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●スキュルチュール江坂、その2
生を無断で刈り取って、元に戻せと問題になっていることを今朝のネット・ニュースで知った。岸和田の中学校でのことで、野球部の父兄が練習の邪魔になると思って、校長などに伝えずに実行したらしい。



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いかにも大阪らしい事件だ。どのような経緯があってそのようなことになったのか、詳しいことはわからないが、校庭に芝生というのはあまり聞いたことのない話で、よけいな経費をかけて何をするという気もする。府の援助があったとのことで、どうせなら、校庭の端に木を植えるようにすればよかった。また、思い出したのは、昔Nが話していたことだ。Nは子どもが3人あり、みんな体育を好むように、小学生の頃から有名なスポーツ・クラブに通わせた。特に長男には期待をかけ、少年野球の監督まで引き受けたほどであった。筆者はさっぱりスポーツに関心がなく、そのことを当時Nは非難したものだった。と言うNもスポーツをするわけではない。体を動かすの嫌いであり、スポーツとはもっぱら野球ファンで、TVで試合を見る意味と捉えていた。であるから、実際は普段よく歩く筆者の方が体を動かす割合が多く、また数倍健康だった。そういうNが少年野球の父兄に接しながら、愚痴を筆者にこぼすようになった。それは、少年野球に熱心な父兄ほど、簡単に言えばアホというのだ。つまり、自分の子どもは将来プロ野球の選手となり、出来ればその契約金で親は楽をしたい。そのため、今は子どものためにとにかく手弁当で応援に駆けつけ、練習に身が入るように協力している。技術が上達のためなら、どんな弊害も親が打ち砕くべきで、学校の勉強は適当でよく、野球さえ抜きんでればよいというのであった。Nは兄が京大の大学院卒で、Nもきわめて頭が切れたが、そういうNであるから、勉強を疎かにする親というのが、低能に見えたのだ。Nはガリ勉が大嫌いで、不良であるのに頭がよいという人間を理想としていた。そういうNに筆者が見込まれたのは、筆者に不良の気持ちを理解出来る能力があると見たからだろう。結局Nは少年野球の監督を1、2年でやめたと思う。そしてNの息子は野球に励んで野球で有名な高校に進み、甲子園に出場してTVにも姿が映った。だが、それだけのことで、Nは息子が野球選手になる夢を諦めた。先日清原元選手がTVのクイズ番組ミリオネアに出演していて、高校の時はほとんどの教科書を開いたことがなかったと発言して笑いを誘っていた。それを真似して勉強をせずに練習だけに打ち込む男子が今後も日本にはどれほど多いことだろう。めぐまれた体と才能があり、また運も加わって、数千数万人の中から一時代を画する名選手が生まれる。親はその夢を子どもに託す。そして大勢の子どもが挫折するが、その親が野球選手を特権階級のように錯覚し、傍若無人に振る舞うところに、Nが言ったアホさかげんがある。だが、子どもを早々と信じてある何かに打ち込ませなければならないほどに、今は才能の促成栽培が盛んだ。勝負は10代半ばまでにほとんどつくからだ。あるいは、そう思っているからだ。そのため、スポーツ選手の寿命は短い。30や40で引退だ。であるから契約金の高額なこともあまり驚かない方がよい。退職金を先にもらうようなものなのだ。
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 前にも書いたが、ゴルファーの石川遼が大学に行かずにプロ入りしたことをTVである大学の女教授が多少批判めいた口調でコメントした。大学を出てゴルファーになっても遅くはないし、またその方が理知的な作戦を練ることが出来て大成するという考えだ。それには一理あるだろう。だが、大学を出て手後れという場合もある。ノーベル賞をもらった社員が勤務する会社でそのノーベル賞受賞者の大学時代の先輩が筆者の身内(血のつながりはないが)にいる。彼は数年スコットランドに住み、今も盛んに海外に出張するが、子どもの教育ということをイギリスではいろいろと学んだらしい。今は帰国子女として日本の大学にいる子どもたちだが、彼が言うには、イギリスは世界で一番進んでいる国で日本はあらゆる点で2、30年遅れており、教育に関してもそうだろうとのことだ。そしてイギリス人の考えは、学校ではどんな成績でも優秀点を取る必要はさらさなく、何かひとつの科目が抜きんでていればそれを伸ばしてやるのが親の務めとのことだ。その考えに全面的に賛同したのではないが、入社当初から隠居好みが彼にはあり、働くのは遊ぶためという思いがある。働きと遊びが一体化している筆者はその意味では理想的かもしれないが、高級取りでありながら好きなことをやるというのは、石川遼のように才能がいる。そして、そういう才能は稀であるから、たいていの親は勉強させてどこか安定した会社に入らせようとする。そしてごく普通の人間が大量に生産されるが、彼は結果的にはそれに賛同であり、また筆者もそう思う。好きなことをして生きるのはいいとしても、同居する家族が大いに迷惑するとうことがあるからだ。と、これは昔筆者は友人に言われた。だが、見方を変える必要がある。たおてば、夢があったのに、それに向かわず、家族の生活を支えるためにモーレツ社員になって一生の大半を終えるとする。その男性が晩年になって、ふとわれに帰るかのように、自分は本当は好きなことをしたい夢があったのに、家族を養うためにその夢を諦めたと、ぽつりと妻に語ったとしよう。その時妻は夫をどう思うだろうか。筆者から見ればそれはあまりにも情けない話で、そんな夫だったのかとがっかりするだろう。であるから、男は絶対にそうした愚痴を言ってはならない。であるから、筆者は他人には家族に迷惑をかけていると言うが、実は内心はそんなことはほとんど全く思っていない。自分といれば苦しいかもしれないが楽しいだろうというくらいの思いでいる。
