塔に上れば名古屋開府400年の祭りの様子もわかるかと思って、徳川美術館をゆっくりと見た後、また地下鉄に乗って栄に出た。車道駅にもぐる時、右手角に北欧館という大きな店があることに気づいた。
それは京都の市バスの車体広告でも見かける店で、スーパーではないようだ。実態は知らず、気にしたこともないが、名古屋にもあることは、全国的にチェーン展開しているのだろう。北欧と聞くとすぐに家具を販売する店かと思ってしまう。家具ならニトリが大手だろうし、北欧館という屋号は謎めいている。気になるので今調べると、京都の北欧館は北欧雑貨を販売し、フィンランドのコーヒーやパンも売り、語学教室もあるという。何だか営利目的を兼ねたドイツ文化センターの北欧版のようだ。また大阪の北欧館は男性専用のサウナというから、名古屋のはいったいどっちだろう。それはどうでもいいが、地下鉄に潜るために道を左に折れる直前、右角に建つ北欧館を確認した途端、向こうからこっちへ通りをわたって来た30代らしき女性がこちらを一瞬向き、店内に入って行った。溌剌としてきれいな女性で、その女性が徳川美術館を往復する間に見た唯一の人であった。きれいな人ということで記憶するのと、あまりにも人影がないことでなおさら鮮明に思い出す。さて、栄に戻りながら、地下鉄を乗り継いで感じたことは、壁画のタイル装飾にいいものが目立つことだ。人が多かったこともあって、また写真を撮り始めると枚数がかなり多くなることもあって、それらを写さなかったが、大阪の地下鉄にはあまりない趣向だ。それがとてもいい。たとえば、こんな壁画があった。シャボン玉を吹く人物の顔を長い壁面の両脇で対面させている。シャボン玉は丸く描くと、長い壁画の端から見ると、それは縦長の楕円に見えるから、こちら側に近いシャボン玉はかなり横長に描いてある。それは向こうの端に近い方も同じで、壁画を見る人の角度を計算して絵を歪めてあるのだ。そういう壁画は珍しい。下絵を描く段階で、細長い通路際の壁画となった時の効果をよく計算しているのだ。また、これは松阪屋下の地下鉄通路に描かれる壁画は、具象だが、時に文様も大胆に取り込んで、昭和時代の一種の懐かしさを表わしていた。かなり腕のある作家が下絵を担当したことがわかり、石の微妙な色合いもよい。絵具で描くのとは違って、タイルや自然石の色合いに頼る必要があって、それがまたどれも落ち着いた雰囲気をかもしている。他の地下鉄駅の壁画がどうなっているのか知らないが、もっと宣伝していいのではないだろうか。
さて、地下鉄の1日乗車券を駅員から買った時、名古屋祭りのパンフレットを一部もらった。それによると、翌日はランの館が無料であった。そのパンフレットの表紙のイラストは、大きなポスターにもなって、栄の百貨店のあちこちに貼ってあった。家康、信長、秀吉の3人の戦国武将が描かれている。筆者にはどれがどれかわからなかったが、それは他の人も同じだろう。そうした武将の絵を描けば日本一という有名なイラストレーターが描いたとのことだが、筆者には醜悪の最たるものに思えた。家康や秀吉、信長の肖像画は伝わっているから、せめてそれらを参考に、もう少しリアルなものにすれば、格調高くもなったが、どれも劇画そのもので同じ表情、格調さは微塵もない。それは作者の人格を反映しているだろう。このような絵を選ぶところに、名古屋の田舎的なところを見た気がする。もっと力量のある、絵画として長く残るような思いで描く画家はあちこちにいるはずだが、そうした絵では祭りの派手さを演出するのにふさわしくないと考えられたのだろうか。せっかく、家康や秀吉、信長の3人がみな名古屋周辺の生まれであるというのに、これではどこか他人事めいた冷ややかささえ感じる。本当にこの3人の顕彰を兼ねた祭りであるならば、もっとその顔というものを大切にすべきだ。それをどうでもいいような漫画顔でのっぺりと一面化してしまうのは冒涜とさえ言える。秀吉の乗った山車がもうすぐ百貨店前に到着するというアナウンスを聞きながら、筆者は松阪の前の大通りをわたって東側に行き、そこを南下してランの館に向かったが、通りをわたる時、出来れば中央の緑地帯を抜けて行きたいと思ったところ、それが出来ない様子であった。