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●枯れヒマワリと髑髏
葉を今朝ゴミに出した。45リットルの専用の袋がこれ以上膨れないというほど満杯になったが、昨日はまた木を切り、さきほども椿の太い枝を切ったので、45リットルの袋がふたつ分ほど出来そうだ。



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椿を切る時、ノコギリで左手の人差し指を切り、血が吹き出て、地面にポタポタと落ちた。切られる椿の怨念による仕返しかと思いながら、急いで傷口を水で洗い、強く指で押さえながらバンドエイドで指先をしっかり絞りながら貼った。あまり強く縛ると、血が指先に行かず、逆によくないかなと思いながら、これを書き始めたが、指先のちょっとした感覚の違いから打ち間違いを連発してまともに進まない。それはともかく、枯葉は畑の土に混ぜると土に空隙が出来て作物がよく育つと、先日のTVで言っていた。ゴミとして焼却場行きにするより、そのように自然の循環に載せないともったいない。椿を切ったのは、牡丹にあまり光が射さないからだ。牡丹を植えた時から気になっていた。牡丹は鉢植えすればよかったが、つい何でも直植えしてしまう。椿は庭が広ければ切りたくなかった。椿はあまり切らない方がよいと昔何かで読んだことがあり、それを忠実に守って大切にして来た。樹齢40年ほどになるこの椿は、八重のピンクで、好みではない。だが、春には小鳥が盛んにやって来るので、そのままにしている。ところで、昨日書いた棕櫚だが、改めてそれをどこに植えようかと考え、抱きつきながら、あちこちうろうろしたところ、葉の伸びている頂点までの高さは、背丈どころか、3メートル近い。そして、庭のどこを見ても、それがまともに成長した場合の、理想的な場所はない。そこで近くの公園や土手などを歩いたところ、数本の棕櫚がここ数年で5メートルほどに育っていた。周囲の樹木とあまり釣り合わないが、公園の管理者はそのままにしているらしい。伐採するほど面白くない木でもないということだろう。それで筆者は、公園や土手にもう1本ほど増えても大したことがないだろうと思う気持ち半分と、もうこれ以上棕櫚が目立っては嵐山が熱帯と思われるという考えとで、密かに持てあましているわが棕櫚をどこかにこっそりと植えてやろうという決心がつかない野郎になっている。切り刻むにしても大いに手間で、また、植えるには1日も早い方がいいから、さてどうしたものか。
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 ムーギョ・モンガへの途上にある畑に、今年は数本のヒマワリが植えられた。そのうちの1本が4メートルほどの背丈に成長し、枯れた後もずっとそのまま放置された。それがいつまで持つかと思いながら、11月5日に写真を1枚撮った。天にそびえている様子がわかると思うが、ヒマワリの顔は向こう向きだ。それを畑のおじさんに言って切ってもらおうと何度か考えたが、持って帰っても置くところに困る。まさか庭に植えることも出来ない。それで写真だけでもと思ったのだが、下に白く写っているのはガードレールだ。畑の地面はその2メートル下だ。その枯れヒマワリは撮影の2日後に切り取られていた。地面の横たえられているかと思って立ち止まって見つめたが、見えなかった。もう完全にミイラになって、土と同じ色をしているのであるから、切られてもヒマワリにすれば痛くもかゆくもないだろう。また、人間で注目してわざわざ写真を撮ろうとするのは筆者くらいなもので、ならばそのことをここに書いておくのもいいかと考える。枯れたヒマワリを作品に活用したのがキーファーで、その時には10本近くが展示され、どれも筆者が畑で見続けたものと同じほどの背丈があった。それを思い出したので、もらえるならばもらいたいと思ったのだが、そうこうしているうちに、ジャコメッティの彫刻のように細くなって、キーファーが用いたものよりかなり汚らしくなってしまった。