瓦屋根は減少傾向にあるので、いずれ瓦礫という言葉は死語になるだろう。ここ掘れワンワンの「花咲か爺」の民話は、幼少時の筆者に強烈な教訓を植えつけたが、昨日今日はそれを思い出す。
裏庭に生え出て来た棕櫚の木の、その後について書いておこう。棕櫚は結局裏庭のフェンス向こうの小川沿いに植えた。隣家の真っ黒で大きな犬が1メートル先で鼻をこちらに突き出しながら、そこ掘るなワンワンとばかりにしきりに吠え、落ち着いて作業出来ないが、しまいに犬も諦めたのか慣れたのか、静かになる。棕櫚は以前の場所から1メートルほど西に移動し、これでは元の場所に収まったと言ってよい。そこなら高さ数メートルに成長しても、どうにか目障りでないと踏んだが、うまく根づくかどうかわからない。後は天に任せる。この裏庭向こうの小川沿いの狭い区画には、種々の雑草が生い茂り、その蔓が毎年椿や合歓木などの背丈の高い木に絡みつく。それをきれいに除去することは不可能だが、秋になるといつもざっと取り除いて来た。それでも根が深く残っているから、夏になると数日で大きく成長する。それに真夏は庭に出る気になれず、気づいた時には数メートルの高さにまで絡みついている。さて、棕櫚の木が育って庭に光が当たらなかったので、まずそれを抜こうと考え、根の最も深いところまで掘り下げた。すると出るわ出るわの瓦と大きな石、コンクリート片で、瓶や磁器片、ビニール袋やハンガー、レンガなどが混じり、分解されないゴミが果てしなく出て来る。これは筆者が捨てたものではない。小川は昔から下流の田の水引きに利用されていて、6月のある日の早朝、どういう団体か知らないが、一斉に川浚いをやる。藻や瓦礫がたくさん底に沈んでいるため、それをスコップですくって両岸に放り投げるのだが、わが家はめったにその小川沿いの、人がひとり通れるほどの道とも言えない区画に出ないこともあって、そうしたゴミが放り投げられても、今まで文句を言ったことがなかった。だが、隣近所はみなその川沿いをコンクリートで敷き詰めていて、土のままになっているのはわが家くらいなものだ。自然のままがいいと思っているのでそうしているところがあるが、その自然とは、言い替えれば雑草だらけだ。そこで川掃除をする人たちは、瓦礫を全部筆者の裏庭向こうに捨てる。藻は雑草と一緒に土と化すから、1年経てば、それらの瓦礫はほとんど見えなくなる。そしてまた6月に新たな瓦礫と藻がそこに積まれ、そして雑草が生えて枯れる。この繰り返しで20年近く経った。するとどうなるか。当然地面が盛り上がる。わが家の裏庭向こうのその細い道は隣よりも、少なくても50センチほど高い。その50センチは瓦礫と土だ。そこに棕櫚が生えて来た。そしてそれを移植するとなると、まず瓦礫を取り除いてから根こそぎ抜く必要があり、また、移植すべき場所の瓦礫も除去しなければならない。
今日はようやくその棕櫚をしかるべき場所に移したが、瓦礫を取り除いたのは2メートルほどの区間で、まだその2、3倍の長さが残っている。また、ひとまず取り除いた2メートルも、よく見ればまだかなり盛り上がっており、瓦礫はそうとう埋まっているはずだ。ざっと見積もって、大げさではなくて、1トンほどはある。50円玉ひとつ出て来るはずもなく、これを全部掘り起こす手間と、そしてそれをどこにどう処分するかを考えると、「花咲か爺」に出て来るいじわるな老夫婦の憂鬱な気分になる。なぜそんなに大量の瓦礫がわが家にだけ捨てられるのか。今日は自治会の配り物をしたついでに、前自治会長に、小川の掃除をする団体について訊いてみた。すると、水利組合があるらしい。小川を掃除してくれるのは実にありがたいことで頭が下がるが、浚えたゴミはまとめて処分するのが筋ではないか。たとえば、自分の家の前を箒で掃くとして、誰でもゴミはちゃんとまとめて捨てるだろう。もしそのゴミを拾わず、隣家に箒で掃き散らせば、隣家は文句を言うに決まっている。掃除とは、きれいにすることとともに、ゴミをまとめてしかるべき処分場に運ぶことだ。小川の掃除がそうでないと言うのであれば、せめてゴミを放り上げておきますよと、筆者にひとことあってよいではないか。それがないのであれば、積み上げられたゴミをそのまま蹴飛ばしてまた小川に戻したところで、掃除人は文句は言えないだろう。