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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●万博公園東口と「夢の池」
画展が3か月ほどと長いみんぱくへは、ほとんど見逃さずに訪れている。そして、時間があれば隣の本館の常設展示に立ち寄る。ここはじっくりと見ると2、3時間はかかるので、好きなコーナーだけ回るが、いつもどこか工事中で閉鎖されている。



それは館の増設であったり、また展示替えであったりするが、30年前とほとんど変化していないコーナーも多い。常に資料が集まる施設であり、また常設展示しているものはそれら全部をとうてい覆わないから、展示内容に変化があるのはいいことだ。だが、以前親しんだものがなくなっているのは惜しいという気もする。それらは仕掛けが壊れたり、あるいは脆弱な素材で作られていたため、劣化したという理由が大きいと思える。エル・アナツイ展の後、常設展示を見たが、西アジアのコーナーで、ある染織品の色合いが褪色していることがわかった。同じ状態で展示していると、館内がうす暗かっても、褪色しやすい色は変化する。なぜ褪色かがわかったと言えば、館の方も褪色が気になったのか、今まで下に隠れていた部分を多少表側に回して見せるようになっていたからだ。それは図らずか、あるいはあえてのことか、今まで光が当たらなかった部分と、当たって来た部分が比較出来るようになった。館内は全体に光を落とし、作品をスポット・ライトで照らして見せることが基本になっている。入場者が少なくても埃は溜まるから、それをどうして掃除していることかと思うが、その光景を見たことがない。また、係員を極力少なくして、いつも筆者ひとりが館内を回るというほどにガラガラ状態だ。夢の中のようなことに思わせるその非現実感がよい。また夢と違うのは、いつ行っても同じ空気が支配していることだ。先日はふと20数年前のことを思い出した。その時、ある若い女性(筆者もまだ若かったが)と一緒に館内を回り、日本の東北の田舎の家屋内部を再現したコーナーに差しかかった。その女性は枯れ木にいくつも刺された細長い餅に触れた。するとすぐに1個が木から外れて下の落ちた。慌てた女性はすぐに拾って元どおりにしたが、係員は遠くにいて、それを目撃しなかった。それほどに、展示品に触れることが出来るほどで、ごく間近で観察出来るのがこの施設の大きな特徴だ。その餅は精巧に作られた模型で、今も当時と同じ場所に同じように展示されている。筆者にすれば20数年が昨日のように思い返されるコーナーだが、それ以降、万博公園は変化した。一番大きなことはモノレールが出来たことで、駅が公園の東口近くに出来た。筆者は万博公園に行く時は阪急の茨木市駅からバスに乗るのが昔からの習わしだが、ひとつ大阪寄りの南茨木駅で降りる場合もある。それは同駅と連絡しているモノレールに乗るためで、そこから3、4つほど先の駅が万博公園の中央口前だ。そこで降りると、高速道路上の長い陸橋をわたって正面に太陽の塔が見える中央口に至る。みんぱくまでの距離で言えば、中央口も東口も大差ない。それで交通費の安いバスを筆者は利用するが、東口から入る人はごく少なく、いつもほとんど誰とも出会わない。
 東口のバス停は、10数年前、つまり東口近くにサッカー場兼陸上競技場が出来て以降、公園から出て5分ほど歩く必要のある住宅地に移動した。競技場に行く大量の人々の足となったのが競技場隣のモノレール駅だが、サッカーや競技はしていないことが多いので、この駅を利用する人もかなり少ない。この駅からひとつ向こうが先に書いた中央口前の駅だ。そこで乗り換えて南茨木に出るが、そうした乗り換えが面倒なので、筆者はその駅から数分の住宅地前のバス停から茨木市駅に戻る。バスの本数はモノレールより多いし、その気になれば茨木市駅まで歩くことも出来る。公園の東口に以前あったバス停は、現在の競技場のすぐ前で、今は空き地になっていて、何にも利用もされていない。なぜそこまでバスが回って来なくなったかと言えば、モノレールが出来て利用者が激減したからであろう。少しでも無駄なルートは省いて効率よく運転することになったのだ。今は広場になっているところで昔バスを待っていると、バスが100メートルほど先の道をぐるりと右手に向かって走るのが見え、やがてこちらに曲がって停まったが、バス停は何もさえぎるものがない広いところにあって、真冬はとても寒かった。そのためではないが、バス停のすぐ後ろに縦横2メートルほどの鉄の看板があった。万博公園の地図が描いてあったか、あるいはバスの路線図であったはずだが、それを背にして、これはまた別の若い女性と並んでバスを待ったことがある。これも20数年前のことだ。その看板はとっくに撤去されたが、東口に来るたびにその方向を見る。少しずつ万博公園やその周辺の様子は変化しているが、万博開催中と比べると、天と地ほどの激変ぶりで、その地の状態になったまま多少変化しても、全体としてのだだっ広い雰囲気は変わるはずがない。だが、筆者は万博時の狂騒ぶりよりも、この全くさびれたような落ち着いた万博公園がいい。それは筆者が今後歩けないほどの老人になっても同じであるだろう。また同じであってほしいものだ。エキスポランドは不幸な事故で近年閉鎖され、みんぱくの隣にあった国立国際美術館は中之島に移転し、また児童文学館は府の財政難からこれも移転した。そのため、公園に行く目的はほとんどみんぱくだけとなってしまったが、みんぱくがある限り、筆者はここを訪れる。また、巨大なみんぱくが別の場所に移転することは考えられず、むしろこの万博公園にもっと多くの施設を作ることを望むが、足の便が悪いため、利用者はどうあがいても増えない。
