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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●徳川園
川家康は三河の生まれであるから、徳川美術館が名古屋にあるのは昔から納得していた。



●徳川園_d0053294_1017189.jpgだが、名古屋に行っても徳川美術館に足が向かないのは、特別展があっても徳川がらみで、また同美術館が所蔵する能装束展は関西でも見られたこともあって、何となくわざわざ行く気にもなれず、そのため場所も確認したことがない。そう言えば名古屋市博物館や名古屋城にもまだ行ったことがなく、それらを今後は踏破しようと思う。名古屋市博物館は、名古屋開府四百年記念の「桃山」展が開催中であったが、今回は見送り、徳川美術館に行くことにして、前夜に地図を印刷した。昨日書いたように、大須から上前津駅にもぐった。そこから徳川美術館の最寄りの駅に行くことにしたが、印刷した地図によると最寄りの駅は森下だ。ところが、地下鉄の路線図を見てもその駅がない。どうやらJRか他の私鉄の駅であるらしく、その駅から最も近い駅が車道という、かなり変わった名前の駅であることがわかり、ともかくそこまで行くことにした。筆者の印刷した地図には車道駅が含まれない。また大きな駅の路線図は、縮尺も他の電鉄駅との距離感もかなりでたらめであるから、森下と車道はかなり離れているかもしれない。だが、天気がいいので、歩くのはかまわない。そう考えてともかく車道まで行った。改札を出てすぐ正面の壁の大きな地図を見たところ、そこに徳川美術館がない。これでまたしばし呆然となった。2、3分間、どしようかと思いながら、周りに人はいない。それで改札口詰所にある呼び出しボタンを押すと、眼鏡をかけた係員中年男性が走って出て来た。訊ねると、ここが地下鉄では最寄りの駅だと言う。やはり、筆者の勘は当たっていた。「遠いですかね」。係員は古びた地図を引っ張り出して示しながら、「その左を○番から出て、すぐ目の前の大通りを左に折れ、信号が6つ目の左です」。「すると1キロほどですか。では歩きます」。駅員の指示どおりに改札を出た。真っ直ぐな道というので、はるか向こうにこんもりと緑が生い茂った箇所が見えるかもしれない。だが、そんな気配はなく、何の面白味もない道だ。車道沿い人家に特徴らしきものはない。やや古びた家並みが続き、人気がはまるでない。徳川美術館にたどり着くまで、ひとりも会わなかった。帰り道でも同じで、こんなことは珍しい。人口が少ないとは思えない。どことも同じように街が老人化しているのだろうか。
 帰りは行く時とは違って、車道から100メートルほど西側の、つまり徳川美術館の正門前の生活道路を歩いて車道駅に戻った。そこは先に歩いた車道沿いとはやや違いながらも似た町並みで、またどういう理由かわからないが、大阪や京都にはない感じがある。強いて言えば京都下鴨辺りに似ているが、もっと庶民的だ。そんな道ならば、スーパーがきっとあるはずで、そこに入って名古屋らしいものを見つけようと思って期待したのに、ついに店らしきものは角地に1軒だけ、昭和レトロ風の建物の果物屋があった。大阪で同じような町なら、店は50メートルおきにあるし、スーパーも見つかるが、コンビニ1軒ないでは、住民はどこで食料を買ったりするのだろう。グーグル・アースでその道を見ると、歩いた時の記憶がなおよく蘇る。それは実際に歩いたからで、歩かずグーブル・アースでそうした道をいくら見ようが、同じ感覚は湧き起こらないだろう。そう思えば、自分の足と目と感覚を総動員する散歩の効用が絶大なものに思える。もう二度とそこを歩くことはないかもしれないが、今回の名古屋行きでは最も思い出になった道だ。全く平凡であるのに、印象に強い場合がある。これは人間でも同じだ。ところで、こうして書きながら、今ヤフー・マップで徳川美術館の位置を調べてみた。なんと栄から東北3キロほどではないか。生活道路を歩いて車道駅前の大通りまで来た時、通りの向こうに続く道の上方には、商店街を知らせる、丸をふたつ並べた中に「車道」と書いた看板が見えた。