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●『Hammersmith Odeon』解説、その1
頃になるかと思っていたのが、今朝届いた。意外に早かった。発送されたのが先月17日であるから、3週間だ。街中はクリスマスのイルミネーションが灯って、気分はもう年末だが、上旬に届いたことは、ザッパの命日の4日に近いこともあって感慨深い。



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届いてすぐに作業をしながら3枚をひととおり聴いた。そして、これを書きながら二度目を聴き始めている。パソコンで聴いているので、音がかなりちゃちだが、ベースの音が小さく、海賊盤っぽい感じがする。ステレオで大きな音で聴くとどうなのだろう。3枚組で3時間に6分足りず、2枚では収録出来なかった。この分量はいつものステージ丸ごと集では初めてのことだ。また、このシリーズは今まで紙ジャケ仕様であったが、3枚組ではそれが困難であったためか、デジパックになっている。その分かなり分厚く、箱入りだ。これはブックレット内部におまけを用意したためでもある。ブックレットを見て驚いたのは、白い風船が裏表紙の中央で留められていたことだ。それは臍に見えるが、ブックレットを開くとその風船の本体が垂れ下がる。これは、伸びたコンドームをイメージさせるためか。ブックレットの左ポケットには解説書が入っていて、それを取り出すと、まだ何か白いものが挟まっている。ナプキンかと思って広げると、便座シートだ。それに呼応するように、解説書には裸で便器に座ってギターを弾くザッパのからー写真がある。また、解説書の表紙は、ロウソクを1本灯したクリームつきのマフィンで、よく見るとその下部が円形の会場の外観になっている。これは今回のCDのタイトルにもなった演奏会場のハマースミス・オデオンだろうか。この件についてはイギリスのファンの声を聞かねば何とも言えない。便器に座るザッパ写真が使われたのは、今回のCDの発売に当たってゲイルが発信した画像つきメールの文章を読むとよい。また、今回のCDはディスクを取り去ったデジパックの底のデザインがロンドン地下鉄の路線図を、ブックレットの見開き左には地下鉄での注意書きをそのまま転載しており、ロンドンのファンに向けたデザインとなっている。ロンドンでは他の年度にも演奏したが、おそらくこのシリーズでは今回が最初で最後の採用だろう。ステージ丸ごととはいっても、同じ場所で何回かの演奏をした場合、それらをひっくるめていいとこ取りをして、ひとつのステージのようにまとめている。今回は1月25日、26日、27日、そして2月28日の演奏からの抽出だが、1日に2回演奏することがあって、ザッパはこれらを全部録音した。それらのベスト・テイクはアルバム『シーク・ヤブーティ』のベーシック・トラックとして使われた。今回の発売は同アルバムと曲のだぶりが多いが、オーヴァー・ダブなしのステージはいずれ発売される必要があった。また、ハマースミス・オデオンでの演奏の集大成的な編集は、ゲイルとジョー・トラヴァースによるもので、これをザッパのものではないと退けることも厳密には出来るが、海賊盤よりはるかにましで、望み得るベストな編集が行なわれた。
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 このCDと同時期のツアーを収録する代表的海賊盤は、『シーク・ヤブーティ』にも演奏が使われたように、2月15日のベルリンはドイチェラントハレでの演奏を収めた2枚組CDで、昔から知られる。これは海賊盤の中でも秀逸で、『シーク・ヤブーティ』に関心のあるファンは必聴ものだ。ザッパ・ファミリーとしては、そっちの演奏を発売する思いも若干はあったのではないだろうか。だが海賊盤で知られているとなると、没にするしかない。そして、ザッパ生誕70年の記念イヴェントがロンドンで開催されることに合わせて、ロンドンでの演奏を使おうということになったのだろう。