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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●無鄰菴、その3
櫚の木がいつの間にか裏庭に生えて来た。天狗の団扇のような大きな葉を四方に広げるので、川向こうからの人の視線をさえぎっていいのだが、その分庭には光が射さず、牡丹など、か弱い植物の生育に悪い。



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そのため、気づくたびに、あるいは気まぐれから、時々葉を切り落としていたが、幹がどんどん伸びて、背丈ほどになった。昨日、ついにそれを抜くことにした。途中から切り取るのはかわいそうで、根こそぎ抜き、買った隣の家の庭に移植しようと思ったのだ。その理由は、昨日隣家の裏庭を3か月ぶりに手入れをし、邪魔になっていた名前の知らない大きな木の枝を全部払った。ハート型の大きな葉が黄色になってどんどん風に飛ばされて落ちるので、この掃除が面倒であったのだ。また樹形も植わっている場所もよくないため、いずれ切り取ろうと考えていたのが、昨日急に実行する気になった。その理由がまたある。庭の隅の日当たりの比較的よい場所に、夏、植木鉢に入っていた蘇鉄を直植えした。その蘇鉄は、息子が保育園に通っていた時に小さな白いプラスティックの鉢に1枚だけ羽根のように葉が生えていたものをもらって来たものを育てたもので、20年の間に筆者がひとりで持ち上げるのに、ぎりぎり精いっぱいというほどの大きさに成長した。大きな鉢だが、それでもあまりに窮屈そうで、いつか直植えしてやりたかったのだ。それが、隣家を買ったことで、ようやく実現した。ひょんなことで自分のもとにやって来たどうでもいいような植木を、家ひとつ買ってまで植えてやろうとするのであるから、筆者はよほど変わっているのかもしれない。ともかく、その蘇鉄がゆっくりとした気分になれるのにふさわしい場所に植えてやったが、数十年経っても周囲のどこにも葉がぶち当たらないような空間に植えたつもりだ。そんなことがあったので、先日オリエンタル・ホテルでの蘇鉄の植え込みを見てがっくりしたのであった。それで、そのせっかく植え替えた蘇鉄が、名前の知らない落葉樹の葉で埋もれていて、これでは蘇鉄がかわいそうと思い、名前の知らない木を伐採することにした。その空いた場所に今度は引き抜いた棕櫚を植えようかと昨日は考えたが、棕櫚は成長が割合早く、しかも背丈は5、6メートルになる。それではまたその裾近い蘇鉄に光が射さなくなる。それで、今どうしようか迷っている。棕櫚はもっと広い庭が必要で、わが家では無理だが、せっかく大格闘して抜いたものをまた切り刻んで捨てるにはしのびない。
●無鄰菴、その3_d0053294_11412266.jpg

 棕櫚の種子がどこから飛来したかはわかっている。近所に比較的よく植わっているからだ。だが、わが家に育った場所は、劣悪な環境で、土はほんの少し、ほとんどは石だ。そのため、昨日それを抜くのに2時間近くかかった。軍手をすればよかったのに、素手で通したものだから、あちこち傷だらけ、皮も擦り剥いた。そればかりではなく、棕櫚の葉で刺したのか、瞼からえらく出血し、それが固まっていることに後で気づいた。汗まみれになりながらの作業で、下着1枚でもよいと思うほど暑かったが、汗が目にどんどん流れ入り、それが困った。タオルを取りに戻ればいいのに、それが面倒で、ついついそのまま作業をしたが、場所がフェンスの向こうの小川の岸辺で、またフェンスの扉をくぐるのが億劫であったからだ。その岸辺は整地すれば小さな畑になる。いつかごろごろと埋もれる石と、それに絡む雑草を全部抜いてやろうと思うが、数日は要するだろう。きっと思うだけそのままになる。やる気があるのなら、この30年、とっくの昔にやっている。で、棕櫚を根こそぎするには、根が絡んでいる石を除く必要があった。