そういう看板は京都にはなく、大阪でも記憶にないが、名古屋は別の場所でも見たことがある。そういうちょっとした差が面白い。グーグル・アースからその画像を引っ張って来てもいいが、面倒なのでやめておく。それに今日は掲載する写真が多い。地図によれば、その看板の下をくぐって200メートルほど歩いて出る大通りを、今度は左に折れて2キロも行けば栄だ。そんなに近いとは思わなかった。栄からわずか3キロで人気が全くない住宅地があることは、名古屋の中心部は案外と小さいとも思わせる。当日は地下鉄乗り放題切符を買ったこともあり、なるべく効率よく動く気持ちもあったが、それだけに自分の足で歩いた道は印象に強く、わざわざこうして書いている。展覧会を見ている間もずっと立って歩いているから、街中の歩きも含めると、全体で歩く距離は10キロには収まらないだろうが、そうして歩くことが実感を伴うことであり、また贅沢な時間の使い方でもある。
●徳川園_d0053294_21335172.jpg
 さて、信号を数えながら車道沿いの歩道を歩き、6つ目の信号に来た時、小さな看板があって、左手が徳川園であることがわかった。道を折れると、玄関まで100メートルほどあったろうか。正面玄関とは違って、その横手にも門があって、中に豪華な車が停まっていた。徒歩での印象をどうのこうのと書いているが、大人はたいてい車で目的地まで一直線で、しかもこんな長文に時間を無駄に過ごさない。徳川園と聞くと、大名の庭園という思いが真っ先に立ち、それで筆者のような最低部類の庶民にはかなり敷居が高い。園の端に沿った道を折れると、キモノ姿の中年女性数人が立っていて、タクシーを待っているようであった。その場所を越えると、木造の立派な門があって、そこから入ることがわかった。森下駅で下車したならば、筆者とは反対の方角からこの門に着く。門に入ってすぐ左手が徳川園への入口で、門の突き当たりに位置する美術館を見る前に、まずこの庭園を見ることにした。この庭園は新しい。6年前に出来たばかりだ。庭園に入ってすぐ、60代の小柄なおばさんが2、3人いて、園内を案内してくれると言ったが、それには及ばないと思って、さっさと歩を進めた。ところが、園内を一周している間にこのおばさんのひとりが数人の客を引率して説明している場面に出会った。おばさんは覚えていたのだろうか、筆者に話しかけて来て、手に持っていた小さな細いドングリを1個くれた。それがこうして書いているパソコン画面の前にある。「これはね。椎の実ですよ。食べられるので齧ってみてください。少し苦いですが」。言われなくても椎の実であることはわかるが、生で齧ったことはない。それに苦いのはいやだ。「家に帰って植えます」。「えーっ、ものすごく大きな木に成長しますよ」。などとやり取りしながら、滝が見えるところまで来た。その滝はチケットに印刷されている。写真を撮ったが、チケットの写真とそっくりなので、それで代用することにする。おばさんはその滝のところでとまって説明を始めた。「どこから水を引いているのですか。江戸時代からあるのですか。」「いいえ、去年出来たものです」。その去年は正確ではないかもしれないが、それほど新しいものだ。それで驚いたが、徳川園は空襲で破壊され、ようやく6年前にまた整備されたのだ。だが、徳川時代と同じではないだろう。上に掲げたパノラマ写真は、園の外の建物が見えず、園の様子を知るにはもっとも好ましい角度ではないかと思う。
●徳川園_d0053294_10183817.jpg
