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●無鄰菴、その1
定的に日を限って公開している美術館に、京都岡崎の藤井斉成会有鄰館がある。中国美術専門で、中国美術に関心のある人はぜひ見に行く必要のある施設だが、筆者はその門の前をもう何百回も通っているにもかかわらず、中に入ったことがない。



●無鄰菴、その1_d0053294_11264524.jpg

公開日がごく限られることと、予約が必要であるからだ。行ったことのある人に昔聞いたところによると、やはり一度は見ておくべきものであるらしい。この美術館は、関西文化の日の無料公開の対象になることはまずない。11月に公開はしているが、時間をごく限ってのことであり、無料公開して大勢の人が終日押し寄せるでは、公開日時を限定している意味がない。見たい人は美術館につごうに合わせて出かけるべしという姿勢は、私設の美術館にはあってよい。ところで、この館の「有鄰」は『論語』に由来している。徳は孤独ではなく、徳のある人には必ずそれを援助する人がいるという意味だ。この意味を今はどれほどの人が正しく理解するだろう。徳とは得のことであり、金儲けのうまい人はどんどん金を稼ぐ、また金は孤独で、金は金のあるところになおよく集まるといったことを思い浮かべる人は多いだろう。反対に、貧乏人は心が暗くて貧しいからそれに甘んじるのは当然であり、徳には縁遠いと蔑まれるのが、おおよその相場だ。藤井斉成会有鄰館は近江商人が紡績で大儲けした資財を美術品の購入に充てて出来たものだ。これは細見美術館も同じで、繊維業が盛んであった時代の遺産だが、有鄰館の設立は大正時代であるから、細見美術館とは違って歴史、そして収蔵品の格は段違いであり、そこに日本の繊維業が辿った尻すぼみの歴史が端的に表われてもいる。一級美術品の収集は莫大な資金が必要であるから、商売人がそれに関わるのは当然だ。その商売も、人間が関係するのであるから、やはり「有鄰」の思想は必要だろう。だが、徳の考えが商売とどれほど常に密接に貼りつくかは難しい問題ではないか。今急に思い出したが、一昨日終わったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」は、たまに見るともなく見た。このドラマは後の三菱を生む岩崎弥太郎から見た龍馬像を描くといったふうに物語が展開した。そこが面白い。また、龍馬や弥太郎は武器を調達することで大儲けを画策し、実際それに成功するが、筆者にはそこがどうにも気になる。武器を買ってやることと言えば、結局のところ人殺しの加担ではないか。商売の中でも武器を扱うのは最も忌み嫌われるべきだろう。そこが龍馬礼讃一辺倒の中でどのように評価されているのか、気になる。評価というのものは、一面的になりやすい。龍馬が長生きしたとすれば、戦争にまっしぐらという姿勢になった可能性もある。一方、三菱はその後日本を代表する大企業になるが、その裏には戦争に絡んで大儲けしたという経緯がある。日本はアメリカのように、大量殺戮兵器を生産する企業はないが、日本の技術をもってすれば、ものの2、3年でアメリカ並みの兵器を生み出すことが出来る。そのルーツは龍馬や岩崎弥太郎にあるだろう。それはさておき、紡績業で儲けたお金は兵器産業とは違ってきれいであるとの見方もあまりに単純で、戦争があると、兵器だけではなく、あらゆる工業が発展し、儲かる仕組みになっている。そして、大企業主が美術品を購入するのは、趣味人であることの証明に必要であることと、高価な美術品がいざとなった時に会社をわずかでも救う財産であるとの思いによる。美術品が本当に好きで会社の経営を傾かせてもかまわないと思うほどになれば、それはもう企業が倒産する直前で、その例が陶磁器の収集で有名だった商社の安宅産業だが、その収集品はその後大阪市に寄贈され、大阪中之島に美術館が建てられた。これは「有鄰」を示す出来事であった。そして、安宅の名前は大阪市がある限りは残る。今地震があった。TVをつけると震度1という。これで震度1ならば4とか5ではどうなることか。そう言えば一昨日の午前中は自治連合会の防災訓練があって、地震を想定して300人ほどが小学校の校庭に集まって、訓練をした。そのすぐ後の、京都では久しぶりの地震だ。