祭りに因む屋台などはその緑地帯の内部で開催されていると思ったのだが、そうでもないような、またあるような、いかにも中途半端な人の集まりで、その盛り上がりのなさに、祭りは完全に一部の人が騒いでいるだけで、市民は冷淡に思えた。また、その大通りの中央緑地帯は、普段はどのように使われているのか知らないが、大阪や京都にはないもので、その利用方法が気になる。ニューヨークのセントラル・パークのミニ版のような、誰でも気軽に歩いてくつろげる公園であればいいが、さてどうなのだろう。開府記念の祭りのメイン会場がどこであったか知らないが、大通りを全部歩行者天国にするくらいの覚悟がなければ、盛り上がりに欠けても当然だ。また、家康や秀吉、信長らに扮した人が乗る山車が造られたのだろうが、そういうものは京都では時代祭りがあって、筆者には珍しくない。そのため、開府記念の祭りは何の興味もなかった。
その大通りの中央緑地帯の実態を空から眺めてやろうと思って、TV塔に上ることにした。塔の下では学生だろうか、若い人たちが20人ほど集まってジャズの演奏をしていた。祭りの一貫だろう。祭りはそのように市内のあちこちで実施されるもので、全部を楽しむことは出来ない、またその必要もないといったことか。人ゴミをかき分け、エレベーターの前に着いた。ネクタイを不格好に結んだ20代半ばの田舎じみた小太りの男性が、マニュアルどおりの話し方で口上を述べる。その男性は終日それが仕事なのだろう。そういう人は確かに必要だが、そういう仕事の退屈さに同情を禁じ得ない。塔にのぼる人は案外多い。上から降りて来る人が大勢エレベーターから吐き出される。一旦4階まで行き、そこから展望台へはエレベーターを乗り換える。階段を使うことも出来るが、その階段は屋内にあるのではなく、隙間から下界が丸見えでなかなかスリルがある。そこを上り下りする人はほとんどいないだろうと思っていると、帰りがけに小学生の子どもを3人ほど連れた若いヤンキーの服装をした派手な母親が、あえてその階段で下まで行こうとし、尻ごみする子どもたちをそのままにさっさと下り始めた。残された子どもの中の最も小さい男の子は、半ベソをかきながら母の後を追った。エレベーターが来たので筆者はそれに乗ったが、エレベーターの壁面の半分はガラスで外がよく見える。若いアベックの男がこう言った。「外に見えるあの階段を使って下りる人はまさかいないだろうね。」そう言った途端、ガラス越しに先の親子の下りる姿が見えた。そこまでの距離は1メートルほどだ。半ベソをかいていた子どもは最後尾にどうにかついて下りている様子だ。エレベーターがあるのに、あえて歩いて下りようとした若い母親は冒険心があって頼もしい。そういう行動を面白がる女性は魅力的だ。しんどいからさっさとエレベーターで下りればいいものをと考える人は、人生の楽しみ方を知らない。「えええーーっ! 歩いて下りている人がいるよ!」と、アベックの男は連れの女性に向かって言ったが、その言葉には幾分嘲笑が混じっていた。
展望台を一周するのはすぐだ。そして大阪の通天閣より小規模だ。また、同じように四方の窓辺に写真があって、その場所から見える街並みを文字で説明してある。塔の四方は建物だらけで、市内の大きさがわかるが、高層ビルは大阪ほど多くはない。大通りの中央力地帯を見ると、祭りらしき派手さはなく、祭りがどこで行なわれているかさっぱりわからない。最も目につくのは眼下に見える楕円形の水を張った空中庭園のオアシス21だ。この21は21世紀の意味だろう。そこには無料で入れるので、名古屋市を訪れた人は一度は一周するといい。だが、ベンチがたくさんあるわけでもないので、長居する気にはなれない。椅子がたくさんあって、そこでコーヒーでも飲めればいいが、そういう施設はその下の周囲にいくつか張りついていて、そこでお金を支払えということだ。前回オアシス21を訪れた時、その下からTV塔を見上げた。すると、水のざわめきのために塔が歪んで見えた。その思いがあったので、今回はTV塔からこのオアシス21を見下ろしたかった。写真を撮った後、ソファが空いていたので、そこに陣取り、ジュースを買ってしばし休んだ。