない。それはいいとして、この曲の題名の「ストレンジャー」は複数で、これはお互い知らない間柄の男女のことだ。そんな男女が出会って一瞥でお互い意識し合うという歌詞内容で、ラヴ・ソングの変形だ。夜に男女が出会うのであるから、これはバーかホテルのラウンジのような場所を想定するしかない。また、知らない男女が出会ってすぐに意識し合うことはよくあることだが、それは動物的本能というもので、かなりエロティックだ。シナトラが歌うにはふさわしい歌詞で、ビートルズではさまにならなかった。また、中学生の筆者はまさかそんな歌詞とは想像もしなかったが、どこか艶めかしい大人の雰囲気があると直感したのは正しかった。また、中学生になれば異性を意識し始めるから、当時この曲の歌詞の意味を知っても筆者はたじろがなかったであろう。中学生でも一目惚れはあり、またその視線を相手の女性が一瞬で感じることも珍しくない。筆者は中学生の頃、自分がそうして意識した女性には振り向いてもらえず、意識しない女子に家の近くを何度もうろつかれたりしたが、そうしたことは大人でもたいして事情は変らず、そのためにこの曲の歌詞はよくある出会いのようでありながら、映画的なお伽話と言えるかもしれない。シナトラは戦前からジャズ歌手であったが、映画にもよく出演し、それらの経験が全部この曲に入り込んでいる。また、シングル盤のジャケットを見て知ったが、この曲は66年のアメリカ映画『ダイヤモンド作戦』の主題歌という。映画的な雰囲気があるのはもっともなことだ。同映画にはシナトラは出演しておらず、またアクション・コメディだが、どういう使われ方をしているのか、機会があれば見てみたい。日本盤のジャケットの顔は50歳とすれば多少老けている気がするが、若い頃のヤクザのチンピラ風の顔に比べて貫禄が出て、これが本当にシナトラという気がする。
この曲のオーケストレーションはかなり豪華だ。また始終どの楽器も同じように鳴り響くのではなく、数小節のみたとえばピアノが強調されるなど、短い間にうまくアレンジされている。またこれだけ壮大なオーケストレーションは当時珍しかった。この後にビートルズはホワイト・アルバムで「グッド・ナイト」に似たオーケストラを使うが、そこにはシナトラのこのヒット曲の影響を考えてよい。もちろんこの曲に限らず、ビートルズは広くジャズの曲を意識したであろうが、アメリカで近年どういう曲がヒットしたかを考えなかったはずはなく、そこにこの曲が浮上したと思える。それには別の理由がある。この曲は作曲者の名前にケンプフェルトがクレジットされている。ベルト・ケンプフェルトの曲をよく知る世代は今は60代になっているが、筆者もどうにか「星空のブルース」など、ケンプフェルト楽団の曲には懐かしさと馴染みがある。ビートルズを聴き始めた時、ビートルズがドイツのハンブルクでケンプフェルトと交流を持ったことを知った。ビートルズのスター・クラブでのライヴ録音は音が悪いが、あれはケンプフェルトがどのように関係したのだろう。ともかく、ケンプフェルトがいち早くビートルズの才能を見抜き、ビートルズはその一種の恩を忘れなかったはずだ。そのケンプフェルトがシナトラに曲を提供したとは面白い。歌詞は別人が書いたが、これも微妙にビートルズに影響を与えている気がする。シナトラはビートルズの「サムシング」をこの世で最も美しいラヴ・ソングと絶賛した。その「something」という言葉はこの「夜のストレンジャー」の歌詞にも効果的に出て来る。それはいわば2番目の歌詞として、3回重ねて次のように歌われる。「something in your eyes were so inviting, something in your smile was exciting, something in my heart told me I must have you(きみの瞳の何かがとても誘惑的だった。きみの笑顔の何かがとてもすてだった。きみの心の何かがぼくに言った、ぼくはきみを手に入れると。)」この3行はあまりいいいとは言えない。エロティックなのはいいが、多少露骨で、娼婦に向かっての気持ちを歌っているようなところがある。