覚えにくい名前の美術館だ。「スキュルチュール」は「彫刻」を意味するフランス語で、「sculpture」と綴る。これは英語と同じだ。フランス語ではPを発音しないと見える。
フランス語で発音するところ、この美術館とその立地環境がだいたいどういう雰囲気であるかが想像される。この美術館の存在を知ったのは、1年ほど前、ネット・オークションで招待券が出品されているのを見かけたことによる。江坂に美術館が出来たのは少々意外であったが、大阪市内なら江坂は妥当な場所だ。江坂は地下鉄御堂筋線の北の終着駅だ。そこから北にも線路は続いているが、北大阪急行という別の会社の経営で、運賃も高い。そして大阪市営地下鉄の1日乗車券は利用出来ない。江坂やそれから北部は、大阪万博以降に開発された。昔、江坂で数回飲んだことがあるが、それ以外に足を運んだのも同じく数回程度で、江坂は筆者にはほとんど未知の地域だ。江坂駅前のどこかのマンションに小中学生と仲がよかった、音信が途絶えたままの友人が住んでいると昔聞いた。友人の友人をたどれば、現在の様子を知ることが出来ないわけでもないが、気になりつつもそのままになっている。ネットでその友人の名前を検索すると、同姓同名の有名人がヒットする。その友人は目立ちたがり屋であったから、きっとネット上には何かを発信しているはずだが、見つけられない。また、筆者は京都に出て改名したので、その友人が筆者を思い出してもネットに見つけることは出来ないだろう。そのため、お互い生きているかどうかわかりようがない。有名人でない限りは、ネットに実名を晒すことは少ないだろうし、女性は結婚すれば姓が変わるので、もっと調べられなくなる。さてこの美術館に行ったのは、「関西文化の日」の対象になっていたからだ。11月21日の日曜日に行って来た。また交通費のことを細かく書いておくと、最初考えたのは、阪急で梅田に出て、そこから地下鉄で江坂に行くことであった。すると家内が、阪急の西中島で下りて、そこから御堂筋線に乗り換えればいいと言う。なるほど、それならショート・カットになって、時間も費用も少なくて済む。そういうことが即座に思い出せないほどに、江坂や西中島は縁遠い。だが、西中島から御堂筋線への乗り換えを、昔何度かしたことがある。御堂筋線の江坂よりひとつ梅田寄りの東三国という駅にあった会社に、筆者は学校を出て3年勤務したからだ。御堂筋線は3年の間、毎日利用した。なんばや梅田など、あちこち途中下車してNと飲み歩いたので、筆者にとって御堂筋線は最も馴染みの路線となった。
会社へ勤めていた頃、東三国までは行っても、江坂まではめったに足を延ばさなかったので、江坂駅界隈の変化について今もほとんど知らないが、先月およそ20年ぶりに駅周辺を見て、あまり変わっていないと思った。全体に人工的なピカピカ感があるが、半世紀近く経てばそれもかなりくたびれて見えた。梅田に通勤する者にとっては、とても便利な地域だが、大阪特有の下町風情は全くなく、住んでいる人はみな同じくらいの給料をもらうサラリーマンと思える。それも比較的高級取りだ。御堂筋線は梅田から北は地上に出て高架を走る。線路のすぐ横を新御堂筋が沿い、車と競争する形で電車が走る。そういう光景は大阪の地下鉄ではそこだけなので、その様子を久しぶりに見て、勤務した時のことを思い出した。そして、もう30数年経つというのに、一瞬自分が東三国の駅で下りて会社に向かうことを想像し、それがごく自然なことに思えた。だが、神崎川沿いにあった会社のビルは売却されて今はもっと背の高いマンションが建つし、筆者の上司はみな世を去った。会社は今は梅田の中心にあるが、そこでは筆者の顔を知る人は数人程度しかいないだろう。電車が東三国を出て江坂に向かう間に神崎川がある。帰りには窓辺に立ってシャッター・チャンスをうかがい、かつて会社があった方角の写真を撮った。まずそれを下に掲げる。会社の周辺にあった馴染みの写真屋や中華料理屋など、今どうしていることかと思うが、もうみんな亡くなったか廃業したであろう。変わらないのは御堂筋線と、それに沿って走る新御堂の道路だ。これは今後も当分の間、おそらく200年や300年は変化はないだろう。東三国駅の近くに、線路際に大きな自由の女神の上半身がそびえていた。顔はあまり似ておらず、おそらくパチンコ屋の看板と思うが、そういうキッチュなものがそのあたりに出来ていることは、江坂近くにも大阪らしさが浸透している証かもしれない。
大阪らしさは下品さとほとんど同じように全国的には認知されているところがある。であるからスキュルチュールなどと言っても、それを即座に理解する人は少ないだろうし、また理解出来てからも足を運ぶ人が多いとは思えない。何しろ不便を感ずる江坂にあり、また駅前ではなく、徒歩で10分ほどかかるようであるからだ。筆者は行くと決めてから、珍しくネットで調べた。すると江坂駅前から送迎バスが出ていることを知り、それを利用することにした。20分に1本出ているので、便利だ。駅西の大きなパチンコ屋で10分ほど待つと、マイクロバスがやって来た。10人程度若い男女が乗っていた。彼らはその美術館を見に行ったのではなく、テニスコートでプレイしたり、またゴルフの練習をして来たのだ。江坂はそうした経済的にも時間的にも余裕のある人たちが住んでいるところのようだ。美術館はアメニティ江坂という総合施設の一郭にある。地図で見ると、かなり大きい面積で、バスの運転手は江坂まで徒歩5分と言っていた。そのような便利な場所であれば、通常はマンションが建つが、ここは全体が広々とした公園の風情がある。経営者は江坂が開発され始めた当初から土地を持っていたのだろう。