石をひとつずつ取り除いてようやく体全体でその棕櫚をハグして持ち上げることが出来たが、石は米袋で言えば30キロ分ほどの容量になった。棕櫚1本の根元にそれだけであるから、わが家が沿うその岸辺全体ではトラック1台分になるかもしれない。そのあまりの石の多さに驚きつつ、またそんな環境でよくぞ背丈まで育ったことに大いに感心した。しかも成長の途中で筆者は何枚も葉を切り落とした。切られても切られても、また劣悪過ぎる環境でもそのように育つ植物とは、本当にその生命力に感心する。だが、考え方によっては、石が多いために、根がしっかりとそれらを取り巻き、容易に倒れず、また引き抜かれなくなることを棕櫚は知っているのではないか。劣悪と人間は思っているが、棕櫚にとっては案外そうではなく、いい場所を見つけたからこそ発芽し、成長を続けたのだ。そう考えると、人間も同じで、自分の出自をあまり気にすることはない。そのような境遇を選んで生まれて来たと思えばよいのだ。そして、その境遇を逆手に取って、それに見合った活動をすればいい。とか何とか、棕櫚1本をネタにそんなことを思った次第だが、こうして書きながら、庭に横たえたままにしている棕櫚を、さてどこに植えたものか、大いに悩んでいる。結局わが家に植えるしかないとして、さてその場所はどこがいいか。数十年先筆者は生きていないが、20年先にあまり背丈が伸びて、こんどは引く抜いて移植出来ないでは困る。そのため、将来像を描いてしかるべき場所に植える必要がある。
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 木1本を移植するだけで、こんなに手間取っているのに、1000坪近い庭となれば、いったいどれほどの時間と労力を要するのか、全く想像を絶する。無憐菴の庭は小川治兵衛が造ったが、庭の水面は塀のすぐ向こうの疏水から引いている。無憐菴のすぐ近くに疏水記念館が建つが、南禅寺の境内にも有名な疏水路が通り、岡崎のこの近辺は明治時代に琵琶湖から水が引かれて景色が一変した。その疏水を治兵衛は巧みに利用した。疏水の完成から数年後に無憐菴が造られたことを思えば、もし疎水がなければ庭は今とは違ったものとなり、また治兵衛の活躍の場はもっと限られたかもしれない。京都で代表的な治兵衛の作庭は平安神宮の神苑だ。それに関しては以前に二度書いたが、その時に実は筆者は無憐菴の庭もぼんやりと見たいと思っていた。そしてその間に徳川園を見て、その感想を書いたから、筆者のブログのネタは脈絡がなさそうである。ところで、一昨日、TVでたまたま西園寺公望が所有した清風荘の庭園を紹介するニュースを見た。左京区の田中にあって、そこから近い京大が現在所有しており、今年は限定的に一般公開が行なわれたのだ。無憐菴の数倍の面積はあるように見えたが、やはり明治の政治家は今とは格が違う。それに西園寺は公家であり、武士でも身分がかなり低かった山県有朋とは比べ得ない、家柄ゆえの貫禄といったものがあったろう。清風荘の庭園はまだ修復が完全ではないのか、今後機会を見て公開すると言っていた。情報に注意して、機会があれば訪れたい。そう言えば筆者は20代前半頃に修学院離宮や桂離宮に申し込んでわざわざ見に行ったもので、それなりに庭には関心があったと言えるかもしれない。清風荘の庭が一般公開されて認知度が高まれば、京都に観光名所が増えることになってよい。その庭もまた治兵衛が造ったものであるから、評判を呼ぶだろう。また、治兵衛作とは知らずに誰しも見ているものに円山公園がある。どれも水面をうまく配置しているが、現在の京都の最も京都らしい部分を治兵衛が受け持ったところ、無憐菴の洋館1階の壁面を治兵衛の業績で飾ることはよく理解出来る。その無憐菴が治兵衛の庭のいわば発端になったことを思えば、庭に関心のある人は必見の場所ということになる。