枯れたものが汚いとは真実で、これは人間も同じだろう。であるから、枯れないように心がけるが、自然は容赦せず、年齢とともに枯れる。「枯れる」で思い出したが、「枯」は木が古いで、人が古い「估」が老人の意味かと思えばそうではないのが漢字のややこしいところだ。また、「古」は「白」と同様、頭蓋骨に由来する象形文字だが、頭蓋骨は生が最も古くなった状態ということからすれば、「古老」という呼び方は、9割以上が墓の中に入った老人のようであまりありがたくないが、長生きすると誰でもそうなるし、髑髏をもっと身近に思っていた方がいい。
●枯れヒマワリと髑髏_d0053294_2243952.jpg さて、無鄰菴を出た後、表門を疏水べりの仁王門通りに出ずに南下した。すると角に瓢亭があった。この店の前を通るのは数年ぶりだろう。朝粥で有名な店で、垣根に貼られていた品書きに数千円の価格が記されていた。江戸時代のままのような雰囲気に満ちた外観で、内部の様子は以前NHKの特別番組で紹介されたことがある。上京の上御霊神社のすぐ近くにも同じ屋号の店が以前あったが、そことは関係がないらしい。江戸時代ならばごく普通の食事処といったたたずまいだが、今は高級料亭だ。ビールを初め、全メニューが1品270円という格安の飲み屋のチェーン店がある一方、こうした歴史のある高級店が営業を続けられるのは、一部に金持ちがいるためだが、金持ちでなくてもグルメはお金を貯めてたまには高級な店でということをする。筆者はグルメではないが、かといって1品270円の店には行きたいとは思わない。瓢亭の前を西に進むと、左手に大きな空き地があった。そこにあった看板は頭蓋骨を描いて、その付近には全く似合わない異様さがある。何年か前に通った時も空き地で看板はあったと思うが、問い合わせが多いので、そのような絵を描いたのだろうか。髑髏の絵は今はブームであるから、その看板を見て面白いと思う人は少ないだろう。看板のすぐ近くに木製の大きな門がある。南禅寺の惣門とあって、昔はそこまでが寺の境内であったのだろう。他の禅寺と同様、廃仏棄釈の折りに寺域を縮小したのだろう。それにしては門だけが残されているのは面白い。その門の手前の路上で南禅寺の半券を拾った。人か車に踏まれたようで、凹凸がひどいが、写真がきれいなので拾った。寺のどこを撮影したのか知らないが、南禅寺にも立派な庭があちこちにあることをうかがわせるに充分だ。時間がまだ早かったので、次に京都駅に出た。駅前にヨドバシカメラが前日の5日にオープンしたのだが、そこに行ってみようと家内が言ったからだ。大勢に人が押し寄せていてた。Nはそういう店が大好きで、ポイントがどうのとよく言っていたが、筆者はさっぱり電気製品に関心がない。それでも、まず薄型TVなど見て回り、思ったほどの価格でもないなと感じながら、結局地下を含めて全館を歩いた。地下にはスーパーがあって、これは便利と思いながら、値段が高いために、わずかしか買わなかった。レストランの階は人がいっぱいで、その店にも列が出来ていた京都駅前ならば妥当な価格だろうが、しいて食べてみたいと思うほどのものはない。また、意外なことに人気漫画の「ワンピース」専門店があって、天井には髑髏の旗が何枚も吊られていた。その旗は祇園祭りの屋台の背面、大阪の平野で見かけたものと同じで、こういう店で売っていたものかと納得しながら、同じ商品を探した。かなり小振りのものが数百円で売られていて、1枚ほしかったが、買っても飾る場所がない。それにどうせ飾るなら、自分でデザインしたものを布に染めてみたい。それを背後にして枯れたヒマワリを活けるのだ。とはいえ、みなそう思うだけの話で、全く古い人間は行動的ではない。
●枯れヒマワリと髑髏_d0053294_1443295.jpg

by uuuzen | 2010-12-03 14:46 | ●新・嵐山だより
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