また、ドイチェラントハレでの脂の乗った演奏をこなした後にまたハマースミス・オデオンで演奏し、その時の演奏は今回のCDでは全体の3分の1を占め、ツアー後半の演奏ほど熱かったことを思わせる。先に今回のCDの音がちゃちと書いたが、これは会場の響きによるだろう。それに、イギリスのファンがアメリカのファンと違っておとなしいことも影響した。ディスク1の最初に収録される1月27日の演奏である「会話/ザ・パープル・ラグーン」でザッパは観客に語りかけるが、退屈なファンが今回の4回目の演奏でようやく馬鹿になってくれたと煽る。ロンドンっ子たちはザッパの新曲群に目を丸くしたか、歌詞がイギリスのユーモアからしてかなり異質で戸惑ったのだろう。それにしても眼前にいるファンを退屈だとからかうのは、ザッパ流のユーモアとしてロンドンっ子にどれほど伝わったであろう。日本での演奏ではそのようなことは一切語らなかった。それは最初から英語が通じないことがわかっていたからで、それに合わせてレパートリーやアドリブを用意したところがある。ところが、イギリスは英語が通じるはずなのに、ザッパにすれが意志の疎通がうまく行かない苛立ちが当初はあった。それが完全に消化されたかどうかはわからないが、イギリス嫌いはその後も尾を引き、ロンドン・シンフォニー・オーケストラを使っての管弦楽曲の収録の際は、憤りは頂点に達する。ロンド・ハットン・リポートの最新の第4回でサイモンさんは、イギリス人がザッパの下品なユーモアを理解しないことを書くが、そこにはサイモンさんが生っ粋のイギリス人で、ザッパと何度も話した時の戸惑いや壁がどのようにあったのかなかったのかということを想像させもする。

●2003年4月7日(月)夜 その1
●『Hammersmith Odeon』解説、その1_d0053294_22243089.jpg気温が20度まで上がるというので今日は昼遅くから出かけることにした。仕事上の用事や図書館で本の返却と調べもの、それから八坂神社奥の円山公園内で枝垂れ桜を見ることを決めたいた。去年は円山公園の枝垂れ桜を色鉛筆でハガキ大スケッチブックに写生したから今年もそうしようと考え、昨日は嵐山の桜は人混みの中でざっと眺めただけであった。地元で充分なのに、自分も観光客気分で遠いところの桜を見に出かけたくなる。円山公園のこの有名な枝垂れ桜の子孫に当たる桜が嵐山公園に植えられていて、年々それは貫祿をつけているようだが、円山公園ではこんもりとした丘の上に堂々と立つため、なおさら巨大な印象がある。また実際それは周囲を圧倒する大きさだ。円山公園にはもちろん桜はもっといっぱいあるが、この枝垂れ桜だけは別格もいいところで、この1本だけ見れば後はどうでもよい。大変な人出で、欧米人の観光客や小旗をもって団体客を引率するバス・ツアー客が目立った。弘法、天神さんの両縁日も同じような雰囲気があるが、花見というのはさらに平和な空気が流れている。今朝の新聞のトップ記事は、アメリカ軍によるバグダッドの大統領宮殿占拠で、美しいはずの宮殿内部が瓦礫の山になっている写真が添えられていた。よく見るとその廃墟の中をアメリカ兵士がひとり歩いている。アメリカ兵もこんな戦争に喜んで参加しているのではないだろう。早く戦いが終わってアメリカで春の花を楽しみたいはずだ。10年前の湾岸戦争でアメリカは劣化ウランを注入した爆弾を使用し、それがたくさん使用された地域を歩いたアメリカの兵士たちに深刻な後遺症が出ているという。新しい爆弾を開発する科学者こそ現代の悪魔以外の何物でもない。広島、長崎の原爆で放射能被害を知ったはずなのに、今また同じような恐怖をアメリカは積極的にばら蒔いている。今回の戦争が仮に早く終わったとしても、大量に使用された劣化ウラン弾の人への影響は数十年以上にわたって続くだろう。国際条約の取り決めに反するようなこうした新型爆弾をアメリカは東洋やあるいは中東のイスラム圏国家にあえて使用しているのは、異なった人種や宗教に対する蔑視が根底にあるからかもしれない。今日は手塚治虫が『鉄腕アトム』の漫画において主人公アトムを誕生させた日という。