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●『その陽射が私に…』
一昨日の夜、毎週観ていた『その陽射が私に…』の最終回があった。途中で1回観損なったが、毎週それなりに楽しめた。こういう連続TVドラマは最後の結末がどうなるかわからない状態で毎週観るのがよい。生活のリズムに気分的に区切りが出来る要素が増える気がするからだ。



昔は特にそうであった。毎週楽しみにしている番組があり、その時間が来ると1週間が無事に終わったことが改めてわかり、また次週まで生活に張りが出たような気がする。それがいつの間にか毎週楽しみにする番組が激減した。今でもそのように毎週楽しんでいる人は多いはずだが、筆者の場合はもう数えるほどしかそういう番組はないし、観忘れたにしても悔しい気持ちはあまりしない。TVが生活の中で重要な位置を占めなくなったのだ。その原因はいろいろとある。そもそも内容が面白くないというのもそのひとつだが、自分の年令にふさわしいような新鮮に思える番組が少ない。年令にふさわしいと言えば語弊があるから、自分の興味にかなったと言い換える方がよいが、そういう番組は大きな視聴率を稼げないので番組として企画されることが最初からない。それでNHKだけがせめてもの頼りだが、それもかなりあやしくなっている。民放の視聴率合戦では視聴者のマイナーな希望をいれるわけには行かないから、まずは無難なところを狙って当たり外れを極力起こさないような番組の放送に躍起になる。『冬のソナタ』という韓国ドラマが当たれば、まだ日本で放送されていないものをとにかく何でも買って尻馬に乗ろうという考えも出て来る。そうした意味で言えば、このリュ・シウォン主演のTVドラマもまさにそれ以外の何物でもないものだ。ところで、韓国ではこのドラマは視聴率が最高20パーセントであり、これより前にリュ・シウォンが出た『真実』の空前の人気に比べると、かなり評判がた落ちであったことになる。
 このドラマは京都放送で観たが、地方の小さな放送局であり、日本語の吹き替えではなくて字幕であった。これはよい。声の響きが吹き替えではすっかり臨場感がなくなるからだ。また途中のコマーシャルが地方局独特のゆったりとした前時代的なもので、これもドラマの気分をあまりぶち壊されずによい。全16話で、途中で他の臨時番組のために放送延期になることはなかったと記憶するが、これもよい。この点、NHKの地上波で放送する韓国ドラマは必ず全シリーズ中、少なくとも3回は他の番組が入り、著しくドラマを楽しむ気分が阻害される。番組の重要度から言えば、毎週の韓国ドラマなど埋草的なほとんどどうでもいいものであるかのような扱いで、それは仕方のないこととはいえ、もっとどうにかならないかと思う。なぜならNHKではつまらないと思える番組の再放送がかなり多いからだ。そうした番組の再放送を削れか、別の時間帯に移せば、臨時的に放送が延期になる場合でも日を変えて同じ時間に放送することはいくらでも出来るはずだ。こうした柔軟な態度がNHKや日本には特に欠ける気がする。これはもうすでに誰しもが知るように、韓国のTVドラマは1週間のうち2日連続で放送されることがほとんどだ。そのためドラマを楽しむ気分が高まりやすい。それだけ消費のスピードが速いことでもあるが、これは韓国という国を分析するためのひとつの重要な要素にもなるだろう。1週間に1回の連続ドラマという、1週間置きの放送に慣れた日本と、1週間に2回があたりまえの韓国の比較文化論だ。きっと何か面白い事実がわかると思う。ま、それはさておき、全16話は日本ではちょうど4か月に相当する。これは1シーズンだ。韓国ではこのドラマはミニ・ドラマとされたが、それは通常のドラマより短く、2か月で終わるから、それも当然だろう。しかし日本では中断されずにまともに放送されても4か月かかるものを、ミニ・ドラマとはとても言えないだろう。そこに受け止め方の大きな開きがある。ミニ・ドラマとして位置づけられているものは、やはりそれなりに2か月で観終わるのが正しいのではないだろうか。そうした韓国での放送に合わせた鑑賞を求めるのであれば、DVDを買うなりして、自分でそのようにして観る方法があるが、どういうわけかTVで放送されるものをリアル・タイムで楽しむのはそれ特有の、他では得られない味わいがある。これは否定され得ない事実で、自分で録画したものをひとりで楽しむのとは感激が違うのだ。