だが、「something」の言葉を入れることでそれを和らげ、また謎めかせてもいる。そして、この歌詞をジョージ・ハリソンがどこかで意識して、3年後に「サムシング」を書いたと考えればどうか。そこでは最初にこう歌われる。「Something in the way she moves,Attracts me like no other lover(彼女の動きの何かは、他の恋人とは違ってぼくを魅惑する)」シナトラの曲では2人称であったのが3人称に変わっている。そのことでエロティックさは減じ、歌われる女性のイメージはより手の届かない何かに変化している。それをシナトラが思ったかどうかわからないが、シナトラが「サムシング」を名曲と称えた裏には、「夜のストレンジャー」の歌詞の世界に描かれる夜の繁華な街のイメージに食傷していたとも思える。簡単に言えば、シナトラは60を前にして枯れ始めていたという想像だ。シナトラのような男にとって、女性はいくらでも手に入るものであったはずだが、案外本当に好きな女性には手が届かなかったのではあるまいか。あるいは、そういう女性がいても手に入れたいとは思わず、魅惑的な動きを見つめるだけでよかったではないか。そして、そういう気持ちをビートルズの「サムシング」が代弁した。
シナトラにとってビートルズの登場は当初きわめて目障りであったと思える。ビートルズがいなければ自分の歌手人生はもっと順調でより大きな人気を持続し続けたと考えたであろう。だが、シナトラが「サムシング」を絶賛したことは、ケンプフェルトがビートルズの才能を誰よりも早く見抜いたことと同じで、結局は音楽性の豊かさに脱帽したことを示す。そこにシナトラの大きさを見る。ビートルズ人気が今でも盛んでも、シナトラの曲を愛する人も今後なくなるはずはない。それどころか、100年後に20世紀の大衆音楽史が書かれた時、シナトラはその代表格として君臨しているだろう。筆者はシナトラのファンではないが、何かにつけてシナトラに関係したことにぶち当たることがあって、無視出来ない存在は認める。たとえばザッパはシナトラの曲を引用しているが、ザッパは同じイタリア系としてシナトラをどのように見ていたかと思う。これはまだ誰も論じていないことで、そういうところにもシナトラを踏まえる必要を感じる。だが、シナトラの録音はあまりに多く、それらをつぶさに聴くのは多大な時間を要する。そこでベスト・アルバムとなるが、残念ながらそれは安直過ぎる方法で、かえってシナトラの魅力をわからなくさせる。最後につけ足しておくと、シナトラで思い出すのは、レコード会社のリプリーズを設立したことだ。「夜のストレンジャー」はその自分の会社から出した。リプリーズと言えば、ビートルズのアルバム『サージェント・ペパー』にアルバム・タイトル曲のリプリーズ・ヴァージョンが収録されているし、またザッパの70年代初頭のアルバムはリプリーズから出た。シナトラはリプリーズを設立する前にキャピトルに在籍したが、ザッパはキャピトルでオーケストラを使ったアルバムを録音した。無関係に見えて、案外関係があるのが音楽の世界だ。筆者が66年当時にこのヒット曲に接していたことは、妙な偏見を持たずに済み、またとてもいい思い出となっている。それにしても、一瞥で男女が意識し合うことを、誰しも何歳になっても内心思っていることだが、そうした一瞬の出会いが永遠であることは、筆者がこの曲を最初に聴いた頃と同じような気分で思い返すことが出来ることによって証明される。そして、この曲では、「Lovers at first sight in love forever(一目見の恋人たちは永遠の愛にいる)」と歌われる。まるで禅語のような表現だが、一瞥の永遠性はつまりサムシングであるわけで、そのサムシングは謎めいて語り尽すことが出来ない。感じた何かについて今後も書いて行きたいが、一瞬で感じたことをこうして時間を費やして長々書くことにどれほどの意味があるのかと思わないでもない。ましてや、その長文に一瞬で伝わる価値あるサムシングがあるのかどうか。