アトムの妹はウランという名前で、これがそのまま原子爆弾の「アトム」とまるでその妹の劣化ウラン弾の「ウラン」になぞらえられることを思うと、科学の進歩がよいことずくめでないことはすぐにわかる。カウボーイ映画における単純な正義感そのままを地で行ったような今回の侵略戦争は、遠い日本の花見季節の中ではその深刻さがまるで伝わらないが、日本では桜の花が人生のはかなさの象徴であり続けていることを思えば、むしろ逆にこうした花見の場所でこそ人間の愚かさが改めて噛みしめられる気もする。それで、桜を見るのか人を見るのかわからない状態で、大勢の人波に混じって円山公園の丘の上の枝垂れ桜の前まで来ると、誰でも知っている名曲をギターを弾きながら歌う外人路上ミュージシャンのマイクの声が聞こえて来た。あたりは夕暮れが近づき、誰もがくつろいだ表情だ。去年はもっと多くの路上ミュージシャンがいて楽しかったが、今年はこの外人だけであった。警察から路上演奏禁止の令でも出たのであろうか。この外人ミュージシャンはカウボーイ・ハットにピチピチのGパン姿の50歳くらいの陽気な男で、きっとアメリカ人だろう、12弦ギターをかき鳴らしつつ「カントリー・ロード」「レット・イット・ビー」「ローハイド」「上を向いて歩こう」などの数曲を繰り返して歌っていた。プレスリー張りのいい声をしていて、地面に開き置かれたギター・ケースの中に若者が小銭を放り込んでいた。そんな場所でその男がイラク攻撃反対の歌を歌えば、みんなどんな反応を示したことだろう。花見気分をぶち壊すなと白けただろうか。戦争が起こっている地域もあれば、平和な地域もある。人間社会はそういうものだ。枝垂れ桜の周囲には数十人のアマチュア・カメラマンが三脚つきで立派なカメラをかまえて盛んにシャッターを切っていた。時折アベックがその中に割って入り、道行く人に小型カメラをわたして桜を背景に写真を撮ってもらっていた。人込みにも酔ったのか、疲れを覚えて枝垂れ桜のすぐ前の石製のベンチに桜を背にして座ると、5メートルほど先にひとりの20歳くらいのアメリカ人とおぼしき健康そうな娘が目に入った。背は165センチほど、やや太っていて、ブールデルの彫刻を思わせた。目は灰色で、彫りの深いギリシア彫刻的な顔立ちからはまるでピカソの絵から抜け出て来たような健康溌剌とした感じがぷんぷんとしている。ブロンドとブルネットの中間の豊かな髪はポニー・テルに束ねられてゆったりウェーヴしていた。セーターは毛玉だらけの黒、ぶかぶかのブルーのGパンを履き、リュックを背負っている。白い肌はあまりの人並みに興奮してか、赤い斑が頬に出ている。そうそう、ルーペンスが描く美女に近い豊満な印象だ。枝垂れ桜を熱心にずっと見つめているその姿は人込みの中でもひときわ目立った。どうやらひとりで来ているらしく、銀色のボディのカメラを手にしてどうも落ち着かない表情だ。2、3枚桜だけを写したようだが、次は自分の姿を一緒に写し込みたくなったのだろう、道行く人や桜の前で写真を撮っている人に声をかけたく思っているのが何となくわかった。その様子が1分ほど続いたので、よほどこっちから写しましょうと歩み寄ろうと思ったが、それから数秒後にある若い女性に小さな声で「スイマセーン」と声をかけてカメラをわたして自分は桜の前に走り寄ってにこりと笑い、シャッターが切られるのを待った。ぱっと顔を赤らめ、次の瞬間堂々と笑顔を作ったが、それが実によかった。横顔があまりに彫刻的で、描かせてもらえるならばぜひともお願いしたいと思った。だが、まず桜を写生だ。去年の位置から20メートルほど離れたところに立って描いた。須田剋太に影響されたかもしれないが、写実風ではなくてもっと表現主義的な荒々しい調子で一気にザクザクと描いた。そうして描くのは気分がよい。
by uuuzen | 2010-12-08 22:24 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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