小川を掃除する団体を突き止めて抗議しようと思い、役所に問い合わせるつもりであったが、前会長の話では役所は関係ないと言うから、話をどこに持って行くべきか。今日はそんなことで不愉快であったが、その一方で雑草まみれにしていた筆者が悪いという気分もある。よく言われるように、きれにしていると、そこにはゴミを捨てにくい。雑草だらけであると、どうせ捨てても文句は言わないだろうと人は考えがちで、そこにはますますゴミが集まる。それをそうさせないためには、隣家並みにきれにするしかない。そう考えることもあって、昨日今日と、瓦礫掘りに精を出した。だが、また別の思いもある。その小川沿いの区画は誰の所有かだ。隣家を買った時に登記簿を見たが、どうもそこは誰の所有ともなっていないようであった。市の持ち物かもしれない。人がどうにか通ることの出来るその狭い道は、裏庭に浄化槽があって、その点検や汲み取りに月に1回業者が通るために当初は必要とされた。だが下水が通ってからは浄化槽は埋め戻され、その道を人が通ることはなくなった。その頃から瓦礫の堆積が始まった。浄化槽の業者は通らないとしても、消防署員が消火のために通る必要はあるだろうから、完全に塞ぐことは出来ないだろう。棕櫚が生えていると、消火の邪魔になるとのことで、消防署から文句が出るかもしれない。先手を打って、そのことを今度消防団員に訊ねてみよう。
この小川沿いの道は、裏庭からは直接見えないので、プランターなどを並べて小さな花を育てることは無駄だ。だがそのままにしていると、また雑草が生える。どうすればいいかと考えて、第一歩として、勝手に生えて来た棕櫚を植え変えた。となると、同じような、放っておいてもよく育つ植物を植えるに限るか。市の土地ではないかもしれないが、もしそうならば、そしてもし市がそれを見つけて文句を言ってくればどうしよう。だが、雑草ならよくて、きちんと手入れした植物が駄目だとはおかしな話であるから、文句を言って来れば、瓦礫の件を持ち出して、トラックを寄越して全部持って帰れと言ってやろう。ところで、瓦礫を掘り起こしていると、百足が何匹も出て来た。全部大きな植木鋏でつかまえて小川に捨てた。百足はそんなところに住んでいて、それが毎年数匹、筆者の寝室や仕事部屋など、あらゆるところに出没する。20年ほど前はイタチがいた。裏庭から小川向こうをぼんやりと見つめていると、急にきれいな狐色の尻尾の長くて太いイタチがぴょんぴょんと走って来て立ち止まり、フェンスの向こうから筆者を2、3秒きょとんと見つめることがあった。その小川沿いの道は言うなれば獣道だったのだ。イタチがいなくなったのはなぜだろう。そう言えばその道には、蝮を初め大きな蛇がよくいて、梅雨の晴れ間に裏庭でとぐろを巻いていたことが何度かあった。そんな小動物はすっかりいなくなった。蛙が激減し、野鼠もいなくなったからだろう。蝮は困るが、蛇の1匹や2匹、その道を生活の場にしていてほしかったが、次々と舗装されていまうと、雑草すら生えない。筆者は舗装するより雑草を生える方を選ぶ。だが、それも度が過ぎると困るので、こまめに手入れし、小川掃除人に瓦礫を積ませないようにしたい。また、せっかくの土地であるので、何か好きな木を植えるに限る。そのためにはまず、瓦礫を全部掘り尽すことだ。毎日少しずつやって年内中に終えたいが、さてどうなるか。まず無理であろう。掘っている時、体のバランスを乱して小川にはまりそうになることがよくある。足を滑らしてドボンということになっては大変だ。いや、水は浅いのでそれほどでもないか。それでも全身ずぶ濡れになって、きっと風邪を引く。こうして書きながら、ブリューゲルの「イカロスの墜落」を思い出している。ドボンと海に落ちるイカロスと、それを見ずに畑を耕す農夫。さて、今日掲げる写真は、1枚目が、移設した棕櫚の下半分と、瓦礫の山のほんの少しを写す。2、3枚目は、桜の林に至るまでに新しく出来た西一川第二公園に隣接する阪急所有の林で、そこにも棕櫚の木が点在していた。数年前にはこれはなかった。情緒がないこともないが、花や紅葉がないので、あまり面白くない。4枚目は、2、3枚目から100メートルほど東に行った土手沿いの道路だ。イチョウの黄葉がきれいで撮ったが、左端にやはり棕櫚が写っている。嵐山はいずれ棕櫚だらけになりそうだ。