葛やその他雑草だらけの桂川の河川敷に向かって歩いていると、ちょうど嵯峨芸術大学の真上辺りに、雲とするには小さ過ぎる染みのようなものが目に入った。今月20日のことだ。
よく見ると、ゆっくりと動いている。どうやら飛行船だ。調べるのが面倒なのでこのまま書くが、「おにおにっ記」にも飛行船ネタを書いたことがある。その時の飛行船も同じように嵯峨芸術大学の真上辺りを飛行していた。で、カメラを持って出なかったので、取りに帰ろうかどうか迷っていると、飛行船は筆者の方に向かって来た。そして、渡月橋の下流500メートルほどのところでUターンをし始めた。また。筆者から遠ざかるようなので、カメラを取りに帰ることに決めた。家まで500歩ほどの距離であるから、戻って来てもまだ飛行船はさほど遠くまで行っていないだろう。カメラを手にして家を出ると、予想とは違って、阪急嵐山駅前に向かって来る。つまり、船首を90度ほど左に向けて前進したのだ。駅前の広場に立って見上げると、速度を上げてぐんぐんこちらに向かって来る。頭上に来るまで20秒ほどだった。最大にズームアップして1枚撮り、松尾の方に向かって去る姿を今度は嵐山駅と一緒に写し込んだ。それはズームした写真で見るのとは違ってえらく小さく見える。ズーム写真では船体に書かれた宣伝が見えそうだが、撮影角度がそれを妨げている。飛行船は渡月橋の真上を飛ばなかったのは、橋からでは船体の真下になって、文字を読めなくなるからだろう。ともかく、時計の針回りに旋回して南に去った。その翌日また右京区の上に飛んでいるのを見かけたが、飛行船は毎日どこに停泊するのだろう。京都にそんな場所があるだろうか。飛行機と同じ扱いなら、八尾の飛行場になるが、それならより近くて人の多い大阪を飛んでいる方が宣伝になる。それにしても飛行船は目立つ。もちろんそうであるので宣伝に利用される。空にぽつんと大きな胴体を浮かべている様子は、海で言えばマンボウみたいで、ユーモラスでいい。飛行船はそれでも孤独か。自分は大勢の人の注目を浴びていても、下界の人の顔は見えない。そのため、注目されているかどうかもわからない。そうであるから、暴走族はいつも大きな音を立てて走る。孤独であるから振り向いてほしいのだ。顔をしかめられようとも、無視されるよりましなのだ。飛行船は小さなプロペラの音を立てていたが、風の向きによって聞こえるだけで、下界の人は上を向いて歩かない限り、飛行船には気づかない。
嵐山駅と飛行船を一緒に写した写真を見ながら、それが今月の9日、嵯峨芸術大学で郷土玩具の面展を見た後、近くで見かけた夕日に照る雲の写真と構図が似ていることに気づいた。先日はその時2枚の写真を撮ったと書き、最初に写したものを掲げた。2枚目を今日掲載するが、どこが違うかと言えば、右端に近景としての家が写っていないことだ。構図的にどちらが面白いかと考え、その家を省いた方がいいと思った。だが、今も判断に迷う。右端に家があると、田畑が家で侵食されている様子がより強調される。それがいやだったのだが、その辺りは家屋が増加傾向にあり、最初の写真の方が事実に近い。だが、事実を伝えるのが目的ではなく、構図としてどちらが面白いかだ。また、その2枚目を撮った時、空に大きく飛行船のように浮かぶ雲を強調するには、下界の家並みは小さな方がよく、そして遠くのピンク色に染まった雲と同じように水平であるのがよいとも判断した。写真家はこうした好みの構図を瞬時に把握し、シャッターを押す。そうした決断力は絵画の製作でモチーフを見つけることとは違って、いかにも現代のスピード社会に似合っているが、そうして撮られた写真もまた、瞬時に見られることで終わる。写真の鑑賞は、絵画とは違ってもっと瞬間的だ。それはいいとして、飛行船のような雲がぽっかりと浮かぶことだけに注目したのではなしに、遠くに見える水平な雲に太陽の光が当たって輝いていることに心が動いた。その輝きがうまく写るかと思ったが、結果はさっぱり駄目であった。写真はいつも現実ほどきれいではない。2次元の写真が3次元の現実にかなうはずはない。それは全く別のものなのだ。その時の写真を改めて見ながら、遠くで輝いていた雲に注目した理由を考えると、筆者はどうやら輝くものが好きであるようだ。そのために、たとえば自分のキャラクターのマニマンをLEDで作って光らせようと考える。暗いところでぽつんと輝くものが好きなのだ。そう言えば「おにおにっ記」ではそうした輝きもののネタが多い。その輝きは、たとえば金のネックレスを身につけるといった行為には結びつかない。筆者はそうした装身具を身につけることはむしろ嫌いだ。その輝きは、内に灯るようなローソク、あるいは夜の灯台のようなものだ。
