QPと書けば短くていいように思うが、英語ではKewpieだ。これは愛の女神のcupidから転じている。昨日は球形のガスタンクのてっぺんにキューピーかオバQの人形が置かれれば面白いと書いたが、オバQが咄嗟に出たのは、キューピーがQとPで発音するからだ。

また、オバQのQはキューピーのQにヒントがあったのではないだろうか。それはいいとして、白いガスタンクのてっぺんにキューピーという発想は、ガスタンクと同じように丸くて白いものが蕪で、最近蕪をよく買って来て料理することから出たものと思える。蕪は大根よりとても柔らかいので、一緒に炊く時は先に大根を充分炊いておく。それでも蕪は煮崩れをしてしまうほど柔らかい。蕪を女性、大根を男性とたとえるのはそんなところからだ。蕪は先端が尖って宝珠型でしかも根が伸びている。この形から、キューピーの作者の女性ローズ・ローズはキューピーのトンガリ頭を思いついたそうだ。納屋で蕪を見かけたとのことだが、そうした田舎に住んでいたことがキューピーの発想の原点になっているのは示唆的だ。キューピーが蕪に似ているのでそうした話が捏造されたと見る向きもあるが、ローズがキューピーの物語を新聞に発表し始めた最初の号に、そのように載っているので、このローズの言葉は信じていい。また、日本の本『キューピー村物語』には、キューピーは赤ちゃんからイメージを得たという意見が書かれているが、それは言うまでもない話で、ローズが母性本能からこの永遠のキャラクターを生み出したことは、歴史に残る存在はそれを生み出す人物と不即不離の関係にあってこそであることを思う。後でも触れるが、ローズは2回結婚して離婚し、子どもをもうけなかった。そこには言い知れぬ孤独があったのではないだろうか。その代償に自分の赤ちゃんをイメージしてキューピーを作り上げた。だが、このキューピーがキューピッドそっくりであるからには、ローズはギリシア神話から借用し、それを現代風にアレンジしたに過ぎないとも言える。そのアレンジの仕方は、蕪頭の天使とするもので、その田舎風がアメリカを体現している。つまり、キューピーはローズが背伸びをせず、最も身近なところから発想したもので、であるからこそ世界中に知られる存在になったとも思える。ローズのすべてがキューピーに投入されたのだ。今年はそのキューピーが生まれて100年というが、筆者はローズが生みの親であることを知らなかった。また、それを知る必要がないほどに、キューピーは誰でも知るものとなって、それをローズは喜んでいるに違いない。

筆者が最初に意識した人形はキューピーだ。2歳下の妹が生まれた時、母はキューピーの人形を買って来た。そのキューピーと半裸の妹が一緒に写った写真がある。生誕100日の祝いに近所の商店街の写真館で撮影してもらったものだ。キューピーは妹と同じほどの大きさで、また写真の妹は全くキューピーそのもので、頭の毛が同じように尖っている。それに妹はとても色白で、生まれた時はほとんど金髪であったから、ますますキューピーそっくりで、それで母はその人形を買って来たのだろう。当時筆者は3歳であったが、そう言えば筆者の息子が生まれた時には、誰に買ってもらったのか、キューピー顔のダルマ人形があった。キューピー人形はそのように時代とともに変化し、また性別を問わずに子ども用として買われるようだ。また、子どもだけではなく、大人でもキューピーが好きな人がいる。筆者が大阪の設計コンサルタンツに勤務していた時、梅田の環状線高架下の分室に仕事が終わってからバンドの演奏の練習に通っていた時期がある。その時、その事務所には夜勤専門の中年男性がいた。いかにも田舎っぽい人で大柄だったが、さびしさを紛らわせるためか、手持ち無沙汰なのか、当時の男性には珍しく、毛糸の編み物を趣味としていた。しかも何を編むかと言えば、高さ10センチほどのキューピー人形をたくさん買って来て、それに帽子やドレスなど、全部色も形も違う衣服であった。そして、それらを着せた人形を並べて飾っていて、ほしければ持って行っていいとも言った。会社が警備のために雇った人であるから、信用が出来てしかも腕力があることが求められたはずで、編み物の趣味は一見おじさんの風貌に似合わなかったが、人のよさそうな雰囲気からは、人形好きでしかも手先が器用であることは意外ではなかった。あまり親しく話したことはなかったが、キューピーの小さなソフビ人形を見ればそのおじさんを思い出す。おじさんがキューピーに編み物の衣服を着せたのは、当時すでにそうしたことが雑誌などで紹介されていたからだろうか。その後同じようなものを2、3度見かけたことがある。裸のキューピーを見て、それに暖かい衣服を着せようと思った優しい心の持ち主のおじさんは、どんな人生を経て当時ガード下の事務所でひとりで暮らしていたのだろう。今どうしているかと思うが、もう亡くなったかもしれない。