アメニティ江坂には大きな中華料理の店もあって、スポーツと食事が楽しめるという、多角的経営だ。送迎バスは駅から最短の徒歩のルートとは違って遠回りをして走り、施設内の3か所で停まるが、最初が美術館の前だ。これはありがたい。この送迎バスがなければ家内は行くとは言わなかったろう。筆者と出かけると、いつもうんざりするほど歩かされるからだ。バスは満員で走ったのに、美術館前で降りたのは筆者らのみであった。テニスやゴルフなどに興じる人たちの憩の施設として美術館が造られた格好だが、スポーツ好きが美術好きということは珍しい。筆者らが降りる時、他の乗客はきょとんとしたような表情であった。スポーツをせずに美術館だけ見に来る者があるのかという驚きであったかもしれない。だが、館内には観客が2、3人いて、それなりに利用はあるようだ。ネットで調べた時、館内の喫茶コーナーがなかなかよいようなので、そこで休憩するつもりであったが、次に別の施設を見に行く予定があったので、そそくさと後にした。無料観覧日であるから、何度出入りしてもかまわないが、結局ざっと一巡しただけであった。
鉄筋コンクリートの建物はレンガ貼りで、かなり細長く、1階のみだ。喫茶コーナーは入ってすぐ、チケットをもぎる女性のカウンターの脇にあるが、コーヒーを飲むようなテーブルや、また給仕のための区画があっただろうか。それほどに印象がうすい。大きな椅子があったが、そこからは外の庭が見え、その眺めはよい。そこに隣接してソファがいくつもある図書コーナーがあった。展示されている彫刻家の作品集で洋書ばかりであったと思う。その喫茶兼図書コーナーは、個人の書斎として持てるのであれば理想的な空間だが、日本ではそれに匹敵する書斎を持つ人は、事業に成功した人ならばいくらでもあるだろう。この美術館自体が、アメニティ江坂を所有している人の趣味として建てられたものであろう。会社経営がうまく行くと、この程度の美術品の収集と建物ははさほど困難ではないと思える。また、ひょっとすれば、アメニティ江坂全体では採算が取れればいいから、この美術館がほとんど収入がなくても、かえって税金対策にはいいのかもしれない。だが、やはり経営者の趣味が大きく、同じように金儲けをしても、美術品に目もくれない者は大勢いる。美術品が宝という感覚がないのだ。その意味で、筆者はアメニティ江坂の他の施設には何の関心もないが、そういう施設に混じってこの美術館が建つことは、大阪のひとつ意地を見るようで好ましく思う。細長い館のどれほどの部分を展示に使用しているのか、またこれからも収集が増え、たまには作品を全部がらりと展示替えするのか、あるいは収蔵品全部を収録した図録があるのかどうか、知らないことだらけだが、彫刻はヨーロッパの現代もの以外にアフリカのものが混じっていた。それが大きな特徴だ。これは収集者の趣味であろうが、たとえばマックス・エルンストがアフリカの彫刻の影響を受けたといったことを思い出させるし、近現代のフランスとアフリカは無関係でないどころか、大いに関係ありで、双方の作品が混じって並ぶのは違和感はない。ただし、アフリカの仮面や彫刻などは、民族学博物館などでよく見る機会があり、またたまに売られているところも見かけるので、少々水増し展示と思えなくもない。
館内は全体にうす暗い。図書コーナーの突き当たり、つまり最初の展示作品は白い大理石のムーアの彫刻で、一見して骨の造形を思わせる。ムーアは骨を研究し、その構造を作品に大いに活用したので、この連想は全く正しい。館の幅の中央にその1点のみの展示で、太った人の胴体ほどの大きさだが、堂々たる雰囲気がとてもよい。うっかりその作品の間近に体が傾いた途端、センサーが反応して女性の声であまり接近するなといった忠告が流れた。これはちょっと気分が削がれる。壊れる作品でもないのであるから、そう神経質になることもないと思うが、持ち主からすれば汚されたりすればたまったものではないという考えだ。続く部屋にはロダンやブールデル、ザッキン、マリーニ、マンズー、ジャコメッティなどの作品があったが、全部で数室あったろうか。どの部屋もかなり小さい。また、天井も比較的低いように思った。この美術館が所有する彫刻は、名前にしたがってみなフランスのものかと言えばそうではないことは、ムーアやマリーニからわかる。また彫刻だけではなしに、デッサンがあった。作品の並べ方は系統立っているとは言えないが、部屋の構造というか、場所にしたがってそれにふさわしい作品が選ばれていたように思う。それゆえ、おそらく作品はほかに収蔵庫にたくさん保管されているというのではないだろう。館はまだ展示スペースの余裕があるとしても、作品の購入は費用が建物以上にかさむ。とはいえ、この美術館が所有するものであればさほどびっくりするほど高価ではないだろう。ふと思い出したのは御堂筋に点在する彫刻だ。大阪の街中でも似たような彫刻は楽しめる。だが、それらはこの美術館にあるものより全体に小振りだ。彫刻は、先のムーアの作品のように、1点限りのものもあるが、たいていは鋳造して複数存在するので、ありがたみに乏しい。ちょうど版画に似たところがある。それもあってか、この美術館は意外な場所で意外な作品に出会う面白さはあるが、凝った美術ファンは満足しないだろう。だが、それでいいと思える。スポーツを楽しむ人が疲れた後に立ち寄ってくつろぐという時、あまり変わった作品を展示するのでは困る。筆者がいいなと思ったのは、平屋建ての強固な館という点だ。書斎や収蔵庫、仕事場を兼ねてこの館と同じくらいの規模の建物がほしいが、夢もいいかげんにしておけと言われそうだ。下の写真については明日説明する。