●万博公園東口と「夢の池」_d0053294_12524575.jpg
 エル・アナツイ展を見たかったのは、別のものを確認したかったからでもある。そのためにカメラを持参した。その別のものとは、夢の池だ。それは万博当初のまま残されている人工池で、鉄製の大きな噴水が数個林立している。イサム・ノグチの設計で、錆がひどくなれば塗り替えが行なわれている。だが、肝心の噴水としての利用はなく、オブジェとして立っているだけだ。これを噴水として稼動させるには、多額の運転費を要する。ほとんど誰も見ないものにそんな無駄は許されない。そう思えば万博の後の利用は、当初から台所事情が苦しくなることが目に見えていたのではないか。この夢の池は、庭には水辺がつきものという考えからすれば不可欠なものだ。よくぞそのように設計し、また万博の後にも残したと思う。すぐ北の日本庭園の中にも池はあるが、こっちは未来風で、それと対照になっている。東口から入ると、この夢の池のほとりを歩いてみんぱくに向かう。中央口を利用したのではまともに見られないもので、東口を利用する価値はある。去年の秋、カナダの先住民展だったか、みんぱくを訪れた時、この夢の池がすっかり干上がっていて驚いた。その時カメラを持っていなかったが、見たことのない異様な光景に、次に来る時までそれがそのままであることを願った。昨夜、この干上がりの理由を調べた。すると、去年6月に池の水位低下が原因不明で顕著になり、9月に水を全部抜いて原因を調査することになった。筆者が見たのはその直後だ。今年1月にヘドロの除去、2月にアスファルト防水層の経年変化が原因で水漏れしたことが判明し、3月から改修工事の設計、そして10月から来年3月まで工事だ。池の底がどのようになっているかは、水を抜かねば見えない。その機会は万博以降今回が初めてだろう。工事中の写真をパノラマ風に加工した。上の写真がそれで、いつものようにクリックで拡大する。前回見た時よりも底がアスファルトできれいになっている。噴水の土台は巨大で、1970年の万博がいかにあちこちこのように大きな工事をしたかがわかる。
●万博公園東口と「夢の池」_d0053294_10381648.jpg
 経年変化というが、40年で水漏れした。これは妥当な年数だろう。今回の改修工事もまた同じ程度の年数しか持たないはずだ。人工のものはそのように寿命が短い。地震があったり、予想のつかないことで、思ったより早く何でも風化する。そうでないものはあるだろうか。夢の池とはよく言ったものだ。夢のようにはなかいという意味でもある。この大規模な改修工事に要する費用はどの程度か。ほとんど誰も気にとめていないようなさびれた万博公園内の大きなこの施設、そのような費用をかけても大丈夫なのかと心配してしまう。夢の池のほとりに児童文学館があった。その玄関を確認するために、みんぱくへのコースを少しずれて足を運んだ。すると、玄関の文字は全部撤去され、無残に見えた。また、玄関前に高さ2メートルほどの石彫りが土台上に乗っているが、これは移設する場所がないのだろうか。この未完成(に見える)の彫刻は、3人ほどの彫刻家が外国からやって来て1か月ほどで作ったものだ。その製作中の光景はよく覚えている。そのような短期間で彫り上げることは不可能であったのだ。日本という遠い国で、しかも今と設置場所で毎日彫ったのであるから、天気に恵まれないこともあって、はかどらなかった。おそらく依頼者は日本人の勤勉さを尺度にして、また経済性を条件に考えたが、それは世界の基準ではなかったのだ。この未完成の彫刻がこの児童文学館の短かった命運を示唆しているように思える。何らかの方法で完成させ、それを児童文学館が移転した大阪荒本の府立図書館前に置けばどうか。だが、その経費さえも惜しいというのが大阪の懐具合だろう。せっかく作った児童文学館は他に利用価値がなさそうだ。こういう税金の無駄と思える事態を誰が予想したであろう。そのように、何事も夢のようにはかなく、次々と姿を変える。筆者も昔は息子を連れて何度もこの池の前を通ったものだが、今は息子はそのことをすっかり忘れてもいるし、みんぱくには何の関心も抱いていない。変わらないのは筆者の思いだけと見えるが、さてそれもどうか。
by uuuzen | 2010-12-22 10:43 | ●新・嵐山だより
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