ローズは1874年ペンシルヴァニア州に生まれ、幼少の頃から歌や演劇、絵画などが得意であった。また美人であったので、母親はローズを女優にさせようとするが、ローズが最も好きなことは絵を描くことで、19歳でニューヨークに出て学ぶ。人気イラストレーターになる一方、ヨーロッパの社交界でも知られるようになるが、その頃のことは今回の展覧会では詳しく触れられなかった。19世紀末から20世紀初頭で、当時はアール・ヌーヴォー全盛期だ。先に書いた本『キューピー村物語』は、ローズがキューピーを主人公にして、1909年から描き始めた新聞の連載漫画をもとにしたものだ。新聞は『レイディズ・ホーム・ジャーナル』で、その名のとおり、家庭の婦人用の新聞だ。そこでローズは大きな紙面いっぱいに、日本の漫画とは違ってコマ割りせずに物語を描き込み、各場面のかたわらに文字を手書きしているため、かなり読みにくい。それを本の同じサイズのページに収まるように解体し、筋立て順に各ページに絵とセリフを割り振っている。これはかなり複雑な作業であったはずで、その点、本はうまく絵と文章をページに収めている。また、どうしても無理な箇所があったはずで、それを逐一対照することは出来ないが、明らかに奇妙な図がある。それは最初の回で、人間の赤ちゃんがキューピー村に迷い込み、キューピーの警官に牢屋に入れられたのを、他のキューピーが救出するという話でのことだ。キューピーたちが妙案を相談する場面で、数人のキューピーが立つ中、黒い謎めいた柱が数本キューピーたちの中に生えている。そしてその向こうには、キューピーの頭と同じとんがり頭の何かがたくさん密集して描かれるが、これはキューピーではなく、横縞が引かれるところ、蕪に見える。こうした謎は原画を見なければ解明しない。今回の展覧会で最初のコーナーに展示されたのは、この第1回から最終回までの新聞やその版下であった。版下はプロが見ると面白い資料なので、今回は12年前に出版された『キューピー村物語』を読んで関心を抱いた人にはまたとない機会であった。で、黒い謎めいた柱というのは、ローズのサインだ。ローズは自分のサインを擬人化し、絵の中に同居させた。そして、Rは2本、Nで1本、最後のllで2本といったように合計5本の足を下に長く伸ばして書いた。その黒い5本が、先の図ではキューピーたちの姿に混じって背高く林立している。自分の名前を絵と考えていたのは、アール・ヌーヴォー時代を感じさせるし、またその長く伸びた文字を含むサインは、全体としてまさにアール・ヌーヴォー調だ。

『キューピー村物語』にはキューピーのほかに人間が登場する。そしてローズ自身と思える女性が第1回の冒頭に人間の赤ちゃんと一緒に描かれる。この女性はローズより14歳年配のアルフォンス・ミュシャが描く石版画の女性像そっくりで、ロースがミュシャの影響を強く受けたことは明らかだ。これはヨーロッパのアール・ヌーヴォーがアメリカの女性に与えた影響の大きさを示すだろう。だが、ローズはミュシャそっくりの自画像をキューピーの物語に潜ませながら、ミュシャにはなかった赤ん坊や、赤ん坊の象徴としてのキューピーを主役にし、またキューピー村という言葉からわかるように、キューピーをさまざまに個性化した。中には水に住むマーキュープというのがいる。これは下半身が人魚になっている。またキューピーの頑固な老人や、蕪のように尖った麦藁帽子をかぶったファーマー、その他村長さんや大工さん、警察官など、みな同じキューピー顔だが、身につけているものが異なることで見分けられるキャラクターを何人も登場させる。そこには、ローズが見る人間社会の縮図がある。都会文化が急速に拡大する1920年代以前のことであったうえ、ローズは二度目の結婚が破綻した後、35歳で実家のあったミズーリ州のボニーブルックに戻り、そして『キューピー村物語』を描き始めたから、キューピーがアール・ヌーヴォーの雰囲気をたたえるのはもっともなことであった。ニューヨークにいたのでは同じ物語が生まれたとは思えない。また物語には、ローズが当時の労働をどのように見ていたか興味深いことがさりげなく描かれる。それは石炭掘りや煉瓦積みをするキューピー労働者に対して、最大限の敬意を表している点だ。石炭や煉瓦というのがいかにも前時代的な設定だが、そういう時代をローズは生きたし、機械が何でも片づけてしまうのではないことに、一種の愛着を抱いている雰囲気もある。つまり、まだ手作りが盛んであった時代にローズは生きてキューピーを描いた。その表現はデッサンを正式に学んだ者だけが可能なもので、漫画よりもまだ西洋に写実的な天使の絵に近い。これがもしもう少し後のアール・デコの時代にキューピーが発案されたのであれば、形や表現はもっと変わっていたであろう。