みんぱくにエル・アナツイ展を見に行った時、常設展示で仮面の写真を2枚撮ったことを数日前に書いた。その時、実はもう1枚写真を撮った。青森のねぷただ。その輝きは眩しいというものではない。薄暗い館内では目立たないほどの光だ。それでも館内が完全に暗闇であればその光はもっと目立つし、またそういう暗い夜が青森の真夏にはあるのだろう。ねぷたのあの過剰とも言える光は、そうした夜に反応したものと思える。なぜみんぱくでそのねぷたの写真を撮ったのか理由がわからないが、こうして書いていて、クリスマスのイルミネーションが脳裏にあったことや、元来筆者はそうした灯りが好きであることを思い出し、無意識のうちにねぷたに同じものを見ていたと考える。撮っておきながら、没にしかけた写真だが、こうして書いていると、意識はみなつながっていて、突如と思えることでも案外そうではなく、ちゃんと理由があることがわかる。それは眠っている間に見る夢と同じだ。何ら脈絡がないストーリーではあっても、それぞれのエピソードはよく考えると思い当たることばかりと言ってよい。思い当たらないことでも、おそらく気づかないだけで、いつか意識したことが変形しているはずだ。今思い出したが、ねぷたのあるコーナーにいると、60代の女性ふたりがやって来て、稲妻と炎を染めた歌舞伎の衣裳の前で海老蔵の事件のことを話し出した。酒癖が悪いことを謗っていたが、女性にすれば酒癖の悪い男は女癖の悪い男と同じほど軽蔑すべきものだろう。筆者は正月になればまた酒をたくさん飲むことになるし、自治会の新年会も2回あって、そこでもまた飲む。筆者は酒好きな方だが、なければないで平気で、その点では富士正晴とは全く違う。また酒癖は悪くない。酔いはしても、人に絡んだり、大声を出すことはしたことがない。いい酒と思っているが、これから先はどうなるだろうと思うことがある。富士正晴は酒を毎日たくさん飲んではあちこちに電話した。それは人恋しさからであると本人は書いている。筆者もそんなふうな気持ちになることが今後増えるだろうか。老いるということは、若い頃に想像も出来なかった難儀を知ることでもあると何かで読んだが、強固な意志といったものが崩壊して行くのかもしれない。強固であろうが軟弱であろうが、もうどうでもいいではないかという気持ちになるのだろう。筆者はすでにそういう思いの境地に入っている。
ねぷたは夜が暗い方が映えるが、毎年ねぷたが開催される頃、夜空の月はどうなのだろう。満月であれば明るくて、暗闇を求める恋人たちには迷惑か。先日の22日、展覧会に出かけた後、バスでいつものスーパーの近くで下り、買い物をして帰った。松尾橋をわたってバスの通らない裏道をいつも行くが、そこには比較的大きな畑があって、そこは筆者のお気に入りの場所だ。その畑に差しかかった時、満月が雲に挟まれて光っていた。その日が満月であることをその時知った。「おにおにっ記」には満月のことを何度も書き、また「ムーンゴッタ」と書いているが、ゴッタとは球体のことだ。もちろん筆者が勝手に名づけたもので、辞書には載っていない。満月は筆者にとっては特別の意味がある。本当は三日月がそうなのだが、月と言えばやはり満月がいい。それに勝る夜の光源があるだろうか。ねぷたやネオン、クリスマスのイルミネーション、どんなものが束になってもかなわない。満月をじっと見ながら、ひとりで孤独に酒を飲むのもいい。だが、筆者にはそういう詩人めいた趣味はないし、またあっても似合わないので、その姿を想像するだけだ。先に書いたように、筆者は酒がないならないで済ませられる。真夏にビールが無性に飲みたいような時でも、飲んだことを想像すると我慢が出来る。我慢することなどないが、飲めば底がないような気がして、それなら飲まないでおこうと思う。また、そんなに酒を飲むほど家計が豊かではない。それで、思うだけでいいのだが、満月も同じかもしれない。本物の満月を見ると、毎月あっと心が躍るが、こうして書いていても、心の中に満月を思い浮かべると同じ気持ちになり、そして心が落ち着いて来る。それは、普段心が騒いでいる証拠だ。結局筆者は慌ただしく騒々しいだけの人生を歩み、落ち着いた貫禄などとは無縁に終わるだろう。ところで、渡月橋に月がわたる光景を見たことがないが、そういう光景を思い浮かべることは出来る。その時に月は三日月が似合いそうだ。そして、太陽と三日月を足すと、「明」という字になるが、筆者にはそんな時代がかつてあり、未知なる未来を思いながら渡月橋をわたったものだ。それが今は、ひとり孤独に初めて訪れた町で初めての橋をわたり、白いガスタンクに眼を留めて、面白くもない写真を撮っている。