筆者の右手の別のソファには眼鏡をかけた40歳くらいの女性がひとり座って、窓の外をぼんやり眺めていたが、その人は筆者が気づいてエレベーターに乗るまでの10数分間、ずっとそのままの物思いに沈むといった感じであった。エレベーターで4階に下りると、そこに名古屋TV塔が建設されるまでの白黒写真が順を追って展示してあった。建設途中のそうした写真は興味深い。名古屋TV塔は日本初の電波塔であることをそれで知った。今でもアナログ放送の電波をそこから発しているらしいが、来年からのデジタル電波時代になるとその役目を終えるのだろう。塔は昭和29年の竣功で、当時塔の周囲には瓦屋根の家が密集し、それらを立ち退かせた後に、大通りや中央緑地帯が出来た。都市計画に基づいてそのような街に作り上げたのであって、TV塔はそのシンボルとなっている。中央緑地帯を名古屋のように大きく取るのは、行ったことはないが、札幌や仙台も同じだろう。それは広々として、また街中に緑を導入する意味合いではいいアイデアだが、その緑地帯が解放的でさまざまに利用されるのでないならば、そこは通りの向こうとこっちを隔てる大河のような感じになって、街が二分される気もする。川なら最初から歩けないと諦めもつくが、緑地であれば話は別で、そこを大勢の人が散策出来るようにイヴェントなどをたくさん開催すべきだ。
塔から空中庭園を見下ろすと、これも祭りのためか、今までにない派手な色の何かオブジェが浮いている。名古屋市ではトリエンナーレ展が開催中で、それは関心がなかったので最初から見るつもりはなかったが、その関連の作品展示だろう。浅い水面であるから、空気で膨らませた軽いオブジェを浮かべるしか方法はない。その月並みな発想の中で出来ることには限界があり、有名作家のものでなくてもかまわない。エレベーターで塔を下り、短い横断歩道をわたって、オアシス21のエレベーターに今度は乗った。なかなかエレベーターが地下から上って来ず、待ち人たちは怪訝な顔をし始めた。10分以上待ったろう。それなら階段でさっさと上った方がよかったが、列を作って並んでしまうと、もう来るだろうと思って、ついそのまま並び続ける。ようやくやって来たエレベーターからどっと出て来た人の中に、60大のおばさんがいて、頭に紙で作った兜を被っていた。子連れならその格好もわかるが、ひとりで祭りを見に来たようだ。また、かなりしかめっ面をしていたから、そのおばさんの兜の被り物はなおさらおかしかったが、ま、祭りであるので、そんな格好をしていても誰も気に留めない。エレベーターで上がって空中庭園を一周し、TV塔と美術展がらみの水面に浮くオブジェを一緒に撮り、それで満足してまた下に降りた。下は大勢の人がいて、たくさんのブースがあった。その右手に位置する区画には歩を進めず、前回入ったチロルの曲が流れるパン屋兼喫茶店がまだあるかどうか、左手に向かった。右手はCOP10の会議が名古屋で開催され、それに因むパネル展示のようであった。COPは最近TVでよく問題にもされている。先進国が生物の遺伝資源を発展途上国からごっそり持ち出し、画期的な薬を開発したりするのに利用するが、その見返りが少ないことに資源を持ち出された国は異議を唱えている。昔アンデスのジャガイモがヨーロッパの飢饉を救ったことと同じようなことが世界では起こっている。欧米の最先端医療の世界では、難病に効く薬を生物の遺伝子を調べる研究をこぞってしているが、遺伝子を持ち出される国家はそういう技術を持たないから、素材を提供するだけだ。その素材がなければ薬の研究開発はないから、先進国が支払うべき代価はそれなりの比率となってしかるべきだが、双方の思惑にはそうとうな開きがある。莫大な利権が絡む問題だけに、ここには政治家が加わって、一種の経済戦争と同じことが繰り広げられる。名古屋の会議でそれがどのように議論され、どういう条約が持ち上がったのか知らない。資源を持たない日本が欧米寄りであるのは間違いがなく、どうかなるべく軽い比率の代価でお願いしたいというのが本音だろう。先進国対搾取されっ放しの後進国という図式は永遠のもので、その問題は遺伝子レベルになって来た。人間世界は弱肉強食なのだ。