ローズのキューピー以外の絵が多少展示されたが、それらは印象がうすい。もっとまとまった数の作品を見ないことには何とも言えないが、ローズはイラストレーターとしてキューピーの漫画を描き、そしてゼリーやアイスクリームなど、企業の要請から多くのポスター、あるいは絵はがき用にイラストを描くことで名を残した。それでいいではないかと思う。ローズにすればキューピーだけで終わりたくはなかったはずだが、キューピーの人気があまりに圧倒的で、人々はそれ以外のローズの才能を求めなかった。キューピー人気は間もなく人形を求める方向に動き、ローズは設計図を描いてドイツの工房で手足や首の動く大小さまざまな人形を作ることに歩み出す。ドイツは19世紀半ばからビスク・ドールの生産で有名で、その技術に頼る必要があったのだ。そうした人形は日本のキューピー・マヨネーズのロゴ・マークと同じ格好だが、やがてもっと動きのある形のものが作られる。それらは60種ほど確認されていて、1914年から17年までの製作だ。その後素材はセルロイドの軽いものが登場し、もちろん日本でも大きなブームが湧き起こる。言うなれば、日本の現在の漫画やアニメのキャラクター・ブームの先鞭をキューピーはつけた。また、大阪では有名なビリケンもアメリカ生まれだが、それはキューピーほど有名にならなかったのは、愛くるしくないからだろう。日本でキューピー人気が爆発するのは大正時代のことで、さまざまな商品の宣伝に使われたりする。日本では独自の発展をしたが、それは目玉の表現だ。ローズは黒目を右か左に極端に寄せて描いたのに対し、概して日本のものはローズの描く表情よりもっと可憐だ。その表情は当時の少女のイラストに描かれる瞳を思わせ、日本の美人画の系譜が多少はキューピーの表情に入り込んだ。1920年代のオリジナルのドイツ製の人形は、口が日本のキューピーよりもっと大きく、お転婆な印象が強い。その表情はそのまま不二家のペコちゃんに引用されたが、一方のキューピー人形では、日本がイメージする西洋人形の表情となって、しかもそれは微妙に本家の西洋人形とはズレがある。ともかく、アメリカ生まれのキューピーはドイツで立体化され、日本に輸入されてまた変化した。だが、アメリカとドイツが戦争をするようになって、日本でも戦時中はキューピーはもてはやされなかったのではあるまいか。あるいは禁止されたかだ。だが、今回は日本製の人形がかなり多く展示され、その中にはチョビ髭を生やした軍服姿のヒトラー・キューピーまであったから、すでに日本のもの、つまり一種の郷土玩具化しているとの思いがあったかもしれない。また、真っ黒なキューピーがあったのは、アメリカの黒人用だろう。それは昭和30年代の日本のダッコちゃんの到来を予告しているように見えた。

ローズは1944年に亡くなる。キューピー人形を生み出した後、四半世紀をどのように過ごしたのであろう。先日のネット・ニュースでは、『ワンピース』を生んだ漫画家の今年の年収が20億円と見積もられていることが書かれていた。ローズはキューピー人形を特許申請し、それによってどの程度の収入が毎年あったのだろうか。世界的人気とはいえ、当時の日本は特許使用料を支払っていたとは思えず、『ワンピース』の作者のような規模の収入ではなかったのではあるまいか。展覧会場でキューピー・マヨネーズが展示されているか、またそのロゴ・マークの由来についてひとこと書いてあるかと期待したが、それはなかった。キューピー・マヨネーズにすれば、特許の権利が切れた後でロゴを作ったのであるから、何ら問題はないと考えているに違いない。だが、その会社のロゴが今度は商標登録されているのであれば、どこか腑に落ちない。そういうことが許されるのであれば、特許が切れた途端にロゴとして誰でも登録することが出来る。ローズは、愛を運ぶキャラクターとしてキューピーを描いた。その愛とは人によって考えが異なるが、『キューピー村物語』を読めば、ローズの思いが伝わる。ローズは男性の愛、そしてその結果としての自分の子どもへの愛には縁がなかった。だが、であるからこそキューピーにすべてを注ぎ込んだ。筆者にはその愛くるしいキューピーの笑顔の向こうに悲しいローズの思いが宿っているように見える。それは莫大な特許料が手に出来たとしても癒されることはなかったに違いない。そして思うことは、人間はそのように、全生涯の痛みと交換に永遠に愛される何かを得ることだ。会場の最後には、日本で近年作られたキューピーと有名キャラクターの合体人形がたくさん展示された。キューピーは特許が切れているから、そうした合体人形は、もう片方のキャラクターを生み出した漫画家などに権利があってお金が支払われる。ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父の帽子をかぶったキューピーや、ウルトラマンの衣装を身につけたキューピーなど、筆者はそれらを全然面白いとは思えない。何でも合体すればいいというものではない。悪ふざけが過ぎ、また金儲け主義が見え透いている。金への愛があるだけで、ローズが願った人間愛がどこにあると言うのだろう。ところで、オバQとキューピーの合体人形は無理だろうか。あるいはマニマンとキューピーの。