 このドラマが始まった頃、すぐにネットで調べると、『太陽は私に微笑む』という題で最初放送されたことがあるとわかった。筆者が観たのは『その陽射が私に…』というタイトルで、これはネットの翻訳サイトで調べるとどうやら原題の直訳だ。この方がよい。どちらも太陽の光が感じられる点では同じだが、後者の方がもっと柔らかい印象や余韻がある。タイトルから想像出来るように、これは明るい結末が予想されるドラマで、実際そうであった。使用される音楽も今NHKの地上波で放送中の『オール・イン』のような、いかにもお金をかけたもったいぶった雰囲気が全くなく、ごく普通な、ちょっとU2のある曲を真似たようなイントロを持つ明るいポップスが主題歌になっている。これも毎週観ていると印象に刻まれてよかった。それだけ卑近な感じのするドラマということだが、『雪だるま』のちょっと深刻な内容のそれではない。撮影されたのが雪降る冬ではなくて、おそらく陽射しの明るい春であることもその理由であろう。わかりやすく明るいシンデレラ・ストーリーで、韓国ドラマが特徴とするあらゆる要素を全部投入した、いわゆるどこを切っても二番煎じ、三番煎じの場面がはなはだしい内容だ。韓国では2002年の放送であるので、『冬のソナタ』以降だが、『冬のソナタ』そっくりのシチュエーションがあったりもして、韓国でのドラマにおける熾烈な視聴率競争がうかがい知れる気がした。つまり、ヒットした先行するドラマのいいところはみなどんどん模倣するという方針だ。これは恥ずべき行為かもしれないが、芸術をやっているという意識ではなく、日常のちょっとした清涼剤を提供するという考えに立てば充分納得出来る話でもあり、同じようなことはどこの国でも行なわれている。ドラマでなくても流行歌の世界でも同じだ。ただし、そうした模倣主義が濃厚な場合、そこそこのヒットは期待出来ても爆発的に当たることは絶対にない。実際そのとおりで、このドラマは20パーセントの視聴率という平凡な結果に終わった。
 とするならばこのドラマは失敗であったろうか。そうではないと思える。まだたくさんの韓国のTVドラマを観ていないので断言は出来ないが、このドラマなりの味わいははっきりとあった。それは、束草(ソクチョ)という韓国東海岸の北朝鮮からほど近い場所での魚村でのロケ・シーンが最初の方にかなりあり、そのきらめく海辺の様子がドラマの明るさに大いに貢献していた点で特にそうで、観ていて気持ちがよかった。最終回の最後の場面にもきらめく海面が背景に映っていて、そうしたところからも、ドラマが海と陽射しににこだわっていたことがよくわかる。風景の懐かしさは登場人物の正直な様子と相まって、日本で言えば寅さんシリーズに似た印象を与えているが、これはこのドラマが時代遅れのものであり、その回顧的な気分にさせるところがかえって面白いといった消極的な賛美ではない。2002年であるので、現在と状況は変わらないと考えてよく、ソウルでのシーンでは洒落た建物や家財など、それなりにファッショナブルな雰囲気があり、かつて日本にあった懐かしのという形容にはふさわしくない、あくまでも「今」の印象を与えていた。そうした日本の都会と変わりのない場所における人間ドラマを、みな役柄によくかなった登場人物が演じているところは他の韓国ドラマと共通するが、なおこのドラマを特徴づけているのは、登場人物がドラマの内容によく似合っていたことだ。これを言えばどの韓国ドラマでもそうなるが、紋切り型的な配役がここでは特に成功していたと思う。『美しき日々』に出ていたヤン・ミミ役の女優が『天国の階段』同様、徹底して意地悪な金持ちの奥さん役で、毎回派手な衣装に身を包み、憎まれ口をたたき、またとんでもない所業に出ていたが、そうした誇張的な人物が一方に頑として存在するところにドラマとしての起伏が生じるから、この役者の同じような役割での出番は今後も続くだろう。一方でいじめられる方の配役をどうするかだが、このドラマではそれが成功していて、ちょっとチェ・ジウに似た俳優の清楚な母親役と、その娘役のきりりとした役どころはなかなかよかった。