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 さて、母屋と洋館の間には、庭の中央を流れるせせらぎがある。三角形の敷地の頂点に相当する尖った部分がその水の取り口で、そこが高さの低い滝になっている。この水が庭全体の印象を決定づけている。水深はごく浅く、そこに光が反射して庭園全体が湿地に見える。これは平安神宮や円山公園とは違う趣向だ。平面図で見ると、この水面はかなり広い。人間は陸に住むから、水面をあまり意識せず、それを小さく感じがちではないか。そのため、水面と感じるには、実際はかなり大きく面積を取る必要がある。庭を一周して思ったことは、その手入れだ。筆者のように庭の片隅をいじるだけでも大変な思いをしているのに、これだけ広大であれば、雑草や樹勢の管理は想像を絶する。その代表が、たとえば日本一の庭園と名高い鳥取の足立美術館の庭で、そこでは大勢の人が日々手入れに携わっている。自然が相手であるだけに、人間の方も休むわけには行かないのだ。同じことは無憐菴でも言えるが、筆者が思ったのは、洋館1階に展示されている庭の写真だ。色褪せたそれらの写真は、また撮影し直されていずれ新しいものと交換されるが、その時、古い写真を保存しておくと、樹木の形の変化がわかるということだ。そして、無憐菴が出来てこの1世紀、それらの樹木の形や配置がどの程度変化したかが気になる。樹木は成長するし、また枯れる。それをどう見越して庭が作られるのか、そこが庭師に訊ねてみたいところだ。たとえば無憐菴では明らかにそこに大木があったことを知らせる石の囲いが2、3あったし、また切り株もあった。そこには山県有朋が見た木があったはずだが、今はない。となると、母屋から見えた光景は少しずつ違って来たことになる。庭は生きていると捉えればそれは当然のことであり、であるから庭はいいということになるが、治兵衛の思いがどのようにうまく継がれるかだ。だが、その心配は無用なのだろう。小川治兵衛は代々受け継がれる名前であり、庭はこうあるべきという思想は確実に伝達され、その時々にしたがって、最も理想的な形に整えられる。その際、最初から配置されていた大きな石まで動かすのかどうかは知らないが、石や水の流れはそのままだとすれば、庭の変貌は最小限に抑えられるのではないか。無憐菴の岩には大きな白緑色の苔が目についた。それはいかにも絵になるような形で、長年その場所に留まっていることを思わせた。
●無鄰菴、その3_d0053294_1143443.jpg 無憐菴に大勢の人が毎日押し寄せると庭は荒れがちになるだろう。だが、もっと有名な場所になって、母屋で面白い催しが開催されれば、岡崎に行くと心のある人は必ず立ち寄る場所になる気がする。この付近は大きな家が多く、また裏手にはラヴ・ホテルが点在して、京都に来る観光客はあまり立ち寄らず、また裏手の道は歩かない。今でもそうであるから、明治時代はなおさらそうで、静かな別荘地としては最適であったと思える。「あなたの隠れ家は京都・岡崎にありました。」というパンフレットに印刷されるキャッチ・コピーは、ラヴ・ホテルの宣伝にもって来いだが、実際無憐菴を訪れた後でそうした場所に行くアベックは少ないかもしれない。京都に住んでいても、西京や右京区の住民は、東山は左京区は敷居が高い気がする。江戸時代では西京や右京区辺りは田畑ばかりが広がっていた田舎で、戦後に建て売り住居が密集したが、よそ者が大半を占めて、本当の京都らしいところとは無縁の地帯と言ってよい。そのためか、筆者にとって岡崎界隈は、今でも出かける決心といった心がまえがあっていつも出かけるし、まだ踏み入れたことのない地帯や寺社も多い。京都に住んでいても、案外京都のことをよく知るのは他府県人で、その他府県人のような顔をして、まだ訪れていないところにはどんどん行ってみようと思っている。
●無鄰菴、その3_d0053294_11435958.jpg

by uuuzen | 2010-12-02 11:44 | ●新・嵐山だより
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