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 えらく前置きが長くなったが、最初は芝生から始まった。スキュルチュール江坂は、美術館は施設の敷地内の道路際に建つ。そしてその向こうは芝生が広がる。美術館前のその芝生内しか歩いていないが、他はゴルフの練習場やテニス・コート、アスレチック・クラブの建物などだ。館前の芝生はていねいに手入れがされていて、その緑がとても清々しく、筆者はすぐにゴルフ・コースを思い出した。とはいえ、ゴルフ場には足を踏み入れたことがない。バブル時代、日本にはこれ以上無理というほどゴルフ場が各地に出来て、その会員権が高値で売買された。筆者も友人からゴルフはいいぞと言われたが、さっぱりその趣味が理解出来なかった。それはNも同じで、ゴルフのゴの言葉も話題にはしなかった。だが、スキュルチュール江坂前の芝生を見た時、それがもっと広大であればどれほどの気分になるかと思い、ゴルファーがのめり込む理由がわかった気がした。と同時に、その芝生は、アメニティ江坂がゴルフの練習場を経営しており、ゴルファーになるべく多く練習に来てもらうには、ゴルフ場と同じような芝生を養生する必要を思って作られたものだろうと思った。おそらくそれは間違いではない。ゴルフ場とは比較にならないほどの狭い面積ではあるが、景観をそのように似せる配慮は確かにある。昨日掲載した最後の写真は、館のすぐ向こうで、館内の喫茶コーナーのガラス窓から見る光景に近い。先に館内を見たが、カウンターの案内嬢に、窓から見える外にはどこから入ればよいか訊ねた。すると、一旦外に出て、道路から分かれている道をたどればすぐだと言う。つまり、館内の作品を見るのはお金がかかるが、館の外は無料で誰でも散策出来るのだ。ただし、施設に入る門のところには係員のおじさんがふたり立っていて、その監視を受けてからだ。その点は公園とは違う。芝生は道路より幾分土が盛られた高さがあって、緩やかな坂を上る。小径を行くとすぐにベンチがあって、老人が数人日向ぼっこをしていた。そしてそのかたわらに日時計、そして薔薇が咲いていた。薔薇の向こう側に美術館が見える。その景色はイギリスの田舎といった風情があって、江坂でなければ望めないだろう。天気がよく、暖かかったので老人たちは気持ちよさそうであった。
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 この美術館に来たかったのは、彫刻を見るためだが、それはロダンやブールデルの作品ではなかった。去年ネット・オークションに出た招待券には、野外の彫刻が印刷されていた。それは箱根の森美術館を思わせるもので、大阪市内にそんな優雅な施設が出来たことが意外で、いつか行こうと決めた。それで、レンガ貼りの館をそそくさと見て、芝生に向かったのだ。目当ての彫刻は迷路のようになっていて、その中をぐるぐると歩いて写真を撮りたいと考え、それでカメラを持参したが、その迷路彫刻は、立ち入り禁止の札が下がっていた。また、思ったより小振りで、人が通れば上半身は丸見えだ。それでぐるりとそれを一周しただけであったが、間近に接近することも出来なかった。美術館が出来た当初からそうであったのだろうか。おそらくそうではない気がする。館内とは違って、誰でも踏み入れられる半ば公園的な場所なので、せっかくの現代彫刻が破損されると早々と決断を下して立ち入り禁止にしたのではないだろうか。この彫刻はマルタ・パンというフランス人が作ったもので、庭も含めて作品であり、題名は「リーニュ・フランスの庭」と言う。1997年の製作であるので、もう10年以上になる。日本の各地で作品が設置されているようで、ニキ・ド・サンファルの男版といった雰囲気がある。「リーニュ・フランスの庭」は、白いタイルを貼った同心円状の迷路のような形を中心に、片や音叉のような形をした背丈が高い立体、もう片方には白いピラミッド型の円錐が池に浮かんでいる。これら3つが白い紐に見えるタイルの線で結ばれているようだ。どういう意味かは感じればよい。どういう素材で出来ているのかは知らないが、こういう彫刻は汚れやすく、また脆いはずで、公園にはまず無理だ。しかも大阪の中心部には似合わないだろう。きれいな芝生があると、野球の練習の妨げになると思う人がいたり、あるいはゴルフ道具を持ち出して来て、これら3つの彫刻目がけてゴルフ・ボールを飛ばす者が出て来そうだ。音叉型の彫刻は、昨日の最後の写真の左手に小さく写っている。この彫刻のためにゆったりとした面積を作ったことには敬意を表したい。大阪商人はがめついというのが定評で、こんな金にもならないことはまずやらないと思われているだろう。常設展のみでは少しさびしいので、出来れば企画展を開催してほしい。そうすればもっと知名度が上がり、足を運ぶ人が増える。全く慌ただしい観覧であったが、「リーニュ・フランスの庭」を時計とは反対回りに一周した時、彫刻の彼方に飛行機が飛び去るのが見えた。江坂は伊丹や豊中からそう遠くないのだ。そのため、梅田からではなく、別の方角からもアメニティ江坂にやって来る人は多いだろう。筆者は今後もテニスやゴルフは無縁のはずだが、テニスやゴルフをする上品な人にはこの美術館はよく似合っている。持ち主は経済的に成功したと同時に、芸術好みの点でも夢をかなえたこととなって、うらやましい話ではある。
●スキュルチュール江坂、その2_d0053294_0285557.jpg

by uuuzen | 2010-12-16 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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