●無鄰菴、その1_d0053294_11273635.jpg 有鄰館の近くに無鄰菴がある。この施設の塀際の道を昔から何度も歩きながら中には入ったことがなかった。人間にはそういうことがよくある。いや、そういうことの方が圧倒的に多い。いつも筆者が散歩する道沿いには数百以上の家並みが続くが、そのどれにも筆者は入ったことがない。個人の家であるから入れないのは当然だが、お金を支払えば入れるところでも、その気になかなかなれない場合がある。これも今思い出したが、死んだNはよく行ってみたい料理屋を探し当て、ひとりで入りにくい敷居の高そうな店は筆者を誘った。ふたりなら恐くないし、また間を持てあまさずに済むからだ。強い興味がある場所ですらそれであるから、あまり興味も惹かない場所であれば、なおさら思い切って入ってみようという気は起こらない。関西文化の日のパンフレットを見ていると、この無鄰菴が含まれていることに気づいた。11月6、7日の2日間の公開で、土曜日の6日に行った。それについて、今日を含めて3回に分けて撮って来た写真を掲げながら書く。無鄰菴は、南禅寺へ行く途中、疏水を挟んで動物園の向い側にあって、その疏水沿いの道に小さな看板が昔からある。それに目を留めながら、足が向かなかった。看板があってそれであるから、看板がなければもっと入園者は少ないだろう。疏水沿いのその道には、大正時代、市電が走っていた。そして、関東大震災の後、岸田劉生が京都にやって来て移り住んだ家が無鄰菴のすぐ近くにあった。劉生は無鄰菴に入ったであろうか。無鄰菴でもらったパンフレットによると、この別荘は元元老の山県有朋が、明治27年から29年に造営させたもので、有鄰館より早い。「無鄰」の由来は、隣に何も建たない場所を思ってのことで、明治時代では確かのその辺りは人家はごく少なかったのだろう。「有鄰館」は「無鄰菴」を意識した命名であったかもしれない。また山県が『論語』の「有鄰」を知らなかったはずはないが、それを知りながらあえて「無鄰」と洒落てみたのではないだろうか。『論語』の儒教と仏教は別物だが、日本では何でも咀嚼して思想の中で混じったから、無と有を等しく見て、無でも有でもない、無でも有でもあるといった思いは割合誰にでも理解出来ることになっている。そのため、「無鄰菴」は「有鄰菴」でもよかったのではないだろうか。だが、有鄰菴では、有朋の名前と何となくだぶるところがあり、また独立しているとの気概があったはずの有朋となれば、わざわざ「朋が隣に有る」と言わずに、「無鄰」と言ってみたかったのではないだろうか。などと勝手なことを書いているが、有鄰館が『論語』に由来することは、収集した美術品からもよく見合っており、表向きは仏教は色濃くはない。
●無鄰菴、その1_d0053294_1128676.jpg 無料公開でなければ行くこともなかった無鄰菴、当日は天気がよくて、内部には大勢の人が次々とやって来た。庭も含めて内部はNHK-TVの庭の特集で最近映ったことがあって、そういう情報を知ってやって来た人は少なくなかったのではあるまいか。南禅寺を見たついでに立ち寄るという人も多いだろう。疏水沿いの道から横手の細い道を入ったところに門があって、そのひっそりした様子がいい。これが疏水沿いに門があればもっと目立ってたくさんの人が訪れるだろうが、もともとごく私的な空間であったから、門はなるべく目立たないところにあるのがよい。昭和16年に市に寄贈されたそうで、庭園や建物の管理は市が担当することになった。その経費をまかなうにはかなりの多くの来場者がなければならないが、ひとり400円の入園料であるから、それはおそらく微々たるもので、チケットを売る人の人件費程度ではないだろうか。パンフレットには、茶室や母屋を使用出来る旨が書かれている。3時間で3000円というから、たくさん人が集まるのであればこれは非常に安い。ただし、入園料は別に必要だ。また駐車場がないのが使いにくい。筆者はここで展示会が出来るかなと考えるが、展示用物品が持ち込めるのかどうか、それがわからない。お茶をやっている人ならば、茶会には最適で、年間に何度もそういう催しがあるのではないだろうか。門を入って左手にチケット売り場があり、そこでパンフレットがもらえた。踵を元に戻して右手を行くと、狭い出入り口があり、そこから園内に入る。その手前の植え込みに混じって、仁王さんの石像がひとつあった。ふと若冲の「五百羅漢石像」を思い出した。石峰寺にはかつて仁王さんの2体の石仏があったが、それは持ち出されて行方不明になっている。その1体がこの無鄰菴にあっておかしくない。これは調べてみる価値があるが、同じような仁王の石仏が他の場所にもあるし、またこの無鄰菴のものに見られる表情は、石峰寺の他の石仏とはあまり相容れない。それに無鄰菴が造られた当初からあったものかどうかだ。それを調べる手立てはほとんどないように思える。
by uuuzen | 2010-11-30 11:28 | ●新・嵐山だより
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