 肝心のリュ・シウォンは弁護士のドンソクを演ずるが、主役の若い女性のヨヌは束草の漁業協同組合で働きながら夜間大学かで勉学に務めているという設定で、このふたりが束草で知り合い、そしてソウルに出ることになったヨヌはドンソクを頼ることになる。ところがドンソクを以前から支援していた会社があり、その会社にドンソクは一時ヨヌを紹介して働かせ、やがて頭角を現わしたヨヌは会社の重要な仕事を任されるまでになる。その会社はTVショッピングを経営していて、あらゆる品物をキャスターを使ってカメラの前でリアル・タイムで演技させ、その場で電話で注文を受けて商品を販売するのだが、これは日本と同じで、韓国の買物事情の一端がわかることでもそれなりに興味深い。だが、ドラマのストーリーの中心は、その会社の社長の娘ジュニが実はヨヌの異母姉で、社長がかつて学生の頃に束草を訪れて知り合った女性に生ませた子なのだが、それがやがてみんなにわかることから始まる。そして、ヨヌは父親はすでに死んでいないが、歳の離れた姉が実際は母であることをヨヌは知るようになる。ドンソクの結婚相手はジュニであることがほぼ決まっていたのに、ヨヌの出現によってドンソクはヨヌを選び、そこに波瀾が生じて行く。またヨヌの地元には俳優を志す若い男性ハンスがいて、ソウルに出て俳優になればお金を返すつもりでヨヌの大事なお金を持って去るが、このとんでもない出来事のおかげでヨヌはソウルに出ることになったわけだ。ハンスは狂言回しの役割で、おっちょこちょいの一本気な役どころをうまくこなしており、漫画的過ぎる印象もあるが、ドラマを明るいものにすることにはかなり貢献していた。また一方で憎らしい役としてはジュニとその母で、それは前述したヤン・ミミ役の女優が担当しているが、このふたりが最終回までずっと誇張のし過ぎ、典型的な悪役だが、観ていてそれくらいでちょうど面白い。この白黒の明白な分け方はあまりにも古典過ぎて、かなり滑稽なものだが、それをわかったうえで楽しむという余裕と、それでもなおそれなりに感動ないし、またこういうことが実際あるなといった納得をさせられてしまうところが、韓国ドラマのマジックで、その意味で何だか複雑な楽しみ方が出来る。これはどの韓国ドラマにも共通したもので、臭いという表現が当たっているが、その臭さがキムチのそれと同じでまたそれなりの味わいがあるから不思議なのだ。
 筆者の好みを言えば、ヨヌは賢そうな顔をしていて適役とは思うが、ヨヌがジュニの会社で知り合った小柄なかわいい女性の方に目を奪われた。さほど出番が多くはないが、なかなかキュートで、ヨヌとは対照的な顔立ちをしていた。韓国ドラマではなかなか筆者の好みの女性の顔にはお目にかかれないが、そんな中でもこの女性はよかった。主役を演じるほどではないかもしれないが、こうした無数の脇役の印象深いひとりふたりが登場することでドラマ全体が非常にこくのあるものに変化する。韓国ドラマにおけるそうした配役には舌を巻くほどの卓抜さがよくある。リュ・シウォンはあまり演技が上手とは思えないし、いつも役柄が決まっているが、それでもそうした俳優はいてよい。『真実』や『美しき日々』の時よりいい演技とは思えなかったが、リュ・シウォンでなければこのドラマは成立しなかっただろう。ほんわかとした感じがドラマの明るい印象によく似合っていたからだ。暗いニュースが多い昨今、こうしたおとぎ話のようなドラマを、アホらしいの一言で片づけるのではなく、あたりまえの人間があたりまえに生きていることを再確認するのは精神衛生上からはよい。そして、話の筋よりも束草の海辺でちらりと見える普通の人々の動きや家並みといったものが妙に観ていて気持ちがよく、この点がこのドラマの香りを筆者には長く記憶させる理由だと思う。どんな作品でも最後に残るのはこの香りであって、それが独特のよいものでさえあれば、全体がよく思えるものなのだ。その香りを作り上げるのは監督であり役者であり、また風景で、ストーリーの細部があらゆる既知のものからの引用であるとしても、全体としては全く違った香りが出来上がる。これこそ韓国ドラマの面白さと思う。
by uuuzen | 2005-07-10 21:56 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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