 この徳川園は、尾張藩主の第3代が元禄時代に隠居地として住んだ場所で、当時の敷地の規模と同じとして、当時は美術館が現在建っているところに屋敷があったのだろうか。ともかく大名がらみの日本庭園なので、ランの館とはいかにも対象的でいい。今後100年も経てばもっと落ち着いた庭になり、もっと有名になっているだろう。池の水が藻で濁って停滞しているのは感心しなかったが、岩が林立した区画は、豪放さがあってよい。ぐるりと時計と反対周りに歩き、次は山手に上り、さきほど書いたように滝を見た。道を全部歩いたが、大阪天王寺の慶沢園とどこか似た感じがあって、改めて大阪にもいいところがあるではないかと思う。入園者は途切れなかった。団体ツアーに入っているのだろう。この庭は滝もそうだが、みな木曽や濃尾平野の見立てとなっていて、徳川家にふさわしいことを考慮されている。たまたま花が途切れている季節であったが、春には花が多いだろう。池を一周している時、蘇鉄があったので、それが写るように写真を撮った。これを加工する時に中央下に変なものが映っていることに気づいた。それは松阪屋での展覧会を見た後に買った図録のビニール袋で、カメラのファインダーを覗きながら、袋を手に持っていたのが少し写り込んだ。加工して消すまでもないし、筆者のそそっかしさを記念しておくのもよい。それはいいとして、こういう広々とした庭で蘇鉄を見るのは好きだ。栗林公園ではもっと巨大な蘇鉄がもっと多くあって壮観であった。自宅の庭に時たま蘇鉄を植えている人を見かけるが、ほとんど蘇鉄だけになってしまう。狭苦しくて蘇鉄もかわいそうだ。池の中に鯉がいるらしいが、藻と泡の濁りのためにほとんど姿が見えない。この藻は管理が悪いのだろうか。蘇鉄の近くまで来ると庭を一周したことになるが、そこでチケット売り場のある建物を見上げる格好になる。その建物は木造風には造ってあるが、実際は鉄筋コンクリートを一部に使って頑丈にしてものだろう。売店があって、またレストランも備えるためにそのような大きな建物が必要であった。その建物の眼下に池があり、反対方向に築山がある。全部周ってもしれているが、足の悪い人はのぼり下りが不便でその気にはなれないだろう。そういう人は早々とレストランで一服すればよい。そこからの眺めは池が見わたせてきっといいはずだ。
●徳川園_d0053294_1019133.jpg

 その建物にまたのぼって園を出ようと思った時、錦鯉が一匹泳いでいる光景に出会い、その写真を撮った。園内から超高層ビルは見えないが、周囲の建物は多少見えた。それが一切写らないように撮影したが、その思いやりは実状とは違って、間違った情報を与えることになるかもしれないが、園の外側も一緒に写ってしまうと、どうも気分がぶち壊しになる。それがランの館とは多少違うのは、徳川園が江戸時代を意識しているためで、一方のラン館は、もとから欧風の洒落た庭をイメージしていることの差だ。つまり、現在の日本では、江戸情緒が街中では異様さをもって存在するしかない。日本の限りなく無国籍化した街並みでは、それは仕方がない。それに、池のある庭を広々とした平野を見立てたのであれば、背の高い樹木で塀の際を全部さえぎってしまうことは出来ない。この池を巡る庭は、歩いていて気分がよい。このゆったり感は名古屋独特のものかもしれない。名古屋の栄に道路は、大阪御堂筋以上に幅が広いのではないだろうか。そうした街作りの感性が、この徳川園にも通じている気がする。ともかく、庭にはやはり水辺が必要で、平安神宮の神苑も大半が池であり、その周囲を歩く。ところが、徳川園はチケットにあるように、滝まで用意され、京都市内にはない山歩きのちょっとした楽しみが加わっていて、コンパクトに日本の自然が体験出来る。この徳川園は徳川美術館と同じ財団法人の徳川黎明会が運営しているのかと思って今調べると、どうもそうではないようで、名古屋市の持ち物のようだ。そして経費の削減と収入の増加を見込み、指定管理者を募集している。庭の整備と管理運営には大きな経費がかかる。こういう時勢であるので、少しでも無駄を減らし、収入を増やしたいはずで、それには大いに宣伝して各地からやって来てもらわねばならない。だが、徳川園は最寄りの駅から徒歩で行く人は稀ではないか。住宅地の一画を占め、交通の不便が少々問題だ。それでも最初に書いたように、周囲の道は静かで、洒落た店一軒ないが、一度は歩いてみるのはいい。時間があれば栄から。
●徳川園_d0053294_10194818.jpg

by uuuzen | 2010-11-20 10:25 | ●新・嵐山だより
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